第四章ーヒトリノー決意
ここまで過去編です。マレーナ視点はこれでいったん終わりです。
ダールは女王の薨去を王宮中に触れ回った。
女王の突然の訃報に人々は驚いて目を覚まし、着替えもしないまま右往左往して同僚を起こして悲しい報告を伝え合い、偉大な女王の死に涙した。
女たちのむせび泣く声があちこちから聞こえた。
嗚咽を蹴散らすように荒々しい足音と息遣い、声が飛び交った。
「いたか?」
「こっちにはいないぞ!どうなってるんだ?」
男達は松明を片手に鎧と帯刀する剣をぶつけながら王宮を闊歩し、獲物を見つけようと躍起になっていた。
「武族がいないだと?そんなはずはないっ!アイツ等はアルベルティーヌの護衛だったんだぞ!?いないわけないだろう!!」
「ですが、姿が見当たりません」
近衛騎士団の団長は冷静に言った。その様子にいきり立っていたダールも平静になった。
「……分かった。お前は下れ。騎士団は現状維持で待機だ」
威厳を持って命じた後、後ろを振り返ったダールの顔は情けなく歪んでいた。
「どうする……兄上。取り逃がしてしまった。巣穴に逃げ込まれたらいけなかったのに……!追撃する手段が、ない……!」
「落ち着け。穴蔵を決め込むということだろう。なら――手立てはあるさ」
アヒメレクは凄絶に笑った。ダールの背筋に寒気が走った。
どこまでも冷静で冷徹なアヒメレクをダールは頼もしく思っていたが同時に恐れてもいた。
「いいか?我々は取り逃がしたのではない。奴らは敗走したのだ。呪われた、不毛な土地へ。――そこで永劫暮らすことが奴等への罰なのだと布告すればいい」
「けど、それは――」
それは違うとダールは続けようと思った。馬鹿正直な弟をアヒメレクはせせら笑った。
「歴史を塗り替えればいい。どうということはないだろう?我々がそう言えば誰も異は唱えられない。臣下も民も従うさ。利もないのに武族に肩入れしようなんて考える者はいないだろう?誰も武族と同じ道は辿りたくないだろうよ。都から砂漠に永久追放されるなんて、な」
ダールの背中を氷が筋を描いて滑り落ちていく。
寒くて、仕方がなかった。
この兄に逆らえば自分に明日はないのだと思うと恐ろしかった。
「騎士団に敗走する武族を砂漠まで追い出させろ。篝火を焚いて派手に、な」
もう既に相手は自分の巣へと逃げおおせているのに人目につくように追い立てろとアヒメレクは指示した。
意図的に、都に住む人々を偽の目撃者に仕立て上げるのだ。伝聞ならともかく、自分の眼で見たものならばひとは疑わない。
「……武族役の男はどうするんだ?」
兄の案に乗るべきか考えながらダールは慎重に尋ねた。
「ゴロツキの囚人でも使え。誰も武族の顔など知らないし、この闇夜だ。武族特有の肌の色は誤魔化せるだろう」
「でも囚人が砂漠以外に逃げたらどうする?」
「砂漠に通じる道だけ包囲網を薄くしておく。そうすれば絶対にそこへ行くだろう?地獄だとしてもだ。砂漠まで追い込んでしまえば後はこちらの知ったことではない」
酷薄な笑みを浮かべるアヒメレクにダールは知らない間に唾を飲み込んだ。
こちらが手を汚さなくとも砂漠に迷い込んだ囚人は黄砂の魔物によって命を落とすだろう。その死の真相は誰の目にも触れぬまま――。
「……でも、誰を逃がすんだ?」
「そこは私が見繕おう。逃がして、馬まで誘導する。しばらくしたら逆賊が逃げたと近衛騎士団に言って追捕させる」
アヒメレクの案は完璧に思えた。一連の流れに不自然さがない。
「そうしよう」
ダールは急いで頷いた。
「早速とりかかろう。お前はここにいろ。新王の最初の仕事だからな、しくじるなよ」
念を押すように寄越された鋭い視線にダールは従順に頷いた。
「勿論だ――兄さん」
史実として残っているのはアルベルティーヌ女王を弑した逆賊が馬に乗って逃亡した。近衛騎士団は賊を発見、追尾したが間に合わず砂漠まで逃げ切られてしまった。
