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黒衣の男爵夫人は、最愛を想いながら今夜も手帳を開く  作者: 櫻井金貨


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第25話 聖女就任式

「奥様、大神官様のご命令により、お支度をお手伝いさせていただきます」


 礼儀正しい挨拶とともに、アイリスが監禁されている部屋にやって来たのは、三人の女性達だった。


 むき出しだった床の上には小型の絨毯を敷き、粗末なベッドの上にもかけ布を被せる。


「ドレスはこちらをご用意いたしました」


 女性達は召使いの男性に運ばせた衣装箱から、うやうやしく一枚のドレスを取り出し、ベッドの上に広げた。


 それは、白のドレスだった。

 布地には細かな織り模様があり、繊細に光を反射する。


 ウエスト位置が高く、胸の下からドレスはふわりと落ちる、ロアノーク風のデザインで仕立ててあった。


「よくお似合いになりますよ」


 そう言って、女性達は微笑んだ。


(なぜ、白のドレスを——)


 アイリスは神殿で、聖女候補のエリザベスや神官達が白の衣装を身に付けているのを見ている。


 アイリスが違和感を感じている間にも、女性達は手際よくアイリスに化粧を施し、髪を結い上げてしまった。


 三人がかりで手際よくドレスを着せると、もう聖女就任式に向かう時刻になっていた。


「こちらでございます」


 一人の女性が先導し、二人はアイリスの左右に並ぶ。

 その周りを四人の男性神官が囲んだ。


(逃げる隙がないわ)


 逃げられる、とは思っていなかった。

 それでも何かできないかと思ったが——。

 騎士ではないが、男性四人に囲まれてしまっては力で敵わない。


 周囲の隙のなさにアイリスは内心ため息をついた。


 長い階段を上がると、神殿の入り口が見えた。

 アイリスは神殿の地下にいたのだ。


 一行は通常の参拝者が通る建物正面の出入り口ではなく、裏手に設けられた扉から神殿に入った。


 大きな神殿のすべての扉が閉め切られている。

 参拝者のいない神殿はがらんとしており、各国からの参列者用が祭壇近くに設けられた席に座っていた。


 人数にして、二十人ほどだ。

 アイリスはノール王国国王ジグムンドの姿をすぐに見つけた。

 長身で美貌、銀色の髪を長く伸ばしたジグムンドの姿は、ともかく目立つ。


(いらした。ジグムンド陛下だわ)


