089
結局、雪は止まなかった。
昼食を摂り終えた後もしんしんと降り続け、僕はコテージから一歩も出してもらえなかった。ボードで遊べたのも、時間にすれば二時間程度だ。ナイター設備も完備されているのでまだ機会は残されているが、心配性の彼女達が夜の外出を許可してくれる可能性は低い。そうこうしているうちに夕食も摂り終えてしまい、寝支度を整える雰囲気になってしまった。
「こら。ふてくされない」
「……折角のゲレンデなのに。みんな心配性すぎるんだよ」
「いいじゃない。遊べるものもってきたから、あっちで一緒にあそぼ」
テレビゲームか何かだろうか。期待しないで赤錆さんの指差す方を振り向くと、桑染さん、榛摺さん、烏羽さんの三人が板のようなものを囲んで、絨毯のうえに座っている。
「すごろく?」
「そ。あたし達で作ったの」
テレビゲームよりもずっと古風な遊びだ。小学生の頃ならともかく、それなりの年齢の五人が集まって遊ぶには退屈な気がする。だが、赤錆さんの表情を見るに相当自信があるようで、避けては通れなさそうだ。
「分かったよ。……あ、そうだ。僕が勝ったらナイター行ってもいい?」
「ダメ」
てきとうに吹っ掛けてみたが、呆気なく却下された。落胆する暇もなく背中をぐいぐい押され、桑染さんと烏羽さんの間に座らされる。赤錆さんは僕と桑染さんとの間に強引に割り込んだ。
「ちょっと。向こう座ってよ」
「うっさいデブ」
「デブじゃない! むきむきだもん!」
「それはそれでどうなの? だいぶ特殊寄りじゃない?」
「そ、そういう本いっぱいあるし。包介くんもマッチョな女の子、好きだよね?」
桑染さんは身を乗り出し、烏羽さんからも縋るような視線を向けられるが、気にしてはいけない。愛想笑いで誤魔化しながらサイコロを手に取る。
「あれ。三までしかないんだ」
「あんまり早く終わってもつまんないからね」
すごろくの歴史は深い。元は六つの持ち石を先にゴールさせる戦略性の高い遊戯だったが、現代のすごろくと言えば、サイコロで出た目の分だけ駒を進め、停まったマスごとに指示が書いてある絵すごろくが一般的だろう。お手製の盤面では一周を長くするために、サイコロ自体に工夫するのは納得できる。
しかし、不思議な点がある。赤錆さん達が作ったこのすごろくは、マス目に何も書いていない。まったくの白色だ。これでは順番にサイコロを振るだけの酷くつまらない遊びになってしまう。
「ふっふっふ。このすごろくには特殊ルールがあるのよ」
僕の不満を感じ取った赤錆さんが、得意げな表情でカードの束を取り出した。二十枚くらいで白い無地、トランプではなさそうだ。
「サイコロ振るたびに一枚引いて、書かれたお題を実行するの。試しに捲ってみるね」
赤錆さんが一番上のカードを捲る。おそらくは烏羽さんであろう筆圧の濃い字体で、腕立て伏せ三十回と書かれていた。
「はい。じゃあ腕立て三十回。よーい、はじめ」
「え? 僕がやるの?」
「当たり前でしょ。ほら、てきぱき動く」
釈然としないが、取り合ってはくれないだろう。仕方なく腕立ての姿勢を取って、いつものようにゆっくり負荷をかけて行う。
「ふーん。やっぱりいい前腕してるわね」
「手もよく見たら、ちょっとゴツゴツしてるかな?」
「お尻がきゅってしてるのかわいい」
赤錆さん達は僕を眺めながら、好き勝手なことを言っている。烏羽さんだけは教官の眼差しで厳しく確認してくるし、どういう感情でこなせばいいのか分からない。
「29、……30! はい、終わったよ」
「よし。インターバル挟んでもう1セット」
「なんでそうなんのよ。ま、これで大体ルール分かったでしょ?」
「うん。なんとなくは」
要約すると、お題がマスでなくカードに書かれたすごろくといったところか。彼女達の発案にしてはありきたりな気もするが、指摘して空気を悪くする必要もない。とりあえず付き合って、もう一度ナイターを許可してもらえないか試してみよう。
