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『月蝕学園の封印王――監視役の剣姫も、詠唱魔術の才媛も、俺の日常を壊しにくる』  作者: 《本能寺から始める信長との天下統一》の、常陸之介寛浩


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第14話 学園都市崩壊前夜

 灰堂ゼクスが《夜喰の心臓》へ触れた瞬間、地下封書庫の中層広間は明確に“戦場”へ変わった。


 どくん、と。


 あの不気味な心臓が大きく脈打つたび、床の赤い紋様が波紋みたいに広がっていく。封印線の白が侵食され、黒と赤の境界が曖昧になる。空気が重い。熱いわけでも冷たいわけでもない、ただ“生き物の内部”みたいな嫌な湿度が満ちていく。


「下がって!」


 詩乃の声が鋭く飛ぶ。


 同時に彼女は前へ出た。細い指先が空中へ幾何学模様を描き、三枚の玻璃障壁を一瞬で展開する。前方、左右、そして自分たちの背後。防御の重ね方に無駄がない。


 刃更はそれとほぼ同時に剣を抜き放っていた。


 白銀の刀身が、地下の薄明かりの中で冷たく光る。彼女はゼクスと《夜喰の心臓》の間合いを一歩で測り終えたらしく、半身を沈めていつでも飛び込める姿勢を取った。


「柊真昼」


 その声は短く、強い。


「第二隔壁側へ戻って」


「でも――」


「今は!」


 刃更の一喝に、真昼が息を詰めた。


 正しい判断だ。この広間はもう真昼を置いていい場所ではない。さっきまでの中層通路とは、危険度が段違いだ。


 だが真昼は完全には引けない顔をしている。歯を食いしばり、悔しさと恐怖を同時に噛み締めているのが分かった。


 黎夜は半歩だけ彼女の方へ向き、低く言う。


「真昼」


「……」


「戻れ。ここは俺たちでやる」


「その“俺たち”の中に、私も入りたいって言ってるんだけど」


 声音は震えていない。だが目の奥にははっきり不安があった。


「でも、今は無理だっていうのも分かる」


 真昼はそう言って、自分で一度目を閉じた。


「だから戻る。戻るけど――絶対、勝手に全部背負わないで」


 その言葉が胸に刺さる。


 黎夜は一瞬だけ返事に詰まり、それでも頷いた。


「分かった」


「ほんとに?」


「ほんとに」


「約束だからね」


「こんな時でもそれ言うんだな」


「言うよ」


 真昼はそこでようやく踵を返した。


 ただし走り去るのではなく、第二隔壁へ続く通路の手前まで後退し、そこからこちらが見える位置を確保する。完全に退避したわけではない。だが勝手に飛び込まないという点では、彼女なりの最大限の譲歩なのだろう。


