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『月蝕学園の封印王――監視役の剣姫も、詠唱魔術の才媛も、俺の日常を壊しにくる』  作者: 《本能寺から始める信長との天下統一》の、常陸之介寛浩


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第17話 封印王の夜明け

 最深部へ向かう前に、ほんのわずかな準備時間だけが与えられた。


 地下封書庫中層広間の空気は、まだ《玻璃天蓋結界》の残光で淡く満ちている。中央では《夜喰の心臓》が完全に沈黙したわけではないにせよ、少なくとも暴れ出す気配は封じ込められていた。詩乃が追加した固定封印が機能しているのだろう。透明な結界の内側で、あの嫌な心臓は小さく脈打つだけになっている。


 その代わり、広間の外――もっと下の方から来る脈動は、逆に鮮明さを増していた。


 どくん。


 どくん。


 床の下、石の向こう、鎖の絡むさらに奥で、別の何かが段階的に目を覚ましている。


『最深部主封印、第三閂解除』


 機械的な音声がさっき告げたその一文だけが、ずっと頭の中へ残っていた。


 第三閂。


 つまり、まだ下がある。


 まだ段階がある。


「……五分だけください」


 詩乃が《玻璃天蓋結界》の端へ最後の封印札のような術式を重ねながら言った。


「これ以上《夜喰の心臓》が干渉しないよう、結界を半自律化します」


「できるのか」


 黎夜が問うと、詩乃は振り向かずに答える。


「できるできないで言えば、できなくはありませんわ」


「その言い方、あんまり安心できない」


「安心できる状況ではありませんもの」


 もっともである。


 刃更は壁際で脇腹の止血をやり直していた。備え付けられていた応急処置箱から、包帯と消毒布だけを最低限使っている。傷の深さ自体は致命ではないが、連戦の疲労も重なって顔色はよくない。それでも彼女の手つきは淡々としていて、自分で自分の身体を“動ける形”へ戻すことに迷いがない。


「手伝うか」


 黎夜が声をかけると、刃更は一瞬だけこちらを見た。


「できますか」


「嫌味かよ」


「確認です」


「……多少は」


 そう答えると、彼女はほんの僅かに逡巡したあと、包帯の端をこちらへ寄越した。


「押さえて」


「おう」


 近い。


 そう思った瞬間に、自分の脳内へ突っ込みを入れたくなった。こんな状況で何を考えているんだと。だが、そう思ってしまう程度には、今の刃更は無防備だった。


 白銀の髪が肩に流れ、制服の脇腹が裂けて、そこから覗く白い肌に赤い傷が走っている。戦闘中は気にもならなかったくせに、こうして止まって見ると妙に生々しい。


「見ないでください」


「見てない」


「見ています」


「傷を見てるんだよ」


「なお悪いです」


「理不尽!」


 真昼が第二隔壁の手前からじとっとした目を向けてきた。


「何その会話」


「誤解を招く言い方するな!」


「してるのは天城さんじゃなくて、半分は黎夜じゃない?」


「お前も乗るなよ!」


 少しだけ、場の空気が緩む。


 こんな地下の最悪な状況でさえ、こういうやり取りが挟まると呼吸が戻ってくるのだから不思議だった。


 刃更の包帯を締め終えると、彼女は小さく息をついた。


「……ありがとうございます」


 それがあまりにも自然に出てきたので、今度は黎夜が少し驚く番だった。


「珍しいな」


「何がですか」


「素直に礼を言うの」


「必要なことは言います」


「それはそうか」


 だがその一言だけで、彼女が限界近くまで追い込まれていることも少し分かった。普段の刃更なら、こういう場面でも余計な一言を挟むか、もっと硬い礼で済ませただろう。


 真昼がその様子を見て、小さく言った。


「……ほんとに、無理しないでよ」


 誰に向けた言葉か曖昧だった。たぶん全員にだ。


 そしてたぶん、自分自身にも。


 詩乃がようやく立ち上がる。


「《夜喰の心臓》はしばらく持ちます」


 顔色は明らかに悪いが、声にはまだ芯がある。


「これで中層側の暴走は半ば抑えられましたわ。最深部へ降りるなら、今しかない」


「柊真昼は?」


 刃更が問う。


 真昼がぴんと背筋を伸ばす。


「行く」


「最後まで聞いてください」


「でも、もうそれ以外言われそうだから」


「その通りです」


 刃更が容赦なく頷いた。


「ここから先は最深部導線。上層までの安全圏と違い、何が出るか分かりません」


「分かってる」


「分かっていません」


「何でよ!」


「分かっていたら今ほど平然としていません」


「平然としてない!」


 真昼は本気でむっとした顔になった。


 だが刃更は折れない。


「少なくとも、あなたがここより先へ入ることは許可されていません」


「……黎夜」


 真昼がこちらを見る。


 助け舟を期待している顔だった。


 だが黎夜は、少しだけ視線を逸らしてから言った。


「ここからは、待っててくれ」


「黎夜まで!?」


「いや、お前が行きたいのは分かるんだけど」


「分かるなら!」


「でも、たぶん本当に危ない」


 真昼は言葉を失ったように口を閉じた。


 この一日で何度も危ない場面はあった。だが今の“危ない”は、それらとは少し種類が違う。もっと底なしで、もっと説明しにくい不穏さだ。夢の地下神殿、玉座、扉、第三閂――全部が“これまでと同じでは済まない”と告げている。


