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包介君がスマホに変えた話は、おまけで書く予定です。
愛とはなんだ。
数々の創作物で取り上げられ、多くの人が本能で共感する話題だが、言葉で説明するのは難しい。辞書で定義を調べたとしても、僕が彼女達に抱くこの想いにはまるで足りない。
例えば、赤錆丁さん。
いつもはあたりが強く、つっけんどんな彼女だけれど、二人きりになったときの雰囲気は柔らかい。見た目は幼いのに、ふとした仕草やこちらに向ける流し目が大人びていて、出会った頃から憧れていた。過去に色々あったけれど、僕が困難を乗り越えられたのは、彼女の存在があってこそだと思う。
例えば、烏羽薫子さん。
彼女との関係は、弁柄君との一件を経て急速に変化した。元々は遠慮のない距離感に、僕が一方的にどきまぎするだけだったが、最近の烏羽さんは意図して体に触れてきているような気がする。何でもない時にも腕を組み、指を絡め、目が合ったときはぽっと頬を赤らめる。これまでとは質の違う触れ合いは、異性を意識せずにはいられない。
例えば、桑染メアリさん。
大きいお胸に大きいお尻。誰もが振り返る美貌の持ち主。
そんな、男の妄想を体現したような女性が、はっきり好意を示してくる。最初は、彼女は昔の僕を好いているだけで、今の冴えない僕のことはすぐに飽きてしまうだろうと思っていた。けれど、親愛というには余りにも大きくて暖かな献身に包まれるうち、そんな考えは消えてしまった。桑染さんのストーキングから再び近づいた関係はすっかり逆転し、今は僕の方が離れられなくなっている。
他にも、榛摺さん、濃墨先輩、青褐先生だって。僕の周りには、魅力的な女性が多すぎる。
それでも正しい男なら、誰か一人を愛するべきなのだろう。その結果、誰かを傷つけることになったとしても、それが誠実というやつなのだろう。
僕にはできない。一人を選ぶことができない。
それは優しさなんかではなく、僕がどうしようもなく臆病で、強欲な男だからだ。彼女達からの好意を正面から受け止める度量はないのに、彼女達が誰かと結ばれるのは耐えられない。思い返せば、僕の曖昧な態度が彼女達を沢山傷つけていたのだと思う。普通なら、とっくに愛想を尽かされていたはずだ。
しかし彼女達は、そんな僕を見限るのではなく、許してくれた。僕のどうしようもなさを理解して、一人に決める必要はないと言ってくれた。
情けない。あんなに綺麗で格好いい女性達に、そうまで言わせてしまうなんて。いい加減僕の方からも、言葉で、態度で、想いをはっきり伝えるべきだ。
できなかった。
冬休みが明け、二月を迎えた今になっても、僕は彼女達に想いを伝えられていない。好き、の二文字をどうしても口に出せず、なあなあのまま過ごしてしまっている。このままでは駄目だと何度も自分に言い聞かせているのに、最初の一歩が踏み出せない。僕は一体、何をしているのだろうか。
「それでウチに相談したと。わざわざ外でテレビ電話までかけてきて」
スマホの小さな画面に映る梔子先輩に頷いて見せる。
相談の場に冬の公園を選んだのは、母さんに見つかると説明が面倒だからだ。上の辺りは地毛の黒が混ざっているものの、依然明るい髪色の梔子先輩が相手となれば尚更である。
それを正直に伝えるのも難しいので神妙な顔で押し通すと、先輩は逆光に目を細めながら呆れた息を吐いた。
「ほっけ君さあ。君がモテるのは知ってるし、覚悟だってしてたけど、好きって告白した女に向かって、他の子との恋愛相談するのは幾ら何でもひどくない?」
「……はい」
「はいじゃなくてさ。久々にほっけ君からかけてきてくれたーって、すっごく嬉しかったのに。ウチの喜び、返して欲しいんだけど」
「……ごめんなさい」
その通りすぎて謝ることしかできない。俯いて縮こまる僕を見て、先輩は二度目の盛大な溜め息を吐く。
「はあ……話、整理するね。要するに君は、たくさんの女の子達に言い寄られたうえ、全員で付き合ってもいいよーってお墨付きを貰ったけど、ほんとにそれでいいか不安なわけだ」
「つ、付き合っていいとまでは言われてないです」
「言ってるようなもんだよ。君の方からも告白したら、みんな受け入れてくれるでしょ?」
多分、受け入れてくれるだろう。明瞭な許可をいただいたわけではないが、そう捉えられる言葉は何度もかけられた。想いを伝えて正式に交際を申し込めば、茶化されはするだろうが、笑って迎えてくれると思う。
都合の良い妄想は声に出さずとも伝わったらしく、先輩はこめかみの辺りを指で掻いた。
「じゃあいいんじゃない。周りに迷惑かけなきゃ個人の自由で済まされる時代だし。当事者が納得してるんなら好きにすれば」
「でも、梔子先輩は」
「ウチ? ウチはね」
先輩はしばらく爪を見て、ふっと息を吐くと僕に向き直る。その眼差しは、冬の気温よりもよほど冷たい。
