第29話 放課後プリン同盟
購買の閉店間際は、昼休みとは違う顔をしていた。
棚には人気のパンがほとんど残っていない。冷蔵ケースの中も、ところどころ空白が目立つ。売店のおばちゃんはレジ横で伝票をまとめていて、客の数もまばらだった。
それでも、新作プリンはまだ四つ残っていた。
「勝った」
真昼が小さく拳を握った。
「何にだよ」
「運命に」
「プリンでそんな大げさな」
「昨日、途中で終わったんだから大事でしょ」
真昼は迷わず四つ全部を手に取った。
黎夜、真昼、刃更、詩乃。
ちょうど四人分。
詩乃が少し面白そうに目を細める。
「柊さん、なかなか迷いがありませんわね」
「こういうのは迷ったら負けです」
「真理ですわ」
「先輩まで乗らないでください」
黎夜が呆れると、刃更が冷蔵ケースを確認した。
「在庫、ゼロ。次の購入希望者がいた場合、機会損失が発生します」
「プリンでそこまで分析するな」
「事実です」
「もうその言葉を聞くと安心するようになってきた」
「それは良い兆候ですか」
「たぶん、悪い慣れだな」
四人でプリンを買い、校舎裏のベンチへ向かう。
昨日と同じ場所だった。
けれど今日は、刃更が先に周囲を確認し、詩乃がさりげなく簡易結界を張った。真昼も胸元の護符を確認してから腰を下ろす。
普通の放課後をするために、普通ではない準備が必要になっている。
それでも、ベンチに座って蓋を開けると、甘いカラメルの匂いがふわりと漂った。
「いただきます」
真昼が言う。
それに合わせて、黎夜も匙を入れた。
昨日、半分で終わったプリン。
今日はちゃんと一口目から味わえた。
「……やっぱりうまい」
「でしょ」
真昼が満足そうに笑う。
刃更も黙って一口食べ、少しだけ目元を緩めた。
「おいしいです」
「天城さん、今ちょっと幸せそうだった」
「気のせいです」
「いや、絶対そう」
「気のせいです」
「二回言った」
詩乃は優雅に匙を動かしている。
「確かに、これは人気が出ますわね。焦がしカラメルの苦みが強すぎず、ミルクの甘さを支えています」
「食レポが上品」
「食べ物には敬意を払うべきですわ」
黎夜は三人を見た。
昨日と同じようで、昨日とは違う。
黒い紙は出てこない。影も揺れていない。風はちゃんと吹いているし、グラウンドからは部活の声が聞こえる。
普通の放課後が、ようやく最後まで続いている。
「何?」
真昼がこちらを見る。
「いや」
「また変な顔してる」
「してない」
「してる。言いたいことある時の顔」
幼馴染の観察力は厄介だ。
黎夜は少し迷ってから、匙を持ったまま言った。
「昨日、途中で終わっただろ」
「うん」
「今日、食い切れてよかったなって」
真昼は一瞬だけ目を丸くした。
それから、小さく笑った。
「うん」
それだけだった。
でも、その短い返事で十分だった。
刃更が端末を確認する。
「現時点で異常反応なし。黒鎖反応も安定しています」
「プリン食ってるだけで観測されてるの、すごいな」
「日常時の安定値は重要です」
「封印王とプリンの相性データとか残るのか?」
「残します」
「残すのかよ」
詩乃が真面目な顔で頷く。
「冗談抜きで、日常行動時の王権反応は貴重ですわ。恐怖や怒りではなく、安堵や満足でどれだけ鎖が沈静化するかを見る材料になります」
「プリンが学術資料に……」
真昼が遠い目をした。
「いいではありませんか。甘味が世界を救う日もあるかもしれませんわ」
「先輩が言うと、本当に術式名みたいになるんですよ」
「《焦糖甘味封界》」
「作らないでください」
刃更が小さく首を傾げる。
「焦糖とはカラメルのことですか」
「そこを確認するんだ」
そんな会話をしていると、少しだけ忘れそうになる。
第三鍵。
三人の名前。
玉座。
ゼクス。
ルクレツィア。
忘れていいわけではない。
でも、ずっとそのことだけ考えていたら、たぶん先に心の方が壊れる。
真昼がプリンの最後の一口を食べ終え、満足げに息を吐いた。
「よし。昨日の続き、回収完了」
「プリンに回収とか言うなよ」
「大事なイベントだったから」
「イベントって」
「だって、昨日は途中で邪魔されたでしょ。だから今日は最後まで食べる。こういうの、大事だと思う」
真昼は空になったカップを見下ろした。
「ちゃんと終わらせる普通のこと、増やしたい」
その言葉に、黎夜は何も言えなくなった。
ちゃんと終わらせる普通のこと。
宿題を出す。
授業を受ける。
昼飯を食べる。
プリンを最後まで食べる。
そういう小さなことが、今はひどく大事に思える。
詩乃が静かに言う。
「柊さんは、ときどき核心を突きますわね」
「え、そうですか?」
「ええ。術式理論より分かりやすいです」
「それは褒めてます?」
「もちろん」
刃更も頷いた。
