表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『月蝕学園の封印王――監視役の剣姫も、詠唱魔術の才媛も、俺の日常を壊しにくる』  作者: 《本能寺から始める信長との天下統一》の、常陸之介寛浩


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

34/37

第34話 詠姫の言葉は奪わせない

 午前の教室は、思ったより静かだった。


 いや、正確にはいつも通りだった。前の席では真昼が教科書を開き、隣では刃更が姿勢よくノートを取っている。窓の外では体育の授業らしい掛け声が遠く聞こえ、黒板には教師の書く文字が淡々と増えていく。


 ただ、黎夜だけが少し落ち着かなかった。


 真昼の合言葉。


 焦げた卵焼き。


 刃更の合言葉。


 白雪。


 どちらも、ただの言葉ではなくなった。


 第三鍵に対抗するための、戻るための足場。そう考えると、何気ない日常の言葉まで妙に重く感じてしまう。


「霧生」


 教師に呼ばれ、黎夜は顔を上げた。


「この段落、読んでくれるか」


「……はい」


 立ち上がって教科書を開く。


 声に出して読む。


 たったそれだけのことなのに、少し緊張した。


 自分の声が教室に響く。


 誰も特別な反応はしない。宮野は普通に教科書を見ているし、真昼は前の席で少しだけこちらに意識を向けている。刃更は隣で、本文と黎夜の状態を同時に観測しているような目をしていた。


 読み終えて座ると、真昼が小さく振り向いた。


「普通だったよ」


「音読の感想として、それでいいのか」


「今は一番大事でしょ」


「……まあな」


 そう言われると、少しだけ肩の力が抜けた。


 刃更が小声で言う。


「呼吸も安定していました」


「音読まで観測するな」


「授業中の発声も日常安定指標になります」


「本当に何でも記録になるな、俺」


「必要です」


「はいはい」


 そんなやり取りをしているうちに、昼休みになった。


 真昼は予定通り午前だけで早退することになっていた。昨夜の夢層接触の反動があるからだ。本人は不満そうだったが、眠そうに目をこすっていたので反論の説得力は薄かった。


「ちゃんと休めよ」


 廊下で黎夜が言うと、真昼は鞄を肩にかけ直した。


「黎夜にだけは言われたくない」


「今日それ何回目だよ」


「何回でも言う」


 真昼はそう返してから、少し真面目な顔になった。


「詩乃先輩のところ寄ってから休む。札の調整あるし」


「一人で行くのか」


「天城さんが送ってくれるって」


 刃更が頷く。


「仮眠室まで同行します。その後、私は教室へ戻ります」


「お前も休めって言われてただろ」


「昼休み中に十五分休息を取ります」


「短い」


「昨日より改善しています」


「そういう問題じゃない」


 真昼がじっと刃更を見る。


「今日、白雪って言う準備してるからね」


 刃更は少しだけ目を伏せた。


「……必要な時だけにしてください」


「必要だと思ったら言う」


「分かりました」


 そのやり取りを聞いて、黎夜は少し笑った。


 真昼が刃更に遠慮なく踏み込めるようになっている。刃更もそれを完全には拒まない。昨日までとは少し違う関係だ。


 それは、悪くなかった。


 二人を見送り、黎夜はひとりで教室へ戻ろうとした。


 その時だった。


 スマホが震えた。


 詩乃からだった。


『研究室へ。ひとりで来てくださいまし』


 短い文面。


 嫌な予感しかしなかった。


 黎夜はすぐに返信する。


『ひとりは駄目じゃないですか』


 すぐ既読がつく。


『だから呼んでいます。急いで』


 普段の詩乃なら、もっと余裕のある言い回しをする。


 それがない。


 黎夜は舌打ちを飲み込み、北棟へ向かった。


 廊下を進むほど、空気が静かになる。


 昼休みのざわめきが遠ざかり、北棟特有の冷えた空気が肌に触れる。研究室の扉の前まで来ると、中から銀輪の鳴る音が聞こえた。


 ちりん、ちりん、と。


 いつもより速い。


「先輩」


 扉を開ける。


 研究室の中央に、詩乃が立っていた。


 いつものように整った姿。


 けれど顔色が悪い。


 机の上には、三枚の銀札が並んでいる。真昼の札は淡く赤を残し、刃更の札は白い光を帯びていた。そして詩乃自身の札だけが、玻璃色の光を失い、黒い文字のようなものを表面に滲ませている。


