086
「ざけんなクソッ!!」
ぶん投げたペットボトルが壁に当たり、やかましい音が鳴る。その耳障りな響きも、過剰にビビる深縹も、何もかもが腹立たしい。思い切り床を踏みつけてもムカつきは増すばかりだ。
「んだよあれッ……!」
桑染メアリ。久々にあのデブを見つけたときは、本当に軽い思いつきだった。
人前に立てない根暗をむりやりステージに引っ張り出して、嘲笑の的にする。それを優しくフォローすることであーしの印象アップを狙う、単純な作戦だ。ザコを晒し者にしたことで同類のキモオタ共からは批判が出るかもしれないが、シリーキャットは死んだも同然のグループだ。あーしのキャラクターさえ保てれば、グループの評価がどれだけ落ちようが関係ない。
そのハズだったのに。
「パ、パティ。大丈夫……?」
「うるせェ!」
大丈夫なワケあるか。気休めにもならない声を掛けてきた深縹を怒鳴りつける。
最初の誤算は、こいつのせいだった。親の金でぬくぬく大学に通いながら暇つぶしにアイドルを始めた、社会を舐め腐ったガキ。教育がてら、マクラで飼い慣らしていたキモ客の一人をぶつけて遊んでいたが、ステージ上でみっともなくビビり散らかしたうえ、桑染が調子づくキッカケを作りやがった。昔の能天気さも取り戻したようで、あーしのいないところではヘラヘラ笑っていると思うと、血管がブチキレそうになる。
だが、何よりも許せないのは。
「夏虫テメェ、よくも恥かかせてくれたなァ!」
「……はあ。なにがそんなに気に入らないの?」
「テメーわかってんのか!? 桑染の知名度を使えば、もっとあーしらの顔を広められたんだぞ!?」
「もう充分広めてもらったじゃない」
「足りねーよ! だいたい、あいつは引退すんだろ!? だったら最後に炎上させて、もう一発バズらせるべきだろうが!」
桑染が予想外に有名になったのは仕方ない。だから次は、アイツの知名度を利用する方法を探した。
当然、アイツが幸せになる方法なんてありえない。あーしより目立った罰として、ヤツの弱味を探り、存分に利用してやる。
でも、根暗インキャの桑染は情報がほとんどない。目撃情報以外に碌なウワサがなくて焦っていたとき、運のいいことに、桑染は自分から特大のウィークポイントを漏らしてきた。
ホウスケとかいうガキの存在だ。信じ難いことだが、桑染は中学生のソイツに本気で恋愛しているらしい。知名度を捨ててまで一緒になりたいとかほざくのだから、相当な入れ込みっぷりだ。
こいつを利用しない手はない。
他人の功績を称えるよりも、引き摺り下ろすことで快感を覚える人間の方が圧倒的に多い。現役アイドルがガキを性的に見てるなんてスキャンダル、速攻で話題になる。あーしはメンバーの不祥事に心を痛めながら、涙ながらに地上波デビューを果たせるって算段だ。
それを全部、夏虫が台無しにした。
ホウスケとかいうガキがステージに上がるよう手引きしたのは、このクソ虫だ。あーしに何の相談せず、シリーキャットが全面協力したなんてホラまで吹きやがった。
しかもあのガキ、あんな気色悪い武器まで持っていた。個人なら好きなだけこき下ろせるが、メディアはコンプラにビビって手が出せない。ステージの主役は桑染とガキに奪われ、あーしはただのモブ扱いだ。
「やっぱり今回の件、パティが裏で動いてたのね」
「当たり前だろ! テメーらが日和ってっから、わざわざあーしが」
「私は!!」
夏虫が机を叩いて遮った。殺す気で睨むが、夏虫は生意気にも睨み返してくる。
「子供の頃からアイドルに憧れて、高一で事務所に入った。最初のグループは半年で解散、それからも結成しては解散の繰り返し。来里栖と組めたのは三年前。でもやっぱり売れなくて、そんな時、事務所からパティを紹介されて。考え方は全然合わなかったけど、注目されることには誰よりも真剣だったから、私たちも何とかついていこうって思ってた。……でも、そのために友達を犠牲にするのは、絶対に違う」
話にならねえ。ババアのくせにいつまで夢見てやがる。
芸能界は限られた席の奪い合いだ。客と上役からの人気がすべてだ。グループメンバーは自分がのし上がるための道具で、邪魔するヤツはとっとと蹴落とすべきなんだ。
そんな基本も分からないバカには、わざわざ現実を教えてやらないといけないらしい。
「あーしのやり方に口出すっつうなら、おまえ要らないわ。辞めてくれる?」