「じゃあ、烏羽から時計回りね」
「お、おう」
烏羽さんがサイコロを振る。出目は1だ。三分の一ならそんなものだろう。彼女がカードを取るのをみんなで見守る。
「お題は?」
「……誰かに脇の臭いを嗅いでもらう」
「えっ」
聞き間違いか。烏羽さんの口からとんでもない言葉が飛び出た。そんな訳ないと滲んだ汗を拭いながら、彼女の捲ったカードを見直す。
書いている。本当に。微かに震えながらも、しっかりとした筆圧で。
「初っ端からエグいの引いたわね。誰にお願いする?」
「……ホースケがいい」
「えっ」
烏羽さんは顔を背けながら、両手でセーターを捲り上げる。真冬の雪山とはいえ、コテージの中は暖房が効いて暖かい。セーターが烏羽さんの首元を通ると、篭っていた体温が解放されて、むっとした熱が頬を撫でる。
袖のない肌着姿となった烏羽さんと目が合う。眉は八の字に垂れ下がり、鋭い瞳は潤んでいる。お風呂上がりみたいに顔を赤くして、じっとりした上目遣いでこちらを伺ってくる。
「ほら。返事してあげな」
赤錆さんに背中を押され、烏羽さんとの距離が拳一個分縮まる。彼女の体温が、肌をもやつかせるほどに近づいている。
修行中でも目鼻の先まで接近することは稀だ。それなのに、桑染さんと榛摺さんは黙って見ているだけで、赤錆さんは僕が仰け反らないよう背中を抑えている。どう考えても異常な状況なのに、当たり前に話が進んでいる。
「……ホースケ、頼む」
烏羽さんがゆっくりと腕を上げる。
別に恥ずかしい部位じゃない。脇を出した格好は、暑い日なんかは町中でも見かける。法律で禁止されてもいないし、邪な思いを抱く方がおかしいはずだ。
しかし、いつも凛々しい烏羽さんが心底恥ずかしそうに、それでいて、待ち望むように曝け出す様は。
ごくり。
唾が音を立てながら喉を通る。烏羽さんの熱が目蓋を炙り、頸のところまで火照らせる。緊張に五感は朧げで、鼻はほとんど機能しないが、彼女の匂いで体中が満たされるような感覚がある。
「早くしなさいよ」
とん、と後頭部を押される。軽い力であるが、不安定な前傾姿勢では耐えきれない。僕の顔が烏羽さんの脇に吸い込まれていく。
「ウ゛ッ♡」
「わあっ! ごめん!」
ついた。間違いなく。唇に残った湿り気が、彼女の脇に触れた事実を証明している。
余韻というには激しすぎる動悸に動けないでいると、セーターを被り直した烏羽さんがのそりと寄ってきた。彼女は優しい手つきで僕の肩に手を置き、伸ばした袖で口元を拭ってくれる。
「……ありがと」
「こ、こちらこそ」
同調してよかったのか。後悔が過るが、吐いた言葉は取り消せない。肩に載った烏羽さんの手のひらは熱く、しなだれかかるような距離にある彼女の体は存在感が強い。セーターに隠された脇の質感が、僕の意識を湯立たせている。
「次、麗美の番だよ」
いけない。気を取り直さないと。頭を振って烏羽さんの誘惑を払い、盤面に集中する。
このすごろくは危険だ。筋トレ主体の健全な遊びだと思っていたら、初っ端からとんでもないお題が仕込まれていた。烏羽さんが偶々過激なカードを引いたとも考えられるが、赤錆さんが勧めてきた遊びである。構えるに越したことはない。
榛摺さんがサイコロを振る。勢いついたそれは盤面の外まで飛び、カーペットまで着いてようやく止まる。
「また1。運が良いわね」
悪いの間違いではないか。一度疑うと節々に陰謀を感じるが、確証には至らない。僕の疑念を他所に、榛摺さんはカードを捲る。
「……メアリ。代わりに読んで」
「うん。えーっと、異性に愛の告白をしてもらう、だって」
「異性っていうと、包介しかいないじゃない。それじゃあよろしく」
