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ペトリコールと怪女達  作者: カシノ
La seríe

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083

 シリーキャットは、結成二年目を迎えようとしている地方のアイドルグループである。

 メンバーは三人。

 淡い緑色の緩くウェーブがかかった髪に垂れ目がチャームポイントの夏虫(なつむし)杏奈(あんな)。ゆるふわでおっとり系の見た目だが性格はすっきりしていて、グループの頼れるお姉さん役。

 深縹(こきはなだ)来里栖(くりす)は夏虫さんとは反対で、青のメッシュが入ってロングヘアにパンクっぽい服装と気合いの入った格好をしているが、中身は懐っこい猫みたいな女の子である。現役大学生らしく喋り方にも元気があって、ギャップが可愛いと評判だ。

 そして、リーダーの桃花(ももはな)パトリシア。

 ハーフらしく目鼻立ちのくっきりした顔立ちは、ステージ上でよく映える。ファンサービスにも積極的で、Fカップの体から繰り出されるボディタッチは男たちを魅了する。露骨なアピールを快く思わない人もいるだろうが、客の八割は桃花目当てだ。彼女がいなければグループは成り立たない。

 そんな、どこにでもいる売れないアイドルグループ。それがシリーキャット。

 昨今のアイドル事情は厳しい。情報発信が手軽になったことで可愛い女の子の存在は飽和状態となり、見た目が良いだけではあっという間に埋もれてしまう。不祥事続きの芸能界のせいでアイドルという職業自体が信用を失い、栄光の時代は完全に失われた。大手事務所であっても遺産で細々と食い繋いでいるのが現状である。

 一介の田舎アイドルであるシリーキャットの状況は更に苦しく、一応は芸能事務所に所属しているものの活動はすべてセルフプロデュースで、給料は歩合制。アイドルらしい仕事といえば、誰が見ているかも分からない地元企業のCM出演が一つだけだ。大人しく週五でアルバイトをしていた方がよっぽど稼げる。現実を知るには二年という歳月は長すぎるほどで、誰が解散を切り出すのか互いにタイミングを見計らう日々が続いていた。

 そこに突如として到来したのが、桑染メアリ(わたし)という超新星だ。

 身長193センチ。体重95キロ。胸囲は余裕の120センチ越え。アスリートを飛び越えてプロレスラーに比肩する体躯に加え、フランス由来の美しいブロンドに、芸術品のように整った相貌。

 そんな誰もが目を奪われる圧倒的な美を体現する女が、厄介な男性客を力づくで捩じ伏せた。その一部始終を撮影した動画が娯楽に飢えた現代社会に放流された結果は、容易に想像できるだろう。


 跳ねた。信じられないくらい。


 一分ほどの短い動画は、三日で100万再生を叩き出した。デカ女界の至宝としてコメント欄は騒然となり、彼女の名前を教えろと海外にまで波及した。シリーキャットはたった数日にして、アイドル界の大注目株に躍り出たのだ。

 当然わたしは望んでいない。そもそもステージに立ったのだって、桃花の強引な誘いを断り切れず、なし崩し的にそうなってしまっただけだ。わたしはアイドルになったつもりはないし、これからなるつもりもない。

 しかし、周りはわたしの気持ちなど梅雨知らず、アイドルになる道筋は着々と整えられている。

 ライブの回数は月一回から週一回に増え、すでに三度ステージに立たされた。ダンスレッスンの場所は公営のコミュニティセンターからダンススタジオに変わり、レッスン風景はこまめにアップロードされる。それらの動画にも評価がつくと、幻と思われていた事務所のプロデューサーが接触をとってきた。

