表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『月蝕学園の封印王――監視役の剣姫も、詠唱魔術の才媛も、俺の日常を壊しにくる』  作者: 《本能寺から始める信長との天下統一》の、常陸之介寛浩


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

26/34

第26話 プリン許可制と、夕暮れの影

 翌日の訓練は、昨日より少しだけ現実味があった。


 一本だけ黒鎖を出す。


 五秒維持する。


 消す。


 それだけなら、昨日より安定してできた。


 問題は、その次だった。


「では、次は標的を固定してください」


 詩乃が訓練室の中央に、黒い立方体のようなものを置いた。


 大きさはバスケットボールくらい。素材は分からない。石にも金属にも見えるし、よく見ると表面が微かに呼吸するように揺れている。


「……それ、壊れても大丈夫なやつですか」


「壊れても大丈夫なように作ってありますわ」


「その言い方、少し信用できないんですが」


「信用してくださいまし」


「昨日から俺の周り、信用できないものが多すぎるんですよ」


 詩乃は涼しい顔で笑った。


「では、説明します。この標的は術式封入材です。衝撃や拘束に反応して抵抗しますが、攻撃はしてきません」


「攻撃してこないだけで抵抗はするのか」


「されないと訓練になりませんもの」


 言われてみればそうだった。


 黎夜は右手を開閉した。


 昨日より痺れは少ない。眠りも浅かったが、悪夢というほどのものは見なかった。ただ、夜中に一度だけ鎖の音で目が覚めた。刃更がすぐに気づいてくれて、真昼に言うか迷ったが、朝には落ち着いていた。