「日常安定補助として有効です」
「その肩書き、そろそろ慣れてきた自分が嫌」
真昼が笑う。
その時、校舎の陰から一人の女子生徒がこちらを見ていることに気づいた。
知らない顔ではない。
同じ二年B組の生徒だ。名前はたしか、宮野だったと思う。明るく、よく友達と話しているタイプ。黎夜とは特別親しくはないが、何度かプリントを回したことはある。
彼女は四人に気づかれたことに驚いたように肩を跳ねさせた。
「あ、ご、ごめん。邪魔するつもりじゃなくて」
真昼がすぐに普通の顔へ戻る。
「宮野さん? どうしたの?」
「いや、何か……昨日から霧生くんたち、すごい目立ってるなって思って」
言われてみれば当然だった。
白銀の転校生と常に一緒にいる。
上級生の詩乃まで頻繁に出入りする。
昨日は設備異常とやらに関わっていたらしい。
クラスメイトから見れば、十分怪しい。
黎夜は何と返すべきか迷った。
こういう普通側からの疑問が、一番難しい。
刃更は黙っている。詩乃も口を挟まない。真昼がちらりと黎夜を見た。
仕方なく、黎夜は肩をすくめる。
「目立ちたくないんだけどな」
「それは無理だと思う」
宮野は苦笑した。
「だって天城さん、めちゃくちゃ綺麗だし。綾辻先輩は有名だし。柊さんは元々目立つし」
「俺だけ地味枠か」
「霧生くんも最近、なんか雰囲気変わったよ」
不意の言葉だった。
黎夜は少しだけ返事に詰まる。
「……そうか?」
「うん。前はもっと、何か、教室にいるけどいないみたいな感じだった」
「ひどいな」
「悪い意味じゃなくて。話しかけても半分どこかに逃げてるっていうか」
宮野は言葉を探すように指先を動かした。
「でも最近は、ちゃんとそこにいる感じがする」
黎夜は黙った。
真昼も、刃更も、詩乃も、何も言わなかった。
宮野は自分が変なことを言ったと思ったのか、慌てて手を振った。
「あ、ごめん。ほんと何でもない。プリン食べてるとこ邪魔して悪かったね」
「いや」
黎夜は少しだけ遅れて答えた。
「……ありがとな」
「え?」
「たぶん、それ、悪い気はしない」
宮野は一瞬驚いたあと、笑った。
「そっか。じゃあ、また明日」
「ああ」
彼女が去っていく。
普通のクラスメイト。
何も知らない側の人間。
でも、彼女の言葉は思いのほか胸に残った。
ちゃんとそこにいる感じがする。
以前の自分は、そんなふうに見えていたのか。
「よかったね」
真昼が小さく言う。
「何が」
「ちゃんと教室にいるって」
「そういう話か?」
「そういう話だよ」
詩乃がうなずく。
「大事ですわ。玉座に呼ばれている人間が、教室にいると認識されるのは」
「また急に重くする」
「でも本当ですもの」
刃更も静かに続ける。
「あなたの存在が日常側に固定される要素になります」
「クラスメイトに普通に認識されるのが?」
「はい」
刃更は真面目に答えた。
「あなたが“そこにいる”と周囲が思うこと。それも、こちら側へ留まる鎖になります」
「鎖って言い方は嫌だけどな」
「では、糸」
「少しまし」
真昼が空のプリンカップを袋へ入れる。
「じゃあ明日から、もっと普通に教室で話せばいいじゃん」
「急にハードル上げるな」
「プリント回す時にありがとうって言うとか」
「それくらいは言ってる」
「たまにね」
「見てるのか」
「幼馴染だから」
便利な言葉みたいに言う。
刃更の「監視です」と同じくらい、真昼の「幼馴染だから」もだいぶ強い。
詩乃が時計を見る。
「そろそろ戻りましょう。長居すると、本当に購買のプリン会が行動記録の中心になってしまいますわ」
「もうなってません?」
「なりかけています」
四人は立ち上がった。
日が傾き、校舎裏の影が長く伸びている。
昨日なら、その影を見るだけで警戒した。今日も警戒はする。でも、今は影ばかり見ているわけではない。
夕焼けの色。
空の高さ。
遠くの部活の声。
真昼の歩幅。
刃更の静かな気配。
詩乃の冗談めいた声。
そういうものも、ちゃんと見えている。
校舎へ戻る途中、黎夜は右手を軽く握った。
黒鎖は出ない。
ただ、奥に静かに沈んでいる。
それでいい。
今はそれで。
「黎夜」
真昼が呼ぶ。
「明日もプリン?」
「毎日食う気か」
「安定するなら」
「太るぞ」
「それは言わない約束」
「約束してない」
刃更が真面目に言う。
「糖分摂取量は管理が必要です」
「天城さんまで!」
詩乃が微笑む。
「では明日は別の甘味にしましょう」
「そういう問題ですか」
くだらない会話。
でも、今の黎夜にはそれが必要だった。
研究室へ戻る前に、ふと校舎の窓ガラスへ自分たちの姿が映った。
四人並んでいる。
少し変な組み合わせ。
でも、ちゃんとそこにいる。
それが、今は少しだけ誇らしかった。




