中継所の報告
五日目の朝。
最後に残っていた排水線を測り終えたのは、太陽が木の上へ出たころだった。
マーレが帳面を閉じる。
「これで行ける」
リオがすぐ聞く。
「中継所?」
「中継所」
今日は止められなかった。
リオは少しだけ勝った気がした。
「そんなに嬉しい?」
シアが言う。
「屋根あるから」
「昨日から見えてたけど」
「今日は入れる」
ヴァンが荷を背負った。
「歩け」
四人で最後の坂を下った。
*
中継所は、近くで見ると古かった。
でも屋根はあった。
壁もある。
扉も閉まる。
中へ入ると、乾いた木の匂いがした。
「床」
リオが言った。
「あるね」
シアが答える。
「平ら」
「見れば分かる」
「屋根もある」
「昨日から見えてた」
「今日は中にいる」
ヴァンが荷物を下ろす。
「そんなに嬉しい?」
リオは答えなかった。
嬉しかった。
野営のあとなら、椅子が四脚あるだけでも立派な宿に見える。
奥には古い机。
壁に色あせた路線図。
小さな暖炉まで残っている。
マーレは休むより先に机を拭いた。
「報告まとめる」
「今?」
リオが聞く。
「忘れる前」
シアも測量箱を開いた。
ヴァンがため息をつく。
「先に水くらい飲ませろ」
マーレは少し考えてから頷いた。
「十分」
リオが言う。
「昨日と同じ」
ヴァンが言う。
「今日は取りに行くものないぞ」
*
報告は、思ったより地味だった。
マーレが地図を広げる。
測った区間を三つに分ける。
「まず、今のまま使えるところ」
ヴァンが地図の南側を指した。
「入口から第一標識まで。路肩だけ掃除すれば、人は通せる」
シアが補う。
「荷馬はまだ。幅が足りない場所が二つ」
マーレが書く。
「次。手入れすれば使えるところ」
リオが昨日までの道を思い出す。
「標識杭を落としたとこの下」
シアが地図へ線を引く。
「こっちの迂回線」
「傾斜は緩い」
ヴァンが言う。
「幅取れば荷馬も行ける」
マーレが頷く。
「排水溝を二本。倒木撤去。標識追加」
リオは少し嬉しくなる。
あの杭を拾わなければ、ここまで細かく線は取れなかった。
シアがこちらを見る。
「杭の話なら、役立ったってもう言った」
「まだ何も言ってない」
「言いそうだった」
マーレが机を指で叩いた。
「次」
三つ目。
閉鎖。
昨日崩れた石棚。
誰も迷わなかった。
「旧棚線は閉鎖」
マーレが赤く塗る。
「部分補修じゃ足りない」
シアが言う。
「山側から作り直すなら別」
ヴァンが頷く。
「今の再開計画からは外す」
リオも何も言わなかった。
もう道は半分落ちている。
そこへ一秒使っても、地図の赤は変わらない。
*
最後に、ハルドの帳面を開いた。
シアが古いページを押さえる。
「ここ」
昨日読んだ水筋の記録。
春。
地中水。
排水位置の変更。
マーレは今朝の測量値と比べる。
「今も同じところ湿ってる」
「少し西へ広がってる」
シアが言う。
ヴァンが聞く。
「これで何が変わる」
マーレは地図上の擁壁を指した。
「修理を始める場所」
「道そのものじゃなくて?」
「道を直す前に、水を逃がす」
シアが言った。
「ここ塞いだまま石積み直しても、また押される」
リオは帳面を見る。
「じゃあ結構役立った」
「役立った」
マーレが答える。
「なくても閉鎖と迂回の判断はできたけど、修理の順番は良くなる」
シアが帳面をそっと閉じる。
少し満足そうだった。
リオは帳面とシアを交互に見る。
「役立ったからって何」
「何も」
ヴァンが言う。
「二人とも仕事しろ」
*
昼。
報告の骨組みができたところで、ようやく食事になった。
硬いパン。
干し肉。
残っていた塩辛い果物。