 真昼も、それは感じ取ったのだろう。


「……分かった」


 絞り出すように言う。


「分かったけど、絶対帰ってきて」


「約束しすぎだろ、今日」


「何回でもさせる」


 黎夜は小さく笑った。


「じゃあ、約束」


「……うん」


 真昼はそれでようやく一歩だけ引いた。


 だがその顔は、笑っていなかった。泣きそうなのを無理やり我慢しているようにも見える。見ている側がきつい顔だ。


「柊さん」


 詩乃が穏やかに声をかける。


「上層管理区画の通信端末を使えるよう、通行札を渡します。もし上で異常が起きたら、必ずこれで連絡してくださいまし」


 そう言って、小さな銀色の札を手渡した。


 真昼はそれを受け取り、ぎゅっと握る。


「……分かった」


「それと」


 詩乃の目が少しだけ柔らかくなる。


「あなたがここにいてくれると、私たちも上を完全に切り捨てずに済みますの」


 それは気休めではない、本気の言葉だった。


 真昼の目が少しだけ見開かれ、そして小さく頷く。


「……任せて」


 その返事で、ようやく役割が定まった気がした。


 上に残る者。


 下へ降りる者。


 そして、自分。


 封印王。


 その名をまだ受け入れきれてはいない。だが、ここまで来た以上、役目から目を逸らすこともできないのだろう。


「行きましょう」


 刃更が言う。


「最深部への縦穴は、この広間の奥です」


 《夜喰の心臓》の封印台座のさらに奥、影兵たちが現れた通路の先へ進む。さっきまでは戦いに気を取られてよく見ていなかったが、そこには明らかに“下り”の気配があった。


 古い石造りの階段ではない。


 鉄と石が継ぎ接ぎになった、巨大な縦穴用昇降路。


 その縁へ何重もの封印鎖が巻かれ、中央に昇降機めいた円形平台がぶら下がっている。だが動力は電気だけではないらしい。床面には複雑な術式円が刻まれ、周囲の柱には王冠と黒鎖の紋章が等間隔に浮かんでいた。


「……夢の階段とは違うな」


 思わず漏らすと、詩乃が隣で言った。


「入口は現代側が上書きしていますもの。最深部そのものは、もっと下」


 つまり、まだ夢の場所に近づいただけで、そこへは達していないのだ。


 そう考えると逆に嫌だった。


 円形平台へ三人で乗る。


 刃更が一番前。黎夜が中央。詩乃が後方で術式端末を操作する。真昼は第二隔壁のこちら側、広間の入口近くで立ち尽くしている。


 目が合った。


 何も言わなくても、言いたいことは分かる。


 帰ってこい。


 無茶するな。


 一人で全部背負うな。


 その全部を飲み込んだ顔だった。


 黎夜は小さく手を上げる。


 真昼もぎこちなく、でもちゃんと応えた。


「起動しますわ」


 詩乃の指先が術式端末へ触れる。


 ごう、と低い音が鳴る。


 封印鎖が少しずつほどけ、円形平台がゆっくり下降を始めた。


 上層や中層の光が、少しずつ遠ざかる。


 冷たい空気が下から吹き上がってくる。湿っている。古い。どこか、生き物の腹の中みたいな空気だ。


 そして。


 じゃら、じゃら、と。


 今度ははっきり鎖の音がする。


 黎夜は目を閉じかけて、すぐにやめた。


 聞き間違えるな、とルクレツィアは言った。


 だからちゃんと聞く。


 上から垂れている封印鎖の音。


 平台の外周を擦る金属音。


 それとは別に、もっと下、もっと奥から響いてくる音。


 何かが鎖を引きずっている。


 誰かが、あるいは何かが、暗闇の底で動いている。


「……聞こえますか」


 詩乃が小声で問う。


「どの音だ」


「最後の」


 黎夜は頷いた。


「聞こえる」


 刃更も短く言う。


「私にも」


 三人とも聞こえている。


 なら、幻聴ではない。


 円形平台はさらに下がる。


 やがて周囲の景色から、現代施設の名残がほとんど消えた。コンクリートは石へ、配管は封印線へ、非常灯は古い燭台のような光へ変わっていく。


 夢に近い。


 あまりにも近い。


 どくん、と。


 胸ではなく、空間そのものが脈打った。


 平台が止まる。


 目の前に広がっていたのは、夢で見たものに限りなく近い光景だった。


 石の広間。


 無数の柱。


 鎖。


 そして、正面奥に見える巨大な扉。


 違うのは一つだけ。


 夢では空席だったはずの玉座の前に、今は一人、誰かが立っていた。


 黒い外套。


 傷ついた胸元。


 灰堂ゼクス。


 彼はまるで、三人がここへ降りてくるのを最初から知っていたみたいに、静かに笑っていた。


「遅かったな」


 その声が、石の神殿じみた空間へ低く響く。


「けど、ちょうどいい。お前に見せたいものがある」


 ゼクスの背後、玉座の横手に黒い影がひざまずいていた。


 人影。


 いや、正確には“人の形をした影”。


 それがゆっくりと顔を上げる。


 そこに目はなかった。口もなかった。あるのは王冠と黒鎖の紋様だけが刻まれた、仮面みたいな無貌の顔。


「……何だよ、あれ」


 黎夜が呟いた瞬間、無貌の影が動いた。


 ゆらり、と。


 その一歩だけで、空間中の鎖が一斉に鳴る。


 そしてゼクスは、ひどく愉しげに言った。


「主封印の番人さ」


 地下の空気が、さらに一段深く沈んだ。

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