お花畑の夏虫に、センターに立つ才能はない。メンバーを切り捨てる覚悟も体を売る根性もないザコだ。それでも十年近く、この業界にしがみついてきた。熱量だけは本物だ。
でも残念。おまえがアイドルを続けるには、あーしに頭を下げるしかない。上層部とパイプを持っているのはあーしだけだ。調子に乗って息巻こうが、あーしが一言声を掛けるだけで、コイツの十年は全部無駄になる。
偉そうに盾突きやがって。テメーは黙って地面に這いつくばってりゃいいんだよ。
「いいわよ。最初からそのつもりだったし」
「……ハ?」
「だから、私も辞める。もう事務所にも伝えてる」
「ハァ!?」
「限界なのは分かってたから。メアリのおかげで最後にお客さんも集められたし、私はもう満足したよ。パティは裏工作に夢中で、私の気持ちには気づいてなかったみたいだけど」
クソ。クソクソクソ。何一つ思うようにいかない。どいつもこいつも好き勝手しやがって。どうしていつも、あーしばっかりこんな目に。
けど、もういい。手元にいればそれなりに使える奴だったが、発言を撤回してまで引き止める価値はない。むしろ夏虫がいなくなれば、深縹を好きに使える。あいつにもマクラを斡旋して事務所に恩を売り、シリーキャットはさっさと解散、次のグループを用意させて再出発すればいい。
「言っておくけど、来里栖も辞めるわよ」
思い切り机を蹴り飛ばす。上にあった小物が盛大に放り出され、夏虫の頭にペットボトルの水がかかるが、クソ虫はあーしから目を逸らさない。
「パティ。前のグループも、その前だって同じように潰してきたんでしょ。そんなやり方、今どき通用しないよ」
「それ以上喋ったら殺すぞ」
「パティももう二十三だよ。いつまでそんな」
「喋んなっつっただろうが!!」
手近な物を投げつける。プラの灰皿だ。吸殻を散らかしながら一直線に飛ぶ。しかし、夏虫の顔面に当たる寸前で深縹が庇った。背中を灰で汚しながらも、あーしを睨みつけてくる。
「ア゛~!!」
力任せに頭を掻き毟る。頭皮が削れて爪の間に詰まる感触。体の内側から鳥肌が立つみたいな不快感が一向に消えない。
能無しのゴミ共が。あーしのオコボレを貰うだけの寄生虫が。どうして誰も、あーしの努力を認めないんだ。
「出てけ! 出てけよ! テメーら全員、あーしの前から消えろ!!」
「……わかった。でも、元メンバーとして、応援はしてるから」
最後の最後に善人ぶって、裏切り者のクズ共はようやく出ていった。息切れの音だけが、荒れ放題の楽屋にこだまする。
「クソがァッ!!」
怒りは収まらない。机をもう一度蹴り飛ばし、カバンからタバコを取り出して火をつけようとする。
「おー……また随分荒れてるね」
クソみたいなタイミングで能無しが入ってきた。恋昏崎新聞の唐茶が、みっともない無精髭を撫でながらヘラヘラ笑いかけてくる。
「テメー、使えねーくせに空気も読めねーのかよ」
「いや、オレもあんなことになるとは思わなくてさ。ハハ、まいっちゃうね」
他人事みたいに言いやがって。こいつがしっかり桑染を詰めてれば、夏虫の浅知恵なんざ蹴散らせたのに。今度こそ咥えたタバコに火をつけて、値段を気にせず一息で吸い込む。
「ま、パティちゃんに言われたとおりの仕事はしたよ。だからさ、約束どおりあれ、消してくれないかな」
「ハァ?」
「いやいや、頼むよー! オレだって危ない橋わたったんだからさ!」
うるせえ。わざわざ屈んでカバンからスマホを取り出し、あーしとこいつがヤッたときの動画を見せつけてやる。
「オマエに拒否権あると思ってんの?」
顔も日付も、薬指の指輪までバッチリ映った完璧な脅し道具。妻子の住所も抑えてあるし、こいつはあーしの言いなりになるしかない。唐茶はニヤケ面のまま固まり、肩を窄めて小さくなる。
「……今回の取材でオレも目ぇつけられたからさ。しばらくは無茶できないよ」
絞り出すような声で抗議してきたが、あーしには関係ない。クズの家庭が崩壊しようと知ったことか。骨の髄まで利用しつくしてやる。
とはいえ、今のところは新しい計画も思いつかない。桑染、夏虫、深縹の全員が芸能界から離れた。あーしをコケにした罪を許すつもりは微塵もないが、一般人には一般人の武器がある。あーしが成功したあとに告発されたら面倒だ。マジでイラつくが、復讐は後回しにするしかない。
