090
「まずいわよ」
さっきのすごろくよりまずいことなんてないだろう。
赤錆さんを半目で睨みつけるが、無言の抗議は鼻を鳴らして一蹴される。
「薪がもうない」
彼女は暖炉を指差して深刻そうに告げる。火は未だ健在で、薪はぱちぱちと弾けてはいるが、明け方には消えてしまいそうだ。雪山で暖を失うとなれば、切迫した声色にも頷ける。
だが、ここは孤立したコテージではない。付近には同じようなコテージが数軒建っていて、管理人さんが常駐する建物もある。夜の寒さを我慢して薪置き場から替えの薪を取ってくることもできるし、そもそもこのコテージは断熱性能が高い。昼間から暖炉を点けていたおかげで今もじんわり暖かく、一晩越すだけならこのままで充分だ。命に関わる状況ではない。
しかし赤錆さんは、眉間に皺を寄せる演技をしながら勿体ぶって口を開く。
「人肌で温め合うしかないわね」
また変なことを言い出した。すごろくでいいだけ弄ばれたからか、動揺より気疲れが上回る。言い返す気力も湧かず溜め息だけを漏らすと、赤錆さんの眉が吊り上がった。
「なにその反応は。雪山舐めてると凍死するよ」
「大丈夫。僕は一人で寝る」
「でも、ベッド二つしかないけど」
「えっ」
思わず振り返ると、桑染さんはきょとんとした顔で続ける。
「部屋、一緒に見て回ったよね? ダブルベッドが二つしかないから、後で組み合わせ考えようって話しじゃなかった?」
全然覚えていない。スノーボードのことで頭がいっぱいで、ほとんど聞いていなかったらしい。
「……ソファで寝ます」
「だめ。布団なかったら寒いよ。風邪ひいちゃうかも」
リビングは暖かいが、布団なしで耐えられるほどではない。それに、僕が意固地になったところで、過保護気味な彼女達が許してくれるはずもない。
「わたし達が嫌がるかもって気にしてる?」
「そんなわけないじゃない。そもそも嫌なら提案しないし」
「そうだぞホースケ。遠慮すんなよ」
「……ワタシも、大丈夫だから」
都合の良い言葉を掛けられ、隙間なく取り囲まれる。事あるごとに詰め寄られるので距離感には多少慣れたつもりだが、先ほどまで体を動かしていたせいか漂う体温が温かい。額に変な汗が滲んできた。
「と、年頃の男女が寝床を共にするというのはどうなんでしょう。いけないことだと思います」
体裁を取り繕う余裕はない。邪な思いを抱いていると白状したも同然の台詞であるが、はっきりと宣言する。
軽蔑されるのは悲しいけれど、僕なんかが彼女達に間違いを犯してはならない。流石に彼女達も納得してくれるだろうと、恐る恐る顔を上げる。
によによしている。
子供の背伸びを小馬鹿にするようでいて、独り立ちをひっそり喜ぶような、なんとも形容し難い笑みを浮かべている。
「……なんですかみんなして」
「べつに~?」
「ふふふ。言葉にしてくれると、やっぱり嬉しいなって」
「ね。包介クンも成長してるんだね」
含みのある口振りをされると、尚のこと気になる。もう少し追及すべきかと踏み出そうとしたところで、赤錆さんがぱちんと手を打った。
「ま、包介にも心の準備が必要よね。あたし達が先にお風呂入ってくるから、ゆっくり考えて。それじゃあ入る順番だけど」
「アタシ一番がいい」
「あたしはいいけど……一番風呂って肌に悪いのよ」
「入浴剤入れたら大丈夫って聞いたことある」
「あ、それならワタシさっき売店で買ったよ。何入れるか、みんなで決めよっか」
彼女達は連なって、寝室に消えていく。一人リビングに取り残された僕は、自分の言葉が届かないことだけは理解できた。
◇◆◇
お風呂は一人ずつ入った。最初は烏羽さん、次に赤錆さん。ちょっと間を置いてから榛摺さんが入って、桑染さんが上がった頃には午後十時を回っていた。
