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未来の自分から能力を前借りする俺は、どっちも諦めない  作者: 綴木 灯
海沿いの三つの塔

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23/26

海霧

朝。


見張り塔の一階で、リオは硬いパンをちぎっていた。


右手の握力が急に抜けた。


パンが皿へ落ちる。


「二」


ヴァンが言う。


「先に言われた」


昨日、補助索をつかんだ二秒分。


リオは手を膝へ置く。


一秒。


二秒。


戻る。


パンを拾う。


「これで?」


トーマが聞く。


「平衡二秒だけ残り」


「便利ですね」


「この前ネラにも似たこと言われた」


「誰です」


「馬の人」


「分かりません」


オルサが奥から言った。


「食べたら上。鏡つけるよ」


リオは残りのパンを口へ入れた。


*


塔の上は、風が強かった。


海が全部見える。


昨日までは。


今日は、朝のうちはまだ見えていた。


東。


細い岬。


その先に、次の見張り塔。


かなり小さい。


「向こうまで光届く?」


リオが聞く。


「届くように合わせる」


オルサが答える。


交換鏡は、昨日運んだ一枚。


丸い枠ごと、古い台座へ乗せる。


トーマが固定ねじを一本ずつ締める。


オルサが横で位置を見る。


ヴァンは工具箱が風で動かないよう縄を掛けた。


リオは言われたものを渡す。


「六角」


「これ?」


「それ」


「短いやつ」


「これ?」


「それ」


「便利」


「今はね」


鏡の裏には、細い目盛りがついていた。


台座側にも真鍮の輪。


数字。


線。


リオにはよく分からない。


「向こう見ながら合わせるんじゃないんだ」


「最後は見る」


オルサが言う。


「先に記録方位へ置く」


「記録方位?」


トーマが説明する。


「塔ごとに向きが決まってるんです。前の台座が生きてれば、まずそこへ戻せる」


「それで終わり?」


「終わらない」


オルサ。


「台座も少しずれる。鏡も個体差ある。最後に実際の返答を見る」


「返答?」


「光を送る。向こうが受けたら返す」


リオは次の塔を見る。


「楽しそう」


「仕事」


「分かってる」


*


昼前。


鏡の固定が終わった。


トーマが開閉板を取り付ける。


鏡の前を、一枚の黒い板が動く。


開く。


閉じる。


開く。


閉じる。


「それで合図?」


「そう」


「速くできる?」


「できるけど、速ければいいわけじゃない」


「何回?」


オルサが言う。


「確認は三、間、二」


リオが真似する。


「三、間、二」


「勝手に送らない」


「送ってない」


そのときだった。


海の向こう。


次の塔の下。


白いものが広がった。


最初は波しぶきみたいに見えた。


違う。


海面から、薄い布を引くみたいに上がってくる。


「霧」


トーマが言う。


オルサが鏡の向こうを見る。


白い帯が岬へかかる。


次の塔が半分消える。


「早く送る?」


リオが聞く。


「まだ」


「見えるうちに」


「向こうが準備できてない」


「じゃあ声」


「届かない」


白がさらに広がる。


岬。


塔。


海。


全部薄くなる。


一分もしない。


次の見張り塔が消えた。


リオは柵へ近づく。


「上なら?」


オルサが見る。


「ここ塔の上」


「もっと上」


「どこ」


リオは屋根の先を見る。


ヴァンが言う。


「やめとけ」


「登るだけなら」


オルサが言う。


「十歩高くなっても霧の中」


「岬の先まで行けば」


「向こうの岬も霧」


「じゃあ――」


言葉が止まる。


脚を借りても。


平衡を借りても。


速く走っても。


見えないものは見えない。


「待つ?」


トーマが言う。


オルサが頷く。


「その前に、見えなくてもできるところまでやる」


*


鏡を記録方位へ合わせる。


真鍮の目盛り。


固定ねじ。


水平器。


リオは水の入った小瓶みたいな器具を見る。


中の気泡が動く。


「それ面白い」


「触らない」


「分かってる」


トーマが笑う。


「だいぶ早く覚えましたね」


「昨日の半分褒められたから」


オルサが聞く。


「誰に」


「オルサ」


