第四章ーヒトリノーわたしが生まれた日
大変遅くなりました。
明けましておめでとうございます。
わたしたちが産まれた日のことを、わたしは知っている。
王宮が――国中が歓びに湧いたその日。
女王が待望の後継ぎを産んだ。玉のような双子の王女はそれぞれの髪の色にちなんで姉姫を黄金の薔薇、妹姫を銀の薔薇と呼んだ。
降り注がれる慈愛の中でわたし達は育った。真綿に包まれるように大切に育てられた。特にお姉さまはお父さまに掌中の珠と言っていいほど溺愛された。
お父さまの中でわたしは出来損ないの――成り損ないの王女だった。
お母さまはお父さまの視線に気付いていなかった。
まだ物心がつかないお姉さまを抱きながらお父さまがわたしに向ける視線。
『この子の髪の色も黄金色であればよかったのに』
音のない声を何回も聞いた。
「……アルベルティーヌにそっくりだな」
お父さまがわたしを見た第一声がそれだった。
困惑しているようにも、畏れているようにも見えた。わたし達が産まれた頃にはもう、お父さまはお母さまに対して複雑な感情を持っていたのだろう、妻によく似た娘には関心を示そうとはせず。お父さまはお姉さまばかり可愛がった。
公務で忙しいお母さまもさすがに気付いた時は不審そうにしていた。
「あなたはどうしてルスティカばかり抱いていらっしゃるの?マレーナもルスティカと同じ、あなたの娘でしょう」
「マレーナは私に抱かれたがらないんだ。ルスティカは私によく懐いているんだが……まったく、何が違うんだろうな?」
笑ってお父さまは誤魔化していたけど。目には隠し切れない隔意があった。
わたしは生まれ落ちた瞬間から――いいえ、お母さまのお腹に宿った瞬間から記憶がある。覚えている。
他の子供とは違って、一緒に産まれたはずのお姉さまとも違って早くから世界を認識できたから最初から自我というものを持っていた。感情が育つより先に世界を認識したわたしは凡そ子供らしくない子供だった。
甘え上手で子供らしい癇癪を起すけれど憎めない、可愛らしい姉さまと違ってわたしは物静かな子供だった。手が掛からないと侍女たちは言った。聞き分けの良い、聡明な王女だと。
「マレーナの方がお姉さまみたいね」
笑うお母さまに「るすてぃかがおねえさまだもんー!」とムキになるお姉さまは無邪気で、天真爛漫で可愛らしかった。
むくれるお姉さまにごめんなさいと謝ったお母さまは黄金色の髪を撫でながら言った。
「ルスティカはお姉さまだからマレーナのことを守ってくれるかしら?」
どうしてそんなことを言い出されたのかは解らない。
もしかしたら無意識の内に兆候を掴んでいたのかもしれない。
「もちろんよ、おかあさま。まれーなはいもうとだもの」
胸を張って答えるお姉さまにお母さまは笑った。
「ええ、そうしてちょうだい。二人とも、仲良くね。――この世でたった二人きりの姉妹、固い絆で結ばれた半身なのだから」
二人一緒に産まれてきたことにはきっと意味があるのよ――。
お母さまはわたしやお姉さまのことを子ども扱いしないひとだった。対等な相手に話しているように話す。侍女たちの中には「まだ姫さまたちには難しいですわ」と進言するものもいたがおかあさまは「そうだったわね」と笑った後解り易く説明した。――この時も。
「?はんしんってなぁに?おかあさま」
「とっても大事な、もう一人の自分という意味よ」
「そっか!まれーなはもうひとりのわたしなのね!」
「えぇ、そうよ。ルスティカは頭がいいわね」
「えへへー」
大好きなお母さまに褒められて得意げに笑うお姉さま。
母娘の会話にわたしが口を挟むことはあまりなかった。自分が子供らしくないコドモだと理解していたから母の想像する子供像から乖離した自分を見せたくなくてわたしは黙っていた。
無口なわたしをお父さまは「つまらない」と言った。可愛げがないとも。子供だから解らないと思っただろう。でも、わたしは解ってしまった。その上で、何も言わなかった。――普通の子供は解らないから。解るわたしはお父さまの中で異常な子供になってしまう。それが怖くて、黙っていた。
侍女たちもわたしよりお姉さまを可愛がった。子供らしく手が掛かり、反応があるお姉さまの方が楽しいし、可愛いのだ。
子供らしい姉さまがわたしには眩しかった。わたしの持っていないものを持っている姉さまの輝きをわたしは少し離れたところから見ていた。
そんなわたしに気付いてくれるのは――
「マレーナ」
お母さまが優しい言葉を紡ぐ。
「マレーナはお姉さまと仲良くできるわよね?」
「――できます」
「良い子ね、マレーナ」
白金色の髪を撫でる母さまの指は白くて細くて、長い、綺麗な手。
「じゃあ指切りしましょうか、三人で」
「ゆびきりするー!」
三人で指切りを絡ませる。お母さまの長い指にわたしとお姉さまの指を絡ませて歌いながら指を振る。
――この約束を知っているのは、覚えているのはわたしだけ。
お母さまはもうこの世からいなくなってしまって。姉さまは幼すぎて記憶に残っていないだろう、在りし日の母子の記憶。覚えているのは、わたしだけ。
わたししか知らない約束だけど――
「マレーナをいじめるやつがいたらわたしがやっつけてあげるからねっ」
「二人ならどんなことも乗り越えていけるわ。だって、姉妹ですもの」
お姉さまの笑顔とお母さまの願いは今もわたしの中に在る。それはずっと消えない。
だから――
「もうこのお話はおしまいにしましょう、ダール」
「アルベルティーヌ!」
「そんな大きな声を出さないで、二人が起きてしまうわ」
あどけない二つの寝顔を見てお母さまは表情を緩めた。わたしとお姉さまの頬を順番に撫でる。――これが最後に感じた温もりだった。
「…………どうしても、ダメなのか」
お父さまの押し殺した声。
この時何を殺したのだろう?