 ゼクスはその一連のやり取りを、心底どうでもよさそうな顔で見ていた。


「ずいぶん大事にしてるな」


 軽い口調。


 なのにその一言へ混ざる悪意の質だけが、妙に澄んでいる。


「そうやって周りから縛られていくの、嫌いじゃないだろ?」


「黙れ」


 黎夜の声は、自分で思っていたより低かった。


 ゼクスは笑う。


「へえ。怒るところ、そこなんだ」


 ルクレツィアと似たことを言う。だが決定的に違うのは、その言葉の奥にあるものだ。あっちはどこか止める響きがあった。こいつには壊すための興味しかない。


 詩乃が短く言う。


「会話している時間はありませんわ。すでに《夜喰の心臓》の脈動が広間全域へ接続し始めています」


「分かってる」


 刃更が剣を構えたまま応じる。


「詩乃先輩、封印遺産そのものは止められますか」


「時間をもらえれば」


「どれだけ」


「短く見積もって三十秒」


「長いですね」


「文句を言う相手が違いますわ」


 ゼクスが《夜喰の心臓》から手を離す。


 それだけで、広間中の黒靄が一斉にざわめいた。まるでここにいる全員の呼吸を読んでいるみたいに、広がり方に意志がある。


「三十秒もやるつもりはない」


 ゼクスがゆっくり歩き出す。


 靴音は小さい。地下封書庫の石床に似つかわしくないほど静かな足取り。それなのに圧だけが妙に重い。


「けど、ちょうどいい」


 黒い外套の裾が揺れる。


「お前ら三人がどう動くかも、見たかったんだ」


 次の瞬間には、ゼクスの姿が掻き消えていた。


「右!」


 刃更の声。


 ほぼ同時、黎夜の右手側から黒い刃が飛ぶ。剣ではない。影そのものを刃の形へ固めたような、歪んだ斬撃。反応が半拍遅れれば首を飛ばされていた。


 刃更が割り込む。


 白銀の剣と黒刃がぶつかり、火花ではなく黒い粒子が散った。金属の衝突音と、何か柔らかいものを裂く音が同時に鳴る。


「っ……!」


 刃更が受け流しきれず、一歩だけ後ろへ滑る。


 強い。


 昨日の親核とも、今朝の知性ある裂け目とも違う。目の前のこいつは、“戦い慣れている”強さだ。ただ暴れるだけの異常ではなく、人を殺すための手順を身体へ馴染ませている。


「正面の受けが綺麗すぎる」


 ゼクスは楽しそうに呟いた。


「執行者の剣だな。嫌いじゃない」


「光栄です」


 刃更の返答は冷たかった。


「こちらは大嫌いです」


 言いながら一気に踏み込む。


 白銀の一閃が、ゼクスの胸元を狙う。だが彼は紙一重で身を捻り、逆に刃更の死角へ滑り込んだ。速い。人間離れしているが、完全に異形の動きではない。訓練された人間の延長線上にある速度だから余計に厄介だ。


「天城!」


 黎夜が叫ぶより早く、詩乃の術式が飛んだ。


「束ねなさい、《玻璃鎖陣》!」


 空中へ展開された円陣から、透明な鎖が何本も伸びる。ゼクスの四肢と周囲の床をまとめて拘束するような魔術だ。


 だがゼクスは笑ったまま、足元の黒靄を踏み抜いた。


 すると黒い手のようなものが床から生え、玻璃鎖陣へ食らいつく。透明と黒がぶつかり、ぎしぎしと嫌な音を立てた。


「へえ。重い術だな」


「褒めなくて結構ですわ」


「褒めてない。評価してるだけだ」


 ゼクスが片腕を振るう。


 黒い手が一斉に膨らみ、玻璃鎖陣を内側から食い破った。


「――っ!」


 詩乃が一瞬だけ顔をしかめる。


 そのわずかな隙を、ゼクスは逃さない。刃更ではなく、詩乃へ向けて一直線に踏み込む。


「詠唱役から落とすのは基本だろ」


「させません!」


 刃更が割り込む。


 今度の斬撃は横一文字。地下の光を断ち切るような綺麗な線だった。ゼクスは黒刃で受ける。衝撃が広間へ響き、周囲の封印槽が震えた。


「判断は正しい」


 ゼクスの口元が吊り上がる。


「けど、甘い」


 その身体がぶれた。


 残像。


 次の瞬間、彼は刃更の懐へ入り込み、空いた左手で彼女の肩を掴んでいた。


「天城!」


 黎夜の中で何かが切り替わる。


 考えるより先に前へ出る。右腕の疼きを抑える暇はない。ゼクスの左手から黒い侵食が刃更の肩へ這い上がろうとしているのが見えた。


 まずい。


 食らわせたら何かまずい。


「――そこまでだ!」


 自分でも驚くほど強く声が出た。


 同時に影が揺れる。


 黒鎖が三本、広間の床を割るように噴き上がり、ゼクスの腕と足へ絡みついた。


「ほう」


 初めて、彼の表情に明確な興味が差した。


「それだよ、それ」


 刃更がその隙に身を捻って離脱する。肩口へ黒い痕が少しだけ残ったが、完全な侵食は避けられたらしい。彼女は苦鳴を飲み込み、すぐに剣を構え直す。


「霧生黎夜!」


「分かってる、長くは持たない!」


 黒鎖は昨日より出力が上がっていた。だが同時に、内側から何かを削られる感覚も強い。ゼクスへ絡みついた瞬間から、鎖の向こう側で“喰いたい”という衝動がじわじわと頭の裏へ滲んでくる。


