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『月蝕学園の封印王――監視役の剣姫も、詠唱魔術の才媛も、俺の日常を壊しにくる』  作者: 《本能寺から始める信長との天下統一》の、常陸之介寛浩


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第15話 玻璃の長詠、白銀の刃

 地下封書庫の中層広間は、警報音に満ちていた。


 甲高く規則的なアラームが石壁と封印槽へ反響し、空気そのものを削ってくるみたいに耳障りだ。赤い警報灯が明滅するたび、広間の陰影が歪み、《玻璃天蓋結界》の中で脈打つ《夜喰の心臓》が不気味に赤く浮かび上がる。


 灰堂ゼクスは消えた。


 だが、あいつが残したものは消えていない。


『最深部連結封印、異常。全管理者は直ちに対応せよ』


 無機質なアナウンスが、一定間隔で繰り返される。


「……最悪だな」


 霧生黎夜が吐き捨てるように言うと、詩乃が《玻璃天蓋結界》へ術式を重ねながら答えた。


「同意しますわ。しかもかなり上位の最悪です」


「冷静に言うなよ」


「冷静でないと封印が揺れますもの」


 その言葉通りだった。


 詩乃は今、広間中央の《夜喰の心臓》を包み込んでいる《玻璃天蓋結界》へ追加の封環を重ねていた。指先が空中をなぞるたび、透明な文字列と幾何学模様が光の層となって積み上がっていく。平然として見えるが、額にはうっすら汗がにじんでいる。


 かなり無理をしているのだと分かる。


 刃更は広間入口側へ移動し、剣を構えたまま奥を睨んでいた。彼女の白銀の刀身には、さっきゼクスの胸を裂いた時の黒い残滓がまだ薄く残っている。にもかかわらず、姿勢はまったく崩れていない。


「天城」


 詩乃が短く呼ぶ。


「最深部へ続く経路の反応は?」


「増えています」


 刃更は即答した。


「中層から下層への導線すべてで封印振動が上昇。特に南側回廊、深度三の縦穴、記録保管区画裏。どこか一つではなく複数です」


「複数……」


 詩乃が小さく顔をしかめる。


「ゼクス単独ではありませんわね」


「仲間がいるってことか」


 黎夜が問うと、刃更はわずかに頷いた。


「少なくとも、彼がここで《夜喰の心臓》を起動している間に、別働が最深部側へ手を入れている可能性が高いです」


 最深部。


 その単語が、また右腕の内側をちり、と疼かせる。


 夢の地下神殿。玉座。扉。黒鎖。


 あれが最深部にあるのか、それとももっと別のものなのかは分からない。だが“下に何かがある”ことだけはもう疑いようがない。


「柊さんをこれ以上中に置けません」


 詩乃が早口で言う。


「霧生くん、第二隔壁まで戻って柊さんを上へ」


「俺が?」


「私はこれを維持しなければなりませんし、天城さんはここを開けられない」


「いや、それは分かるけど……」


 黎夜が言いかけた時、広間入口側の空気が歪んだ。


 刃更が一瞬で反応する。


「来ます!」


 次の瞬間、通路の暗がりから人型の影が三つ、四つと滑り出た。


 欠片災ほど獣じみてはいない。


 だが人でもない。


 黒い法衣のようなものを纏った影。顔は見えず、目の位置にだけ赤い火が灯っている。手には長柄の刃物にも似た黒い影槍。まるで“人間の形だけを借りた、誰かの儀礼兵”のような不気味さだった。


「何だ、あれ」


 黎夜の問いに、刃更は剣を低く構えたまま答える。


「欠片災の派生。高次の裂け目に近づいた時、稀に形成される人型個体です」


「稀にで済ませる見た目じゃないだろ」


「同感ですわ」


 詩乃がそう言った時には、もう影たちは一斉に走っていた。


 目標は明白だ。


 《玻璃天蓋結界》の中の《夜喰の心臓》。


 刃更が前へ出る。


「通しません!」


 白銀の一閃。


 先頭の影兵の胴が、斜めに断ち割られた。黒い煙が噴き出し、個体そのものが崩れる。だが残りが止まらない。二体目、三体目が左右へ散って刃更の死角を狙う。


「天城、右!」


 黎夜が叫ぶ。


 刃更は振り向かない。その代わり、足捌き一つで間合いを変え、右から来た影兵の槍を紙一重で躱す。返す刀で首を落とす。さらに半歩滑り込み、左の個体の足を払う。


 戦い慣れしている。


 ゼクスとの一瞬の攻防で余裕を削られているはずなのに、それでもなお、刃更の剣は綺麗だった。速いというより正確だ。敵の進路を読み、最小の動きで最大の制圧を取っている。


