一人で受ける
翌朝、リオが二本目のブーツの紐を締めたところで、部屋の扉が叩かれた。
ヴァンが開ける。
昨日の商隊にいた香料商の女が立っていた。
「朝から悪いね」
ヴァンが少し身構える。
「荷に何か?」
「荷じゃない。仕事」
女はリオも見た。
それから、ヴァンへ戻る。
「あなたに頼みたい」
リオは自然に立ち上がった。
「何を?」
ヴァンが横目で見る。
女は気にせず続ける。
「川倉庫に置いてある香料箱を一つ、昼までに商館へ運びたい。箱そのものより、封が切れてないことの証明が大事でね。倉庫の立会人も連れてくる」
「護衛?」
「半分。昨日、川側を決めたの、あなただろ」
ヴァンは一拍置いた。
「そう」
「途中で何か起きても、私の代わりに決めてほしい」
リオは口を開いた。
「じゃあ俺も――」
「一人で受ける」
ヴァンが言った。
リオの口が開いたまま止まる。
香料商の女も少しだけ驚いた。
「一人で足りるなら、私は構わないけど」
「足りる」
「護衛は?」
「現地で一人つけてくれれば」
「分かった」
女は報酬を伝えた。
悪くない。
リオは黙っていた。
女が帰る。
扉が閉まる。
「なんで?」
すぐに聞いた。
ヴァンは槍の穂先へ布を巻く。
「一回、自分の判断だけで最後までやりたい」
「俺、口出さないよ」
ヴァンが手を止めた。
リオを見る。
「いるだけで出すだろ」
「出さない」
「昨日、俺が荷の寄せ方決めたとき何か言いかけたよな」
「言ってない」
「顔で言ってた」
リオは少し考える。
「縄、持ってく?」
「持ってく」
「予備の短縄も」
「それは置いてけ」
「川沿いなら足場濡れてるかもしれないし」
「リオ」
「何」
「来ないでほしいって話してる」
リオは黙った。
ヴァンの声は怒っていなかった。
そのほうが、少し困る。
「……分かった」
「うん」
「でも長縄は持ってって」
「それは持つ」
「じゃあいい」
よくはなかった。
でも、今のところはそれで終わった。
*
ヴァンが出ていってから半刻もしないうちに、リオは宿を出た。
待っている理由がなかった。
昨日見損ねた南浴場へ行く。
正確には、風呂へ入る前に仕事をする。
浴場の主人が、昨夜の風で屋根の雨除け布が絡まったと言っていた。
直せば銀貨一枚と入浴代なし。
かなりいい。
浴場の裏口へ着くと、主人が屋根を見上げていた。
「本当に登れるのか?」
「登れる」
「未来のやつ使う?」
「使わなくても登れる」
「じゃあ安くならない?」
「なんで能力使わないと安くなるんだよ」
主人は笑った。
「冗談だ」
リオは屋根へ上がる前に、石段へ腰を下ろして水を飲んだ。
そのとき、両脚から力が消えた。
昨日、橋を飛んだ二秒。
リオは杯を持ったまま、足先だけを見る。
「二」
主人が不安そうに覗き込む。
「何が?」
「返済。脚」
「大丈夫なのか」
「座ってるから」
二秒。
戻る。
リオは立ち上がった。
「ほら」
「それ、いつ来るか分からないんだろ?」
「分からない」
「屋根の上じゃなくてよかったな」
「よかった」
本当にそうだった。
それだけ言って、梯子へ手をかけた。
屋根の仕事は、能力を使わなくてもできた。
絡んだ布をほどく。
切れた結び目を作り直す。
端を引いて張りを確かめる。
一度、風に煽られた。
でも、足を開いて踏ん張れば済んだ。
未来を借りなくても、自分の足はちゃんと使える。
主人が下から言う。
「早いな」
「風呂待ってるから」
「そっちか」
「そっち」
*
仕事を終え、湯に入る前に、リオは浴場の食堂で肉煮込みを頼んだ。
一人分。
少し広い。
卓も。
椅子も。
肉皿も。
二人で座ると狭いと思っていたのに、一人だと妙に余る。
「リオ?」
声がした。
セドだった。
「なんでいるの」
「風呂入りに来た人に言われたくない」
セドは向かいへ座る。
「ヴァンは?」
「仕事」
「別?」
「別」
セドが一瞬だけ面白そうな顔をした。
「ちょうどいい」
「何が」
「リオ名義で一件来てる」
肉を口へ運びかけた手が止まる。
「俺名義?」
「前借りできる冒険者に頼みたいって。明日の夕方。短い仕事。報酬はかなりいい」
「ヴァンは?」
「依頼人は特に指定してない」
「俺たち、共同だよ」
「知ってる」
「じゃあ二人名義でいいだろ」
セドは水を一口飲んだ。
「依頼人が欲しいのは、昨日橋を飛んだほうだ」
リオは少し嬉しかった。
そのあと、少し嫌だった。
順番が逆なら簡単だったのに。
「いくら?」
セドが額を言う。
かなりいい。
「内容は?」
「西門までの緊急搬送。人じゃない。鍵付きの箱」
「危険?」
「まだ詳しくは聞いてない。お前が受ける気あるか先に聞けって」
リオは肉をもう一口食べた。
「ヴァン帰ってから」
セドが眉を上げる。
「一人で受けない?」
「受けないとは言ってない」
「じゃあ?」
「帰ってから決める」
「意外だな」
「何が」
「すぐ取ると思った」
リオは皿を見る。
「取れるならね」
今は、まだ分からない。
*
夕方。
ヴァンは予定より少し遅く帰ってきた。
服の裾に泥がついている。
でも顔は悪くない。
「どうだった?」
リオが聞く。
「終わった」
「箱は?」
「商館」
「昼まで?」
「少し遅れた」
リオはすぐに言いかけた。
川沿いの裏道なら。
北の細路地なら。
荷を持って先に――
「俺なら」
ヴァンが手を上げた。
「聞いてから言え」
リオは口を閉じた。
少し間を置く。
「……何があった?」
ヴァンは椅子へ座った。
「倉庫の立会人が、途中で別の帳簿を取りに戻りたいって言った」
「戻ったの?」
「戻った」
「それで遅れた?」
「そう」
「箱だけ先に運べば」
ヴァンが見る。
リオは止まる。
「……証明が大事って言ってたな」
「立会人が、封を見たまま商館まで行くのが条件だった」
「そっか」
「早く着く仕事じゃなかった」
リオは背もたれへ寄りかかった。
自分なら、たぶん一度は箱だけ先に運ぶ方法を考えた。
たぶん、二つか三つ。
でも、それをやったら依頼人が欲しかったものは減る。
「成功?」
「成功」
「楽しかった?」
ヴァンは少し考えた。
「まあまあ」
それが少し悔しかった。
「風呂、行った?」
今度はヴァンが聞く。
「行った」
「どうだった」
「よかった」
「一人で?」
「一人で」
「ずるいな」
リオは思わず笑った。
「来ないでって言ったのそっちだろ」
「仕事に来るなって言った」
「先に言えよ」
「何を」
「風呂は一緒に行くって」
ヴァンも笑った。
それから、リオはセドの話をした。
リオ名義。
高い報酬。
西門への緊急搬送。
ヴァンは最後まで聞いた。
「受けたい?」
「報酬はいい」
「それは知ってる」
「仕事も気になる」
「じゃあ受ければ」
リオは少し眉を寄せる。
「二人で?」
ヴァンは肩をすくめた。
「そこから話せばいいだろ」
リオは頷いた。
それなら、まだ決められることが多い。




