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『月蝕学園の封印王――監視役の剣姫も、詠唱魔術の才媛も、俺の日常を壊しにくる』  作者: 《本能寺から始める信長との天下統一》の、常陸之介寛浩


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第9話 監視役の食卓、幼馴染の焦燥

 夢の中で、霧生黎夜は階段を降りていた。


 石でできた、やけに長い階段だった。


 上も下も見えない。壁は湿っていて、ところどころに古い燭台が掛かっているのに、火は灯っていない。それでも周囲はぼんやりと見える。暗闇そのものが、青白く発光しているような不自然な明るさだった。


 足音が響く。


 一歩、また一歩。


 靴底が石を打つ音が、何度も反響して、少し遅れて返ってくる。まるで自分以外にも誰かが同じ歩幅で降りているみたいに。


 嫌な夢だ、と思った。


 けれど足は止まらない。


 止まりたくても止まれない、というより、止まるという発想そのものが最初から与えられていない感じだった。ただ下へ。もっと下へ。呼ばれている場所へ。


 壁に手を触れると、冷たかった。


 そして、その冷たさが少しだけ懐かしい気がした。


 ぞくり、と背筋を冷たいものが走る。


 自分はこんな場所を知らない。見たこともない。来たこともない。なのに、知らないはずの石の手触りや、湿った空気の匂いが、妙に身体へ馴染む。


 やがて階段は終わり、広い空間へ出た。


 天井の高い地下大空洞。


 いや、空洞というより神殿に近い。無数の柱が並び、その一本一本に鎖が巻きつけられている。太いもの、細いもの、黒いもの、銀のもの。床には巨大な円環状の紋様が刻まれ、その中心に何かが座っていた。


 玉座。


 そう思った瞬間、心臓が大きく跳ねた。


 古びた石の玉座。背もたれには無数の鎖が絡みつき、王冠のような意匠が刻まれている。だが肝心の“そこに座るべきもの”だけがいない。


 空席だ。


 誰もいない。


 なのに、そこへ向けられる視線だけがある。


 誰の目かは分からない。四方八方、あるいはもっと別の場所から、自分を見ている何かがある。


 ――遅い。


 声がした。


 男とも女ともつかない、低く重い囁き。


 ――やっと、降りてきた。


 黎夜は反射的に玉座の方へ歩こうとする。


 その瞬間、足元から黒い鎖が伸びた。


 一本ではない。十本、二十本、数え切れないほどの黒鎖が床の紋様から這い出し、黎夜の足首、手首、腰、首元へと絡みつこうとする。


 逃げなければ、と頭のどこかで思う。


 なのに胸の奥では、それを“正しい位置”へ戻るための迎えだと感じている自分もいた。


 ぞっとした。


 何だこれは。


 何を思い出そうとしている。


 ――座れ。


 今度は、はっきりそう聞こえた。


 玉座がひどく遠く、ひどく近い。


 手を伸ばせば届きそうなのに、永遠に届かないようにも見える。


 そしてその背後、玉座のさらに奥、空洞の最深部に“扉”があった。


 巨大な扉。


 何重もの封印鎖で閉ざされ、中央には見覚えのある紋様――王冠と黒鎖を組み合わせた印が刻まれている。


 その扉の向こうから、何かが脈打っていた。


 どくん。


 どくん。


 まるで心臓の鼓動だ。


 あれは生きている。


 封じられているくせに、目覚めようとしている。


 ――第二鍵。


 どくん。


 ――次は、おまえが開ける。


「っ……!」


 嫌だ、と叫ぼうとした瞬間、空洞全体がぐらりと揺れた。


 鎖が一斉に鳴る。


 扉の向こうから、赤い光が滲み出す。


 黎夜の身体にも黒鎖が食い込み、そのまま無理やり前へ引きずろうとした。


 痛い。


 冷たい。


 怖い。


 なのにどこかで、そのすべてを受け入れてしまいそうになる。


 そのとき。


「霧生黎夜!」


 鋭い声が、夢を切り裂いた。


 視界が反転する。


 地下神殿も玉座も扉も鎖も、一瞬でひび割れて崩れた。


 次に見えたのは、見慣れた自室の天井だった。


 荒い息が漏れる。


 胸が痛いほど早く上下している。寝間着代わりのTシャツは汗で背中に張りついていた。


「……は……っ」


 薄明るい朝だ。


 カーテンの隙間から春の白い光が差し込んでいる。窓の外で、どこかの鳥が鳴いていた。日常の音だ。普通の朝のはずなのに、身体の奥の冷えだけが夢の続きみたいに残っている。


