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太陽が笑えば、それでいい  作者: 水前寺鯉太郎


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12/13

痛くない、ということ


 おやおや。人間第一号さん、今日は膝を派手に擦りむいてしまったようですね。

 けれど、あなたはちっとも顔をしかめません。パステルピンクの肌が剥げ、中から「綿」のような白い繊維が覗いているというのに。

 血は、もう、出ません。

 彼女の身体は、流れるべき赤を忘れ、清潔で乾燥した「詰め物」に書き換えられてしまった。

 傷口からは、洗いたての毛布のような、無機質でどこか甘い工業製品の匂いが漂うばかり。知ってしまった「真実」は、彼女から驚きという名の生存本能さえも奪い去っていました。

「ねえ、それ、ちっとも痛くないんでしょう?」

 

 小高い崖の上。空に抜けるような、明るすぎる声が降ってきました。

 覆い隠すべき絶望を、過剰な糖分で塗りつぶしたような声。私はその音色に、ひどく聞き覚えがありました。……いえ、これはまた、別のときのお話ですね。

 

 そこにいたのは、「第三号」。

 亜紀子がここへ来るずっと前、あの廃ドームに「わたしの」と書ききれなかった、名前を失った先駆者です。

 

「痛いって、どんな感じだっけ?」

 

 少女は笑いながら、迷いなく崖から身を投げました。

 着地の瞬間、乾いた綿が潰れるような「ボフッ」という音と、骨が折れる「パキッ」という音が同時に草原を揺らす。彼女の足首は、子供が乱暴に扱った人形のように、あり得ない方向へと折れ曲がりました。

 

「ほらね、平気。この丘には、『痛い』を運んでくる風が吹かないの」

 

 彼女は、笑いながら足首を力任せにバキリと戻しました。その動作は、壊れた玩具を修理する職人のように手慣れている。

 昨日の「見える粒」を瞳に宿した亜紀子には、その笑顔の裏側で、組織が断末魔を上げ、細胞が機能を停止していく凄絶な光景が、克明に「見えて」しまっていました。

 

 それだけではありません。

 少女の全身には、幾重にも重なった「絆創膏の影」がありました。

 剥がした跡のグラデーションが、まるで地図の等高線のように肌に刻まれている。

 傷のない場所に、ただ「自分をそこに繋ぎ止めるため」だけに貼り続けられた、存在の証明。

 

「痛くないって、とっても楽だよ。……あはっ!」

 

 その瞬間。

 亜紀子のポケットで、八つ目の粒が炭のように熱を帯び、彼女の指先を焼き切らんばかりに脈打ちました。

 

 (……い・た・い……)

 

 それは、五歳の頃の少女が、誰にも聞いてもらえなかった最初の悲鳴。

 自分で自分に絆創膏を貼り始めたあの日、暗い台所の隅で凍えていた、孤独な魂の残響。

 

「――っ!!」

 

 激痛が、亜紀子の神経を逆流しました。

 第三号が感じるはずだったすべての痛みが、粒を通じて彼女の身体に「返却」されたのです。

 骨が軋む摩擦熱。神経を刺し貫く疼き。そして、どれだけ自分に絆創膏を貼っても、誰にも「大丈夫?」と声をかけてもらえなかった、魂の底冷え。

 

 亜紀子は草原にうずくまり、声を殺して震えました。

 その「声の殺し方」さえ、かつての少女がそうしたように、身体が勝手に「作法」として学習していく。

 

「あら、第一号さん。お腹が痛いの? クボに、もっと甘い『ねりね』をもらわなきゃ」

 

 第三号は、不自然なほど軽やかな足取りで、丘の向こうへ駆けていきました。

 痛みという「境界線」を解雇した彼女は、もう自分の身体の所有権を放棄している。

 だから、飛び降りても、壊れても、笑っていられる。

 それは無敵の強さに見えましたが、同時に、彼女という存在を空気よりも軽く、無価値にしていました。

 

 彼女が去った後、ドームの入り口には、丁寧に、丁寧に折りたたまれた「絆創膏の山」が積まれていました。

 誰かに剥がしてほしい。誰かに、貼らなくても「あなたはここにいる」と告げてほしい。

 ポヨ化してもなお消えない、人間の最後の一滴のような「願い」。

 

 私は知っていますよ、人間第一号さん。

 痛みがあるからこそ、あなたは「壊れてはいけない自分」を維持できるのだということを。

 けれどこの丘では、壊れても笑うことこそが正解。

 第3号にとって、ここは逃げ場ではなく、ようやく見つけた「理想の居場所」だったのです。

 

 赤ちゃん太陽が、転んだ第3号を見てお腹を抱えて笑っています。

 太陽は痛みを知りません。だから、他人の欠損を「喜劇」として消費します。

 

 亜紀子は、激痛に耐えながら、真っ白な汗のような粒を土にこぼしました。

 誰の代わりにもなれなかった少女が、初めて他人の痛みを物理的に引き受けた、その対価。

 粒は土に吸い込まれず、冷たい輝きを放って彼女の足元に転がりました。

 

 さよなら、さよなら。

 他人の孤独な「悲鳴」を、自分の肉体で受け止め始めた、惨憺たる午後に。

 

 ……そして。

 私のこの胸に貼られた見えない絆創膏を、剥がしてくれる誰かは、もう、この物語のどこにもいないのでしょうか。

 

 ……いえ、これはまた、別のときのお話でしたね。

 さあ、次の丘を数えに行きましょう。数は、もうわからないけれど。

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