別々の予定
翌朝。
リオが食堂へ下りると、宿の主人に紙を渡された。
「また手紙?」
「お前宛て」
「誰」
「読め」
短い封。
見覚えのある、細い字。
シアだった。
リオはその場で開ける。
> 東のミレイ湿原に初霜が来た。
>
> 霜硝子の葦原が出る。
>
> 二日後の朝、東門。
>
> 一週間くらい。
>
> 古い標識島を取り直す。
>
> 足が速いのが一人いると助かる。
>
> 見たいなら来る?
最後の一行だけ、少し字が小さい。
リオは二回読んだ。
「何」
ヴァンが後ろから来た。
「シア」
「仕事?」
「半分」
「何それ」
「見て」
渡す。
ヴァンが読む。
「霜硝子?」
「知らない?」
「名前だけ」
「俺知らない」
「じゃあ行きたいだろ」
「行きたい」
早かった。
*
霜硝子の葦原。
宿の主人に聞くと、知っていた。
東の湿原。
最初に強い霜が降りると、葦の表面に透明な鉱塩の膜ができる。
朝日が当たると、葦原全体が白い玻璃みたいに光る。
昼には少し溶ける。
また夜に凍る。
長くても十日ほど。
「音もするぞ」
主人が言う。
「音?」
「風で当たると、ちんちん鳴る」
リオはさらに行きたくなった。
「仕事何だっけ」
ヴァンが聞く。
「標識島」
「もう忘れてる」
「覚えてるよ」
シアたちの目的は、湿原の中に残る古い路標の測り直し。
普段は水と泥で近づきにくい場所が、初霜の時期だけ少し歩きやすくなるらしい。
危ない氷の上を歩くわけではない。
浅い水面と泥が固まり、踏める島が増える。
それでも、崩れた標識を拾うなら足の速い人間がいると楽。
「面白そう」
リオが言う。
「面白そう」
ヴァンも認めた。
「一緒に行く?」
口から出てから。
リオは昨日の紙を思い出した。
北。
六週間。
ヴァンを見る。
ヴァンも分かっていた。
「日、見るか」
*
部屋へ戻る。
机の上に二枚。
ネラからヴァンへ来た北の商隊。
シアからリオへ来た東の湿原。
地図も広げる。
「北は」
ヴァンが指で日付を押さえる。
「二日後の朝」
「返事は今日の夕方まで」
「うん」
「東も二日後」
「朝」
「一週間くらい」
「くらい」
リオは地図を見る。
東。
北。
全然違う。
「東、最初だけ見て北へ追う」
「何しに」
「霜硝子見る。標識一個取る。戻る」
「片道二日」
「馬借りたら」
「一日半」
「じゃあ」
「着いてすぐ帰るの?」
リオは黙る。
嫌だった。
せっかく行くのに。
葦原が光るところだけ見て、すぐ帰る。
シアの調査にもほとんど参加できない。
「逆」
リオが言う。
「ヴァンの北、最初だけ」
「何で」
「出発一緒に行く。最初の宿まで。それから東へ切る」
ヴァンは地図を見る。
「北へ一日行ってから東?」
「近道ある?」
「遠くなる」
「山越え」
「冬前だぞ」
「能力使えば」
「移動時間は増えない」
前にも言われた。
「じゃあ北の出発ずらす」
「商隊全部?」
「ネラに聞く」
「聞くのはいいけど」
ヴァンは止めなかった。
*
ネラは北門の組合にいた。
話をすると、地図も見ずに答えた。
「ずらせない」
「一日」
「無理」
「半日」
「もっと無理」
「何で半日のほうが」
「朝に門出るから」
ネラは帳面を閉じる。
「北の峠、六日目に中継宿へ入れたい。荷車十四台。途中の宿も人も押さえてる」
「ヴァンだけ後から追う」
ネラがヴァンを見る。
「できなくはない」
リオが顔を上げる。
「じゃあ」
「でも嫌」
ネラが言った。
「何で」
「欲しいのは初日から列の中段を見る槍役。後から来て道だけ歩く人じゃない」
ヴァンが頷く。
「分かった」
「あと、一枠だからね」
ネラがリオを見る。
「自腹でついてくるなら止めないけど、仕事はないよ」
「護衛手伝える」
「勝手に増える護衛、一番困る」
「そんなに?」
「指揮系統増えるから」
それはオルサにも似たことを言われそうだった。
リオは引いた。
「じゃあヴァンだけ」
「最初からそういう依頼」
ネラは悪くない。
本当に。
*
帰り道。
リオはまだ地図の中を歩いていた。
頭の中で。
北。
東。
一日。
一日半。
馬。
宿。
川。
「東、一日遅らせてもらう?」
ヴァンが聞く。
「霜待ってくれるかな」
「シアに聞けば」
「聞く」
宿へ戻る。
すぐ返事を書く。
> 三日後じゃ駄目?
