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仕事は嫌いじゃない。
生きがいとかでは絶対ないし、働かないで暮らせるならそれに越したことはないけど、時間をかけてこなした作業が成果として現れるのはそれなりに嬉しいものだ。
毎朝出社して人付き合いにまで気を配らなければならなかったら、そんな風に考えられる余裕は絶対になかったが、幸いわたしはリモートワーク前提の自分に合った仕事を見つけられた。世間から見たら年中引きこもっている得体の知れない奴であるし、給料も学歴の割に低い方だろうけど、生きていくだけなら問題はない。
何よりわたしには、包介くんがいる。
彼が傍にいれば、多少の億劫さや節約なんてあってないようなものだ。日々のストレスを包介くんに癒してもらいながら、いつまでも幸せに暮らしていける。
そう信じていたのに。
会社からのメール。
いつになく長文なそれは、昨今の情勢だとか会社の経営状況だとか、見慣れない単語がずらりと並んでいる。一見では何を伝えたいかまるで分からず、時間をかけて上から順に読み解いていくと、
「……契約解除?」
散々お茶を濁したうえで書かれていたのは、わたしの終わりを告げる言葉だった。
◇◆◇
自慢じゃないが、わたしの学歴は地方にしては上々だ。包介くんと離れるのは論外なので、引っ越さずに済むという条件はあるものの、歳も若いし、就職には困らないはず。
しかし、採用の過程で当たり前に設けられる面接試験というやつが、あまりにも鬼門であった。
目が見れない。声を出ない。おまけに見た目が外国人。
書類選考も筆記試験も難なく通るのに、面接試験で落とされる。わたしを見た時の面接官達の驚いた顔と、徐々に曇っていく表情、終わり際の苦笑いが一向に忘れられない。この一ヶ月に受験した二社ともに同じ反応をされてしまい、わたしの自尊心はぽっきりと折れてしまった。
けれど、こうしている間にも貯金はどんどん減っていく。存在しているだけで金が消える世の中だ。失敗に怯えていては、包介くんの隣から追い出されてしまう。
もう高望みなんてしない。
どぶさらいでも何でもやって、とにかく社会に適合しなくては。
「はあ……あのねえ、アナタまともに話すこともできないの? 日本語教室が先じゃない?」
そう意気込んで立ち入ったハローワーク。窓口のおばさんには、生ごみに集る銀蝿を見る目で追い返された。
「人手は足りないけど、ねえ。まったく話せないっていうのはちょっと」
会話をしなくて済みそうなアルバイトも全滅だ。精神科の受診を勧めてくるところもあった。
今もちょうどドラッグストアの品出しの面接を受けてきたところだが、どうせ駄目だろう。溜め息を吐かれた回数は両の指でも足らない。
地下鉄構内のベンチに座り、慌ただしく行き交う人の群れをぼんやりと眺める。無駄遣いはできないと理解しつつもこのままでは涙が出そうで、つい買ってしまった缶コーヒーを握りしめると、スチール製の缶は簡単にひしゃげてしまった。ぱきんと鳴った高い音に釣られてこちらを見た通行人は死んだ目をしたデカブツを見て、足早に去っていく。怯えを誤魔化すように視線を逸らす仕草は二つ前の面接官の反応によく似ていて、いよいよわたしは社会にいらない存在なのだと思い知らされる。
でも、これが本来のわたしなのかもしれない。
意思疎通のできない、図体ばかりの木偶の坊。虐められていたあの頃から、わたしは何も変わっていない。包介くんが傍にいることで、ぎりぎり人間と認められていただけだ。彼から少し離れるだけで、制御不能の怪物に成り下がる。包介くんがいないと、わたしは──
「……ふふっ」
わたしはこんな時でも、包介くんに助けてもらおうとしているのか。
彼が受けた傷と痛み、それを乗り越えた決意を知ってなお、わたしはあの小さな背中を頼ろうとしているのか。
「ふっ、ふふっ」
情けない。情けなすぎて嗤えてくる。
こんなわたしが、彼に相応しいはずがない。生まれてすぐに人生を奪われ、記憶すら失くしたにも関わらず、覚悟を持って生きている包介くんの恋人なんて、なれるはずがない。
こんな自分、消えてしまえばいい。
手の中にあった空き缶はいつの間にか潰れていた。丸まった鉄屑は誰かに足蹴にされるくらいしか使い道はないだろう。そのくせ妙に明るい色合いは、膝を抱えて縮こまる小さい頃のわたしを連想させて、酷く醜い塊に映る。
「あれ」
いらない自分ごとすり潰してしまおうと拳に力を込めたところで、目の前に影が落ちた。いよいよ通報されたかと思い、重たい頭を持ち上げる。
だが、わたしの前にいるのは駅員でも、警察でもない。