 駄目だ。


 ここで呑まれるな。


「詩乃先輩!」


 黎夜が叫ぶ。


「やるなら今!」


「言われなくても!」


 詩乃の周囲に、今度は重い術式輪が五重、六重と浮かぶ。


 長文詠唱ではない。だがさっきまでより明らかに本気の構成だ。両手で術式を編み上げながら、彼女は《夜喰の心臓》をまっすぐ見据える。


「天城さん、ゼクスを固定! 霧生くんは喰われない程度に繋いで!」


「要求が雑!」


「でも分かるでしょ!」


「分かるのが嫌なんですよ!」


 文句を言いながらも、黎夜は黒鎖をさらに一本増やした。


 ゼクスが低く笑う。


「いいな。まだ粗いが、思ったより自分で握れてる」


「評価してほしくない!」


「そうか?」


 ゼクスは笑ったまま、絡みつく黒鎖を強引に引いた。


 その力だけで、黎夜の身体が半歩前へ引きずられる。重い。まるで巨大な獣を縛っているみたいだ。いや、実際それに近いのかもしれない。こいつは人型をしているが、中身はたぶん別のものに近い。


「霧生くん!」


 詩乃の声。


「持って!」


 同時に、広間全体を覆うような術式が完成する。


 空中に描かれた文字列が一斉に回り始め、床の赤い紋様へ逆向きの封印回路を重ねていく。透明な線が《夜喰の心臓》を中心に花弁のように広がり、そのまま外側から圧縮する。


「封環展開――《玻璃天蓋結界》!」


 重い音がした。


 天蓋。


 その名の通り、巨大な透明の鐘が広間全体へ落ちてくるような圧だった。《夜喰の心臓》を中心とした空間が丸ごと封じ込められ、赤い脈動が一瞬だけ鈍る。


 ゼクスの表情から、初めて余裕が少し消えた。


「へえ、そこまで出せるか」


「当然ですわ。誰の庭だと思って」


「好きだな、その言い方」


「お生憎さま」


 だが《玻璃天蓋結界》が完全に閉じる前に、《夜喰の心臓》が激しく脈打った。


 どくん、と。


 広間の床から黒靄が噴き上がる。封印槽、石壁、天井、あらゆる場所の“影”が一斉に伸び、《玻璃天蓋結界》の内側から食い破ろうとする。


「ちっ……!」


 詩乃が初めて舌打ちした。


 《夜喰の心臓》はただの物体ではない。遺産そのものが“抵抗”している。しかもゼクスの存在が、その反応をさらに増幅しているように見えた。


「霧生くん、それ以上繋がないで!」


 詩乃の叫び。


「ゼクスと《心臓》が同調してる!」


「つまり!?」


「あなたの鎖が橋になりかねない!」


 最悪の説明だった。


 繋いだままでは、自分の黒鎖がゼクスと《夜喰の心臓》の間へ回路を作る可能性がある。そうなれば、抑えるつもりで出した王権反応そのものが、逆に向こう側へ餌を与えるかもしれない。