「起きましたか」


 平坦な声。


 視線を横へ向けると、椅子に座ったままの刃更がいた。


 昨夜とほとんど同じ姿勢だ。背筋を伸ばし、剣は手の届く場所に置かれ、まるで一睡もしていないかのように整っている。いや、たぶん実際ほとんど寝ていないのだろう。


「……お前、ほんとにずっと起きてたのか」


「途中までは」


「途中?」


「三時から四時の間は浅く休息しました」


「一時間かよ」


「十分です」


「強すぎるだろ……」


 夢の残滓で重い頭を押さえながら、黎夜はゆっくり起き上がった。その瞬間、右腕の内側に鈍い痺れが走る。


「っ」


 思わずそこを掴む。


 刃更の視線が鋭くなった。


「またですか」


「……少し」


「夢を見ましたね」


 詩乃に昨夜言われたことが脳裏をよぎる。


 夢を見たら覚えておけ、と。


 地下の階段。玉座。扉。第二鍵。黒鎖。


 あまり思い出したくないのに、妙にはっきり残っている。


「顔に出ていましたか」


「ええ。うなされていましたし、黒鎖反応も微弱に」


「……微弱で済んでよかったな」


「本当に」


 刃更はそれ以上は言わなかったが、声音にはわずかに本音が混じっていた。昨夜の再起動騒ぎを見たあとでは、寝ている間に何か起きてもおかしくない。


「何を見ましたか」


 黎夜は少しだけ黙った。


 言葉にしていいものか迷う。だが隠してもたぶん意味はない。むしろ、こういうものは共有した方がいいのだろう。


「……地下」


「地下?」


「石の階段があって、降りた先に広い空間があった。神殿みたいな。中央に玉座があって、奥に巨大な扉があって――」


 そこまで言った時点で、刃更の表情がわずかに変わった。


「扉?」


「何重にも鎖で封じられてた。で、誰かの声がして……第二鍵って」


 刃更は黙った。


 その沈黙が、逆に答えの一部を語っている気がした。


「何だよ」


「いえ」


 だが彼女はすぐに首を横へ振る。


「詩乃先輩に共有しましょう。私だけでは判断できません」


「判断材料にはなるんだな」


「可能性はあります」


 やはりか、と思う。


 夢がただの悪夢ではなく、何かしら現実と接続している。そう考えた方が自然な反応だった。


 そこで、ぐう、と間の抜けた音が鳴った。


 黎夜の腹だった。


 夢や扉や第二鍵の不穏さが一瞬で生活感に叩き落とされる。


 刃更がじっとこちらを見る。


「空腹ですか」


「見れば分かるだろ」


「聞こえましたので」


「細かいな」


「監視です」


「そこに戻るのかよ」


 だがその一言で、ようやく完全に現実へ帰ってこられた気がした。


 昨夜は結局かなり遅い時間まで話し込み、そのあとも神経が冴えてなかなか眠れなかった。朝になって空腹を感じているなら、少なくとも身体はまだ普通の範疇にある。


「朝飯どうする」


「最低限の備蓄は確認しています」


「勝手に確認するな」


「パン、卵、牛乳があります」


「何で把握してるんだよ」


「監視です」


「もういいよその万能ワード!」


 黎夜は立ち上がり、寝起きの重たい身体を引きずってキッチンへ向かった。刃更は当然のようについてくる。


「だから何でついてくる」


「台所での事故を防ぎます」


「俺そんなに信用ないの?」


「昨日の時点で、かなり危ういです」


「正論が痛い」


 結局、朝食はトーストと目玉焼き、適当なサラダになった。自分で作ろうとしたのだが、途中から刃更が手際よく補助に回り、気づけば共同作業みたいになっている。


 何だこの状況。


「黄身は半熟でいいですか」


「何でそこだけ妙に家庭的なんだよ」


「食事管理も監視項目です」


「範囲広すぎない?」


「必要なら」


「もう聞き飽きたよ」


 それでも、出来上がった朝食を向かい合って食べていると、妙な静けさがあった。昨夜みたいな騒がしさはない。真昼も詩乃もいない。いるのは、監視役の剣少女だけ。


 普通なら気まずいはずだ。


 なのに、完全な居心地の悪さでもないのが不思議だった。


「……何だよ」


 じっと見られている気がして問い返すと、刃更は淡々と言った。


「夢の反応が残っています」


「もっと分かりやすく」


「今日のあなたは、普段より少しだけ“向こう側”に引かれています」


「最悪な表現だな」


「事実です」


「やっぱりそれか」


 黎夜はトーストをかじりながらため息をつく。


「だから単独行動は控えてください」


「お前、ほんとに一日中そうする気か」


「監視役ですので」


「知ってる」


 食後、支度を整えて部屋を出る頃には、いつもの学園の朝の空気が街に満ちていた。学生寮から校舎へ向かう道。春の風。制服姿の生徒たち。何もかもが昨日と同じように見える。