賊となった砂漠の民はそれまで武族と尊称されていたが女王を弑したことから蛮族と蔑まれ、その名は地に落ちた。
蛮族達は砂漠にある本拠地――≪巻貝≫と呼ばれる砦に立て籠もった。繰り返し出頭を命じたが蛮族は応じなかった。
巻貝にいる以上、軍は手出しできなかった。砂漠を渡る案内人はその蛮族にしかできない。熱砂に潜む魔物を狩れるのもまた、蛮族しかいなかった。
軍はただ砂漠を睨み付けるしかできず、膠着状態に陥った。
中には無理にでも侵入し、突破すべきだと主張する者もいたが新王ダールは頷かなかった。
『大罪人を捕らえられないのは誠に口惜しいが、それで誰かが命を落とすことがあれば妻は悲しむ』と宣ったという。慈悲深い女王を思い出して騎士たちは憤り、悲しみ――納得した。
二の足を踏む状況に騎士団の士気は低下しつつあった。
当然だ。咎を問うことも仇をとることで忠を果たすこともできないのだから。
そんな時だった。王宮からマレーナ姫の姿が消えたという報せが届いたのは。
「そんな――マレーナ殿下まで……」
幼い王女の誘拐事件に、誰ともなく絶望の声が漏れた。
「おいたわしい。……まだ、一つになられたばかりなのに」
中には涙ぐむ者さえいた。
王室の不幸に誰もが悲しんでいる中で――
「――けど、誰が攫ったんだ?誰か、マレーナ殿下を見た者はいるか?」
疑問の声が上がった。誰もが顔を見合わせた。
「……いや。確かにあの夜は月が出ていなかったが、松明で賊の姿は見えていた。けど奴らはマレーナ殿下を連れてはいなかった……」
「背格好くらいは見て取れたからな」
仲間の言葉に同意する。
「それにマレーナ殿下もいくら何でも馬に乗せられたらお泣きになるだろう。最初は寝ていたとしても揺れで起きないハズがないし……」
「泣き声は聞こえなかったよな」
「あぁ、間違いない」
俺も聞いてない、と請け負う声が幾つも上がった。
「なら――マレーナ殿下はどこに消えたんだ?まさか俺たち、見逃したのか……?」
一帯にいた全員に絶望の帳が落ちた。誰もが言葉を失った。――それがどういうことかなんて、考えるまでもない。騎士団の恥だ。近衛騎士団創設以来の、歴史に残る大失態と言っていい。
誰もが恐怖に慄いた。失態の責任を取るのも御免だ。が、事実として自分達は王女の誘拐を見逃した。そんな汚名誰だって着たくない。
誰ともなく見交わした。唾を飲み込む音が聞こえる程の静寂――。
「いや、他の奴等が見てるかもしれない!こっちの方向に誘拐犯が来なかったんだ!」
焦った1人の男が大仰な手ぶりで演説した。
「そうだ、きっと賊は二手に分かれたんだ!」
「あぁ、相手は元近衛の武族だ。抜け道なんて知り尽くしてるからな!そうに違いない」
自分達を正当化するために彼らは自分たちの説明に捕捉をつけて理論武装した。肉体は鎧が守ってくれるが心のほうはそうもいかない。
理屈で固めて彼らは安心したかったのだ。自分達に責はないと思いたかった。名誉と栄光ある騎士団に所属する騎士たちは国民の誰もが憧れる花形の仕事だ。そこに誇りもあれば当然、体面というものがある。
彼らは不名誉となる事実よりも、自分達に都合のいい話を現実だと思い込むことにした。
不自然な点はいくらでもあった。武族が実は無実なのではないかという思いも。けどそれでは困るのだ。自分達に不利な真実からは目を背け、疑問は闇の彼方に葬った。
喪が明けるとすぐにダールとアヒメレクは宮廷人事に取り掛かった。ダールに不信感を持つ者はいた。中には直談判し疑問を呈した者は、よそへやられた。
左遷と栄転を見た者たちはすぐにダールに阿る様になり、保身のために疑問には目を瞑った。
ダールの政治は中継ぎの王としてはそう悪いものでもなかった。宰相になった兄アヒメレクは冷酷な野心家ではあるが、実務に長けていた。大抵の問題にアヒメレクは対処できたので大きな失策はなかった。