 黎夜は奥歯を噛みしめ、鎖を引こうとする。


 だがゼクスがその瞬間を待っていたように嗤った。


「遅い」


 ぶつん、と。


 黒鎖の一本が、向こう側から“食われた”。


「っ!?」


 凍るような痛みが右腕を走る。


 自分の鎖を喰われた。そんな感覚は初めてだった。内側から何かを削られる痛みと、怒りにも似た衝動が同時に湧き上がる。


 ゼクスの瞳が愉悦に歪む。


「やっぱり、お前の王権は餌になる」


「ゼクス!」


 刃更が踏み込む。


 今度の剣は、これまでで一番深い踏み込みだった。白銀の刀身がまっすぐ喉元を狙う。ゼクスは回避より先に黒い外套を翻し、影そのものを盾に変える。


 だが刃更の一撃は止まらない。


「彼に触れるな!」


 珍しく感情を乗せた声だった。


 白銀の斬線が影盾ごとゼクスの胸を裂く。浅くはない。確かな傷。黒い血のようなものが散り、ゼクスの身体が一歩、二歩と下がる。


 その隙に詩乃が再度術式を圧し込む。


 《玻璃天蓋結界》の縁が強く光り、《夜喰の心臓》の脈動が一拍だけ止まった。


「今ですわ!」


 詩乃の声。


 刃更が理解するより早く、黎夜の身体が動いていた。


 橋になる前に切る。


 食われる前に封じる。


 そう思った瞬間、右腕の奥から黒鎖が一本だけ、極細の線となって伸びる。今度はゼクスではなく、《夜喰の心臓》へ。


「霧生くん、駄目!」


 詩乃の制止。


 だが遅い。


 鎖の先端は《夜喰の心臓》へ触れた。


 どくん、と。


 今までで最大の脈動が広間を揺らした。


 視界が赤く染まる。


 耳の奥で鎖が鳴る。


 地下神殿。玉座。扉。第二鍵。座れ、という声。


 全部が一瞬で流れ込み、黎夜は膝を折りかけた。


「――っ、が……!」


「霧生黎夜!」


 刃更の声。


 その一声が、ぎりぎりのところで意識を繋いだ。


 違う。座るな。喰うな。ここはまだ“そこ”じゃない。


 そう念じると、黒鎖は《夜喰の心臓》へ深く刺さる直前で、かろうじて停止した。


 そして、そのほんの一瞬の“止まり”を、詩乃は逃さなかった。


「封じますわ!」


 《玻璃天蓋結界》が完全に閉じる。


 透明な鐘が《夜喰の心臓》を包み込み、赤い脈動を押し潰す。心臓は嫌がるように何度も脈打ったが、今度は広間の封印線も連動してそれを抑え込んだ。


 赤が薄れる。


 黒靄が引く。


 ゼクスの表情が、ようやく本気で険しくなった。


「……へえ」


 胸元の傷を押さえたまま、彼は笑う。


「そこまで止まれるのか」


「お前に褒められても嬉しくない!」


 黎夜は吐き捨てる。


 ゼクスは小さく肩をすくめた。


「だろうな。だが確認はできた」


「何を」


「お前がまだ“器”として壊れきっていないことを」


 その言葉と同時、広間の奥――封印槽の影から新たな気配がいくつも立ち上がる。


 欠片災ではない。


 もっと人型に近い、しかし生き物でもない影たち。


「くそ……まだあるのか」


 詩乃が息を詰める。


 《夜喰の心臓》の封印にかなりの出力を割いているのだろう。先ほどまでの余裕が明らかに薄れていた。


「学園都市崩壊前夜ってところか」


 ゼクスが愉しげに呟く。


「今夜が最後とは言わないが、始まりには十分だ」


 その台詞に、広間全体の温度がさらに下がった気がした。


 始まり。


 まだ序章でしかないと言われているのだ。


 そしてその時、天井近くの監視灯が一斉に赤へ切り替わった。


 警報音が地下封書庫中層へ鳴り響く。


 甲高く、うるさく、そして致命的に現実的な音。


 広間の自動放送らしき無機質な声が流れる。


『最深部連結封印、異常。全管理者は直ちに対応せよ』


 最深部。


 連結封印。


 その単語に、詩乃と刃更の顔色が同時に変わった。


「……嘘でしょう」


 詩乃の声から、初めて本気の動揺がこぼれた。


「《夜喰の心臓》だけじゃない……?」


 刃更が低く言う。


「ゼクス、あなたの目的は」


 ゼクスは答えず、ただ笑っていた。


 その笑みだけで十分だった。


 《夜喰の心臓》は囮、あるいは起動確認。真の狙いはその先――最深部にある別の何か。


 地下封書庫の“下”に繋がる封印。


 ルクレツィアが言っていた場所。


 ゼクスがゆっくりと後退る。


「じゃあな、封印王」


 黒い外套が、影へ溶けるように揺れた。


「次はもっと深いところで会おう」


「待て!」


 黎夜が踏み出す。


 だが刃更が即座に腕を掴んだ。


「追わないで!」


「でも!」


「今は封印維持が先です!」


 その一瞬で、ゼクスの輪郭は完全に闇へ溶けた。


 残されたのは、赤く点滅する警報灯と、《玻璃天蓋結界》の中でまだ微かに脈打つ《夜喰の心臓》だけ。


 そして誰もが理解していた。


 これは勝ちではない。


 せいぜい、もっと大きな崩壊の入り口を辛うじて塞いだだけだと。

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