 だが実際には、昨日までとは全然違う。


 自分の中に黒鎖があり、夢の中で地下へ呼ばれ、今夜は地下封書庫へ降りる予定だ。


 普通なわけがない。


 当然のように隣を歩く刃更に、周囲の視線が集まるのも昨日と変わらない。違うのは、もう黎夜自身がそれを気にする余裕をあまり持っていないことだった。


「……見られてるな」


「昨日ほどではありません」


「比較対象が最悪なんだよ」


「そうでしょうか」


「そうだよ」


 校門前に差しかかったところで、聞き慣れた声が飛んできた。


「黎夜!」


 振り向けば、柊真昼が小走りでこちらへ向かってきていた。今日はちゃんと寝たらしく、昨日ほど顔色は悪くない。だが表情はやはり少し強張っている。


 昨日のことを完全に引きずっている顔だ。


「おはよう」


 真昼はそう言いながらも、挨拶より先にこちらの顔色を確認した。


「……寝た?」


「一応」


「ほんとに?」


「たぶん二時間くらいは」


「少なっ!」


「お前は寝たのか」


「私は寝たけど!」


 真昼は胸を張ってから、すぐにじとっとした目で刃更を見る。


「天城さん、見張ってたの?」


「はい」


「ほんとに寝込みを」


「警戒していました」


「うわぁ……」


 呆れているくせに、どこか本気で安心もしている声だった。


「……で」


 真昼は少し声を落とす。


「今日、放課後だよね」


「ああ」


「ほんとに行くんだ」


「行くしかないだろ」


「……だよね」


 真昼はそれ以上強くは言わなかった。ただ、制服の鞄の持ち手をぎゅっと握り直している。


 怖いのだろう。


 それでも、引かない。


 その時だった。


 校門をくぐろうとした人の流れが、ほんの一瞬だけざわついた。


 誰かが悲鳴を上げたわけではない。だが、どよ、と空気が波打ったのが分かった。何人かが立ち止まり、視線を上げる。


「何だ?」


 黎夜もつられて校舎側を見る。


 中庭の噴水、その奥。昼休みに賑わうはずの広場の上空が、かすかに歪んでいた。


 最初は光の加減かと思った。


 だが、違う。


 陽炎みたいな揺らぎが、朝の空の下でじわじわと広がっている。しかも一箇所ではない。校舎の窓際、渡り廊下の先、時計塔の下。都市の中に細かな亀裂が走るように、いくつもの歪みが同時に生まれていた。