一族を政治の中枢につけることと、富を蓄えはじめたことで時折揶揄の声が上がる程度だった。
絶対に触れてはならない禁忌はアルベルティ―ヌ女王の最期への疑義と蛮族の処遇についてだった。
ダールとアヒメレクはアルベルティーヌ暗殺の筋書きを喧伝し、砂漠の民を武族と尊称することを禁じた。
蛮族と貶め、歴史を改竄して武族の存在理由を闇に葬った。
そして虚偽の逸話を捻りだし、国民に信じ込ませようとした。
この策は功を奏した。上流階級には浸透し、武族の真実は口を噤んだ。民の大半は悲劇の王が語る脚本を信じたが一部の人間――主に商人たちは懐疑的だった。
彼らは直に武族に接する機会が多く、生身の武族の姿を知っていたため違和感を覚えた。
秘密裡に接触し、真相を知って密かに武族を援助する輪が商人たちの中で広まった。
商人達は賢く計算高い。王への不信感をおくびにも出さなかった。表向き従順な商人だったのでダールもアヒメレクもその動きに気付かなかった。
商人達は武族に情報と食料や日用品、それに仕事を提供した。
武族に頼らず砂漠を越えるのは不可能に近いのに王は罪人に接触するなと固く命じた。
砂漠を越える有効な手立てを考えることなく海運を使えばいいと宣ったのだ。船で運搬すれば費用が嵩むというのに。
代金に上乗せすれば疲弊するのは民だというのにそれを分かっているのかいないのか海運を使えというダールに商人達は憤り、失望した。
商人達は抜け目なく動いた。貴族や王宮に卸す商品には上乗せした金額を要求し、民に売る時には砂漠を越えた時と同じ金額に近づけた。物価が全く変動しなければダールに目を付けられるかもしれないと恐れて若干上乗せした。
もちろん、海運で運搬した方が安いものはそちらも使った。ダールの親族が海運会社を立ち上げていて海から川を下る舟運では通行税を安くするという対策が取られていたため、その人間の会社はたいそう儲かった。きっとダールの懐も潤っていることだろう。そう思うと商人と武族達は歯ぎしりしたくなった。
「ダールが私腹を肥やしている間が、俺たちにとって雌伏の時だな」
「何にも知らないで。馬鹿なヤツだ」
そう笑い飛ばして悔しさを紛らわせた。
そうやって虎視眈々と機会を窺った。牙を研ぎながら。
その苦労がようやく結実しようとしていた――。
マレーナもそれを待っていた。絶好の機会を。
すべてをひっくり返すには、そのタイミングしかない。
ルスティカの結婚と戴冠を行われてしまえばもう手が出せなくなる。その前にマレーナは危険を承知で名乗り出て王宮に戻り、父たちから姉を引き離さねばならなかった。
あのまま姉を戴冠させてしまったら、もうひっくり返せない。
それだけは避けたかった。
ダール達も長年の苦労が報われる日を待っていた。それが目前に迫った今が一番油断していた。そこを不意打ちし、急襲する。
相手に気取られないように可及的速やかに行う必要があった。人手も物量も向こうの方が圧倒的に多い。猶予を与えてはならなかった。
主犯がダールとアヒメレクの2人なのはわかっていた。問題はアシュガルとルスティカの処遇だった。
意見は――別れた。
アシュガルとルスティカを“加害者”として見る者は2人を厳しく批判した。
利用されただけにしろ何も学ばず、知ろうとせずにいた2人はそれだけで有罪だ。ただただ豪奢な生活を享受していた2人も裁きを受けるべきだ――――。
そういう主張も、あった。
強硬にその意見を推していたのはナジブだった。彼が私情を多大に挟んでいたことをみんな知っていたがそれに賛同する者もいた。けれどマレーナはそれを一蹴した。
「なぜルスティカ姫を庇うのですか?」
苛烈な瞳でナジブは主張した。
いつも冷静で理知的なナジブらしくなく不快な感情を露わにしていた。マレーナの家族に関するときはいつもこうだった。
マレーナは一つ嘆息するといつもと同じ言葉を言った。
「言ったでしょう?ナジブ。わたしと姉さまに違いはそうないのよって。だからそんなに姉さまを嫌わないで?」
