寸法を測る
ロア町には、前の日の夕方に入った。
今回は渡し舟を使わなかった。
別に川が嫌いになったわけではない、とヴァンは言った。
「聞いてない」
リオが言う。
「先に言っとく」
「誰も疑ってないよ」
「ならいい」
二人は朝一番で、鍛冶通りへ向かった。
*
エルダの店は、店というより作業場だった。
表に看板はない。
軒先に、槍の柄だけが六本並んでいる。
穂先は一本もない。
「ここ?」
リオが聞く。
ヴァンは手紙を見る。
「ここ」
戸を開ける。
中では、短い髪の女が木材を削っていた。
年齢はよく分からない。
四十くらいにも見えるし、もっと上にも見える。
腕に木屑がついている。
「ヴァン?」
女が先に言った。
「そう」
「エルダ」
それだけ。
ヴァンが今の槍を差し出す。
エルダは受け取る。
すぐには何も言わない。
穂先。
柄。
石突き。
握りの擦れ。
一度、床へ水平にして持つ。
「長く使ってる」
「三年」
「直してるね」
「自分で」
「見れば分かる」
ヴァンが少しだけ嫌そうな顔をした。
リオは笑わなかった。
たぶん今は笑うところじゃない。
*
エルダは槍をヴァンへ返した。
「構えて」
ヴァンが構える。
「いつも通り」
「いつも通り」
「格好つけなくていい」
「してない」
「肩上がってる」
ヴァンは肩を落とした。
リオは今度こそ少し笑った。
「何」
ヴァンが見る。
「何も」
エルダは紐を出した。
手の位置。
肘。
肩から穂先まで。
踏み込み幅。
順番に測る。
「何が嫌」
ヴァンが少し考える。
「嫌ってほどじゃない」
「じゃあ何を変えたい」
「長く持ったとき、穂先が少し前に残る」
エルダが頷く。
「軽くしたい?」
「違う」
「じゃあ」
「重さは欲しい」
ヴァンは槍を少し持ち上げる。
「止めるときに、軽すぎるのは嫌だ」
「でも前が重い」
「そう」
エルダはそこで初めて少し笑った。
「なら全体を軽くする話じゃないね」
奥から柄を三本持ってくる。
どれも穂先はついていない。
一本目。
今の槍より少し細い。
二本目。
太さは近い。
三本目は黒っぽくて重そうだった。
「順番に持って」
ヴァンが一本目を取る。
構える。
一度突く。
戻す。
「軽い」
「嫌?」
「速いけど、嫌」
二本目。
握る。
突く。
石突きを半歩引く。
少し長く持つ。
「これ」
リオが言いそうになった。
ヴァンがこっちを見る。
言っていない。
でも、たぶん顔に出た。
リオは口を閉じる。
ヴァンは三本目も持った。
「重い」
「嫌?」
「重いけど、重心は近い」
エルダが言う。
「同じ重さでも置く場所で変わる」
ヴァンは二本目へ戻る。
しばらく握る。
「二本目に、もう少し後ろ」
「何を」
「重さ」
エルダが頷く。
「できる」
「穂先は今より少し短く」
「理由」
「狭いところで返しやすくしたい」
「届かなくなる」
「今より少しなら」
「止める仕事が多い?」
「多い」
リオは横で聞いていた。
ヴァンが前から言っていたことと同じだった。
敵を追い回すより。
通さない。
止める。
最後だけ突く。
だからその槍が欲しい。
リオが考えるより、ずっと前からヴァンの中では形があったらしい。
*
エルダは紙へ寸法を書いた。
「すぐは無理」
「分かってる」
「冬前までに一度、西へ戻る。そのとき受け取るか、預け先を決める」
「いくら」
金額が出る。
ヴァンが少しだけ黙った。
高い。
リオにも分かる。
「預かりは?」
エルダが言う。
半額ではない。
でも軽くもない。
ヴァンは財布を見る。
「払う」
即答ではなかった。
ちゃんと数えてから。
金を出す。
エルダが受け取る。