そうしてようやく僕の番が回ってきたのだが、彼女達の後に入るお風呂は、なんだか落ち着かない空間だった。
何というか、香りがするのだ。シャンプーかボディソープか分からないが、甘い花の匂いが仄かに香り、彼女達がすぐ傍にいるような感覚がする。温くなった湯船のお湯も人の体温に似ていて、先ほどまで彼女達が裸で浸かっていたという実感が湧いてくる。
「……ただの変態じゃないか」
僕は彼女達が好きだ。けれど、微かな残り香にさえ興奮してしまう自分を鑑みると自信がなくなってくる。
僕が彼女達に向けている感情は恋心などではなく、性欲を持て余しているだけではないかという不安。
欲望を制御できない人間の醜さは、吾亦紅先生で充分に学んだ。父親を殺そうと思ったときは状況が異なるが、弁柄君に嫌悪感を抱いたのは告白の先にある汚らしい欲求が透けて見えたからだ。他人を傷つけてまで快楽を優先する姿は、皆等しく悍ましい。
僕は正しく生きようとしてきた。当然、理想通りにはいかず、妥協したことも多々あれど、性欲に振り回されて周りに迷惑をかけたことはないつもりだ。だから、自信を持って彼等を非難できたし、制裁を加えることにも躊躇いはなかった。
でも、今の僕は。
彼女達を傷つけている。自分の性欲を否定できないせいで好意との区別がつかず、結果として、彼女達の気持ちを蔑ろにしている。
性欲が原因で周りを傷つけている、と言い直せば、やっていることは彼等と同じだ。僕は、心底軽蔑した彼等と同じ行いをしている。
「……もう上がろう」
自己嫌悪に浸ったところで何も解決しない。それに、仮に自身の性欲を否定できたとしても、彼女達の中から一人を選べるようになるとは到底思えない。性欲云々よりも、みんな好きだから決められない、なんていう逃避に塗れた優柔不断さが問題なのだろう。自分の内面からも、彼女達の気持ちからも逃げている。僕は何とも向き合えていない。
風呂の栓を抜き、流れゆくお湯の渦を見つめる。飛び込んで体がばらばらになれば、この苦悩から解放されるだろうか。ありもしない妄想にまで逃げ込んでしまう自分が情けなくて、乾いた笑いが喉を震わせる。
この感情から逃げられはしない。せめて彼女達の時間を邪魔しないよう、明るくあるべきだ。
そう念じながら風呂場を出て、バスタオルで体を拭うが、その僅かな時間であっても、腕を動かすたびに決意は薄れ、暗い思考に支配されていく。足は重く、頭の回転が鈍い。洗面所の扉の向こうに彼女達が待っていると思うと、申し訳なさで潰れそうになる。それでも愛想笑いを繕って、引き戸を開けると──
「おわぁっ!!」
桑染さんが敷居の際に立っていた。久々の無音登場に腰が抜けかける。震える膝と中腰でぎりぎり耐えた僕を、桑染さんは静かに見下ろす。
「お風呂長かったね。みんなもう寝ちゃったよ」
大きな体の陰から頭を出してリビングを覗き込む。桑染さんの言う通り誰もいない。照明で照らされてはいるが、広々とした無人の空間は寒々しく映る。
「ちょっとお話ししよっか」
そっと手を繋がれる。先ほどまで邪な悩みを抱いていたせいで体は過剰に反応するが、桑染さんが気にした様子はない。
乾いた床板の上を二人でゆっくりと歩き、隣り合ってソファに座る。
「今日、楽しかったね」
「そ、そうですね。もっと滑りたかったですけど」
「うん。分かってたけど、一緒にしたいこと、いっぱいあったから。無視しちゃった。次はもっと滑ろうね」
取り止めのない会話。その間も右手は繋がれたままで、桑染さんの包み込む滑らかさが思考を掻き乱してくる。ぴたりとくっつく二の腕の柔らかさが、風呂上がりの余熱を沸々と上昇させる。
