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未来の自分から能力を前借りする俺は、どっちも諦めない  作者: 綴木 灯
選ばない依頼

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7/21

二つの証拠

作業は、その日のうちに始めた。


「明日に回す理由がない」


ヴァンが言った。


マーレも同意した。


「建物は今日より明日のほうが安全になることはない」


ガロとレナだけが、少し不満そうだった。


二人とも中へ入りたがった。


マーレが止めた。


「依頼人は外」


「自分のものだぞ」


ガロが言う。


「まだ決まってません」


レナがすぐ返す。


「だから二人とも外」


マーレは淡々としていた。


リオは少し好きになった。


*


最初は帳簿からだった。


古い荷揚げ籠を一階まで下ろす。


巻き上げ機は、ヴァンが担当した。


マーレが籠へ乗る。


「本当に行く?」


リオが聞く。


「監督官だから」


「監督って見る人じゃないの」


「危険箇所を確認した人間が一番場所を知ってる」


ヴァンが巻き上げ機の柄を握った。


「下ろすぞ」


籠が軋む。


鎖が伸びる。


ゆっくり。


途中で一度引っかかった。


ヴァンが止める。


リオが横から鎖を見る。


「左の案内輪」


「触るな」


マーレが籠の中から言った。


「まだ何もしてない」


「今からする顔してる」


リオは手を引いた。


籠は少し揺れて、また下がった。


一階。


マーレが事務室へ入る。


少しして、木箱を抱えて戻ってきた。


帳簿そのものではなく、帳簿を入れた防湿箱だった。


「これ?」


「封は古いけど残ってる」


マーレが言う。


上からレナの声が飛ぶ。


「開けないで!」


「開けません!」


マーレが叫び返す。


ヴァンがリオを見る。


「上げる」


リオは頷く。


帳簿箱とマーレを乗せた籠が上がる。


今度は引っかからなかった。


二階の少し下。


そこでヴァンが止めた。


「次、金型」


問題はここからだった。


*


原型の金型は、二階奥の棚にあった。


大きさは両腕で抱えられる程度。


でも、青銅の塊だ。


一人で持つには重い。


棚までの床は割れている。


普通に歩けるのはマーレのいる側まで。


そこから先は、古い整備梁が一本だけ残っていた。


リオは梁を叩く。


「俺なら行ける」


「行くだけならな」


ヴァンが言う。


「持って戻るのは無理」


「籠を寄せる」


昨日考えた通りだった。


荷揚げ籠の上部には、横移動用の小さな案内車がある。


昔は二階の荷をそのまま籠へ積んだらしい。


今でも横へ一間ほど動く。


ただし、制動歯が欠けていた。


マーレが言う。


「横へ出したら、止まりきらないかもしれない」


「戻る?」


「それも怪しい」


ヴァンはしばらく籠と棚を見た。


「順番変える」


「どうする」


「リオが先に梁を渡る。金型を棚から床際まで出す」


「うん」


「戻る」


「うん」


「そのあと籠を横へ出す」


リオは首を傾げる。


「俺、向こうにいたほうが積みやすくない?」


「籠が流れたら、お前まで向こうに残る」


「止めればいい」


「止まらなかったら」


リオは黙った。


ヴァンは言う。


「戻ってから止めろ」


それなら、失敗しても全員こちら側にいる。


金型だけが残る。


リオは少し嫌だった。


でも、筋は通っている。


「分かった」


*


梁は細かった。


借りなくても渡れる。


風が抜ける。


下を見ると、一階の床が遠い。


リオは両腕を少し広げて進んだ。


向こうへ着く。


金型の棚。


鉄箱を開ける。


中に、黒ずんだ青銅の塊があった。


片面に文字のような刻印。


読めない。


重い。


リオは床を滑らせるようにして、棚から梁の近くまで寄せた。


「戻る!」


「急ぐな!」


ヴァンが言う。


急いでいない。


たぶん。


梁を戻る。


全員が同じ側へ揃う。


ヴァンが籠の横移動鎖を引く。


籠がゆっくり棚側へ動いた。


半分。


あと少し。


がん、と音がした。


制動歯が一つ飛んだ。


籠が棚側へ流れる。


「止めろ!」


マーレが叫ぶ。


ヴァンが巻き上げ機を逆へ回す。


でも横移動には効かない。


リオは、梁の根元にある制動棒を見た。


棒の先。


欠けた歯車。


その奥に、まだ使える爪が一つある。


手で押し込めば、噛む。


位置が悪い。


床の端から身を乗り出さないと届かない。


前借りは、返済待ちと合わせて十秒まで。


今、空いているのは六秒。


「腕力、三」


ヴァンが振り返る。


「平衡、三」


「何する!」


「止める!」