 すべて、ひと月に満たない期間で起こった変化である。状況は今この瞬間も悪い方向に進んでいて、このままでは取り返しのつかないところまで行ってしまう。

 追い詰められたわたしは、最後の切り札を頼ることにした。


「それでワタシを頼った、と」

「麗美お願い! なんとかして!」

「そんな期待されてもさ。ワタシ、普通の大学生だよ?」

「で、でも、他に頼れる人なんていないもん。お願い麗美! なんでもするから!」

「うーん……」


 くたくたになった座布団に座る麗美に、両手を合わせて拝み倒す。めちゃくちゃなお願いをしているのは自分でも分かっている。けど、麗美以外に頼れる人なんていない。

 麗美は眉間を揉みながらうんうん悩み続け、短い溜め息を吐き出すと、疲れた目でわたしに向き直る。


「何個か質問するね。まず、メアリが所属してるアイドルグループだけど、活動するにあたって契約書にサインしたり、雇用条件の説明は受けた?」

「ううん。なんにもない」

「それじゃ、報酬の支払いは?」

「ライブ終わりに桃花から現金手渡し」

「なるほどね。さっき事務所のプロデューサーが接触してきたって言ってたけど、具体的にどんな話された?」

「呼ばれたのはわたしだけど、桃花が代わりに話すって行ってからそれきり。そのあとどうなったのかは知らない」

「それじゃあ、新しく契約結ばされたりだとか、お金の支払い方が変わったりもしてない?」

「うん。なんにも」


 麗美は再び眉間を抑えるが、さっきよりも表情は和らいで見える。スマホで調べ物をしたあと、納得したように頷く。


「……うん。簡単に辞めれると思う」

「えっ、ほんと?」

「契約内容の提示はされてないし、報酬も手払いなんでしょ? メアリの立場を例えるなら、友達の引っ越しを手伝って、お礼にお金を貰ったって感じかな。必要な手続きを踏んでないのはあっちの方だから、メアリが一方的に辞めるって言っても、強くは出てこれないと思うよ」


 友達は包介くんと麗美しかいないので、例えはいまいちピンとこないが、法的には問題なさそうだ。あとはわたしがきっぱりと脱退を宣言すれば、一連の面倒から解放される。

 わたしが、自分の口で宣言できれば。


「……麗美ぃ」

「はいはい。一緒についてきて欲しいんでしょ?」

「いいの!?」

「そんなしょぼくれた顔されたらほっとけないよ」

「ありがとう! 今度おすすめの同人誌教えてあげるね!」

「……ウン」


 性癖まで共有できるとなれば、これほど心強い味方は他にいない。顔を赤くして縮こまる麗美に、わたしは心の底から感謝した。




 ◇◆◇




 榛摺(はりずり)麗美(れいみ)はいい女だ。

 二十歳になったばかりの現役大学生だが、わたしなんかよりずっと社会を経験している。モデルみたいに綺麗な顔とスタイルに加えて、コミュニケーション能力も凄まじく、わたしのような奴とも膝を突き合わせて話してくれる。

 おっぱいがちょっと貧相なところに目を瞑れば、同性のわたしも憧れる理想の女性だ。そんな麗美が手助けしてくれたなら、アイドルグループ脱退という変化球の事案にもスムーズに対応できるだろう。

 そう考えていた時期が、わたしにもあった。


「だからぁ、メーちゃんはうちに絶対必要なの! 脱退なんてさせない!」

「必要かどうかじゃなくて、メアリ自身に続ける気がないっていってるの。ちょっとはこの子の気持ちも考えなよ」

「ライブの映像見たでしょ!? このパワフルでキレッキレのダンス! メーちゃんはステージに立たなきゃいけない人なんだよ!」

「歌は全然声出てないでしょ。トークタイムはずっとモジモジしてるだけだし」

「それが逆に人気なんだって! 部外者なんだから黙ってて!」

「何度も言うけど、ワタシはメアリにお願いされてここに来てるの。大体、いい加減な内容でメアリを拘束してるのはそっちでしょ? 上からどうこう言える立場じゃないんじゃない?」