五分の四で僕が標的になるお題だ。しかし、前に比べれば穏やかな内容ではある。追及するには材料不足だ。ここは一旦終わらせてしまい、次を見て判断しようと脳内で整理をつける。
「分かりました。早く済ませましょう」
「お、お願いします」
榛摺さんは緊張した面持ちでいそいそと居住いを正す。畏まられるとこっちも緊張に当てられそうになるが、僕は先日、衆人環視の前で桑染さんに嘘の告白をした。それに比べれば、たった三人の前で告白するなんて容易いものだ。
「スキデス」
「何それ。真面目にやって」
赤錆さんから駄目出しを喰らった。当人の榛摺さんは俯いて分からないが、桑染さんと烏羽さんも微妙な表情をしている。やり直しは免れない雰囲気だ。
彼女達を満足させるにはどうすればいいか、と今一度考えてみる。遊びの中の告白ではあるが、彼女達が求めているのは真剣味だ。桑染さんの時と同じように、心からの言葉を混ぜれば、それらしさが演出できるかもしれない。
「マスク、外してるんですね」
「……みんなの前だからいいかなって。やっぱり気になる?」
「気にはなりますね」
率直に告げると、榛摺さんは気まずそうに笑った。ポケットからマスクを取り出そうとするが、それよりも先に彼女の口元に指を這わせる。
「榛摺さんは嫌がるでしょうけど、僕はこの傷、好きですよ。榛摺さんの優しさが詰まっている気がするから。貴女と繋がれたのも、この傷のおかげだった」
真っ直ぐに見つめ続ける。榛摺さんの瞳はうろうろと彷徨うが、次第に首の力が抜けて、視線が僕に集中していく。傷痕から頬に手のひらを移しても、榛摺さんは抵抗しない。されるがままに、恍惚とした目で見つめ返してくる。
「好きです」
「──はい」
「ストップ! 採点に入ります!」
急に現実に引き戻された。待ったをかけた桑染さんは、赤錆さんと烏羽さんと肩を寄せ合い、こそこそと内緒話を始める。
「どうだった? わたしはかなり良かったと思う」
「ちょっとメロすぎかも。もう少し包介らしさが欲しいとこね」
「結構カッコつけたがりだし、あんなもんじゃねえか? まあアタシも、もうちょっとアタフタしてた方がらしいと思うけど」
勝手なことを言われている気がする。本心は少し混ぜるつもりが、ほとんどそのまま喋ってしまったので、批評されるのは恥ずかしい。榛摺さんからもきらきらした視線を向けられたままだし、どんどん居た堪れなくなってくる。
手持ち無沙汰に榛摺さんのほっぺたをふにふに触っていると、赤錆さん達が審査団の足取りで横一列に並んだ。
「結果が出ました。あたし的には改善の余地があると思うけど、榛摺さんの反応を重視して合格とします」
「はあ、そうですか」
「麗美もいつまでも蕩けてない。次はわたしの番なんだからね」
よく分からないが終わったらしい。ぽけっと僕を見つめたままの榛摺さんから手を放し、サイコロを拾って桑染さんに手渡す。彼女は腕まくりしながら受け取ると、宝箱の鍵を手に入れたみたいな動作で天井に高く掲げた。
「いくよ! そーれっ!!」
お題はカードの方だから、サイコロに気合いを入れる必要はないんじゃないか。見失わないためか声量に比べて控えめに放られたサイコロはころころと転がり、二の出目で止まる。
「はい。さっさと引きなさい」
「よーし……やった! 肌着になって包介くんとハグ!」
「ちょ、ちょっと待ってください」
流石にこれは決定的だろう。桑染さんが頬を膨らませて抗議してくるが、止めざるを得ない。確信をもって、お題の束を抱える赤錆さんに立ち向かう。
「いくらなんでも、僕を狙い撃ちするお題が多すぎる。他のお題も確認させてくれ」
「は? 駄目よ。何が出るかわかんないから楽しいのに。それに、自分ばっかりなんて考えすぎ。烏羽のときは相手を選べたし、榛摺さんのときは異性って縛りがあったじゃない」