「ダール、それはもう、……――」
それは起こった。振り向きざまに成された凶事からお母さまが逃れる術はなかった。
あれはなあに?あの、紅い花。お母さまの背中に咲いたそれはだんだん大きくなって――
「っ――」
手を衝くことなくお母さまは転んだ。あれ?お母さま、歩いてたかしら?変なの。お母さま、全然動かない――
それに、何だろう?この匂い。
お母さまの芳しい花の匂いがする香水は薄れて生臭い、鉄錆くさい、生理的に受け付けない匂いがする。
「……」
わたしは起き上がって倒れたまま動かないお母さまを見た。赤い水たまりに沈むお母さまを。
そしてその場に立ち尽くしてお母さまを見下ろしているお父さまを見た。右手にある、薄明かりの中でも目映く光る剣を。
白刃はところどころ、紅く濡れていて――
わたしは理解した。あれが母さまの命を奪ったのだと。そして母さまを殺したのは他でもない父だと。
泣きもせず、身じろぎもせず状況を把握するわたしに気付いたお父さまの顔に怯えと嫌悪が走った。今のお父さまにわたしはどんな風に見えているかなんて、考えるまでもない。
「アルベルティーヌ……」
呻くように言ったのは母の名だった。すでに事切れている――今まさに自分が殺した妻に生き写しの娘。
わたしを見るお父さまの目にいつもより嫌悪が顕著になる。
お互い、動かなかった。動けばそれが刺激になって――合図になる。わたしも、凶器を持つ相手を刺激したくなかった。どんなに素早く動いたとしても相手は大人でわたしは子ども。殺人犯に追いつかれるのは目に見えている。
わたしは父の動向をつぶさに観た。視線は決して外さなかった。わたしの視線に縫い止められた父は動こうとしなかった。父からしてみれば監視されているようなものだったのだろう。自身が手を掛けた妻に。
恐怖か、怒りか。父の手が小刻みに震え出す。いっそ凶器を取り落としてくれたらいいのに――。その想いが通じたのか、母の命を刈った白刃はわたしに振り下ろされることはなく銀色の軌跡を描いて床に落ちた。
カラン。
紅が床に飛び散った。母の命の水の色――。
「あっあああぁぁっ!ある、アルベルティーヌ!俺は、俺はっ……!」
凶器を取り落とした音で正気に戻ったのか、父は母を殺した事実に行き当たり恐慌状態になった。頭を抱えて、逃げる。
母さまの亡骸から。わたしの視線から。
「お前が、お前が悪いんだっ……!ぜんぶ、ぜんぶ、おまえが――!」
妄言を綴る父は悪夢を見ている心地なのだろう。――それが譫言ならどんなに良かったことだろう。これが現実ではなく夢なら――。
それは儚い希望でしかなかった。
「――――ダール!」
タペストリーをくぐり抜けて部屋に駆け込んできたのは伯父だった。
「――兄さん――」
「何を呆けてる。しっかりしろ!陛下は――」
横たわる母さまを見てそこに命の息吹が感じられないことを確認した伯父は取り乱すことなく続けた。
「交渉は決裂か。……事ここに至ればもはや戻れない。解ってるだろう?ダール」
冷徹に伯父は動揺する父を説得し始めた。
「でも……、兄さん……」
「弱気になるな!お前が王配となったのは我が家に王冠を戴かせるためだろう!――アルベルティーヌ陛下亡き今、次の女王はルスティカ殿下だ!お前は殿下が即位するまでの中継ぎの王となる。ルスティカ姫が女王となった暁にはアシュガルと娶わせる――そういう話だっただろう!」
父の野心は傍系王族に産まれた者達の悲願だったのだろう。父方の一族は玉座に座りたくてたまらなかったのだ。
母が肯わなかったのは姉さまと従兄の結婚、そして夫の政治への参画だった。
聡明な女王は夫の一族の影響力が大きくなりすぎるのを恐れたのだ。賢明な判断は、しかし最悪の結果を招いてしまった。
恐らく母は父がこれほど愚かだと気付いていなかった。そしてこれほど自分を追い込んで、思い詰めていることを知らなかった。
「そうだ……けど、兄さん。どうしたらいい?アルベルティーヌの死は、どうしたら……!」
「落ち着け、手はある。――女王陛下は不埒にも王宮に忍び込んで来た暴漢の凶手に掛かって薨去されたんだ。暴漢を手引きしたのは武族だ。奴らのせいで陛下は亡くなられたんだ」
強い口調で伯父は父に言い含めた。――それが事実だと囁き、暗示をかけ続けた。
「そうだ……あいつらの、せいだ。武族のせいで、アルベルティーヌは……」