 けれど数が多い。


 通路の奥からさらに二体、三体と現れる。


「っ、きりがない!」


 黎夜が舌打ちする。


「だから最深部側が本命だと言ったでしょう!」


 詩乃の声にもさすがに余裕が薄い。


「ここで時間を食わせるのが向こうの狙いですわ!」


「分かってるけど、じゃあどうすんだよ!」


 問いへの答えは、刃更が先に行動で示した。


「霧生黎夜!」


「何だ!」


「柊真昼を第二隔壁より上へ戻してください!」


「でもお前一人で――」


「ここは私が持たせます!」


 言い切るその声に迷いはなかった。


 だが黎夜の足は即座に動かなかった。


 一人で持たせる。


 それがどれだけ無茶か、見れば分かるからだ。


「霧生くん!」


 詩乃が今度ははっきり怒気を含んだ声で呼ぶ。


「判断が遅い! 《夜喰の心臓》が封じ切れるまで、天城さんは“時間を稼ぐ”しかないのです! ならあなたはあなたの役割を!」


「……っ!」


 正しい。


 正しいから腹が立つ。


 だがその正しさを否定している暇もない。


 黎夜は歯を食いしばり、第二隔壁側へ向けて走った。


 真昼は通路の途中で待っていた。警報音が響き、さっきより顔色が悪い。それでも逃げずにこちらを見ている。


「黎夜!」


「上へ戻れ!」


「でも、天城さんが!」


「分かってる、だからこそだ!」


 真昼は広間の向こうを見た。


 刃更が影兵の群れへ一人で飛び込んでいる。白銀の斬線が何本も走り、黒い槍とぶつかり合い、火花ではなく黒い粒子が散る。


 その姿は、頼もしいというより、あまりにも孤独だった。


 真昼が唇を噛む。


「……っ」


「真昼!」


「……分かった」


 ようやく、絞り出すように頷く。


「でも、絶対戻ってきて」


「お前も!」


 黎夜は真昼の肩を押し、第二隔壁の上層側へ向けた。そこまで行けば少なくとも直接の戦場ではない。完全に安全とは言えなくても、ここよりははるかにましだ。


 真昼が走り去るのを見届けた、その瞬間。


 背後で、ひどく嫌な音がした。


 びしっ、と何かが割れる音。


「……天城!」


 振り向く。


 刃更の防御術式が砕けていた。


 一体の影兵を斬り捨てた直後、別方向から突き込まれた黒槍を受けるために展開した透明な防壁。その表面が蜘蛛の巣状にひび割れ、次の一撃で完全に砕け散る。


 刃更は身を捻って致命傷を避けたが、槍の切っ先が左脇腹を浅く裂いた。


「っ……!」


 初めて、明確な苦鳴が漏れる。


「天城さん!」


 詩乃が叫ぶ。


 だが彼女は《玻璃天蓋結界》から離れられない。今ここで封印が崩れれば、《夜喰の心臓》は即座に再起動する。


 刃更は傷口を庇う暇もなく、逆手の一閃でその影兵を喉元から断ち切った。だが次の個体がすでに懐へ入り込んでいる。


「くそっ!」


 黎夜の足が勝手に戻る。


 第二隔壁まで送る役目は終えた。なら次は、目の前のこれをどうにかする番だ。


 右腕が疼く。


 黒鎖が“出ろ”と催促してくる。


 その衝動へ飲まれるのはまずい。だが、もう今は制御どうこうを言っている余裕ではない。


「一本だけじゃ足りないか……!」


 広間へ踏み込みながら、黎夜は右腕を振るった。


 影が揺れる。


 黒鎖が二本、三本と噴き出し、刃更へ迫っていた影兵の足と槍を絡め取る。床へ叩きつけられた個体へ、刃更が白銀の刃を容赦なく振り下ろした。


「遅い!」


 鋭い声。


 怒鳴られたのか叱責されたのか、一瞬分からない。


「助けたのに理不尽だな!」


「助けるなら、最初から遅れないで!」


 刃更はそう言い返しつつも、明らかに呼吸が荒い。制服の脇腹には血が滲んでいる。深くはないが、無視できる傷でもない。


 それでも彼女の剣は止まらない。


 白銀の一閃ごとに、影兵が一体ずつ崩れていく。だが数の圧はまだ消えない。通路奥から新たに現れる個体までいる。


「詩乃先輩! まだですか!」


 黎夜が叫ぶ。


 詩乃は額に汗を浮かべながら、長い息を吐いた。


「短縮では持たない……仕方ありませんわね」