「ねえ。お風呂で何考えてたの?」
「え?」
「心ここにあらずって感じだから」
「……思春期にありがちな悩みですよ」
嘘は言っていない。だが、煙に撒こうと曖昧な言葉を使う時点で騙しているのと同義だ。快感の中に罪悪感が混じり、頭の中はますます混沌としてくる。
桑染さんには、僕がどう見えているだろうか。こっそり顔色を伺うが、彼女の視線は正面に固定されている。
「お風呂って色々考えちゃうよね。わたしも思い出して長風呂しちゃうこと、よくあるよ」
「そうなんですね。やっぱり仕事のことですか?」
「包介くんに告白してもらったこと」
表情が固まる。思い起こすのはライブハウスでの光景。壇上のスポットライト、観客からの悪意の視線。そして、桑染さんの綺麗な泣き顔。
あの時の緊張が全身を固くし、繋いだ右手に力が入る。桑染さんも応えるみたいに指を絡ませてきて、僕達の手はぴったりと密着する。
「いじわるな言い方しちゃったね。わたしが考えてるのは、もしも告白が本当だったら、っていう想像」
桑染さんは頤を逸らし、天井を見上げる。思い出をなぞるように、空いた右手の指をひとつずつ折り曲げる。
「とりあえず、同棲は早い方がいいよね。朝は包介くんよりちょっと早く起きて、あ、ベッドはもちろん一緒だよ、それで、ほっぺに軽くちゅっ、てするのが一日の始まり。簡単に顔を洗って、朝食の準備してると、寝癖だらけの包介くんがやってくるの。ぽわぽわした顔でおはようって言ってくれて、わたしもおはようって笑い返して。二人で朝ごはん食べて、並んで歯を磨いたら、そろそろわたしの出勤時間。玄関でいつもどおり、いってきますのちゅうをするんだけど、一回じゃ満足できない。繰り返すうちに深いところで交わり合って、仕事も学校も忘れて、おもむろに下を──」
「あ、あの、もう分かりました」
妙に実感のある語り口に、聞いているだけで恥ずかしくなってきた。遮られた桑染さんは不満そうに眉を顰めるも、すぐに眉間の皺は消え、それからまた遠い目で正面を見つめる。
「……でもね、包介くんは時々、辛そうな顔をするんだ。包介くんはわたしと付き合ってるから、わたしに悪いからって理由で、他の女の子を遠ざけようとする。でも、他の子を傷つけるのが辛くて、だけどわたしにも心配をかけないように愛想笑いで誤魔化すの。わたしは、包介くんにそんな顔をさせるのが一番悲しい」
桑染さんが体ごと僕に向き直る。宝石のように綺麗な瞳は確かな意思を堪えて、真っ直ぐに僕を見据えている。周囲を気にする怯えも、考えに耽る漠然とした様子もない。真剣に、僕だけを見つめている。
「だから、いいんだよ。ひとりに決めなくていい。一番になれなくても、この気持ちを認めてくれるだけでいい。わたし達はみんな包介くんに救われて、包介くんを愛してる。だから」
「違う」
口が勝手に動くとは、こういう時を言うのだろう。自分で発したくせに脳が追いつかず、唇が震える。脳内麻薬が指先を麻痺させ、腹の底から騒めきが迫り上がってくる。頭と体が食い違っていることを自覚しながらも、言葉を紡ぐのを止められない。
「みんな僕を勘違いしてる。僕はみんなを助けたりなんかしてない。僕はただ、自分のやりたいことをやって、結果的に上手くいっただけだ。本当はみんなを傷つけた奴等と同じで、欲に塗れた汚い男なんだ。こんな醜くて卑怯な僕が、みんなに好かれる資格なんてあるわけない。僕は」
顔に傷がある。右目が使えない。運動が苦手で背が低い。勉強を頑張っても、全国で見れば大したことないレベルだ。弱い割に頑固で、なのに諦めるのは早くて、行動と思考に一貫性がない。下品な輩を蔑むくせに女の子をすけべな目で見るのがやめられない、最低な男だ。
