持ち帰れるもの
朝食の途中。
リオの右手から力が抜けた。
木の匙が皿へ落ちる。
「三」
ヴァンが言う。
「また先に言う」
昨日、二つ目の塔で鏡枠を支えた握力三秒。
リオは手を膝へ置く。
一。
二。
三。
戻る。
「これで?」
トーマが聞く。
「平衡三秒だけ」
「七秒使える?」
「うん」
オルサが道具箱を閉じる。
「使う予定は作らないで」
「作らないよ」
「昨日作った」
「昨日は必要だった」
「それは認める」
*
三つ目の塔は、海沿いの崖から少し内側にあった。
一番低い。
一番古い。
隣に、屋根の半分落ちた小さな中継所がある。
「ここから回収する?」
リオが聞く。
「そう」
トーマが赤い紐の箱を見る。
一つ目の鏡を運んだ空箱。
途中で緩衝材を一部抜いた。
赤い紐はまだついている。
「何が残ってるかな」
リオが言う。
塔守が首を振る。
「十年まともに開けてない箱もある」
「十年?」
「使うものだけ使ってた」
オルサが嫌そうな顔をした。
「保管台帳は」
「ある」
「更新は」
塔守が少し黙る。
「たぶん」
「一番嫌な答え」
トーマが小声で言った。
*
三枚目の交換鏡は、驚くほど簡単についた。
台座の規格も合う。
固定ねじも生きている。
風も弱い。
「本当にこれでいい?」
リオが聞く。
「何が」
「何も起きない」
「起きなくていい」
トーマが言う。
「今日は助かります」
オルサも何も言わなかった。
鏡を載せる。
締める。
方位を合わせる。
遠くの二つ目の塔へ光を送る。
三。
間。
二。
返る。
三。
間。
二。
「三基目」
トーマが言う。
終わった。
本当に。
リオは少し物足りなかった。
でも、鏡は全部無事だった。
それでいい。
*
午後。
隣の中継所を開けた。
扉は半分歪んでいる。
ヴァンが肩で押す。
開く。
埃。
湿った木の匂い。
棚。
箱。
油壺。
古い工具。
「多い」
リオが言う。
「全部持つ気?」
オルサが聞く。
「見てから」
「いい答え」
リオは少し嬉しかった。
*
最初に見つかったのは、封印箱だった。
小さい木箱。
中に予備レンズが三枚。
布と紙で包まれている。
オルサが一枚ずつ見る。
「これ優先」
赤い紐の空箱へ入れる。
残っている成形材を寄せる。
一枚。
二枚。
三枚。
思ったより場所を取る。
「あとどれくらい」
ヴァンが聞く。
トーマが箱の中を見る。
「形のある保護は、二つ分くらい」
「小さいなら三」
オルサ。
「丸いのは無理」
次。
油具。
予備の金具。
新品に近い回転軸。
「これは?」
リオが持ち上げる。
「同じの持ってる」
トーマが言う。
「置く」
「きれいなのに」
「重いし、替えがある」
オルサも頷く。
リオは棚へ戻す。
まだ大丈夫。
*
奥の棚。
トーマが金属の円盤を見つけた。
手のひらより大きい。
歯が切ってある。
「これ古いやつ」
オルサが見る。
「方位カム?」
「たぶん」
トーマは埃を払う。
「今の規格と違う」
「じゃあ置く?」
リオが聞く。
トーマは答えなかった。
裏返す。
細い線。
削った跡。
穴が一つ、少し長い。
「待って」
オルサが取る。
「これ、加工してる」
「現場合わせ?」
ヴァンが聞く。
トーマが棚の横に貼られた古い紙を見る。
数字。
角度。
矢印。
「この塔、地盤が少し動いた記録ある」
オルサがカムと紙を見比べる。
「だから純正じゃ合わなくて、これで補正してた?」
「たぶん」
トーマの声が変わった。
さっきまでは、古い金具なら置いていく、という感じだった。
今は違う。