「あ゛ー……うっざいなあもう!」


 話し合いは荒れに荒れていた。

 はづき亭。過去に、麗美と赤錆と一緒に、ひょんなことから包介くんと烏羽のデートを監視することになり、騒ぎすぎて出禁にされかけたいわくつきの喫茶店。その店の隅の席で、わたしと麗美はシリーキャットの三人と正面から対峙している。

 といっても、明確に反対しているのは深縹さんだけだ。わたしの脱退宣言について、夏虫さんは苦い顔をしながらも了承し、桃花に至っては天井を見上げるだけで何を考えているか分からない。


「……あの、もう少し静かにしていただけると」


 いつかの時と同じように店員さんが注意しに来たが、麗美と深縹さんは聞いていない。麗美もどうして話し合いの場にはづき亭を選んだんだろう。店員さんと友達になったから大丈夫なんて言っていたが、彼女の悲しそうな表情を見ていると、対等な関係とは思えない。

 威嚇し合う二人の間でしゅんとする店員さんを見兼ねて、静観していた夏虫さんが重い腰を上げた。


「はぁ……来里栖はちょっと落ち着きなさい」

「でも!」

「私だってメアリに抜けて欲しくないわよ。泣かず飛ばすで続けてきて、初めて売れるチャンスだもの。でもね、嫌がってるのを無理やり続けさせても絶対長続きしないし、メアリも辛い思いをするだけよ。メンバーとして、メアリの気持ちを受け入れてあげよう?」

「ぶー……」


 深縹さんは素直な子だ。おそらく頭の中では、脱退を認めるしかないと理解している。しかし、わたしが厄介ファンを撃退した時の光景が記憶に残っているのか、彼女はやたらと懐いてくれた。縋るようにわたしを見つめる目は涙で潤んでいて、決意が揺らぎそうになる。

 そんな内心が見透かされたのか、麗美が脇腹をつねってきた。ダンスレッスンで鍛えた体に摘める肉はなく、こそばゆさに笑いそうになるが、冷めた視線で見咎められる。わたしがいそいそと居住いを正すと、麗美は小さく息を吐いてから夏虫さんに向き直る。


「それじゃあ、いい加減結論をつけようか。メアリは今日付けでシリーキャットを脱退する。事務所からも一切接触させないこと。いい?」

「……ごめんなさい。結論を出す前に、メアリに直接確認したいことがある」


 夏虫さんは麗美から視線を切って、体ごとこちらに向く。垂れ気味の眦から覗く瞳が真っ直ぐにわたしを射抜き、ピンと背筋に力が入る。


「メアリが辞めたがってるのは分かった。直接言うのが怖くて、友達を連れて来たのも仕方ないと思う。でも、どうしてもメアリの口から聞きたい。メアリが来てくれたおかげで、私たちは初めて注目を浴びてる。メアリが続けてくれたら、もっともっと伸びると思うし、私たちももっともっと頑張って、メアリ一人に頼らないようにする。それでもメアリは、本当にシリーキャットを辞めたい?」


 夏虫さんとの付き合いは短い。しかし、最年長の彼女がこのチャンスに賭ける想いは、少しは理解しているつもりだ。

 だからこそ、わたしも真摯に答えるべきだろう。それが、周りから冗談と思われてしまいそうなことだったとしても、わたしの本心を伝えるべきだ。


「好きな人がいるんです」

「……はい?」

「隣に住んでる中学一年生の男の子で、わたしが高校生のときからずっと好きなんです。だから、アイドルにはなれません」

「……ちょっと待ってね。どういうこと?」


 真面目なトーンでもほんわかした雰囲気を崩さない夏虫さんの表情が困惑に染まった。テーブルに突っ伏していた深縹さんも頭を持ち上げ、未知の生き物を見る目を向けてくる。

 けど、止まるつもりはない。わたしの口を抑えようと身を乗り出す麗美の肩を掴み強引に座り直させ、夏虫さんを見つめ返す。


「わたしは包介くんが、あっ、好きな子の名前が包介っていうんだけど、わたしは包介くんだけの女の子でいたいんです。だからその、アイドルになることに全然興味ないし、他の人のせいで包介くんとの時間を奪われたくもなくて、だから、アイドルを続ける気はありません」