「……先輩の番ですか」


 黎夜が言うと、詩乃は小さく笑った。


「順番通り、というのは分かりやすくて嫌ですわね」


「何で黙ってたんですか」


「黙っていたわけではありません。今、確定したのです」


「本当ですか」


「半分は」


「残り半分」


「あなたと天城さんと柊さんを休ませたかった」


 黎夜は返す言葉を失った。


 詩乃はいつもの調子で言っているが、指先がわずかに震えている。


 それを隠すように、彼女は札へ手をかざした。


「第三鍵は、私にも触れています。ただ、柊さんや天城さんとは違う。感情層でも、役割認識でもありません」


「じゃあ何を」


「言葉です」


 その答えは、詩乃らしくて、だからこそ重かった。


「私の詠唱、術式構文、定義力。敵はそこを奪おうとしている」


「奪う?」


「ええ。私の声で、あなたを玉座へ誘導する術式を組もうとしているのでしょう」


 黎夜の右腕が冷える。


「先輩の声で?」


「あなた、私の声には反応しますもの」


「それは……」


「戦闘中、何度も私の詠唱を聞いています。危険を切り抜ける時、私の声は術式と結びついていた。敵がそこを利用しようとするのは自然ですわ」


 淡々とした分析。


 それが逆に腹立たしかった。


「自然とか言わないでください」


「あら」


「先輩の声は、敵の道具じゃないでしょう」


 言った瞬間、詩乃が少し目を見開いた。


 それから、困ったように微笑む。


「……先に言われてしまいましたわね」


「何を」


「私が言うべき台詞です」


 詩乃は自分の札を指先で押さえた。


 黒い文字が、薄く広がる。


 研究室の銀輪が不安定に鳴った。


「これから接触を開きます。私が変なことを言ったら、否定してください」


「変なこと?」


「たとえば、降りなさい、とか。玉座へ向かいなさい、とか」


「絶対嫌です」


「ええ。私も嫌ですわ」


 詩乃は一度、深く息を吸った。


「それと、私の合言葉も決めておきます」


「今ですか」


「今です。先延ばしは悪手ですもの」


 黎夜は頷いた。


「何にします?」


 詩乃は少し考えた。


 真昼のように即答ではない。刃更のように静かな記憶を探る顔でもない。詩乃は自分の内側にある言葉を、慎重に選んでいるようだった。


「……余白」


「余白?」


「ええ」


 詩乃は薄く笑った。


「私は昔から、言葉を詰め込みすぎる癖がありましたの。祖母に言われました。上手な文章ほど、余白がある。人の心にも、術式にも、逃げ場となる余白が必要だと」


「詩乃先輩っぽいですね」


「そうでしょう?」


 少し得意げだった。


 その表情がいつもの詩乃に近くて、黎夜はほっとした。


「合言葉は余白。分かりました」


「では、始めます」


 詩乃が札へ触れた。


 黒い文字が一気に広がる。


 研究室の景色が歪んだ。


 黎夜の耳に、詩乃の声が響く。


「――霧生くん」


 目の前の詩乃は口を開いていない。


 だが声だけが聞こえる。


 柔らかく、落ち着いていて、いつも通りの声。


「こちらへ来なさい」


 研究室の床が消え、石の階段が現れる。


 その先に、詩乃が立っていた。


 黒髪を揺らし、微笑んでいる。


「怖がらなくていいのですわ。玉座はあなたを完成させる場所。あなたが苦しまずに済む場所です」


「違う」


 黎夜は即座に言った。


 偽物の詩乃は微笑みを崩さない。


「違いません。言葉は定義です。私がそう定義すれば、そこは救いになる」


「詩乃先輩は、そんな雑な定義をしない」


 偽物の目が少しだけ細くなった。


「どうして分かるのです?」


「先輩は、都合よく言葉を使わない」


「使いますわよ。私は術者ですもの」


「違う。使うけど、奪わせない」


 黎夜は右手を握った。


 黒鎖は出さない。


 今必要なのは鎖ではなく、言葉だ。


「先輩の合言葉は?」


 偽物の詩乃が沈黙した。


「どうしました? 答えられないんですか」


 黎夜は一歩前へ出る。


「余白」


 その声は、現実の研究室から聞こえた。


 本物の詩乃の声だった。


「私の言葉には、私の余白があります。あなたたちに埋めさせるためではありませんわ」


 偽物の詩乃が崩れる。