「あーしんこと覚えてない?」
アニメみたいなピンクの頭。下を履いているか分からない、緩くてぶかぶかのセーター。くっきり二重で肌は浅黒く、純粋な日本人という感じはしない。東南アジアにいそうな顔立ち。
女は無遠慮にわたしを見回し、大きめの口をにっと吊り上げる。
「桃花パトリシア。小学校で同じクラスだったでしょ?」
わたしを虐めていた女が、そこにいた。
◆◇◆
どうしてわたしはこんなところにいるのか。チェーン喫茶の奥側の席で、向かいに座る女を睨む。
桃花パトリシア。小学生の頃、わたしを虐めていたグループのボス。
家庭の都合とやらで転校して以降、こいつがわたしの人生に関わることはなかったが、恨みを忘れたわけではない。一緒に店に入り対面で座るなんてのは、万が一にもあり得なかったはずだ。
「めっちゃ久しぶりじゃん。てか、なんかデカくね? 鍛えてんの?」
「……べつに」
「へー。やば」
用がないなら呼ぶな。
喉まで出かかった言葉を、口角を引き締めて押し留める。これに関しては、のこのこついてきてしまったわたしが悪い。こんなクズでも現状を変える一手に繋がるんじゃないかと、勝手に期待してしまった。嫌なことばかりが続いて、まともな判断もできなくなったみたいだ。
「つーか、なんか頼みなよ。あーしだけ飲んでんの変じゃん」
これ以上付き合う必要はないと判断して腰を浮かし掛けたところで、桃花が目を合わせてくる。やけに黒目が大きくて、昆虫のような不気味さがある。
「……桑染ってさぁ、もしかして仕事してないん?」
ぎくりと体が強張る。表情に出るのは堪えたものの、わたしの体はいちいち大きい。一瞬の動揺でも白状したのと同然だ。
桃花はじっくりわたしを観察し、訳知り顔で頷くと、つまらなそうに息を吐く。
「別にバカにしたりしないよ。あーしもバイトとか、そんな感じ」
嘘は言ってない、と思う。
面接を落とされ続ける中で、他人の顔色は分かるようになった。こいつを信用するつもりは毛ほどもないが、現実に辟易しているのは本心のようだ。
浮かし掛けた腰を下ろすと、桃花は再び目を合わせてくる。
「あーしが転校した理由知ってる? 親の離婚。パパは大分歳くってたし、ママの方についてくことにしたんだ。まあ、ママ外国人だからめっちゃ自由で、パパについてけばよかったなーってこと、いっぱいあったけど」
勝手に始めた身の上話に興味はない。しかし、母親が外国人、という一点だけは耳に残った。桃花はわたしの反応を目敏く捉える。
「あ、知らんかった? あーしもハーフ。フィリピンとのだから、それっぽくないけどね。あんたが気になったんも、あーしと違って外国人っぽかったからだっけ」
金髪碧眼のわたしは、日本人の想像する外国人のテンプレートなのかもしれない。けど、気になったからなんてふざけた理由で散々わたしを虐めたこいつを、許せるはずがない。
他人事のように言い放つ桃花を強く睨みつける。筋肉がぎちぎちと盛り上がり、噛み締めた奥歯が擦れる音がする。
だが、憤るわたしを前にしても、桃花の態度は変わらない。無感情な目でわたしをじいっと観察し、ふっと短く息を吐くと、爪を擦り合わせながら睫毛を伏せる。
「許してとか言わんよ。てか、あーしも新しい学校でいじめられたし。結局さ、目立つヤツはどっちかになるんだよ。いじめるか、いじめられるか。だったら自分で生き方決めるしかないっしょ」
知った風な口をきくな。そもそもお前が絡んでこなければ、わたしは平穏に過ごせたんだ。見た目が気になった、なんて理由も嫉妬以外の何物でもない。こいつは自分が一番評価されてなきゃ気に入らないだけのクソ山の大将だ。
桃花の持論はまったく共感できず、反論は湯水のように湧き上がる。しかし、さっきの暴力的な衝動はすっかり落ち着いてしまった。
新しい学校で虐められた、という経験に同情したわけではない。理不尽の象徴と思っていたこいつの経歴を知り、変に輪郭がはっきりしたことで、通り魔的なサイコパスから、どこにでもいるクズ人間に格下げされたからだ。拳を痛めてまで殴り飛ばす価値を感じられず、もやもやした感情だけが残る。
「ま、そんなことどうでもいいや。無職の桑染チャンに提案なんだけどさ」
満を持して、という風に口調を変えてきたが、こいつが提案してくるものなんて大方見当がつく。闇バイトか風俗か、マルチ商法の勧誘か。上手く言葉を繕って、厄介事に巻き込んでくるに違いない。断る以外の選択肢は存在せず、椅子に手をつき立ち上がる準備をする。
だが、桃花が持ち掛けてきたのは、まったく予想外の提案だった。
「あーしと一緒に、アイドルやらない?」