 その声が変わった。


 地下の石壁へ染み込むみたいに、音の密度が変わる。


 詩乃は両手を《玻璃天蓋結界》へ向けたまま、目を閉じる。


「天に眠る玻璃の秩序よ、地に沈む黄昏の記憶よ――」


 黎夜が思わず息を呑む。


 長文詠唱。


 あの大規模術式の、本番の呼び声だ。


「詩乃先輩、ここで!?」


 刃更も驚いたように叫ぶ。


「やるしかありません!」


 詩乃の黒髪がふわりと浮く。天井近くの銀輪が高速で回り始め、研究室では比べものにならなかった数の文字列が地下封書庫の広間いっぱいへ展開した。


 空間そのものが、彼女の声を待っているみたいに震える。


「風は道を示し、炎は罪を灼き、水は境界を鎮め、土は骸を縛る――」


 影兵たちが一斉に詩乃へ向き直る。


 危険だ、と黎夜は直感した。


 今、あの人が最優先標的へ変わった。


「天城!」


「分かっています!」


 刃更は傷を押して前へ出る。


 その背中に、昨日の旧校舎と同じ無茶を見た。


 いや、もっとだ。


 あの時はまだ一人で押し切れる余力があった。今は違う。ゼクスとの交戦、影兵との連続戦闘、傷。それでもなお、彼女は詩乃の詠唱が完成するまで立つつもりでいる。


「詩乃先輩を通させるな!」


 刃更の声音はもはや命令そのものだった。


 黎夜も迷わず応じる。


 黒鎖を二本、右へ。一本、左へ。床に這わせ、影兵の脚を縛る。完全には止まらない。だが一瞬遅らせるだけでも意味がある。


 刃更がそこへ飛び込む。


 白銀の刃が閃くたび、黒い影が崩れていく。斬り、避け、踏み込み、受け、返す。彼女の動きはもう“綺麗”という段階を越え、執念に近づいていた。


「彼に触れるな!」


 また、あの声。


 感情を帯びた、ほとんど叫びに近い声だ。


 そしてその叫びとともに振るわれた白銀の斬線が、影兵二体をまとめて断ち切った。


 だがその直後、通路奥から伸びた黒槍が、死角から刃更の背中を狙う。


「後ろ!」


 黎夜が叫ぶ。


 刃更は振り向けない。


 詩乃の詠唱はまだ終わらない。


「虚数に堕ちし災いを、因果の外にて断絶し――」


 なら。


 黎夜は半歩ではなく、全力で踏み込んだ。


 右腕が焼ける。


 黒鎖が今までで一番強く脈打つ。


 だがここで躊躇えば、刃更がやられる。


「――っ、止まれ!」


 叫びながら放った黒鎖は、一本ではなかった。


 五本。


 六本。


 黒い蛇の群れみたいに地を這い、刃更へ迫る黒槍と、その主たる影兵の胴へ食らいつく。そのまま無理やり軌道を曲げ、床へ叩き落とした。


 衝撃で石床が割れる。


 黒鎖の数が増えた瞬間、頭の奥で誰かが笑った気がした。


 喰え、と。


 もっとだ、と。


 危うい。


 分かっているのに、止めきれない。


「霧生くん、そこまで!」


 詩乃の声が最後の一節へ入る。


「我が声のもとに封は解かれ、我が声のもとに終焉は定義される――七重封界術式、《グラン・アルカ=セフィラ》!」


 落ちた。


 光が、ではない。


 世界そのものの“蓋”が落ちた。


 地下封書庫の広間全体を包み込むように、巨大な玻璃の結界が何重にも降り注ぐ。天井から、床から、壁から、文字列を伴った光柱が立ち上がり、影兵たちを一斉に封じ込める。


 時間が一瞬止まったみたいだった。


 次の瞬間には、影兵たちはガラス細工みたいにひび割れ、黒い塵になって崩れていく。


 通路の奥から来ていた気配も、一気に消えた。


 静寂。


 赤い警報灯だけがまだ回っている。


「……は……」


 黎夜が荒い息を吐く。


 《グラン・アルカ=セフィラ》は、やはり別格だった。広間一つ、敵ごと空間単位で封じ切る力。詩乃が準ヒロインどころか“戦略兵器”だと改めて理解する。


 だが、その代償も大きい。


 詩乃がふらりと膝をついたのだ。


「詩乃先輩!」


 刃更が振り返る。


 だが彼女自身も脇腹の傷から血を流し、呼吸は乱れている。


 黎夜は反射的に二人の方へ走った。


 《夜喰の心臓》は《玻璃天蓋結界》の中で辛うじて封じられている。今はまだ動かない。動けない。