「……情報が多くて追いつけないんだけど、メアリは中学生に恋してるの?」

「うん」

「ああ、そうなんだ。……ごめん、榛摺さんにも確認したいんだけど、メアリの言ってることってマジなの?」

「……ハイ。マジです」

「ああそう、マジなんだ。へー……」


 アイドルに恋愛は御法度であることは、疎いわたしでも知っていた。色々調べたところ、彼氏持ちを公言している尖ったグループもあるらしいが、かなり特殊な事例だ。芸能活動をするうえで、特別な異性の存在はどうしたって枷になる。情報流出が身近な社会では隠し通すのも不可能だ。

 わたしは、包介くんへの想いを否定したくない。胸を張って彼が好きだと公言したい。だからわたしは、包介くんとの間に壁ができるような仕事に就くつもりはない。

 そういうロジックに基づいた意思をはっきり表明したわけだが、何故だか空気は悪くなる一方である。麗美は眉間を抑えて唸り、夏虫さんは口の端をひくつかせている。

 嫌な静寂が流れる中、深縹さんが手を挙げた。


「それ犯罪じゃない?」

「え」

「だってさ、歳の差ヤバくない? 十歳くらいあるでしょ」

「いや、十歳差の夫婦とか普通だもん。それにわたし、去年まで大学生だったし」

「大人同士ならあり得るかもしれないけどさぁ。大学生と中学生でも相当ヤバいでしょ。高校のとき中学生と付き合ってる男いたけど、普通にキモかったよ」

「グッ」


 隣に座る麗美と、どうしてかカフェの店員さんもダメージを負った。

 法律で禁止されているのは未成年との淫行だ。プラトニックなお付き合いなら犯罪にはあたらない。やましい気持ちがなければ、必要以上に縮こまる必要はない。

 しかし、世間の印象がよくないのは確かである。深縹さんの意見を反芻し、徐々に自分の発言は失敗だったと思えて来たが、取り消すタイミングは見つからず、またしても気まずい静寂に包まれる。

 こちこちと鳴る古時計の秒針。店内に漂う控えめなクラシック。窓から差し込む目が眩みそうなほどの陽の光。誰もが互いの顔色を窺い、動き出せないでいるところに、沈黙を保ち続けていた女がとうとう口を開いた。


「あーしは最初からどっちでもいいんだけど」


 そう前置きして、桃花が顔を上げる。くっきり二重の大きな目には、退屈の感情がはっきり表れている。四人分の視線を集めた桃花は隠す素振りもなしに大欠伸を吐き、付け爪を避けながら器用に涙を拭う。


「辞めるんなら、ファンには自分の口で説明して。オマエの人気に嫉妬してイジメがあったとか思われたらめんどいし」


 かつてわたしを虐めた女が罪を否定するような口振りは癪に障るが、言っていること自体はおかしくない。

 活動期間はたったの一ヶ月、お客さんの顔も名前も覚えていないし、物珍しさで足を運んだ人が大半だろうが、わたしに興味をもってくれたのは確かだ。引退という大きな話は、自分の口から説明するのが筋だという考えには共感できる。

 頷いて答えると、桃花は机を蹴飛ばすように立ち上がった。


「じゃ、次のライブのトークタイムに卒業発表するってことで。日付決まったら連絡すっから」


 甲高い足音を鳴らしながら桃花の背中が遠ざかる。夏虫さんと深縹さんも桃花を追ってそそくさと退店し、席にはわたしと麗美だけが残る。


「……あ。あいつらお金払ってない」


 貧乏アイドルの懐事情は誰であろうと同じらしい。

 わたしは無言で麗美に頭を下げた。

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