未来の三秒ずつを、今へ重ねる。


リオは梁の付け根へ片足を置いた。


上半身を外へ出す。


床がなくなる。


平衡の上乗せで、腰を残す。


右手を伸ばす。


制動棒をつかむ。


固い。


腕力の上乗せで、制動棒を押し込む。


一秒。


動かない。


二秒。


金属が軋む。


三秒。


爪が落ちた。


がちん。


籠が止まる。


上乗せが消える。


リオはすぐに床へ戻った。


「止まった!」


「見れば分かる!」


ヴァンが怒鳴る。


でも手はもう次へ動いている。


「マーレ、籠!」


「乗る!」


マーレが籠へ入る。


ヴァンが位置を固定する。


籠は金型のすぐ横まで来ている。


マーレが金型へ縄を掛ける。


リオも梁のこちら側から引く。


ヴァンが支える。


一度。


動かない。


二度。


滑った。


三人で引く。


金型が籠の床へ落ちた。


どん、と重い音。


「入った!」


マーレが叫ぶ。


ヴァンはすぐ言う。


「戻す。今度はゆっくり」


横移動鎖を逆へ。


籠が戻る。


制動爪は、さっき噛ませたままだ。


少しずつ。


こちら側。


着いた。


帳簿箱。


金型。


マーレ。


全部ある。


「出るぞ」


ヴァンが言った。


リオは奥を見る。


まだ棚がある。


道具もある。


「他にも――」


「依頼は二つ」


ヴァンが言う。


一瞬だけ迷った。


でも、床がまた軋んだ。


「了解」


三人で外へ出た。


*


ガロは金型を見るなりしゃがみ込んだ。


「ほら」


黒ずんだ面を布で拭く。


刻印が出てくる。


ガロの家の印らしい。


「うちの印だ」


「貸与印かもしれない」


レナが言う。


「負け惜しみか」


「帳簿を見れば分かる」


マーレが二人の間へ入る。


「ここで開封します。二人とも見てください」


防湿箱の封を切る。


中の帳簿は、思ったよりきれいだった。


何冊かある。


レナが目的の年を探す。


指が止まる。


「ここ」


ガロも覗く。


リオとヴァンは少し離れていた。


「何て?」


リオが聞く。


レナは答えない。


ガロも黙る。


マーレが読んだ。


「原型製作費。材料、ガロ工房。設計料、レナ商会。支払い、折半」


ガロが顔を上げる。


「折半?」


レナも眉を寄せる。


マーレは次の行を見る。


「完成原型は崖工房預かり。両家合意なく持ち出し不可」


沈黙。


リオは金型を見る。


次に帳簿。


どちらも無事だ。


ガロが言う。


「でも印はうちだ」


レナが返す。


「費用は半分出してる」


「材料は全部うちだ」


「設計料はこっち」


二人の声がまた上がる。


セドが額を押さえた。


「外でやってくれ」


「ここ外だ」


「もっと外」


ヴァンがリオを見る。


「どうした」


「いや」


「両方取れたぞ」


「うん」


「嬉しくない?」


リオはもう一度、金型と帳簿を見る。


「嬉しいよ」


本当にそうだった。


なくならなかった。


二つとも。


ただ、依頼人たちは、昨日より困った顔をしている。


「俺たちの仕事、ここまで?」


ヴァンがセドへ聞く。


「契約では」


「じゃあここまで」


ガロが振り返る。


「待て。どっちの証拠が強いと思う?」


ヴァンは即答した。


「知らない」


レナがリオを見る。


「あなたは?」


リオは少し考えた。


金型。


帳簿。


刻印。


折半。


どちらか一つしかなければ、もっと簡単だったのかもしれない。


「二つとも残ってよかったとは思う」


ガロが不満そうな顔をする。


「答えになってない」


「その質問の仕事、受けてないから」


セドが吹き出した。


ヴァンも少し笑った。


*


夜。


リオは食堂の椅子に座ったまま、急に両脚の力が抜けるのを感じた。


「二」


向かいのヴァンが言う。


「言う前に分かった?」


「昨日の橋のやつだろ」


「正解」


二秒。


戻る。


リオは足を組み直した。


返済は、それだけだった。


ヴァンがパンをちぎる。


「今日、借りた分は?」


「まだ」


「満杯?」


「今ので二秒空いた」


「じゃあ二秒だけ」


「そう」


ヴァンは頷いた。


「明日は休む?」


リオは答えようとして、やめた。


セドが食堂の入口に立っていたからだ。


帳面を持っている。


ヴァンも気づく。


二人で見る。


セドは少し考えてから、帳面を閉じた。


「今日はやめとく」


「仕事?」


リオが聞く。


「仕事」


「何」


「明日でいい」


セドは手を振って帰っていった。


ヴァンが言う。


「珍しいな」


リオも思った。


でも、悪くなかった。

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