「……うそ」


 真昼が呟く。


 刃更はすでに剣の柄へ手をかけていた。


「早すぎる」


「何が」


「夜の接触の影響です。あるいは、昨夜の第二鍵起動が都市全体に波及している」


「つまり?」


 黎夜が問うと、刃更は校舎を睨んだまま言った。


「欠片災の同時多発です」


 言い終わるより早く、噴水前の歪みが弾けた。


 黒い影が三つ、四つ、五つ。


 獣めいた輪郭が空中からこぼれ落ち、広場に着地する。生徒たちがようやく事態を理解し始め、悲鳴が上がった。


 別の場所でも、次々と黒い裂け目が開く。


 窓の内側、廊下の角、屋上の縁。


 まるで都市そのものが、内側からひび割れ始めたみたいだった。


「黎夜!」


 真昼の声に振り向く。


 その背後、校門のすぐ脇の植え込みの上で、空気が裂けた。


 裂け目は小さい。だが十分だった。


 一体の欠片災が、そこで赤い目を開いたからだ。


 近い。


 あまりにも。


「下がれ!」


 黎夜が叫ぶのと、黒い獣が飛び出すのは同時だった。


 真昼が息を呑み、身体を強張らせる。


 距離がない。


 刃更が踏み込むにも半拍遅れる。


 だから黎夜は、考えるより先に身体を動かした。


 真昼の肩を抱き寄せ、無理やり自分の後ろへ引き込む。


 その瞬間、右腕の内側が焼けるように疼いた。


 やめろ、と頭では思う。


 でも鎖は待たない。


 影が揺れ、黒い線が噴き上がる。


 一本、二本、三本。


 漆黒の鎖が欠片災の前脚と首へ絡みつき、空中で軌道を捻じ曲げた。獣は悲鳴のような音を上げながら地面へ叩きつけられる。


「っ……!」


 だが昨日より反応が速い。


 出したいと思うより先に出てしまった。


 これはまずい、と理解した直後、白銀の刃が閃いた。


 刃更の一撃が欠片災を真横から断ち、黒い塵に変える。


「霧生黎夜!」


 刃更の声が飛ぶ。


「制御して!」


「やってる!」


「足りません!」


 黒鎖はまだ消えない。むしろ、校門の周囲に生まれた別の裂け目へまで反応して、じわじわと伸びようとしていた。


 真昼が後ろで息を震わせる。


「黎夜……!」


 その声で、黎夜は歯を食いしばった。


 ここで呑まれるな。


 昨日のルクレツィアの言葉が、嫌なほど鮮明に蘇る。


 喰い方を間違えれば戻れなくなる。


「――止まれ!」


 自分自身へ向けて叫んだ。


 黒鎖がびくりと震える。


 完全ではない。だが、一瞬だけ動きが鈍った。


 刃更がそこを逃さない。


「監視対象の前で暴れるなら、容赦はしない!」


 白銀の執行剣が大きく弧を描く。斬線が校門前を走り、周囲に生まれかけていた小さな裂け目をまとめて切り払う。空気が裂け、歪みが散った。


 その光景に、生徒たちが悲鳴を上げる。


 当然だ。


 ついに一般生徒の目の前で、剣と黒鎖と化け物が正面から交錯したのだから。


「避難してください!」


 刃更が振り向きざまに叫ぶ。


 その声音はよく通った。命令の力がある声だ。固まっていた生徒たちの何人かが、ようやく弾かれたように走り出す。


 だが校舎側では、まだ別の欠片災が湧き続けている。


 噴水前で二体。時計塔下で一体。渡り廊下の上で二体。


 まずい。


 これでは一箇所を抑えても間に合わない。


「天城!」


 黎夜が叫ぶ。


「数が多すぎる!」


「分かっています!」


 刃更の声にも焦りが混じる。


「まず真昼を本校舎へ――」


 言いかけたその時、校舎側の二階窓が内側から砕けた。


 黒い影が落下する。


 生徒たちの悲鳴が重なった。


 地面へ降りた二体の欠片災が、逃げ遅れた女子生徒へ向かって走る。


「っ、やめろ!」


 黎夜は反射的に踏み出しかける。


 だがその距離では遠い。黒鎖を伸ばせば届くかもしれない。けれど今の状態で無理に伸ばせば、自分ごと引きずられる予感があった。


 その瞬間。


 頭上で、澄んだ声が響いた。


「静粛に。ここより先は、言葉が世界を書き換える」


 空気が止まる。


 見上げる。


 本校舎二階の渡り廊下、その手すりの上に、黒髪の少女が立っていた。朝の光を背にして、長い髪が風に揺れている。綾辻詩乃。彼女はまるで舞台の中央へ降りる女優みたいに、静かに片手を掲げていた。


「耳を塞いでも無駄ですわ。滅びとは、正しい名で呼ばれるものです」


 詠唱。


 昨日の編纂室で見た術光とは比べものにならない規模の、複雑な光陣が校舎の壁面いっぱいに展開する。銀、青、白。幾何学模様が何重にも重なり、空中へ巨大な術式回路を描き出した。