「途中で気が変わったら?」
「材料切る前なら変える」
「切ったあと」
「相談」
「返金は」
「全部はしない」
ヴァンが頷く。
リオが聞く。
「完成したら俺も触っていい?」
エルダが見る。
「ヴァンがいいなら」
ヴァンが言う。
「駄目」
「なんで」
「最初は俺」
「そのあと」
「そのあと考える」
リオは少し不満だった。
でも、そういうものかもしれない。
*
昼前にロア町を出た。
帰りは乗合馬車。
ヴァンが払った。
「贅沢」
リオが言う。
「夕方の顔合わせに遅れるよりいい」
「槍代払ったばっかりなのに」
「だから何」
「カード減らす?」
「しばらく」
「しばらく?」
「全部やめるとは言ってない」
そこは変わらない。
リオは笑った。
*
夕方。
西部街道連絡組合の倉庫には、三つの大きな箱が並んでいた。
箱というより、木枠だった。
厚い布。
革紐。
中にさらに丸い枠。
外から中身は見えない。
「触らないで」
入った瞬間に言われた。
リオはまだ何も触っていなかった。
「触ってない」
「触りそうだった」
「なんで」
「目」
女は箱の前へ立つ。
三十代くらい。
濃い茶色の髪を後ろでまとめている。
腰に小さな工具袋。
「オルサ。信号機構担当」
その横の若い男が手を上げる。
「トーマ。補助」
リオも名乗る。
ヴァンも。
オルサは三つの箱を見る。
「これが今回の一番大事な荷物」
「鏡?」
リオが聞く。
「交換鏡」
「見ていい?」
「見るだけ」
オルサが一つの木枠を開ける。
布をめくる。
銀色の円盤。
でも、ただの鏡ではなかった。
裏側に細い金属枠。
縁に小さな調整ねじ。
「きれい」
リオが言う。
「だから触らない」
「汚れるから?」
「それもある」
オルサは木枠の下へ薄い板を差した。
少し持ち上げる。
ほんのわずか。
それから落とす。
こと、と小さな音。
「今ので割れた?」
「割れない」
「じゃあ」
「でも、もっと強くやれば枠がずれる」
トーマが横から言う。
「見た目で分からないこともあります」
「塔へつけて、光を送って、向こうへ届かない」
オルサが言う。
「そうなってから気づく」
リオは円盤を見る。
「じゃあ落とせない」
「落とさない」
「傾けるのは?」
「箱ごとなら範囲内。勝手にやらない」
「走るのは?」
オルサがリオを見る。
「箱持って?」
「たとえば」
「やらない」
即答だった。
ヴァンが少し笑った。
「相性悪そう」
「まだ何もしてない」
「今からするつもりだっただろ」
リオはヴァンを見る。
「オルサまで先回りするようになったら嫌だな」
「何を」
「止めるの」
*
顔合わせは、荷物の順番を確認して終わった。
交換鏡三枚。
油具。
回転軸。
工具。
最後の塔から回収する空箱。
同行する荷役二人と護衛一人もいたが、名前を覚えるのは明日でいいと言われた。
「出発は明後日の朝」
オルサが言う。
「明日は?」
「荷の最終固定」
「手伝う?」
「指示したところだけ」
「分かった」
「本当に?」
今度はヴァンが笑った。
*
翌日は、ほとんど準備だけだった。
リオは部屋へ戻る。
長い仕事。
でも、持っていくものは前より少ない。
町靴。
安い杯。
予備の服。
置いていく。
机の引き出し。
家賃の受領書。
そのまま。
鍵だけは持つ。
翌朝。
町を出る。
西へ。
半日歩くと、空の色が変わった。
山の向こうではなく。
地面の向こうまで続いている。
海だった。
リオは少しだけ足を速めた。
「荷から離れるな」
オルサが後ろから言った。
「見てるだけ!」
「前見て歩いて!」
海は逃げない。
たぶん。
リオは歩く速度を戻した。