「大丈夫か」


 まず詩乃の肩を支える。


 彼女は顔色こそ悪いが、意識ははっきりしていた。


「……詠唱が長すぎただけですわ」


「長すぎるってレベルじゃなかっただろ」


「褒めています?」


「今のは普通にすごかったです」


「なら受け取っておきますわ……」


 そこまで言って、詩乃は小さく息を整える。


 次に黎夜は刃更を見る。


 彼女は剣を杖代わりに立っていた。脇腹の傷は浅いが、相応に血が出ている。細い体躯でこれだけ連戦して、まだ倒れていない方がおかしい。


「お前も座れ」


「結構です」


「その状態で言うな」


「私は――」


 言いかけて、刃更の膝がほんのわずかに揺れた。


 初めて見る、明確な限界の気配だった。


「……天城」


 黎夜が低く呼ぶ。


「無理すんな」


「無理は、していません」


「してるだろ」


 少し強い口調になった。


 刃更は一瞬だけ反論しかけたが、結局は飲み込んだらしい。剣を支えにゆっくり壁際へ寄り、ようやく浅く腰を落とした。


 その時、第二隔壁側から足音が聞こえる。


 真昼だ。


「黎夜!」


 広間へ飛び込みかけたところで、黎夜が手を上げて制した。


「来るな、床の術式がまだ生きてる!」


 真昼はぎりぎりで止まり、顔を青くしたまま広間の入口からこちらを見た。


「みんな……」


「生きてる」


「その言い方、すごく嫌なんだけど!」


「俺もだよ!」


 だが少なくとも、それだけは本当だった。


 全員、まだ動ける。致命傷はない。《夜喰の心臓》も封じている。状況は最悪のままだが、今この瞬間だけ切り取れば、辛うじて持ちこたえたと言える。


 そして、その時だった。


 警報音が一段高くなった。


 今までのものとは違う、さらに深い段階のアラーム。


『最深部主封印、第一閂解除』


 機械音声がそう告げる。


 広間の空気が凍る。


「……第一閂?」


 黎夜が聞き返すように呟く。


 詩乃の顔色が、さっきまで以上に悪くなった。


「まさか……」


「どういう意味だ」


 刃更が問う。


 詩乃は唇を引き結び、それでも答えた。


「最深部へ至る主封印が、段階的に外され始めているということですわ」


「ゼクスが?」


「あるいは別働が」


 最悪だ。


 《夜喰の心臓》を封じても、向こうはもう別の手順に進んでいる。


 ルクレツィアの言葉が蘇る。


 封書庫の“下”も、もう目を覚まし始めている。


 ゼクスはそれを知っていた。だから《夜喰の心臓》でこちらを足止めし、最深部の第一閂を外させたのだ。


 黎夜は無意識に右手を握る。


 黒鎖の残熱が、まだそこにある。


 玉座を見ても座るな。


 あの警告も、今では冗談に思えなかった。


「……まだ下があるんだな」


 黎夜が呟くと、詩乃が苦い顔で頷く。


「ええ。そして、どうやら私たちはそこへ行かざるをえない」


 真昼が入口の向こうで息を呑む。


「まだ行くの?」


「行かないともっと酷くなります」


 刃更の答えは揺るがない。


 だがその声には、さっきまでにはなかった疲労の色が混じっていた。


 黎夜はその二人を見て、そして《玻璃天蓋結界》の中の《夜喰の心臓》を見る。


 ここで引くという選択肢は、本当はあるのかもしれない。上へ戻って、教師や管理局に任せる。そうすべきなのかもしれない。


 けれど。


 地下の夢。自分へ反応する鍵。王冠と黒鎖の紋章。ゼクスの「もっと深いところで会おう」という言葉。


 全部が、ここで終わらないと告げている。


「少しだけ時間をください」


 詩乃が立ち上がろうとしながら言う。


「《夜喰の心臓》へ固定封印を追加します。その間に呼吸を整えて。次からは、もっと余裕がなくなりますわ」


 その言葉に、誰も反論しなかった。


 もう分かっている。


 ここまでが前哨戦だったのだと。


 そして、この地下封書庫のさらに下に、本当に“本命”が待っているのだと。

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