 詩乃の声が響くたび、都市の空気そのものが彼女の言葉へ従って形を変えていく。


「天に眠る玻璃の秩序よ、地に沈む黄昏の記憶よ――」


 校門前にいた生徒たちですら、その場で見上げてしまうほどの圧だった。


 欠片災たちが一斉に詩乃へ向き直る。


 敵意が集まる。


 だが彼女は動じない。


「風は道を示し、炎は罪を灼き、水は境界を鎮め、土は骸を縛る――」


「黎夜!」


 刃更の声が飛ぶ。


「今のうちに!」


 その意図は分かった。


 詩乃が大規模詠唱で場を制圧する間に、近くの裂け目と個体を刈る。今なら、自分の黒鎖を最小限に抑えて動けるかもしれない。


「真昼、本校舎の中へ!」


「でも!」


「行け!」


 強く言うと、真昼は悔しそうに唇を噛んだ。だが次の瞬間には頷いていた。


「……絶対、無茶しないで!」


「善処する!」


「それ信用できないやつ!」


 叫び返しながらも、彼女は走った。校舎の玄関へ向かう背中を確認し、黎夜は息を吸う。


 視界の端で、また小さな裂け目が開く。


 足元の影が揺れる。


 黒鎖が疼く。


 出るな。暴れるな。必要な分だけだ。


 それでも、守るためなら使うしかない。


「……っ、くそ!」


 踏み込む。


 刃更が白銀の刃で一体を斬り伏せ、黎夜はその死角から伸びた別個体へ向けて影を走らせた。今度の鎖は一本だけ。細く、短く、だが確実に獣の脚を捉えて引き倒す。


「天城、今!」


「言われなくても!」


 白銀の斬線が黒い身体を裂く。


 同時に、頭上の詩乃の詠唱が最後の段階へ入った。


「虚数に堕ちし災いを、因果の外にて断絶し――」


 都市全体が、彼女の声へ耳を澄ますみたいに静まり返る。


 黒い裂け目たちが震える。


 欠片災たちが不穏に吠える。


「我が名のもとに封は解かれ、我が声のもとに終焉は定義される!」


 詩乃の両手が下ろされる。


「七重封界術式――《グラン・アルカ=セフィラ》!」


 光が落ちた。


 空から巨大な玻璃の陣が降り注ぎ、校庭、中庭、渡り廊下、時計塔の周辺へと同時に展開する。透明な柱が何本も地面へ突き立ち、その内側の裂け目と欠片災をまとめて封じ込めた。


 すさまじい轟音。


 だが破壊ではない。


 封印だ。


 逃げようとする黒い影たちが、光の柱の中で無理やり圧縮されていく。裂け目そのものも、光の網で縫い合わされるように閉じていく。


 その光景は、美しいというより圧倒的だった。


「……すげえ」


 思わず漏れた本音に、刃更が横目で応じる。


「見惚れている場合ではありません」


「分かってる!」


 だが本当に、そう言いたくなるほどの力だった。


 詩乃先輩――あの人は、ただ上品で嫌味な先輩ではない。戦場の中心を一人で書き換えるための存在だ。


 それでも、まだ終わっていなかった。


 校門脇、さっき自分が黒鎖で抑えた場所に、新しい歪みが一つだけ残っている。


 他と違う。


 小さいくせに、色が濃い。


 そこから、ゆっくりと何かが覗いた。


 赤い眼。


 ではない。


 人の瞳に近い、知性を感じさせる色だ。


「……っ」


 嫌な予感が走る。


 次の瞬間、歪みの奥から細い黒槍のようなものが一直線に放たれた。


 狙いは黎夜。


 刃更が即座に動く。だが間に合わない。


 だから黎夜は咄嗟に右腕を前へ出した。


 黒鎖が反応する。


 一本。二本。三本。


 槍へ絡みつき、その進路を捻じ曲げる。だが威力が違う。黒鎖ごと押し込まれ、槍の先端がなおもこちらへ迫る。


「黎夜!」


 真昼の叫び声が遠くで聞こえた。


 詩乃がまだ次の術式へ入れない。刃更は走っている。誰も、間に合わない。


 その刹那。


 ふっと、目の前の空気が揺れた。


 甘い花の匂い。


 深紅と黒の影。


 誰かが、黎夜の前へ割り込んだ。


 黒槍はその人物の掌に触れ、ぐしゃりと音を立てて崩れる。まるで最初から、そこへ触れた時点で“喰われる”のが決まっていたみたいに。


 長い銀髪が朝の光を受けて揺れた。


「まったく。挨拶の翌朝からこれは、少しせっかちすぎるわね」


 黒栖ルクレツィアが、校門前に立っていた。


 振り返ったその瞳は、昨日の夜と同じようにひどく綺麗で、そして今ははっきりと怒っていた。


「私の封印王に、勝手に噛みつかないでくれる?」


 その一言で、場の空気がまた別の意味で凍りつく。


 刃更の剣先が即座に彼女へ向けられた。


 詩乃の光輪が新たに回り始める。


 そして黎夜は、目の前に立つ銀髪の少女の背中を見ながら、混乱と違和感と、言いようのない既視感に息を詰めるしかなかった。

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