問題は他にもある。メジャーデビューには程遠いが、桑染のビジュアル効果でシリーキャットの名前だけはそれなりに広まった。桑染の脱退と同時にグループ解散、他のメンバーも引退するのにあーしだけアイドルを続けるとなれば、詮索する暇人もいるだろう。実際、前のグループが潰れたときに、お前のせいだとかイチャモンつけてくるキモオタがいた。時間はムダにできないが、すぐの再出発にもリスクがある。
それならいっそ、手駒を揃え直す時間だと割り切ることにするか。お得意様に被害者アピールしながら、深縹みたいな自我のない道具を選定する。ほとぼりが冷めるまでの時間稼ぎにもなるし、時間がかかることを除けばそれなりに良い作戦だ。
方針は決まった。楽屋の片付けは唐茶に任せて、一度家に戻ろうと立ち上がったとき。
「パトリシアちゃん」
また使えないヤツが入ってきた。
真赭大天使。元はボサボサメガネの典型的なドルオタだったが、体がデカイから荒事担当に採用してやった。一回寝ただけでいいなりになるコスパのいいヤツで、正義漢ぶったファンの排除や、調子に乗ってるメンバーの嫌がらせに使える便利な嫌われ者だ。
でも、桑染に負けた。自慢の力勝負で、真っ向から負けやがった。
そうなればこいつには、ブサイクで茶髪のフリーター金無しデブという事実以外に残る物はない。最近は彼氏ヅラもウザくなってきたし、まずはコイツから切り捨ててしまおう。
「あの、外ですごい音聞こえたけど大丈夫?」
「別に気にしないでいいよ。それより、ちょっと話したいことあんだけど、時間ある?」
「う、うん」
「ありがと。シリーキャットのことなんだけどさ、解散することになっちゃった」
「えっ!?」
「つーわけで、しばらくアイドルから離れることになったから。そんで、活動してないのにファンと会ってんのバレるのもヤバいっしょ? だからもう連絡してこないでね」
「ちょ、ちょっと待ってよ。全然分かんないって。わ、別れたいってこと?」
オマエなんかと付き合うわけねーだろ。
そう素直に伝えたところで、食い下がるに違いない。なにせ、あーしが深縹にイジメられているというテキトーな嘘を本気で信じ、何ヶ月も嫌がらせを続けられる性格の持ち主だ。自分の世界の辻褄が合うまでは、いつまでも粘着してくるに決まってる。
そういう王子様気取りのブスには、別の男をぶつけるのが一番だ。隅で小さくなっている唐茶に、このブタをとっとと追い出せと視線で指示を飛ばす。
「……はあ。あー、キミ? 部外者は立ち入り禁止だから。今すぐ出てってくれ」
「アンタ誰だよ」
「マネージャーみたいなもんかな。つっても、もうグループなくなっちゃったけど。ま、お互い運がなかったってことで、次に向けて──」
唐茶が吹っ飛んだ。
床に散乱した荷物を散らしながら壁まで飛んでいき、背中を打ちつけて動かなくなる。
「そ、そんなんで納得できるわけないだろ」
「ちょっと落ち着きなよ。近いんだけど」
「動画のせいでバイトクビになったんだぞ! 全部、パトリシアちゃんのためにやってきたのに!」
「ハァ? テメーが勝手にやったことだろうが。人のせいにすんのやめてくれる?」
「か、勝手って、全部パトリシアちゃんの指示だろ!!」
「いつあーしがライブ中に乱闘起こして無様に負けろっつたよ。マジでアタマ悪りぃなぁ……おいスタッフ! 楽屋に部外者入ってきてんだけど!」
ライブハウスのスタッフ連中は何やってる。こんなキモいブタを楽屋に通しやがって。唐茶は一発でのされてるし、マジで無能しかいねえ。これ以上ここにいたらストレスで死にそうだし、後始末はゴミ共に押し付けて、とっとと帰ろうとカバンを拾って立ち上がる。
「ふざけんなよ……!」
ハンマーが直撃したような衝撃。
一瞬視界が白く飛ぶ。体の右側が冷たくなって、床に倒れてるのに気づく。グラグラ揺れる意識の中で、爆発みたいな痛みが頬の内側で響いている。
「……ハ?」
顔を殴られた。こんなブタに、アイドルのあーしが。
状況を理解する間もなく、顔面にブタの拳が落ちる。頭蓋骨が床と拳に挟まれて、頬から砕ける音がする。殴れた箇所は信じられないくらい熱いのに、体はどんどん冷えていく。首から下が切り離されたみたいに感覚が薄れていく。
「返せよ、オレの人生! 返せ!!」
三度目の拳が振り落とされたとき、あーしの意識は完全に途絶えた。