「持って帰ったほうがいいです」
オルサが聞く。
「理由」
「図面にこの削り、ないです」
「うん」
「今の部品に置き換えるなら、補正値から取り直しになる」
「うん」
「これ自体が記録です」
オルサが小さく頷いた。
「持つ」
トーマも頷く。
リオは少し笑った。
「何」
トーマが見る。
「前、古いのは替えればいいって言ってなかった?」
「全部じゃないです」
「今変わった?」
「見たら変わることもあります」
「いいね」
「何が」
「それ」
ヴァンが横から言う。
「煽るな」
「煽ってない」
*
問題は、箱だった。
予備レンズ三枚。
古い補正カム。
あと、油圧調整用の小さな器具。
全部入れたい。
でも、保護材が足りない。
赤い紐。
一つ抜いた角材。
二つ目の鏡を守るために使った。
その分がない。
「油具を外す」
オルサが言う。
「これはまた持って来られる」
トーマが頷く。
「カム優先」
「レンズ優先」
「その次カム」
「うん」
リオが棚を見る。
他にも使えそうなものはある。
新しい油壺。
真鍮の工具。
予備ねじ。
「これ全部、置く?」
「全部じゃない」
オルサが答える。
「持って帰れる分だけ」
「袋に入れれば」
「壊れていいものは袋でいい」
「じゃあ工具は」
「荷車に空きがあれば」
ヴァンが言う。
「重量はまだある」
「じゃあ工具は袋」
トーマがまとめる。
「油壺は?」
「漏れるから置く」
「軸」
「重い。置く」
「ねじ」
「少量だけ」
一つずつ。
思ったより普通だった。
誰かが「諦めろ」と言うわけでもない。
保護できるもの。
そのままでも運べるもの。
また作れるもの。
ここに残すもの。
分けるだけ。
*
リオは、乾かしていた古い緩衝材を持ってくる。
完全には元の形へ戻っていない。
でも柔らかい。
「これ、詰めに使える?」
オルサが触る。
「隙間なら」
予備レンズの横。
補正カムの周り。
リオが少しずつ詰める。
「押しすぎない」
「分かってる」
「そこもう少し」
「どっち」
「海側」
「箱に海側ある?」
「今はある」
「難しい」
トーマが笑った。
最後に蓋を閉める。
赤い紐。
トーマが外そうとして止める。
「まだ不足?」
リオが聞く。
トーマは箱を押す。
「不足じゃない」
「じゃあ外す?」
「回収仕様」
「何それ」
「中身変わったから」
赤い紐を結び直す。
意味が変わったらしい。
それでいい。
*
夕方。
三つ目の塔から最後の光を送った。
二つ目。
一つ目。
順番に返る。
三基。
全部動いている。
オルサが帳面へ線を引く。
「終わり」
今度こそ。
トーマが言う。
「帰れますね」
ヴァンが海を見る。
「長かった」
リオは数える。
何日目か。
途中で分からなくなった。
でも、部屋を出てからずいぶん経った。
「帰ったら何する?」
トーマが聞く。
ヴァンはすぐ答える。
「槍」
「完成してるんですか」
「たぶんまだ」
リオが言う。
「俺は風呂」
「部屋じゃないの」
ヴァンが聞く。
「両方」
言ってから、少し笑った。
今回は誰も止めなかった。
*
帰りの荷車。
交換鏡はもう載っていない。
三枚とも塔に残った。
代わりに、赤い紐の箱が一つ。
中には予備レンズ。
古い補正カム。
少量のねじ。
それだけ。
運んできたもの全部が残ったわけではない。
残っていたもの全部を持ち帰るわけでもない。
でも、三つの塔は光を返す。
それを見てから出発した。
リオは荷車の横を歩く。
平衡三秒の返済は、まだ来ていない。
使えるのは七秒。
帰り道には、それで十分そうだった。