「なにを馬鹿なことを!だいぶ違います。あなたは砂漠でも学んでいるのにあの王女は何も学んでいない!ただ踊ったり絵をかいたりして褒めそやされているだけの王女ではありませんか。王女の義務も果たしていないのに、どうしてそんな寛大な心が持てるのです!」
ナジブの激昂に場は水を打ったように静まり返りマレーナの返答を待った。
「……ナジブ」
眉を顰めて憂いの表情を浮かべているというのにマレーナは美しくナジブは思わず見惚れた。その間に近付くと彼の頬を繊手で包んだ。
「っ」
マレーナの思わぬ行動にナジブは動揺し、言葉を飲み込んだ。
「必要以上にお姉さまのことを悪く言わないで。お姉さまは王宮で何不自由なく育ったかもしれないけど、わたしは砂漠で育った自分を不幸だなんて思わないわ。あの時王宮から逃げ出さなかったら。わたしはきっとお父さまに殺されていた。あなた達も逆賊として処刑されたいたでしょう。巻き貝までわたしを連れて逃げてくれて感謝してるのよ。あの脱出が成功しなかったら今のわたしはいないのだから」
繊細な睫毛はまるで銀色の雨のよう。その下の薄めの青い色はまるで凍った湖のように冴え渡っている。
「……あなたは優しすぎるんです、マレーナ」
年下の少女に見透かされている気恥ずかしさと自身の無力さに腹立たしくなってナジブは強く拳を握った。
「ナジブがわたしの分まで怒ってくれるからよ」
マレーナが浮かべる笑みはいつも控えめだ。幼い頃から彼女はそうだった。他の同じ年くらいの子どもが無邪気に笑う中、マレーナはいつも優しく慈悲深い笑みを湛えていた。
母を殺した父から疎まれ、王となった父の手から逃げ出し砂漠で育った王女だからという複雑な生い立ち故のものではなく、母の胎に宿ったその日から自我があり一度見聞きしたことは忘れないマレーナはまだ17歳だというのに既に老成していた。そのせいか、マレーナは知識に対して貪欲だった。武族に馴染み深い商人に頼むのはいつも書籍であった。
本当ならマレーナは王宮で育ち、上質な衣服を身につけ庶民が気軽に口に出来ないような珍味や高級な食材で作られた料理が食べられたのだ。
王女ならば当然、身を飾る宝飾品も思いのままだったろう。
王宮にならマレーナの好奇心を満たす珍品も稀覯本も山ほどあっただろう。
けれど彼女はそれを手にできなかった。
命の危険があったとはいえ、マレーナを砂漠に押し込めてしまったという悔恨がナジブにはあった。それによって生じた時間と知識の喪失に罪悪感を覚えていた。
だからナジブはルスティカがどうしても許せなかった。恵まれた、全て手にできる立場にいながら努力せず、無知なルスティカが憎らしかった。マレーナならば無為に過ごしたりしなかったと思ってしまうのだ。
「ナジブが怒らなくてもマレーナは怒らないだろ。だからナジブは心配して余計怒るんだ」
ファーザが苦笑して空気を混ぜっ返す。
「そうだねえ。マレーナが怒ってるとこ、あんま見たことないねえ」
「ヴァファーが悪戯した時くらいじゃないか?マレーナが怒るの」
「ヴァファーは一度は大人を怒らせるよなあ」
アカシアが笑いながら言うとすかさず突っ込みが飛んだ。
「なに他人事みたいに言ってんだいアカシア。アンタだってあのくらいの頃はそうだったよ」
「そうだよ。腕白小僧だったじゃないか」
どれほど図体が大きくなろうと男というのは母に敵わない。まして武族の女は肝っ玉も大きく口も達者でなかなか勝てないのだ。
「違いないな」
アカシアよりも年上の男たちを中心に笑いが起きる。こうなると長の威厳など形無しだ。
「いいんだよ!色んな経験をして器が大きくなるってもんだからな」
「説得力がありますね、アカシアが言うと」
笑いながらマレーナがまとめると場を収めることにした。
笑顔を消したマレーナは真剣な表情でこの場に集った仲間たちを見回した。まさに抜き身の太刀のような鋭さに気付いた仲間たちも一瞬で表情を一変させ、食い入るようにマレーナを見つめた。
