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未来の自分から能力を前借りする俺は、どっちも諦めない  作者: 綴木 灯
鍵を返さない部屋

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18/21

留守でも家賃

水路の仕事から戻った翌日。


リオは帳場で、宿の主人に紙を一枚渡された。


「何これ」


「次の月の締め日」


紙には日付と金額。


部屋代。


「もう?」


「もうって何だ」


「借りたばっかり」


「だから次の話してる」


リオは紙を見る。


一か月。


毎日ここにいれば、たぶん得だ。


十日いなければ。


二十日いなければ。


「いない日、安くならない?」


「ならない」


「やっぱり?」


「昨日聞いただろ」


聞いた。


でも、紙になると少し違った。


*


昼前。


宿へネラが来た。


前に商隊護衛で一緒になった、赤茶の短い髪の女だ。


「生きてた」


ネラが言う。


「そっちも」


「失礼だな」


「何しに来たの」


「仕事」


ヴァンが食堂の奥から顔を出す。


「何日」


ネラが笑う。


「先にそこ聞く?」


「この前長かったから」


「今回は六日」


リオが紙を見る。


まだ手に持っていた。


ネラが気づく。


「何それ」


「家賃」


「部屋借りたの?」


「うん」


「へえ」


それだけ。


ヴァンが席へ座る。


「仕事は」


ネラも座る。


「塩運び。北東の下道」


マーレたちと調べた峠の下側。


荷馬向けに使えるかもしれないと見つけた迂回線。


簡単な整備が入ったらしい。


「もう通すの?」


リオが聞く。


「試験で少量だけ。正式じゃない」


ネラが指を六本立てる。


「往復六日。途中の塩泉で積む。荷馬四頭」


「俺たち必要?」


「本線は大丈夫。塩泉へ下る横道がまだ怪しい」


ヴァンが聞く。


「崩れ?」


「足場」


ネラは言った。


「人は行ける。荷馬が微妙」


リオは家賃の紙を見る。


六日。


ひと月の五分の一くらい。


部屋は、その間ずっと空く。


「報酬は?」


ネラが額を言う。


悪くない。


「家賃分は出る?」


ヴァンが聞く。


ネラが眉を上げる。


「知らないよ。こっちは仕事の値段出してる」


正しい。


リオは少し笑った。


「行く」


「部屋どうすんの」


「置いとく」


「それが部屋じゃないの」


「そうなんだけど」


そこが少し悔しい。


*


出発前。


リオは部屋の鍵を閉めた。


中には着替え。


町靴。


予備鉤。


昨日市場で買った安い陶器の杯。


持っていかない。


六日間。


誰も使わない。


家賃はそのまま。


「忘れ物?」


ヴァンが階段の下から聞く。


「ない」


「じゃあ行くぞ」


「うん」


リオは鍵を腰袋へ入れた。


*


峠の下道は、調査したときより歩きやすくなっていた。


倒木が切られている。


ぬかるみには平石。


白い標識杭も増えた。


「俺の杭」


リオが言う。


ネラが見る。


「役所の杭でしょ」


「拾ったの俺」


「じゃあ半分お前」


「半分?」


「杭一本に所有権主張する?」


「しない」


ヴァンが後ろから言う。


「なら歩け」


一日目の昼。


道端で休んでいると、リオの両脚から力が抜けた。


「あ」


その場に座っていたので、転ばない。


「二?」


ヴァンが聞く。


「二」


水路の点検台へ渡ったときの脚。


二秒。


終わり。


ネラが干し肉を噛みながら言う。


「便利なのか不便なのか分からないね」


「便利だよ」


「今は座ってたからでしょ」


「それも込み」


「前向き」


「借りたとき便利だったし」


ネラは肩をすくめた。


「ならいいけど」


*


一日目の夕方。


野営地で飯を食べていると、リオの体が一瞬だけ傾いた。


「二」


自分で言う。


平衡の返済。


ヴァンが鍋を少し遠ざける。


二秒。


戻る。


「これでゼロ?」


「ゼロ」


「部屋もゼロ人」


ネラが言った。


リオが見る。


「今それ言う?」


「家賃気にしてたから」


「気にしてる」


「でも来た」


「仕事もしたいし」


「部屋も欲しい」


ネラが笑う。


「忙しいね」


リオは否定しなかった。



*


三日目。


塩泉へ下る横道へ入った。


本線より細い。


山肌から白い水が流れている。


石が少し滑る。


荷馬は慎重に歩いていた。


先頭はネラ。


ヴァンは二頭目。


リオは後ろ。


問題が起きたのは、折り返しのところだった。


三頭目の荷馬が足を滑らせた。


完全には落ちない。


前脚だけが下の段へ出る。


荷は上。


馬だけ斜めになる。


「動かすな!」


ネラが叫ぶ。


御者が綱を止める。


ヴァンがすぐ後ろの馬を下げる。


リオは下を見る。


一段下に、狭い岩棚。


馬の前脚はそこへついている。


「引き上げる?」


リオが聞く。


「待って」


ネラが馬の目を見る。


鼻息。


耳。


「暴れてない」


「荷下ろす?」


ヴァンが聞く。


「片側だけ」


ネラは即答する。


「全部外すと重心動く」


リオは手を出さない。


馬はネラの仕事だ。


ヴァンが荷綱を一本外す。


リオは受け取る。


塩袋。


重い。


「俺、下行く?」


「行かない」


ネラが言う。


「なんで」


「馬が人見て動くかもしれない」


「じゃあ何する」


「上から支えて」


ヴァンが縄を出す。


「胴へ回す」


ネラが頷く。


三人で位置を作る。


ゆっくり。


荷を一つ外す。


縄を締める。


御者が声を掛ける。


馬が前脚を戻す。


一度、滑る。


リオが縄を引く。


ヴァンも。


ネラが頭を上げさせる。


戻った。


「終わり?」


リオが聞く。


ネラが馬の脚を見る。


「まだ」


しばらく確認。


傷は浅い。


「歩ける」


ようやく終わった。


リオは能力を使わなかった。


使えるのは八秒。


でも、使う場所がなかった。


それでよかった。


*


六日目の夜。


町へ戻った。


報酬を受け取る。


ネラと別れる。


宿へ入る。


帳場の主人が言う。


「おかえり」


リオは少し止まった。


前から言われていたかもしれない。


でも今日は少し違って聞こえた。


階段を上がる。


屋根裏。


鍵を出す。


六日ぶり。


開ける。


空気が少しこもっている。


窓を開ける。


棚。


机。


引き出し。


安い杯。


全部そのまま。


床に少し埃。


「掃除してない」


後ろからヴァンが言う。


「俺の部屋だからね」


「嬉しそうに言うな」


リオは布を取った。


机を拭く。


家賃は六日分、何もしていない。


それでも、なくなってはいなかった。


どちらも本当だった。

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