こんな僕が、綺麗で可愛くてかっこいい彼女達に、相応しいはずがない。
「僕は、みんなに愛されていい人間じゃないんです」
右目が熱い。爛れて薄い皮膚の上を温い涙が伝っていく。まともに前も見れないくせに、こんな機能ばかり残っている。袖口で力任せに拭うが、水を吸って重くなるだけで一向に止まらない。
「包介くん」
やめてくれ。こんな情けない姿を見ないでくれ。
必死に顔を背けるが、繋いだ手が離れない。桑染さんが放してくれない。
一拍の間を置いて、力づくで手を引かれる。体の前面がぶつかる寸前まで接近し、のけ反ろうとした顎を掴まれ、強引に目を合わせられる。
有無を言わせない強い眼差し。抵抗しようにも桑染さんの怪力には敵わない。彼女は僕の腰に手を添えると、抱き抱えるみたいにして無理やり立ち上がらせる。
「お布団、いこっか」
顔が、桑染さんの胸に埋まっている。彼女の寝巻きが涙で濡れるが、それごと押し込もうとする力強さで抱き寄せられる。
息が苦しい。前が見えない。そんな状況にも関わらず、僕の浅ましい欲望はむくむく大きくなる。腰だけ引けた不格好な姿勢で、桑染さんの歩みに併せて後退する。
「ぷはっ」
桑染さんが立ち止まり、顔面が解放された。視界を塞がれ、よちよち歩きで連れられるうちに、寝室に辿り着いていた。
照明は消えているが、冬の空はやけに明るい。月明かりが薄い青色に照らすおかげで、部屋の様子がよく見える。
二人用のベッドが二つ。それらがぴったりとくっつけられて一つの巨大なベッドとなり、布団の盛り上がりが右に一つ、左に二つある。僕達の足音を聞きつけたのか、布団の下の彼女達はもぞもぞと寝返りを打ち、緊張に研ぎ澄まされた聴覚は寝息を鋭敏に拾い聞く。
「包介くんはここ」
桑染さんはベッドの合わせ目を指差す。二つのベッドのちょうど真ん中の位置だ。布団を捲って背中まで押されると、断る余地は残っていない。風呂場でいいだけ悩んだはずなのに、あっさりと同じベッドに転がされてしまう。
「こっちみて」
上半身を持ち上げて、桑染さんの方を見る。
雪が反射する月明かりで浮かび上がる彼女の姿は、輪郭が朧げだ。だからこそ、大きくて豊満な体躯がより強調して映し出される。
「包介くんは、わたし達が無理してると思ってる? 助けてもらった御礼で仲良くしてるって、本気で思ってる?」
桑染さんが寝巻きのボタンに指をかけた。
襟元まできっちり留まったそれを指先で弾くようにひとつずつ外し、その度に押し込められていた胸が柔らかい重みを取り戻していく。
「わたし達、そんなに安い女じゃないよ」
するりと。
自然の摂理に任せて上の寝巻きが擦り落ちて、桑染さんの上裸が露わになる。彼女はそれに留まらず、ズボンにも指をかけ、一気に脱ぎ捨てる。
桑染さんの表情に迷いはない。彼女は何一つ隠さずに立ち誇り、真っ直ぐに僕を見据える。
「わたし達も包介くんと同じ。包介くんに触りたいのも、触ってほしいのも、したいからしてるだけ。この気持ちを否定するのは、包介くんでも許さない」
桑染さんがじっとりと躙り寄り、ベッドに手をつく。ぎっ、と枠組みが軋み、重力を受けた大きな胸が視界いっぱいに飛び込んでくる。見てはいけない、などと葛藤する段階はとうに過ぎた。目の前に迫る彼女の身体から目を離せない。
「ぎゅうするね」
抱き竦められる。
息が漏れる柔らかさと、その奥にある筋肉の安心感。取り込まれるような包容力に、強張っていた体が芯からふやけてしまう。
桑染さんの手が僕の寝巻きの裾と下着をまとめて掴む。茹だった脳では抵抗が間に合わない。彼女の温みに包まれながら、ずり下がる下着の感触をただ受け入れる。