「のちの歴史から簒奪者と謗られようと、今が好機です。ダールはお姉さまの成人と同時に譲位し、アシュガルお兄さまと結婚させて地位を盤石なものとするでしょう。その前に王宮に帰還し、玉座を奪います。……もう、ダールの好きなようにはさせない。そのために力を貸して下さい」
仲間の一人一人に真摯な眼差しを向けてマレーナは父王に叛旗を翻す宣言した。
父と呼ばず、ダールと呼び捨てにしていることからも決意の固さが窺えるというものだ。
「お姉さまの身柄はダールには渡さない。お姉さまはあなた達に託します。わたしが最も信頼する、あなた達に」
マレーナの瞳に迷いは見られなかった。
簒奪者の汚名を着ることも、このクーデターが失敗しても成功しても父親殺しを背負うことになる躊躇いは一切ない。
ましてやこの仲間に対しての不信感などマレーナは微塵も抱いていない。
マレーナにとって武族は友であり、仲間であり自分を育ててくれた家族なのだから。
「どうか、お姉さまを護り、導いて下さい。わたしにしてくれたのと同じように」
それは武族たちも同じだ。
「勿論任されたさ。あんたは自分のことに専念しな」
力強く頷いたのはウズマだ。
「ああ。武族の誇りと友情に誓ってルスティカ姫の身はダール達には渡さない」
ファーザも笑って請け負った。
「それよはりマレーナこそ気をつけろよ?これから先のことは俺たちじゃ門外漢だからな」
励ましの言葉をかけるアカシアにマレーナは微笑を浮かべた。こんな時でも彼は気負わない。自分らしさを失わないのだ。
「大丈夫です。シャクール大臣もいて下さいますから」
知己の名にみんな安堵の表情を浮かべた。計画は当然把握していて、シャクールが王宮側の協力者としていることは分かっていてもやはり時が近づいてから聞くと安心感が違うのだ。
「彼なら、大丈夫だな」
「安心してマレーナを任せられるね」
場の緊張が解け、空気が和んだものになった。それはマレーナとしてもありがたかった。緊張は大事だがいつまでもは保たない。長く続けていれば疲れて、士気が低下してしまう。
盛り上がりすぎてもいけないが下がりすぎてもいけない。場の空気のバランスを取るのが絶妙にうまいのがアカシアだ。彼が長を任されている理由の一つはこの能力にあるのだ。
王都パルステンの目と鼻の先にある砂漠で叛逆の鬨の声は静かに上がった。
それをダールもルスティカもまだ、知らない。
王宮と砂漠はもはや近くて遠い場所となってしまった。
お互いに手をこまねいていた。
ルスティカが成人する年まで待たなければ同じことの繰り返しだというのが武族とマレーナ、それにシャクールが出した結論だった。
時間を掛ければ洗脳教育で偏った思想にルスティカが染め上げられてしまう危険性があるのは承知していた(実際、的中した)。
ダールとアヒメレクの支配が隅々にまで行き渡り強い影響力を持つことも懸念された。
けれど愛する妻を突然の凶行によって失った悲劇の人物として祭り上げられていたダールを幼子の証言を根拠として追いやるには信頼が乏しいのも分かっていた。
世論や官僚を味方につけなければ返り咲かれてしまうことも。
反抗を強行すれば足場が無くなってしまう。それはマレーナとしても避けたかった。
(失敗して最悪、わたしが命を落とすのなら、いい。武族の皆と、シャクールと……お姉さまが無事なら)
失敗するとは思っていない。そのために準備を整え、状況を何通りも想定した。仲間のことも信じている。それでも弱気になる心は止められない。悪い想像をどうしてもしてしまう。マレーナが一番恐ろしいのは、家族を失うことだから。
だから、虫のいい願いだとは分かっていてもダールが勝ったら断罪するのは首謀者の自分だけにしてくれと思ってしまう。
弱気になっても、恐怖が首をもたげてもマレーナが止まらなかったのは、諦めなかったのは――
