第29話 大神官イグナチオの告白(1)
「ジグムンド陛下」
イグナチオは白のシーツの上に、白の上掛けが一枚だけ掛けられた簡素なベッドの上に起き上がり、頭を下げた。
聖女就任式の日から、三日経っている。
顔色はだいぶ戻っているが、右肩から胸にかけて、しっかりと包帯が巻かれていた。
「傷はどうだ」
ジグムンドが病室の椅子に腰かけると、同行している補佐官とロアノーク宰相であるベネトは少し離れた椅子に座った。
「おかげさまで、経過はよいとのことでございます」
ジグムンドはうなずいた。
エリザベスの聖女就任式で、アイリスを害そうとしたイグナチオは、ユーグの剣に右肩を貫かれた。
出血が多く、生死が危ぶまれたが、順調に回復し、今は宮殿の医療室から神殿に作られた病室へと移っていた。
「そろそろ、話したくなった頃かと思うが」
ジグムンドの言葉は少なかった。
しかし、イグナチオはうなずいた。
「お話いたしましょう。そうですね、まず——。エリザベスのことから」
イグナチオはジグムンドから視線を外すと、窓に目を向けた。
窓の外には、大神殿の中庭に植えられた、青々とよく茂った松の木が見えていた。
「お察しのとおり、エリザベスは魅了の魔法を使うことができます。下町の聖女という評判を聞き、エリザベスに会いに行ったところ、エリザベスは回復魔法を使っているのではなく、心身に不調のある者に魅了の魔法をかけ、ある種の暗示にかけて体調が良くなったと思わせていたことに気づきました」
いったん話し始めると、イグナチオは滑らかに言葉を続けた。
「中には、本当に気分が上向いたことで、体調がよくなった者もおります。彼らはエリザベスが聖女だと心から信じていました」
「エリザベスの家族にはまとまった金を渡し、エリザベスには、家族への援助が必要なら言うことを聞くようにと命じました。エリザベスの魅了の魔法で、聖女に見せかけることができると、私は思ったのです」
ジグムンドは黙って耳を傾けていた。
「エリザベスを聖女候補に仕立て上げ、パウルス陛下には、ロアノーク聖王国を治めるには聖女が不可欠だと申し上げました。聖女クラリッサ亡き後、ついに聖女が現れたことこそ、女神の御心だと申し上げました。そしてエリザベスを使い、パウルス陛下を通して国政に私の影響力を及ぼそうといたしました」
「ユーグ・シンプソンについては?」
「忘却の魔法を使うシンプソン夫人が必要だったため、夫であるシンプソン男爵を拘束し、夫人がロアノーク聖王国に来るように仕向けました」
それはジグムンドが予想していたとおりで、驚きはない。
ただ。
「ユーグにかけた魔法は何だ。魅了だけだったのか?」
そう問うと、一瞬、イグナチオは口ごもった。
「……暗示がかかりやすくなる薬物も使用しました。魅了だけでは、十分ではなかったのです」
「どんな暗示をかけた」
「おまえは話すことができぬと。そしておまえの名は、『護衛騎士』だと」
思わず、ジグムンドはため息をつきそうになった。
だからか。
だから、ユーグの気配を追えなかったわけだ。
当人にユーグである意識がなかったのなら、魔法を使っても気配を追えなかったのも当然である。
「その薬物の影響は残っていないのか?」
「効果はもう切れているはずです」
ジグムンドは言った。
「使用した薬物を提出しろ」
「かしこまりました」
「話を戻す。聖女就任式での計画はどのようなものであったか?」
「聖女就任式では、ジグムンド陛下が聖女を認定されます。回復魔法を使えないエリザベスでは、聖女に認定されることはありません。エリザベスの魅了の魔法を陛下にかけることも考えましたが、大きな魔力を持つ陛下に、魅了の魔法はおそらくかかりにくい。そこで、聖杯の色が変わらなかった記憶を消し、その後にエリザベスに魅了の魔法をかけさせるつもりでした」
「それで私に魅了の魔法はかけられると思ったのか?」
「確信はありませんでした。しかし、私が考えた中では、それが最善の策かと思いました」
ジグムンドは沈黙した。
「そこまでする理由は、何なのだ?」
よどみなく答えていたイグナチオの言葉が止まった。
沈黙が落ちる。
イグナチオはうつむいた。
「——パウルス陛下のためです」
イグナチオの声は低かった。
「……恐れながら、パウルス陛下のご生母である前国王の前王妃、アグネス様は他界され、父である前国王陛下も同様。陛下には後ろ盾となる人間がいません。加えて、陛下はお気持ちが弱いところがおありです」
「それであなたが偽聖女を与え、大神官の地位を利用して、陛下を支えると?」
「そのとおりでございます」
「アグネス妃の他界後、前国王の妃となったフェリシア妃のことも、あなたが支えていたようだが? もっとも、フェリシア妃は離宮に隠居され、フェリシア妃の産んだイーサン殿下は行方不明のようだが」
「……私は全力を尽くしました」
イグナチオが暗い声で答えた。
「パウルス陛下だけが、ロアノーク聖王国の希望なのです」
飾り気のない病室に、沈黙だけが重なっていく。
「そこまでする理由は、何だ」
ジグムンドがまっすぐに問いかけた。
「…………」
その時、イグナチオの言葉が、初めて途切れた。