 怖さが消えたわけではない。


 でも、昨日よりは向き合える。


「黎夜」


 観測区画の真昼が、ガラス越しではなく、また入口近くから声をかけてきた。


「今日はプリンかかってるから」


「緊張感の種類がおかしい」


「でも、大事でしょ」


「まあな」


 素直に認めると、真昼は満足そうに頷いた。


 刃更は少し離れた位置に立っている。剣は抜いていないが、いつでも動ける距離だ。


「無理に締め上げないでください」


「固定するだけだろ」


「はい。喰う、砕く、引き裂く、は禁止です」


「言い方が物騒すぎる」


「実際に昨日まであなたがやりかけたことです」


「反論できないのが悔しい」


 黎夜は標的へ向き直る。


 息を吸う。


 吐く。


 右腕の奥を見る。


 黒鎖はそこにある。昨日より、少しだけ形が分かる。以前は暗い水底に沈んだ何かだったのが、今は影の中で丸まった鎖として感じ取れる。


 出ろ。


 ただし、一本だけ。


 黒い鎖が床の影から伸びた。


 細い。静かだ。


 その先端を標的へ向ける。


 触れた瞬間、立方体がわずかに震えた。表面に銀色の線が走り、鎖を弾こうとする。


「焦らないで」


 詩乃が言う。


「力で押さえ込むのではなく、動く範囲を狭める感覚です」


「言葉だけだと簡単そうですね」


「実際には難しいですわ」


「でしょうね!」


 鎖が標的の周囲を回る。


 一巻き。


 そこで止める。


 標的が震える。鎖が食い込みたがる。砕きたい、喰いたい、封じたいという衝動が指先へ逆流してくる。


 封じたい。


 それは悪いことではないはずだ。


 でも、やりすぎれば壊すのと変わらない。


「……固定」


 黎夜は小さく呟いた。


「壊すな。押さえるだけだ」


 鎖の震えが少し落ち着いた。


 標的はまだ抵抗している。だが、動かない。


「五秒」


 詩乃が数える。


「一、二、三――」


 四秒目で、鎖が少し太くなりかけた。


「細く」


 刃更が言う。


「分かってる」


「声が荒いです」


「分かってるって」


「二回目の方が荒いです」


 思わず笑いそうになった。


 そのおかげで、力が抜けた。


 鎖が細さを取り戻す。


「五。解除」


 黎夜は鎖を引いた。


 標的から外し、影へ戻す。


 成功。


 たぶん。


「……どうだ」


 詩乃は端末を確認して、わずかに笑った。


「合格ですわ」


「本当か?」


「ええ。標的への損傷、なし。拘束時間、五秒。鎖の増幅反応も許容範囲内」


「プリンは?」


 真昼が即座に聞いた。


 詩乃が笑う。


「そこは天城さんの判断ですわね」


 全員の視線が刃更へ向く。


 刃更は端末を見て、少しだけ考えた。


 なぜか、訓練結果よりも厳粛な空気になる。


「現時点で黒鎖反応は安定。歩行、会話、意識状態にも問題なし」


「……ということは?」


 真昼が身を乗り出す。


「購買への立ち寄りを許可します」


「やった!」


「ただし、滞在時間は十分以内。混雑時は中止。異常反応が出た場合は即撤退」


「プリン買うだけなのに作戦みたいになってる……」


 黎夜が呟くと、真昼が笑った。


「でも許可出たんだからいいじゃん」


「俺の放課後、ついに許可制でプリンを買うところまで来たか」


「封印王のリハビリとしては平和ですわね」


「先輩、その言い方やめてください」


 訓練はそこで終わった。


 座学も短めに切り上げられた。詩乃いわく、今日は「成功体験を日常側へ接続する」のが大事らしい。


 言い方は難しいが、要するに、うまくいったら普通のご褒美を挟むということだろう。


 それがプリンというのは、何とも締まらない。


 でも、悪くない。


 夕方の購買は、思っていたより混んでいなかった。


 部活動前の生徒たちが飲み物や軽食を買っているが、昼休みほどの混雑ではない。刃更は入り口付近で全体を見渡し、真昼は冷蔵ケースへ一直線に向かった。


「これ!」


 真昼が手に取ったのは、丸いカップに入った新作プリンだった。ラベルには「濃厚ミルクと焦がしカラメル」と書いてある。


「二つ?」


 黎夜が聞くと、真昼は三つ取った。


「天城さんの分も」


「私は――」


「食べるよね?」


 真昼が笑顔で圧をかける。


 刃更はほんの少しだけ黙った。


「……いただきます」


「素直」


「昨日の焼き菓子で学んだな」


「何をですか」


「甘いものは断らない方がいいって」


「その表現には語弊があります」


 詩乃は今日、別件で訓練室に残っている。だから購買に来たのは三人だけだった。


 プリンを買い、校舎裏のベンチへ移動する。


 夕暮れが差し込んで、校舎の壁が薄い橙色に染まっていた。部活の掛け声が遠くに聞こえる。吹奏楽部の音階練習。ボールの弾む音。誰かの笑い声。


 普通の放課後。


 それが今は、少しだけ特別に見える。


「いただきます」


 真昼が蓋を開けた。


 黎夜もスプーンを差し込む。


 ひと口食べる。


 甘い。


 ちゃんと甘い。


「……うまいな」


「でしょ」


 真昼が嬉しそうに言う。


 刃更も一口食べて、また小さく言った。


「おいしいです」


 真昼がにやにやする。


「天城さん、やっぱり甘いもの好きでしょ」


「嫌いではありません」


「それは好きってことだよ」


「分類としては、そうかもしれません」


「分類するんだ」


 黎夜はプリンを食べながら、二人のやり取りを見ていた。


 不思議な光景だった。


 少し前まで、刃更はただの監視役で、真昼はただの幼馴染だった。いや、ただの、という言い方は違うかもしれない。けれど少なくとも、二人が並んでプリンを食べるような関係になるとは思わなかった。


「何見てるの」


 真昼に気づかれた。


「いや、変な組み合わせだなって」


「それ、私と天城さん?」


「ああ」


「たしかに」


 真昼は刃更を見る。


「最初は、めちゃくちゃ怪しい人だと思ってた」


「今も怪しいのでは」


 刃更が自分で言った。


「そこ自覚あるんだ」


「男子寮の部屋に侵入しましたので」


「言い方!」


 真昼が慌てる。


「今それ言われると、また腹立ってきた」


「任務でした」


「便利な言葉!」


 黎夜が笑うと、刃更が少しだけ不満そうにこちらを見た。


「笑うところですか」


「たぶん」


「そうですか」


 刃更はそれ以上言わず、プリンをもう一口食べた。


 穏やかな時間だった。


 だからこそ、気づくのが遅れた。


 風が止まっている。


 部活の音が、少し遠い。


 ベンチの下に落ちた夕影が、ほんの少しだけ濃い。


「……天城」


 黎夜が低く呼ぶと、刃更はすでにプリンの蓋を閉じていた。


「分かっています」


 真昼も表情を変える。


「何?」


「動かないで」


 刃更が静かに言った。


 その声は、昨日まで何度も聞いた戦闘前の声だった。


 校舎裏の植え込み。


 その影の奥で、何かが揺れた。


 欠片災の気配ではない。黒い靄でもない。もっと薄く、もっと人間に近い。


「……誰だ」


 黎夜が声をかける。


 返事はない。


 代わりに、植え込みの影から、一枚の黒い紙が滑り出てきた。


 紙は風もないのに地面を這い、黎夜の足元で止まった。


 刃更が剣へ手をかける。


「触らないでください」


「ああ」


 詩乃なら何か分かるだろう。そう思った瞬間、黒い紙の表面に赤い文字が浮かんだ。


 読める。


 嫌になるほど自然に読めた。


『第三鍵は、もう選ばれた』


 黎夜の喉が詰まる。


 真昼が不安そうに覗き込もうとしたので、刃更が片手で制した。


「見ないで」


「でも――」


「お願いします」


 その言い方に、真昼は止まった。


 黎夜は紙から目を離せない。


 第三鍵。


 第二鍵の次。


 もう選ばれた。


 それが何を意味するのか、考えたくなかった。


 黒い紙は、次の瞬間、端から灰になって崩れた。


 あとには何も残らない。


 夕方の音が戻ってくる。


 吹奏楽の音階練習。グラウンドの掛け声。誰かの笑い声。


 普通の放課後が、まるで何事もなかったように再開する。


 けれど、プリンの甘さはもう舌に残っていなかった。


「……詩乃先輩のところへ行きます」


 刃更が短く言った。


「今すぐ」


 黎夜は頷く。


 真昼も、何も言わずに立ち上がった。


 日常に戻るための一歩。


 そう思って買ったプリンの時間は、ほんの数分で終わった。


 でも、黎夜は空になりかけたプリンのカップを見て、静かに息を吐いた。


 それでも。


 それでも、確かに甘かった。


 そのことだけは、まだ覚えていられた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