弾みで母を殺して茫然となっていた父の心にその都合のいい言葉が滑り込み、記憶を上書きする。――それが真実なのだと父は信じたかったのだろう。
自分が妻を殺したのではない。そう思い込みたかったのだ。
父は愚かなことに事実から目を逸らすことを望んだ。そのために、武族はうってつけの相手だった。
父は元々お母さまの傍近くにいる武族に対していい感情を持っていなかった。――有り体に言えば嫉妬していたから。
「女王を守れなかった不届き者どもだ!それどころか――女王の弑逆を企むなど!万死に値するっ!!」
父は激昂した。目は憤怒と憎悪で爛々と輝いていた。何も知らない人間から見れば妻を失った悲劇の夫に見えることだろう。
父は演じているのでもなく切り替えているのでもない。武族のせいで母が死んだのだと信じ切っているのだ。
「とにかく――陛下が亡くなったのを報せに行こう。……できるな?ダール」
最後の念押しをする伯父に父は小さな声で応じた。
「あぁ……兄さん」
二人は部屋から出て行った。
父は過って妻を殺した夫ではなく――凶手にかかって妻を失った悲劇の夫として半狂乱になりながら廊下を練り歩いた。
父の声が廊下から響いてくる。
「誰か、誰かっ!アルベルティーヌが死んでる!」
「医者だ!医者を寄越せっ!!御殿医はどこにいるっ!?」
子供達の就寝時間になると母が侍女達を下げているので父の声を聞きつけてひとが来るまでしばらくかかるだろう。
惨劇のあった部屋には事切れた母と、わたしと――いまだ夢の中にいる姉さまが残された。
姉さまは騒ぎに気付かず健やかな寝息を立てている。――それがありがたかった。
姉さまは何も知らない。
母さまが亡くなったことも。父さまが母さまを殺したことも。
姉さまはまだ、知らない。人間の愚かしさも醜さも、弱さも。
明るくて、屈託がなくて、無邪気な姉さま。それは無知だからこそできることだ。
わたしと姉さまは母さまのお腹の中で一緒に宿って、育って、産まれて来たけれど。成長の速さは違った。姉さまは標準的な子どもで。わたしはもう老成しているのではないかしら。
だってわたしは知ってしまっているから。学んでしまっているから。
記憶と経験が蓄積されていて。マレーナ(わたし)という自我が確立している。
一緒に産まれた姉さまはようやっと自我の萌芽が見え出したくらいだというのに。
だから、わたしは可愛くないのだろう。
元々わたしは父さまに懐いていなかった。わたしは姉さまのように無邪気に父さまを慕うことがどうしてもできなかった。
それは父さまの野望を感じ取ってしまったのが先か、父さまがわたしに向ける視線に畏れと怯えが混じっていたのをみつけたのが先か――解らないけどわたしには無垢で無知な子供時代というのがなかった。
「……逃げなくちゃ……」
このままここにいたら危険だと思った。
父さまにとってわたしは愛しい娘ではなく自身を脅かす目撃者でしかない。
わたしは確かに他の子供と比べたら賢いかもしれない。忘却することがないから自我もしっかりあるのでその分成長と発達が早いけどそれはあくまで内面の話で身体はそういうわけにはいかない。
体力も筋力も成人男性にはとても敵わない。わたしの首なんて簡単に捩じ切られてしまうだろう。
それは困る。わたしはここで、死ぬわけにはいかない。
ならば、取るべき道は一つだった。幸い味方はいる。頼りになる、大人が。
代々の王の護衛を務める武族。主に絶対の忠誠を誓い、その影となった守りに徹する彼らならきっと匿ってくれる。
彼らにも一刻も早く撤収するように伝えなければならない。父は武族に嫉妬し、敵意を向けていた。逆賊の汚名を着せようと躍起になっていることだろう。この情報は武族にとっても有益だ。
父に武族の首を落とさせてはならない――たとえ王宮を追われたとしても、彼らの命が潰えなければ挽回の機会はある。
これは敗走ではなく撤退だ。
爪を研ぐための雌伏の時間。
武族の居室へ行くために隠し扉を開けたわたしは惨劇が起きた子供部屋を振り返った。
母さまとはこれが最後の別れになるだろう。姉さまとも――しばらく会えない。
「さよなら。姉さま、母さま」
幸せな時間がここで終わった。
せめて姉さまは優しい時間が続きますようにと祈ってわたしは逃げ出した。




