第21話 夜明けの封印王
朝の光は、やけに白かった。
霧生黎夜が目を開けた時、最初に見えたのは知らない天井だった。
白い天井。白い壁。白いカーテン。消毒液の匂い。
医務室ではない。もっと厳重で、もっと静かな場所だ。
「……生きてるのか」
自分の声が、思ったより掠れていた。
「ええ。残念ながら」
横から返事があった。
刃更だった。
ベッド脇の椅子に座っている。頬には絆創膏。肩には包帯。脇腹にも厚く処置がされている。いつものように背筋は伸びているが、顔色はまだ白い。
「残念ながらって何だよ」
「あなたがまた無茶をしたからです」
「……反論できないな」
「しないでください」
刃更は静かに言った。
怒っている。
声は平坦なのに、分かった。
「あなたは、最深部へ単独で進もうとした」
「途中から記憶が曖昧なんだ」
「でしょうね。王権反応が暴走寸前でした」
「……ゼクスは?」
「逃げました」
刃更の瞳が鋭くなる。
「ただし、目的のすべてを達成したわけではありません。詩乃先輩の封界術と、あなたの黒鎖で、最深部連結は一時遮断されています」
「勝ったのか?」
「いいえ」
即答だった。
「負けなかっただけです」
その言い方が、妙に腑に落ちた。
勝った気はしない。
身体は重い。右腕の奥はまだ冷たい。夢で見た玉座の感触が、指先に残っているような気さえする。
そこへ、カーテンが勢いよく開いた。
「黎夜!」
真昼が飛び込んできた。
目の下が少し赤い。たぶん泣いたのだろう。けれど本人はそれを認める気などなさそうな顔で、ベッドの横へ駆け寄ってきた。
「あんた、ほんっと馬鹿!」
「目覚めて一言目がそれか」
「馬鹿以外に何て言えばいいのよ!」
真昼は怒鳴って、それから唇を噛んだ。
「……戻ってくるって約束したでしょ」
「ああ」
「だったら、もっと普通に戻ってきてよ」
「悪い」
謝ると、真昼は余計に泣きそうな顔になった。
「謝ればいいと思ってる」
「思ってない」
「じゃあ次はしないで」
「……善処する」
「そこは断言して!」
いつものやり取り。
それが今は、ひどくありがたかった。
少し遅れて、詩乃が部屋へ入ってきた。
「起きましたのね」
「先輩も無事だったんですね」
「無事と言うには、魔力回路がかなり焼けていますけれど」
「それ、無事じゃないですよね」
「生きていますもの」
詩乃は涼しい顔でそう言ったが、足取りはいつもより少し遅かった。
「最深部の階段は?」
「封鎖中ですわ。ただし、完全ではありません」
詩乃はベッド脇に立ち、真剣な顔になる。
「霧生くん。あなた、玉座を見ましたわね」
胸が、どくんと鳴った。
夢ではない。
あれは見た。
黒い階段の底。封印鎖。巨大な扉。そして、石の玉座。
座れば、何かが終わる。
そんな確信だけがあった。
「……ああ」
「座らなかった」
「たぶん」
「そこは誇っていいですわ」
詩乃が珍しく、柔らかく笑った。
「あなたは踏み止まりました」
刃更が続ける。
「ですが、次も止まれる保証はありません」
「分かってる」
「だから、今後は訓練を強化します」
「……監視も?」
「当然です」
刃更は迷いなく言った。
「あなたは危険です。ですが、危険だからこそ、放置はできません」
その言葉に、黎夜は苦笑した。
「相変わらず容赦ないな」
「事実です」
「でも、見捨てる気はないんだな」
刃更は一瞬だけ黙った。
そして、少しだけ視線を逸らす。
「……監視対象ですから」
「便利だな、その言葉」
「はい」
真昼がぼそっと呟く。
「もうそれ、ただの照れ隠しじゃん」
「違います」
「早い」
詩乃が小さく笑った。
その穏やかな空気は、長くは続かなかった。
病室の端に置かれた通信端末が、低く鳴った。
詩乃が表情を変え、端末を確認する。
「……来ましたわ」
「何が」
「上層部からの通達です」
彼女は画面を読み、少しだけ眉を寄せた。
「霧生黎夜の隔離判断は、当面保留」
真昼が息を吐いた。
刃更もわずかに肩の力を抜く。
「ただし」
詩乃の声が硬くなる。
「封印王権の観測対象として、正式に月蝕学園特別管理下へ移行。監視責任者は天城刃更。解析責任者は私。補助観測対象として柊真昼の接触も制限付きで認可」
「……俺、人間扱いされてる?」
「ぎりぎりですわね」
「そこは嘘でも肯定してほしかった」
真昼が強く言う。
「人間でしょ」
その一言に、全員が彼女を見る。
真昼は少しだけ頬を赤くしながらも、引かなかった。
「黎夜は黎夜だよ。封印王とか、王権とか、そういうのは分かんない。でも、私を助けてくれたのは黎夜でしょ。天城さんを助けようとして無茶したのも黎夜でしょ。だったら、それでいいじゃん」
まっすぐすぎる言葉だった。
黎夜は、何も返せなかった。
刃更も、詩乃も、少しの間だけ黙っていた。
やがて詩乃が小さく息を吐く。
「……本当に、あなたは強いですわね」
「え?」
「いいえ。こちらの話です」
その時、窓の外で鳥が鳴いた。
夜が明けている。
最深部の封印は完全ではない。ゼクスは逃げた。ルクレツィアの謎も残っている。《夜喰の心臓》も、玉座も、第二鍵も、何一つ終わっていない。
それでも、今だけは朝だった。
黎夜はゆっくり息を吐く。
「……腹減った」
真昼が目を丸くして、それから笑った。
「ほんと、そういうとこだけ普通なんだから」
「普通で悪いか」
「悪くない」
刃更が立ち上がる。
「食事を手配します」
「そこまで監視するのか」
「食事管理も必要です」
「便利だなあ、監視」
詩乃が微笑む。
「では、封印王の朝食会ですわね」
「変な名前つけないでください」
真昼が、少しだけ涙の残る顔で笑う。
その笑顔を見て、黎夜は思った。
まだ戻れる。
完全には普通じゃない。
けれど、ここに戻る場所はある。
だから、次にあの玉座が呼んでも。
きっと、まだ踏み止まれる。