「半分しか褒めてない」


「だから半分」


鏡の角度。


台座。


開閉板。


一つずつ確認する。


霧は濃いまま。


向こうは見えない。


「これで合ってる?」


リオが聞く。


「機械としては」


オルサが答える。


「でも実際に向こうへ届くかはまだ」


「今送っても?」


「何も分からない」


「向こうがたまたま見てたら」


「こっちから向こうが見えないなら、向こうからもほぼ見えない」


「ほぼ?」


「風で切れ目が違うことはある」


リオは海を見る。


白い。


「じゃあ、ちょっと向こうへ近づけば」


ヴァンが言う。


「まだ言う?」


「確認」


オルサは怒らなかった。


「近づいても、その地点で見えるだけ。塔の鏡が向こうへ届くかは確認できない」


「あ」


それなら意味がない。


自分が見えても。


鏡から見えなければ。


「そういうこと」


オルサが言った。


*


待つ時間ができた。


リオは最初、塔の中を二周した。


次に、昨日外れた案内輪の新しいピンをトーマと削った。


そのあと、残り二枚の鏡箱の留め具を確認した。


オルサの指示で。


勝手には触っていない。


一刻。


まだ霧。


二刻。


まだ白い。


「長い」


リオが言う。


塔守の男が湯を飲みながら答える。


「この季節なら普通」


「毎回待つ?」


「待つ」


「暇じゃない?」


「塔守にそれ聞く?」


「ごめん」


ヴァンは壁際で槍の柄に油を塗っている。


今の槍。


エルダへ頼んだ新しい槍は、まだない。


「新しいやつ、いつできるかな」


リオが言う。


「今その話?」


「待ってるから」


「帰ってから」


「長い」


「仕事も長いだろ」


「二十日」


「順調なら十八」


「部屋、十八日空く」


ヴァンが一度だけこちらを見る。


「もう払っただろ」


「払った」


「じゃあ今考えても増えない」


それもそうだった。


リオは窓へ戻る。


白い。


*


午後。


風向きが変わった。


最初に塔守が気づいた。


「西が切れる」


全員が上へ出る。


霧が薄くなる。


白の向こうに、海。


次に岬。


塔。


「見えた」


リオが言う。


「まだ」


オルサが鏡の前へ座る。


トーマが台座を固定。


「方位、そのまま」


「はい」


「板」


「動きます」


オルサが鏡をわずかに振る。


太陽を拾う。


白い光が走る。


開閉板。


一。


二。


三。


間。


一。


二。


遠くの塔。


何もない。


リオは息を止める。


「ずれてる?」


「待つ」


オルサが言う。


数秒。


遠く。


小さな光。


一。


二。


三。


間。


一。


二。


返ってきた。


「来た!」


トーマが言う。


オルサはすぐ次の確認をする。


角度をほんの少し変える。


もう一度。


三。


間。


二。


向こう。


三。


間。


二。


「通った」


オルサが言った。


それだけだった。


でも、リオはかなり嬉しかった。


「終わり?」


「一基目は」


「じゃあ次」


「今日は下ろす」


「まだ明るい」


「霧で二刻遅れた」


「明るいよ」


「次の塔まで今日着かない」


リオは海を見る。


道は続いている。


でも、距離は距離だった。


未来の数秒では埋まらない。


「了解」


今回は早かった。


ヴァンが少しだけ笑った。


*


出発前。


オルサが残り二つの鏡箱を確認した。


一つ。


問題なし。


二つ目。


手が止まる。


「トーマ」


「はい」


箱の下側。


緩衝材の一角が湿っている。


昨日の海風と飛沫を吸ったらしい。


鏡そのものには触れていない。


でも、押すと少し沈み方が違う。


「次の塔までこれで行ける?」


トーマが聞く。


オルサはすぐには答えなかった。


「このままは嫌」


「交換材、あります?」


「少しだけ」


「足ります?」


「全部は無理」


リオが覗く。


「乾かす?」


オルサが見る。


「それは候補」


「触っていい?」


「まだ駄目」


「了解」


一基目は終わった。


でも、残り二枚は同じ状態ではなかった。


荷車へ積み直す。


海霧はまた岬の向こうへ広がり始めていた。

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