帰ってきた
帰り道の朝。
リオは荷車の横で靴を履いていた。
片足を上げたところで、急に体の向きが曖昧になる。
「三」
今度は自分で先に言った。
荷車へ手をつく。
二つ目の塔。
風の中で鏡枠を支えた平衡三秒。
一。
二。
三。
戻る。
「これで全部?」
ヴァンが聞く。
「全部」
未返済はゼロ。
十秒。
久しぶりに全部使える。
リオは靴紐を締め直した。
「使う予定は?」
後ろからオルサが言う。
「ない」
「よし」
「もう仕事終わったし」
「町へ着くまで仕事」
「厳しい」
トーマが笑った。
*
町へ戻ったのは、その日の夕方だった。
西門。
石畳。
屋台の匂い。
人の声。
海風ではない風。
長く離れていたつもりはなかったのに、町が少し狭く見えた。
組合の倉庫まで荷車を運ぶ。
赤い紐の箱を下ろす。
予備レンズ。
古い補正カム。
少量のねじ。
オルサが受領表へ名前を書く。
トーマが箱を最後に一度押す。
「これで終わりですね」
「終わり」
オルサが言う。
リオも言う。
「終わり」
「三回言わなくても終わる」
ヴァンが言った。
荷役の二人。
護衛。
順番に帰る。
トーマがリオへ手を上げた。
「また鏡運びます?」
「次はもっと丈夫なやつ」
「鏡にそれ求めないでください」
オルサが横から言う。
「次があるなら、最初から説明を聞く人だけ」
「今回は聞いた」
「途中から」
「でも六割まで上がった」
「最終的には七割」
「上がってる」
「残り三割を自覚して」
そこまで言って、オルサは少し笑った。
「じゃあ」
「また」
トーマも言う。
「また」
それで別れた。
*
宿の看板が見えた。
リオは走らなかった。
本当に。
少しだけ歩くのが速くなっただけだ。
ヴァンが何も言わないので、そのままにした。
扉を開ける。
帳場。
主人が顔を上げる。
「おかえり」
「ただいま」
言ってから、リオは一瞬だけ止まった。
主人はもう別の帳面を見ている。
特別なことではなかったらしい。
それでよかった。
「手紙あるぞ」
「何通」
「四」
「多い」
「一通は広告」
「それも俺宛て?」
「屋根直し」
「いらない」
「捨てる?」
「あとで見る」
主人が四通まとめて渡す。
「ヴァンのも一つ」
「また俺方?」
「今回はちゃんとヴァン殿って書いてある」
「進歩」
ヴァンが横から取った。
「誰が」
「差出人」
*
階段を上がる。
屋根裏。
腰袋から真鍮の鍵を出す。
鍵穴へ。
回す。
開く。
空気が止まっていた。
少し埃。
窓を開ける。
風が入る。
机。
棚。
引き出し。
町歩きの靴。
予備の服。
安い陶器の杯。
全部、出たときと同じ場所。
「埃増えた」
ヴァンが言う。
「それくらい」
リオは杯を持ち上げる。
埃を指で拭う。
「水入れる?」
「先に洗え」
「分かってる」
「本当に?」
「鏡じゃないんだから」
ヴァンが笑った。
リオは窓辺へ杯を置いた。
荷物を下ろす。
持って帰った服。
縄。
鉤。
短剣。
また部屋の物が少し増える。
*
手紙を机へ並べた。
一通。
宿の支払済み控え。
一通。
屋根修理の広告。
一通。
知らない町の食堂から、以前忘れた手袋を預かっているという知らせ。
「いつの」
ヴァンが聞く。
「覚えてない」
「もういらないだろ」
「でも俺の」
「取りに行く?」
「近く通ったら」
「そういうの増えるぞ」
「部屋あるから置ける」
「そういう話じゃない」
最後。
ヴァン宛て。
封を開ける。
読む。
ヴァンの動きが止まった。
リオはすぐ見る。
「エルダ?」
「うん」
「できた?」
「たぶん」
手紙を渡される。
短い。
> 柄と穂先、仮組み済み。
>
> 最終調整をしたい。
>
> 三日後までロア町。
>
> 午前なら作業場にいる。
リオが読む。
「行こう」
「俺の槍」
「知ってる」
「なんでお前が決める」
「行くでしょ」
ヴァンは少しだけ口元を上げた。
「行く」
「明日?」
「明日」
「馬車?」
「馬車」
「川は?」
「使わない」
「聞いてない」
ヴァンが手紙を取り返した。
*
夜。
風呂。
飯。
そのあと。
リオは自分の部屋へ戻った。
長い仕事のあとだから、もっと何かあると思っていた。
何もなかった。
服を畳む。
机の埃を拭く。
窓を閉める。
安い杯へ水を入れる。
飲む。
少し土の味がする。
「ちゃんと洗ったのに」
独り言が出た。
ベッドへ座る。
軋む。
前と同じ音。
引き出しを開ける。
家賃の受領書。
前の仕事の紙。
残っている。
閉める。
明日はロア町。
ヴァンの槍。
今日は、もう出なくていい。
リオは灯りを消した。