リオは椅子へ座ったまま、急に体の向きが分からなくなる感覚を覚えた。
「あ」
机へ手をつく。
ヴァンが見る。
「平衡?」
「二」
標識杭を拾ったときの返済。
二秒だけ、椅子の背と机に体を預ける。
戻る。
「これでゼロ?」
シアが聞いた。
「ゼロ」
「いいな」
リオがシアを見る。
「そっちは六秒」
「知ってる」
言い方が少し嫌そうだった。
その少し後。
シアが水を取りに立とうとして、そのまま椅子へ座り直した。
「脚?」
リオが聞く。
「三」
昨日の分だ。
シアは自分で数えた。
三秒。
戻る。
立ち上がる。
「これで三秒」
「いつもの範囲」
「そう」
「嬉しい?」
「ちょっと」
「取ったの後悔してる?」
シアは水差しを持つ。
「してない」
即答だった。
「でも六秒は多い」
「俺は七秒使ったことある」
「知ってる。風箔虫でしょ」
リオが止まる。
「なんで知ってるの」
「マーレ」
マーレが顔を上げる。
「聞かれたから」
「何を」
「変な使い方するか」
「それで風箔虫出す?」
「分かりやすい」
シアが笑った。
「七秒で虫見に行く人に、六秒で帳面取ったこと何か言われたくない」
「何も言ってないって」
今度は全員が笑った。
*
報告書は、その日の夕方までにまとまった。
最終判断はマーレが書いた。
全面再開ではない。
全面閉鎖でもない。
南側の安全区間は、人の通行を条件付きで再開。
荷馬は、途中で見つけた下側の迂回線を整備してから。
膨らんだ擁壁は、排水を先に直す。
旧棚線は閉鎖。
大規模修理まで使わない。
リオは地図を見る。
緑。
黄。
赤。
全部つながっているわけではない。
でも、通れる線は残った。
「これで終わり?」
「現地は」
マーレが言った。
「帰って提出。工事担当が確認。問題なければ一部から開ける」
「俺たちの仕事は?」
「帰るまで」
ヴァンが言う。
「まだ山の中だ」
「分かってる」
リオは椅子へ深く座った。
「今日はここで寝る?」
マーレが頷く。
「屋根あるから」
それだけでかなり嬉しかった。
*
帰りは、来た道をそのまま戻らなかった。
調査で残した仮線を確認しながら、二日かけて町へ下った。
帰路の二日目。
昼休みの平らな石に座っているあいだに、シアの平衡三秒の返済も終わった。
これでシアも未返済はゼロになった。
シアは何事もなかったように干し果物を一つ投げてきた。
リオが受け取る。
しょっぱい。
*
北門が見えたとき、リオはかなり本気で走りたくなった。
能力を使うほどではない。
普通に早足になる。
「何急いでる」
ヴァンが言う。
「風呂」
「宿だろ」
「風呂入って、飯食う」
「順番まで決めてるのか」
「大事」
シアが横から言う。
「私は靴下洗う」
「替えいっぱいあるじゃん」
「使ったぶん洗う」
「帰ってまで?」
「帰ったから」
マーレは役所へ。
シアは測量道具を返しに別の倉庫へ。
北門の前で一度止まる。
シアが言った。
「あの杭」
「何」
「取って正解だった」
リオが少し笑う。
「あの棚」
「何」
「切って正解だった」
シアも少し笑った。
「でも、杭は四秒使わなくても取れたかもしれない」
「棚も一秒で見に行けたかもしれない」
「行っても道にならなかった」
「杭は役立った」
「知ってる」
ヴァンが間へ入る。
「終わらないから帰れ」
「またね」
シアが言う。
「また」
リオも答えた。
それで別れた。
*
宿の看板が見えた。
リオは少しだけ歩く速度を上げる。
風呂。
温かい飯。
同じ食堂。
同じ階段。
何度も寝ている部屋。
そのどれも、自分のものではない。
でも今は、それでよかった。
早く戻りたかった。