「異性が僕だけの状況で公平もなにもない。内容もなんていかその、特殊だし、これ以上続けるのは危険な気がする」
「危険なんてひどい。見てよ桑染の顔。おあずけ喰らって爆発しそう」
両腕を広げた桑染さんのおっぱいはたしかに爆発しそうなほど大きいが、見惚れている場合ではない。赤錆さんの気が逸れた隙に、お題の束を掠め取る。
「あ、こら! 返しなさい!」
走って逃げ回りながら内容を見聞し、驚愕する。
ホースケと裸でサウナ。
包介くんと搾乳体験。
包介と秘密さわさわ。
すべてにおいて僕が標的にされている。お題に関しても人前で口にできないものばかり並んでいる。分からない単語もあるが、どうせ下品な内容だろう。折角作ったというので遊んでみれば、とんだセクハラすごろくである。
「逃げるな! 気持ちよくしてあげるから!」
赤錆さんの猛追を体捌きで避けていると、左横から気配が飛んできた。低いタックル。烏羽さんだ。床を蹴って大きく下がると、勢い余った赤錆さんと烏羽さんが衝突する。ぎゃあぎゃあ言い合う元気はあるので怪我はしていない。
安堵も束の間、襟足に嫌な空気の流れを感じた。咄嗟に屈むと、背後から首に巻きつこうとしていた榛摺さんの両腕が通り過ぎる。大股開きで這うように距離をとり、襲いかかってきた三人をまとめて正面に見据える。
「ヤロウ……!」
我ながらいい動きだ。心が擦れた分、余計な考えが減って調子が出てきたらしい。苦々しげに吐き捨てる烏羽さんを挑発するように、見様見真似のアリ・シャッフルを披露したりもしてしまう。
「あんまし調子に乗らないことね。こっちには無敵の暴力装置がいるんだから」
赤錆さんが不敵に笑うと、彼女達の後ろで巨大な山が動いた。
桑染メアリさん。190センチ超えの長身に加え、アイドルレッスンで鍛えた体は、武道の心得を度外視する圧倒的な剛力を誇る。まともにぶつかれば、一撃で吹き飛ばされるだろう。
桑染さんは首を回しながら、ゆっくりと前に出る。普段はふにゃふにゃ柔らかい表情は固く引き締められていて、アクション映画の後半に出てくる強敵ばりの迫力である。
相手にとって不足なし。
桑染さんに向かって、勢いよく走り出す。彼女の体格は無敵に近いが、生半なモデルよりも長い足は漬け入る隙でもある。
「うおおおっ!」
はったりの雄叫びと、形ばかりの大ジャンプ。如何にも飛び掛からんと見せかけ、桑染さんの手前で着地、そのまま姿勢を低くして股座を通り抜けてやる。僕の戦いはこれからだ。
「つかまえた」
距離感を見誤った。
桑染さんの間合いは想定以上に広く、長い両腕に呆気なく捉えられた。僕の体は宙空に浮いたまま抱き留められ、身動きがとれない。
「ずいぶん好き勝手やってくれたわね。ちゃんとお仕置きしてあげなくちゃ」
後ろから赤錆さんの声がする。桑染さんの力は強く、振り返ることもできないが、ひたひたと近づく足音が聞こえる。
「生意気な男の子にはどれがいいかな。みんなどうする?」
カードを捲る音。四人は遊園地に来たみたいな明るい声で、僕の処刑方法を選んでいる。
「よし、これにしよっか。包介こっち向かせて」
「はーい」
脇の下に手を入れられ、ぐるりと回転させられる。目の前には、お題のカードがこれ見よがしに突きつけられている。
「ねえ知ってる? くすぐったいって、きもちいいの入り口らしいよ」
カードには丸っこい文字で、くすぐりの刑、と書かれている。
桑染さんの腕がぎゅっとお腹に絡みつく。紅潮した烏羽さんがじりじりと前のめりになり、榛摺さんは唇を触りながら潤んだ視線を向けてくる。赤錆さんの小さな手が、僕の胸板にぴったり張り付いた。
「包介のきもちいいを、あたし達で探してあげる」
行き過ぎた快感は拷問になる。僕は彼女達が満足するまでの間、全身を弄ばれ続けた。