 黒い文字の塊になって、階段へ落ちていく。


 だが最後に、それは笑った。


「なら、次はその余白から入りましょう」


 視界が戻った。


 研究室。


 銀輪。


 机。


 そして、札に手を置いたまま膝をつきかける詩乃。


「先輩!」


 黎夜が駆け寄り、倒れかけた彼女の肩を支えた。


 思ったより軽い。


 いつも余裕に見える人なのに、今は呼吸が乱れていた。


「……大丈夫ですわ」


「それ、最近信用できない言葉の上位です」


「なら、少し大丈夫ではありません」


「素直でよろしい」


 黎夜がそう言うと、詩乃はかすかに笑った。


「口調が柊さんに似てきましたわね」


「日常安定補助の影響ですかね」


「良い影響です」


 詩乃の札を見ると、黒い文字は薄れていた。


 代わりに、玻璃色の光が戻っている。


「接触は?」


「失敗ですわ。敵の術式は切れました」


「勝ちですね」


「小さな一勝、ですわね」


 詩乃はそう言って、ゆっくり立ち上がろうとした。


「座ってください」


「研究室の主が床に座るのは」


「椅子に」


「……分かりました」


 珍しく素直だった。


 黎夜は椅子を引き、詩乃を座らせる。


 その時、研究室の扉が勢いよく開いた。


「先輩!」


 刃更だった。


 後ろには真昼もいる。


 どうやら異常通知が飛んだらしい。真昼は少し息を切らしていて、刃更は完全に戦闘態勢だった。


「大丈夫ですか」


 刃更が詩乃を見る。


「少し大丈夫ではありません」


「……詩乃先輩がそう言う時は、かなり危険です」


「学習しましたわね」


 真昼が駆け寄る。


「合言葉、効きました?」


「ええ。余白です」


「詩乃先輩っぽい」


「でしょう?」


 詩乃は少しだけ誇らしげに微笑んだ。


 刃更が札の状態を確認する。


「三名とも接触を退けました」


「ええ」


 詩乃の声は疲れていたが、芯は残っていた。


「第三鍵は、まだ確定していません。むしろ、私たちの拒絶で敵の構造が乱れています」


「じゃあ、このまま押し返せる?」


 真昼が聞く。


「可能性はあります」


 詩乃は端末を操作した。


 空中に三枚の札の反応図が表示される。


 真昼の赤。


 刃更の白。


 詩乃の玻璃色。


 三つの光が、黎夜を示す黒い点の周囲で輪を作っていた。


「鍵にされるのではなく、こちらから結界に転用します」


「そんなことできるんですか」


 黎夜が聞くと、詩乃はふっと笑った。


「私の言葉を奪おうとしたのですもの。代償は払っていただきますわ」


「怖い笑顔ですね」


「褒め言葉です」


 真昼が小さく拳を握る。


「じゃあ、私たち三人で黎夜を囲う?」


「言い方は少し物騒ですが、概ねそうです」


 刃更が頷く。


「敵が三人を鍵にする前に、三人で彼をこちら側へ繋ぐ」


 詩乃が言う。


「名称は――そうですわね」


「変な術式名にしないでくださいよ」


 黎夜が釘を刺す。


 詩乃は楽しそうに目を細めた。


「《三声帰還結界》」


 静かな名だった。


 真昼が頷く。


「いいと思います」


 刃更も短く言った。


「悪くありません」


 黎夜は三人を見た。


 焦げた卵焼き。


 白雪。


 余白。


 ばらばらの言葉。


 けれど、その全部が自分を戻すための声になる。


「……頼む」


 自然にそう言っていた。


 三人がこちらを見る。


「俺がまた変な方へ行きそうになったら、戻してくれ」


 真昼が笑う。


「任せて」


 刃更が頷く。


「止めます」


 詩乃が静かに微笑む。


「言葉で引き戻しますわ」


 研究室の外では、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴っていた。


 日常へ戻る音。


 その音を聞きながら、黎夜は思った。


 玉座へ続く階段は、まだどこかで開いている。


 ゼクスも、ルクレツィアも、第三鍵も終わっていない。


 でも、こちらにも声がある。


 戻るための声が、三つ。


 それは黒鎖よりも頼りないようで、今は何より強く感じられた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