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第4話 48時間のデータ崩壊と、泥まみれの再会

ざあざあ、と激しい雨が屋根を叩きつける音が、荒れ果てたジュリアン子爵家の屋敷に空しく響いていた。

かつてシャルロットが毎朝立ち、小麦とバターの甘い香りを漂わせていた厨房には、今や黒カビがこびりつき、生ごみと酸えた粉の不快な悪臭が充満している。


「キーッ!! どうしてこんなに固くて不味いのよ! こんな生焼けの粘土みたいなクッキー、食べられるわけないでしょう!!」


豪奢なドレスの裾を泥で汚したマリアが、焦げ付いた鉄板を床に投げ捨てて金切り声を上げた。

石床に落ちて割れた黒いかたまりからは、バターの豊かな香気など微塵もせず、ただただ鼻を突く焦土の臭いしか漂ってこない。


「お前のせいだぞマリア! お前が『攻撃魔法が使える私こそが真のヒロインだ』などと抜かして、シャルロットを追い出せと唆したからだ!」


領地の崩壊を示す真っ赤な赤字の事務報告書を破り捨て、ジュリアンが身なりを乱して怒鳴り散らす。


「シャルロットを追放した瞬間、魔力炉を兼ねていた大厨房の維持コストが物理的に400%も暴騰したんだぞ! 彼女の固有魔力による中和反応が消えたせいで、地脈の排熱インフラが完全に焼き切れ、地下の魔力パイプは全て破裂した! この莫大な修繕費をどうする気だ!」

「知るか! あんな無能のブタ女がいなくなっただけで、厨房のシステムが物理破綻するわけないでしょ! 元はといえば、あなたがノリノリでシャルロットをあの雨の中に追い出したんじゃないの!?」


醜く罪を擦り付け合い、罵り合う二人。

そう、彼らは愚かにも知らなかったのだ。


シャルロットが子爵家で毎日焼いていたクッキーや淹れていたハーブティー、そして彼女が日々踏みしめていた土壌そのものに、彼女の溢れんばかりの『創世の神聖魔力』が無自覚に注ぎ込まれていたということを。

彼女という「神聖な源泉」を失った子爵領は、抑え込まれていた土地の不浄が一気に噴出し、わずか数日で破綻へと一直線に直行していたのだった。


そこへ、顔を蒼白にした執事が息を切らせて飛び込んできた。


「じ、ジュリアン様! 大変です! 王都から衝撃の報せが届きました!」

「なんだ! これ以上の悪い報せなどあるか!」

「ヴァルハイト公爵閣下が……あの『氷血公爵』ヴェイン様が、近々ご結婚されるとのことです!」

「なに……!? あの気難しい公爵が結婚だと? 相手はどこの大公家の令嬢だ!?」

「そ、それが……先日、我が家から追放された……シャルロット様です!!」

「「はあぁぁぁぁぁぁぁっ!??!?」」


ジュリアンとマリアのけたたましい悲鳴が、雨の屋敷に虚しく響き渡った。


「ば、バカな……! あんな魔法も使えない無能が、公爵夫人に選ばれるわけがない! あいつめ、公爵閣下にどんな毒を盛って騙したんだ!?」


ジュリアンの目にあさましい欲望と焦燥がメラメラと燃え上がる。


「こうしちゃいられない! シャルロットを連れ戻すぞ! あいつは元々僕の婚約者だったんだ。公爵閣下に騙されたと言って連れ戻し、死ぬまで地下厨房でクッキーを焼かせて領地を元に戻させてやる!!」



*



ヴァルハイト城の重厚な執務室にて、ヴェインは冷徹な一瞥を羊皮紙の束へと落としていた。


『ジュリアン子爵領:神聖魔力等高線データ』


シャルロットが追放されてからの48時間で、その数値は0.02%まで完全減衰していた。土地のバイタルサインが完全消滅したことを示す、冷酷なデータである。

さらに、ヴァルハイト公爵家の圧倒的な経済権限により、ジュリアン子爵領への小麦流通ラインの凍結、および全銀行口座の資産凍結手続きは10分前にすべて完了していた。


(我が最愛のシャルロットを泥の中に放り出した罰だ。地獄の底で、その対価を過不足なく計算するがいい)


ヴェインは冷酷に報告書を処理すると、愛しい少女を優しく抱き上げ、光の満ちる大ホールへと移動した。


見上げるほどに天井が高い圧倒的な大空間。

高さ二十メートルを超える吹き抜けの天井からは、数千個の水晶が光を乱反射する巨大なシャンデリアが吊り下げられている。広大な床には深紅の絨毯がどこまでも続き、その脇には黒甲冑の衛兵たちが整然と並んでいた。


そしてホールの中央――ふかふかの革張りソファに腰掛け、愛しい少女を太ももの上に乗せてデロデロに甘やかしているヴァルハイト公爵ヴェインの姿があった。


「あーん……です、ヴェイン様」

「む……ん、うまい。香ばしいアーモンドと焦がしバターの風味が、口の中で優しく解けるようだ……」


シャルロットが焼いた焼きたてのフィナンシェを、顔を赤くしながらヴェインの口へと運ぶ。

ヴェインはシャルロットの細いウエストを太い腕でしっかりと抱きかかえ、彼女の柔らかい太ももの感触を自分の膝の上で噛み締めながら、至福の表情を浮かべていた。


「シャルロット、今日も君は天使のように可愛いな。このフィナンシェを食べただけで全身の魔力が充填され、今なら隣国を二つほど平定できそうだ」

「もう、ヴェイン様ったら大袈裟です……! ただの焼き菓子ですよ?」


甘い甘い空気で満たされていたその時だった。


バァァァァァンッ!!!!


大ホールの重厚な両開きの扉が、不躾な音を立てて乱暴に開け放たれた。


「シャルロットーーーーッ!!!! 探したぞ、この恩知らずのブタ女が!!」


駆け込んできたのは、雨と泥でドロドロになった服を着たジュリアンとマリアだった。

経済制裁とインフラ破綻によって衛兵の給与すら払えなくなり、自ら泥を這うようにして、二人は大ホールの絨毯を泥足で汚しながら乱入してきたのだ。



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