「全然よくない」
ばっさりと切り捨てられた。
至極当たり前の意見、予想できた回答だ。それなのに僕は、一丁前に傷つけられた気持ちになって、刃物を突きつけられたみたいに息が詰まる。
「普通に考えてありえないよね。こっちが一番好きってしてるんだから、相手からも一番好きって返して欲しいし。大好きな人が他の女にもおんなじようにしてるって考えたら、我慢できない」
先輩の言葉はすべて正論だ。彼女達が優しすぎるだけで、本来なら僕は、最低な浮気野郎と糾弾されるべき存在だ。
梔子先輩の視線、声色、表情のすべてが、僕の甘えを正面から否定する。
「ほっけ君はウチのこと、好きって言ってくれたよね。あれは嘘だったの?」
「嘘じゃない。僕は本気で──」
「ふーん。じゃあ、他の女と仲良くするのやめて」
「そ、それは」
できない。はっきり否定されても、彼女達を諦めるという選択は絶対にない。間違いだなんだと頭で常識人ぶろうが、心の奥では彼女達と共にあることを望んでいる。
しかし、花火の下で梔子先輩に告げた想いは本心だ。断られたなら仕方ない、と割り切れるほど軽くはない。それだけでなく、梔子先輩に受け入れてもらうにはどうすれば、と考えてさえしまっている。
恐ろしい。自分の欲望がこれほど強かったなんて。羞恥心と自己嫌悪で続く言葉が見つからず、拳を固く握り締める。
しばらくの沈黙のあと、先輩の口から一際長い息が吐き出される。
「はあ。……いいよ。許してあげる」
「え?」
「みんなで付き合ってもいいよってこと」
恐る恐る顔を上げる。
先輩は半目で僕を睨んでいた。つんと唇を尖らせ、如何にも不満という表情だ。
それでも、言葉では受け入れてくれた。安堵と喜びで口元が緩みそうになるが、先輩は僕の煮えきれなさを見て、渋々認めただけだ。すぐに罪悪感が上回り、肩が鉛みたいに重くなる。
「彼女と話してるのにその顔やめてよ」
「ごめんなさい」
「ごめんばっかじゃなくてさ。みんなで付き合うのは許したけど、大事にしてくれなきゃ他のとこいっちゃうかんね」
「はい。大切にします」
「……そういうのはサラッと言う」
「でも、本当に大切なので」
「あーもう。もう分かったから。まったく、初恋じゃなかったら諦められたのに」
「え、先輩の初恋って僕なんですか」
梔子先輩は、はっと口を押さえて顔を背けた。けれどその頬は、画面越しにも分かるくらい真っ赤に染まっている。いつもは飄々とした先輩の素顔が妙に面白くて、思わず笑ってしまうと、先輩はわざとむっとした表情を作るが、すぐに釣られて笑ってくれた。
「卒業式の日、そっち戻ることにしたからさ。そのときはほっけ君の口からみんなに紹介してよ」
「はい。ちゃんと話します」
「あ。あと、みんなで付き合うのはオッケーしたけど、はじめてを交換する約束は有効だからね。ウチに会うまで、ちゃんととっておくこと。いい?」
「そ、それはもちろん」
「……なにその反応。もしかして──」
コテージの夜の情景を鮮明に思い出し、冬空に冷えた体にどっと血液が巡る。曖昧な笑みで誤魔化そうと試みるが、当然梔子先輩は納得せず、追及が始まろうとしたときだった。
目の前に影が落ちる。人の気配。冬場の公園でわざわざベンチの前に立ち止まるなんて不審以外の何者でもないが、それ以上によく知る女性の雰囲気に、反射でスマホをポケットにしまう。
「き、奇遇だね母さん。今日は早上がりの日だっけ?」
目の前に母さんが立っていた。
見られたか。女の子とテレビ電話をしていると知れたら、何を言われるか分からない。背中にじっとりした汗を滲ませながら、取り止めのない話で様子を伺う。
しかし、母さんは怒ることも、応えることもしなかった。ぼうっと立ち尽くして、ベンチに座る僕を見下ろしている。
どうしたんだろう。いつもなら、外でもお構いなしに触ろうとしてくるのに。
違和感に促され、棒立ちする母さんをあらためて確認する。
「あれ」
よく見ると違う。
間合いを図る癖がついたから分かったのだろう、若干ではあるが母さんより身長が低い。髪色も僅かに暗く、心なしか体調も悪そうだ。顔は瓜二つと言っていいほど似ているけれど、目の前の女性は母さんとは別人だ。
とはいえ、間違えて呼んでしまった事実は変わらない。過ちは正すべきだ。ベンチから立ち上がって、きっちり頭を下げる。
「ごめんなさい。人違いでした」
「間違ってないよ」
「え?」
ばちん。
「がっ──」
脳天に雷が直撃したような衝撃が走った。
受け身も取れずに雪上に投げ出されるが、痛みを感じる神経まで麻痺している。
何か、された。
意識は辛うじて繋がっている。しかし、体が言うことを聞かない。視界は明滅を繰り返し、肺が痙攣して息ができない。
首筋に冷たい何かが当てられる。五感は機能していないが、本能的な危機感が悪寒に変えて伝達してくる。
「おかえり」
再び雷が落ちる。
今度こそ、僕は意識を失った。




