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太陽が笑えば、それでいい  作者: 水前寺鯉太郎


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3/13

おひさまビスケットと忘れていく道

 おやおや、皆さん。亜紀子ちゃんの様子を見てください。

 「桃色のねりね」で胃袋を甘く痺れさせた後は、少しばかり「歯ごたえ」が欲しくなるのが、人のごうというものですよね?

 ポヨたちが次に差し出したのは、この平和な丘の主食であり、もっとも「合理的」な発明品。

 ――**「おひさまビスケット」**です。

 それはドーナツのように真ん中にぽっかりと虚無を抱えた、丸くて乾いたパン。表面は粉を吹き、まるで風化した骨のような感触がします。

「亜紀子、それを持って、おひさまの目を覗いてみて!」

 クボが、無邪気に太陽を指差しました。

 亜紀子がビスケットを空へ掲げ、その中央の穴に「赤ちゃん太陽」を収めた、その瞬間。

 黄金の光が彼女の視神経を直接焼き、ビスケットの縁が、日に焼けた飴細工のようにじゅわじゅわと溶解を始めました。

「あ……温かい……」

 光の熱は、ビスケットという媒体を通じて「記憶のスープ」へと変貌を遂げます。

 鼻をくすぐるのは、日向ぼっこをした布団の匂い。そして、ずっと昔――現実という地獄に、まだ「父」という名の支えがあった頃の、香ばしい焼き芋の匂い。

(お父さん……?)

 亜紀子の脳裏に、掠れた背広の感触が浮かびかけました。けれど、ビスケットから溢れ出す圧倒的な多幸感が、その輪郭を泥のように塗りつぶしていきます。

 光の角度を変えるたび、味は万華鏡のように狂い咲きます。

 右へ傾ければ、夏祭りの埃っぽいソースの味。左へ傾ければ、給食室の大きな鍋から立ち上る、安らぎという名の湯気の味。

「うふふ、今日のおひさまは、誰の思い出を焼いているのかな」

 ドコが自らのビスケットを、バリバリと下品に噛み砕きます。

「ぼくのはね、『初めてのお使い』の味。冷たい自動ドアと、心細さの味。……ああ、おいしいな」

 ミチがけたけたと笑いました。彼らが貪っているのは、自分の過去ではありません。この丘で「おしまい」を迎えた、無数の迷子たちが残していった**「人生の残りカス」**。

 無口なガタがビスケットを掲げると、その腹のモニターに、一瞬だけ、雨の中で泣きじゃくる赤ん坊の映像が走り、すぐさま砂嵐へと還りました。それは、いま彼が口にした「味」の、かつての持ち主の姿だったのかもしれません。

 亜紀子もまた、光を孕んだビスケットを一口、かじりました。

 カリッ。

 乾いた音が頭蓋に響くと同時に、彼女をここまで運んできた「夜逃げの記憶」が、甘いハチミツへと変換されていきます。

 ……エンジンの、低い呻き。

 ……軽トラックの、不快なビニールシートの匂い。

 それらが、おひさまの光に照らされ、黄金色の透明な多幸感へと上書きされていく。

 

 もう一口。母の、節くれ立った指の記憶が、バターの芳醇なコクに変わる。

 もう一口。ハンドルを握る母の悲痛な横顔が、――誰だかわからない「優しい誰か」の幻影に変わる。

 

 ふと気がつくと、亜紀子のスニーカーは、くるぶしの辺りまで地面に沈んでいました。

 土は、熱を持っているかのように生暖かく、粘り、まるで巨大な生物の肉体の上に立っているような感覚。

 丘の向こう、ドームの影。

 あの『第ゼロ号』が、またこちらを覗いていました。そのお腹に浮かぶ『0』という数字が、まるで亜紀子の「残り時間」を示しているようで――。

 

 しかし、ガタが通気口を叩くと、またあの「うふふふ」という心地よいノイズが空気を満たしました。

 不安は霧散し、亜紀子はうっとりと、二枚目のビスケットに手を伸ばします。

 

 お兄さんは、確信しています。

 このビスケットを食べ終える頃、彼女の「帰り道」は、地図からも、そして彼女の脳細胞からも、完全に抹消されているでしょう。

 思い出せないことは、もう、怖くない。

 だって、思い出さなければならない「自分」という存在そのものが、この甘いパステルカラーの土に、とろとろに溶け始めているのですから。

 

 さあ、亜紀子ちゃん。もっと食べて。もっと忘れて。

 あなたが消えた後、そのビスケットは、一体どんな「味」になるんでしょうね?

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