「あっ」
引っ掛かっていた出っ張りが、矢を放つ勢いで解放された。桑染さんの肌で温められた空気が撫でるように纏わりつき、腰の奥にじんとした痺れが広がる。
「うれしい」
桑染さんが僕の尻に手を添え、ぎゅっと抱き寄せる。股間の物が桑染さんのお腹に触れるが、彼女は動じない。そればかりか、抱き寄せる力を更に強めてくる。
「もっと寄って。ぎゅってして」
割れた腹筋に当てがうようにして、棒がぴったりとお腹に張り付く。爆発的な快感が走り、顎が跳ね上がった瞬間、桑染さんの両手が僕の両頬を挟み込む。
お互いの吐息の温度が伝わる距離。
桑染さんの左手が頬に沿ってそっと前髪を掻き上げ、僕の醜い右側が晒される。親指が慰撫するように傷痕の縁をなぞり、外気に冷えた薄い皮膚は彼女の熱を十二分に伝えてくれる。
「包介くん」
左目はすでに夜の闇に慣れている。壊れた右目と同じほどに瞳孔は開き切り、明るさの揃った両目で桑染さんと見つめ合う。
「愛してる」
唇がゆっくりと落ちる。舌が絡まるのと同時に堰き止められていたものが放出され、激しすぎる未知の快感に、僕の思考は白く染まった。
◆◇◆
翌朝の天気は、息が漏れるほどの快晴だった。
雪山から見る青空はいつもより薄く見え、コテージの内側から眺めていても空気が澄んでいるように感じる。
昨日からこの天気が続いていればスノーボードを楽しむ時間も増えたのに、と思うと憎らしくも思ってしまうが、過ぎたことにこだわっても仕方がない。ソファに腰掛け、榛摺さんが淹れてくれたココアを嗜みながら、遠くに見える白い山をぼんやりと堪能する。
「贅沢な朝だな」
「うん」
烏羽さんがすぐ隣に座る。肩同士がぶつかる距離だが、烏羽さんとは特訓を通じて何度も密着している。この程度で驚いたりはしない。
「昨日さ」
「うん」
「アタシも起きてた」
吹き出しそうになった。瀬戸際で堪えたもののココアが変なところに入ってしまい、激しく咳き込む。
「みんなで話し合って、桑染サンにお願いすることになったんだ。悔しいけど、あの人が一番適任だったから」
「げほっ、て、適任?」
「桑染サンが一番自制心があった。……アタシなら、我慢できなかったと思う」
烏羽さんは首まで真っ赤になりながら、ぼそぼそと呟く。聞き取りにくくて覗き込もうとすると、彼女は避けるようにのけ反った。
ちょっと近すぎただろうか。昨日の痴態を見られていたとなれば尚更だ。反省して僕の方からも距離をとる。しかし、離れるのは烏羽さんの本意ではないらしく、両肩をがっしりと掴まれる。
「す、するのがイヤってことじゃないぞ。興味はあるし、今すぐしたい。でもさ、アタシ達がしたいって言っても、ホースケは色々考えちゃうだろ? だから──ああくそ」
今朝の烏羽さんの表情はよく変わる。恥ずかしそうに目を逸らしたかと思えば、むっつりと眉を顰めたり、喉のつっかえを飲み込むみたいに天井を見上げたりする。
烏羽さんはしばらく懊悩としていたが、かっと目を見開くと、要するに、と大きな声を上げて、全身で僕に向き直る。
「アタシ達はホースケが好きだ。好きで我慢ができないから、みんなでしたいようにすることにした。だからホースケも、アタシ達にしたいことは我慢しないでぶつけてほしい」
「なに代表ヅラして語ってんのよ」
赤錆さんがすぐ傍まで近づいていた。彼女はぺちんと烏羽さんの額を叩くと、僕の隣に強引に割り込む。
「おい! まだ途中だぞ!」
「あんたは堅苦しすぎんのよ。包介が身構えちゃうでしょ」
赤錆さんは食ってかかる烏羽さんを人差し指一本で抑える。固まる僕の手から自然にマグカップを抜き取ると、ココアを一口飲み込んでからテーブルに置く。