ルスティカを救い出したかったからだ。
父が作り、姉を囲った檻の中から。
母を殺し、自分を見捨てた父に復讐したいという思いはどこにもなかった。
父を恨んだことと言えば母を身勝手な理由で殺したことと、ルスティカに嘘で塗り固めた歴史を吹き込んだことだ。
マレーナは父に対して感情なんて持っていない。期待していないのだから当たり前だ。
王としてのダールには思うところは山ほどある。が、父親としてのダールはマレーナにとってはいないものだった。
ナジブはマレーナに対して極悪非道な行いをしたとダールを憎悪してくれているがそんな情すら掛けるに値しない人物だった。
マレーナが気に掛けているのは半身たるルスティカだけだ。
(姉さまの座る椅子はわたしが綺麗にしてあげる)
全部膿を出し切って綺麗になった玉座を姉に捧げたい。願わくば、ルスティカが王冠を戴き王笏を持って玉座に座るところを見届けたい。
(きっと、見られないけど)
姉はなにも知らない。
武族が真実を教えてもすぐには信じられないだろう。自分のことも恨み、憎まれてしまうかもしれない。
当然だ。ある日突然、王宮から砂漠に連れて行かれるのだ。母親の仇と言われている蛮族の本拠地に。
きっとルスティカからはマレーナがクーデターを起こしたのは自分が玉座に座るためだと思われるだろう。いくらマレーナが違うと言い募り、武族が説明してくれてもきっと信じてもらえない。
血の繋がった兄弟で玉座をかけて争った例は枚挙に暇がないのだから当然だ。
客観的に見てもマレーナは玉座を奪うために姉を王宮から追いやり父王と追い落とした娘に見えるだろう。
真実がいくら違ってもマレーナ個人の感情など歴史の闇に追いやられてしまうだろう。
史書の行間に入り込み、埋もれてしまうに違いないだろう。
姉にさえ届かないのだ。誰にもマレーナの気持ちは理解できないだろう。
――それでも。
(やるわ。民も姉さまもずっと抑圧されてる。このままでいいはずがないもの)
死なない程度に生かしているだけだ。
だから反発が少ない。目に見える形で非道の行いによって生じた被害が見えないからだ。
ただ気力は削がれていく。ダールとアヒメレクの顔色を見て阿らなければ生きていけないのだから。――それはなんて息苦しいのだろうか。不自由で、見せかけだけの幸福と平和だ。
(お母さまならこんな風にはなさらなかった。課題はいっぱいあった。それでも、お母さまの治世の方がみんな生き生きしていた……)
目を逸らして、耳を塞いで。息を殺して、声を潜めて日々を過ごす。
アヒメレクとダールに睨まれている武族だけではない。国全体の話だ。
白金色の髪に青い色の瞳のマレーナは途轍もなく目立つので砂漠から出ることはなかった。
それでも砂漠に訪れる武族に協力的な商人達から話を聞けば人伝であろうと心は痛んだ。
彼らとしてもできる限り客観的に事実を述べようとしてくれた。が、どうしても事実との差異はあった。自覚の有無に関係なく、善悪関係なくそれはあった。そうなってしまうのは致し方ないとマレーナも分かっていたからなるべく複数の筋から情報を聞くようにしていた。
総合的に判断して、情報を繋ぎ合わせて出た推論だ。的外れでなかったのは、残念だ。
ダールという男は夫としても、父としても、王としても及第点を取れない人間だということはイヤでも分かった。
だから――
(こんなのはもう終わりにして、ダールから解放させよう)
国も、民も、姉も。
「……待ってて、お姉さま」
マレーナはそっと呟いて空色の瞳を瞼で隠した。
夢でいいから姉に会いたいと思った。もっともマレーナが直接知るルスティカは、あの頃だけだから時間の針があの頃から動いていないのだけれど。
マレーナ、こういう子でした。もっと大人しくて冷静で淡白な子かと思ったら意外とお姉ちゃん子でした。少しヤンデレ?が入ってしまったのは想定外です。