>
> 途中合流は?
短く。
使いの少年へ渡す。
シアたちの宿泊所は町の東側。
返事は夕方に来た。
> 三日後でも湿原には入れる。
>
> でも先に外周を取るから、中央の標識島は三日目に行く予定。
>
> 途中合流でもいい。
>
> 霜硝子を見るだけなら、朝から来たほうがきれい。
最後。
> 私たちは予定どおり出る。
リオは紙を置いた。
「遅れて行けば?」
ヴァンが言う。
「行ける」
「じゃあ解決?」
リオは少し考える。
二日後。
ヴァンを北へ送り出す。
そのあと東へ。
片道一日半。
シアたちへ追いつくのは、たぶん二日目の夜。
中央の標識島には間に合う。
霜硝子も、まだあるかもしれない。
できる。
「できるね」
「なら」
「でも二日後の朝がいい」
ヴァンが見る。
「霜硝子?」
「うん」
「仕事じゃなくて?」
「仕事も」
「どっち」
「両方」
ヴァンは笑わなかった。
怒りもしなかった。
「じゃあ三日目に行けば」
「ヴァンは?」
「北」
「一人で?」
「商隊いる」
「そうじゃなくて」
言ってから、リオは止まる。
何が言いたいのかは分かっている。
ヴァンもたぶん分かっている。
少し間があった。
「今回」
ヴァンが言った。
「俺に来た仕事だから、俺でやりたい」
リオは黙る。
言葉は簡単だった。
分からないわけではない。
エルダの槍も。
北の仕事も。
ヴァンが自分で選んだ。
「俺が行ったら駄目?」
「駄目じゃない」
「じゃあ」
「楽にはなると思う」
「でしょ」
「でも、今回は俺でやりたい」
もう一度。
今度はそれ以上足すものがなかった。
リオは地図を見る。
北の道。
六週間。
「長いよ」
「長いな」
「途中で何かあったら」
「あるかも」
「前借りできないよ」
「知ってる」
「俺ならできる」
「知ってる」
全部知っている。
それでも行く。
リオは少しだけ腹が立った。
ヴァンにではない。
たぶん。
「新しい槍あるし」
ようやく言う。
ヴァンが少し笑う。
「ある」
「傷つけるなよ」
「使うための槍だ」
「帰ったら触らせて」
「考える」
「まだ?」
そこはいつも通りだった。
*
夜。
リオはシアへ返事を書いた。
> 二日後、東門。
>
> 行く。
それだけ。
ヴァンはネラへの返事を書く。
> 受ける。
>
> 二日後、北門。
机の上。
二枚の紙。
一つは東。
一つは北。
リオの部屋なのに、ヴァンの紙も同じ机にある。
「出す?」
リオが聞く。
「出す」
二人で階段を下りる。
宿の主人へ使いを頼む。
戻る。
「明日、準備?」
ヴァンが聞く。
「うん」
「東、寒いぞ」
「北のほうが寒い」
「たぶん」
「靴下」
「シアが持ってる」
「自分で持て」
「持つよ」
普通だった。
本当に。
でも、二日後。
リオは東門。
ヴァンは北門。
同じ部屋の机で、それぞれの荷物を考えている。
リオは地図を畳んだ。
東と北の線が、折り目で重なった。