「大体、みんな包介のこと分かってないのよ。真面目なフリしてえっちなんだから。あたし達みたいな美人の誘いを断れるわけないじゃない。言っとくけど、あたしは烏羽が弁柄に絡まれたときには覚悟決めてたよ」
諦めたような、呆れたような横目を向けられる。同い年の女子とは思えない大人びた視線に、一瞬体が強張ってしまう。その隙を見計らったように、赤錆さんの人差し指が心臓の上に突きつけられる。
「でも、勘違いしないでね。あたしが許可した奴以外とは駄目だから。あと、基本一番はあたし。藉に入るのはあたしだし、複数人でするときはあたしからにすること。いい?」
「何言ってんだお前は」
横で聞いていた烏羽さんが、赤錆さんの頭をぽこんと叩いた。先ほどの雰囲気はどこへやら、烏羽さんに飛び掛かる赤錆さんは年相応の表情だ。ココアが溢れないようテーブルの上から避難させ、罵り合う二人を尻目に大窓の側に移動する。
「複数人ってなんだよ! アタシはやらねーぞ!」
「はっ! ミックスファイト好きの異常性癖者がよく言うわ! そのうちみんなでオイルレスリングやりたいとか言い出すに決まってる!」
「だ、誰が言うかコラァ!」
やはり、冬の遠景は美しい。眺めているだけで心が浄化される気がする。背後から聞こえる諍いの声も忘れ、少し温くなったココアを一口含んだときだった。
「……おはよう」
大窓にぼうっと映る大柄な人影に、びくっと肩が跳ねる。呼吸を整え、表情を繕ってから振り返ると、桑染さんがもじもじしながら立っていた。
「昨日は急にごめんね」
「い、いえ。僕の方こそごめんなさい。その、汚してしまって」
「ううん。……すごく、嬉しかった」
桑染さんは頬を染めて、愛おしそうにお腹を撫でる。すらりと長い指がなぞるのは、布団の中で深く触れ合っていた場所だ。彼女の手つきを見ているだけで、全身がのぼせたみたいに熱くなる。
「一応確認だけど、最後まではしてないんだよね」
「ひっ」
いつの間にか、赤錆さんと烏羽さんに背後を囲まれていた。台所にいたはずの榛摺さんも、二人の奥からひょっこり顔を覗かせている。
「現役女子大生のワタシに言わせてもらうと、中学生で初体験とか早すぎるから。みんなが暴走しないように、しっかり見張らせてもらうよ。いい?」
「うわ。一番自制できないくせに、包介の前ではいいカッコすんのね。いやらしい」
「旅館泊まったとき、酒の勢いで握ろうとしてたしな」
「と、とにかく! 早く片付けないとチェックアウト間に合わないよ! 包介クンも手伝って!」
「は、はい」
残ったココアを慌てて飲み干し、ぷりぷり歩く榛摺さんの背中を追いかけようとすると、桑染さんにきゅっと袖口を摘まれた。指先だけの力は思いの外強く、体ごと振り返る。
「あのね。昨日、最後までできなかったのは、お義母さんに止められてたからなの。本当はすごくしたかったけど、これからの関係もあるし、頑張って我慢した。でも、次はちゃんとお許しもらってくる。だから、そのときは」
右手を両手で包み込まれる。顔を上げると、垂れた前髪の陰から覗く宝石みたいな青い瞳が、真っ直ぐに僕を見つめる。
「いっぱい気持ちよくなろう。ね?」
桑染さんはふわりと微笑むと、僕の手を放して榛摺さん達のもとに小走りで駆けていった。右手には、彼女の体温と滑らかな感触が残っている。
「いっぱい……」
桑染さんの言葉を反芻する。右手をゆっくり握り込むと、暗がりの中でも輝いて見える新雪のような白い肌を思い出す。気を逸らそうと外に目を向けても、どこもかしこも白色だらけだ。頭の中が昨晩の気持ちいいでいっぱいになった僕は、今度こそ動けなくなった。