 ジグムンドと話している黒髪の男性は、ロアノーク聖王国のパウルス国王だろう。


 パウルスは各国からの参列者一人ひとりと挨拶を交わしていた。


 祭壇の中央には、白いドレスを着たエリザベスの姿が見える。

 その隣には大神官イグナチオが立っている。

 エリザベスにいつもついている護衛騎士は、今日も深くフードを被り、エリザベスの背後に控えていた。


 アイリスが連れて来られたのは、祭壇脇、女性の神官達が並ぶ席の一角だった。


 そこでようやくアイリスは白のドレスを着せられたことに、納得する。

 多少デザインは違うが、同じ白い服ならば、女性神官達と一緒に座っていても、アイリスが目立ちすぎることはないだろう。


「本日は新たな聖女の誕生という稀な機会にご同席くださり、心より感謝申し上げます」


 イグナチオはそう挨拶を述べると、深く頭を垂れた。

 祭壇の上に置かれた金の杯を両手で持ち上げると、祈り始める。


「聖女は聖なる女神の代理人。女神の癒しの力を与えられた者。聖女候補エリザベス、この杯に注がれた水に魔力を注ぎ、女神の御力を証明しなさい」


 イグナチオの厳かな言葉とともに、エリザベスは聖杯を受け取り、胸の前に掲げると、目を閉じた。


「聖なる女神よ、わたくしにあなたの御力をお示しくださいませ」


 エリザベスが祈ると、聖杯にキラキラとした光が宿る。


「大陸各国からの参列者を代表して、ノール王国国王ジグムンド陛下、聖杯をご確認ください」


 指名されたジグムンドは前に進み出て、聖杯を掲げるエリザベスと向き合った。


 固唾を呑んで見守っていると、アイリスはふと、袖を引かれた。


「シンプソン夫人、こちらへ」


 一人の女神官がアイリスの腕を引き、エリザベスのもとへと連れて行く。

 女神官は低い声で、アイリスにささやいた。


「シンプソン夫人、おわかりですね? 何をすればいいか——あなたのご夫君の命がかかっているのをお忘れなきよう」


 アイリスはエリザベスの隣に立った。

 小柄なエリザベスの掲げる聖杯の中が見えた。


 透明だった。


 アイリスは顔を上げる。

 まっすぐに自分を見つめるジグムンドと目が合った。

 ジグムンドがゆっくりとうなずく。


「…………っ!」


 意を決して、アイリスは振り返った。

 至近距離で、エリザベスと向き合う。


 アイリスがまさか自分の方を向くとは思っていなかったエリザベスは、驚いたように目を見開いている。


 しかし、次の瞬間、エリザベスの大きな青い瞳が鋭く光り、アイリスを睨みつけた。


 まるで自分をも取り込もうかというかのように鬼気迫る視線に、アイリスは悟った。

 今まで気づかなかったのが、不思議だった。


(そうなのだわ。エリザベス様も、異能者なのだわ)


 ——わたくしと同じように。


 そう思った瞬間、アイリスの気持ちは定まった。

 

(エリザベス様を捉えた)


 アイリスは右手の薬指にはめていた指輪を迷うことなく抜いた。

 一瞬にして、アイリスの髪は青く、瞳は紫へと色を変える。


「…………!!」


 エリザベスはアイリスの変化に動揺して、顔色を変える。


 アイリスは紫色の瞳で、しっかりと青い瞳を捉えた。

 父の教えを思い出した。


『他人の記憶を消す感覚が難しいのなら、自分の記憶を消すつもりで行えばよい』


 そう父は言ったのだ。


(今だけ、相手を自分の中に入れる)

(記憶を消すことだけを考える)

(相手と共鳴する)


 アイリスはエリザベスの青い瞳の中に、怖れを汲み取った。


 貧しい少女。

 イグナチオの言うとおりにするしかなかった少女。


 小さな村で、魔法の力に目覚めた少女。


 聖女になれば。

 すべてがうまくいくと信じていた。


 しかし、エリザベスが使えるのは、聖女の持つ回復の魔法ではなかった——。


 アイリスの心が痛んだ。


「でもまだ——間に合うわ、エリザベス。あなたはやり直せるわ」


 アイリスの言葉に、エリザベスの瞳は大きく見開かれた。

 その背後で、黒いマントの護衛騎士が飛び出し、アイリスに手を伸ばす。


 ——今しかない!


 たった一度のチャンス。

 失敗は許されない。


 アイリスに護衛騎士の手が迫る。

 しかし、アイリスの集中は削がれなかった。

 体の中に力が生まれる。

 まぶしい光が体の中を駆け上がるのを感じる。


 アイリスの紫の瞳に、光が宿る。

 

 アイリスは、心の中ではっきりと意図を言葉にした。



『エリザベス。聖女候補としての記憶よ、消えよ』



「…………!!」


 声のない悲鳴が響き渡った。


 エリザベスの体が、ゆっくりと崩れ落ちる。


 ついに、白いドレスを着たエリザベスが神殿の床の上に倒れ伏すと、周囲はいっせいにどよめいた。


 まるで脆いガラスが割れたような、ぱりん……という音が神殿の中に響く。


 その不思議な音を契機としたように、神殿の中で次々と異変が起こり始めた。


 各国からの参列者の中にも、意識を失って倒れた人物がいた。

 会場を守る騎士達の中にも。

 男性神官達、女性神官達。

 さらに、ロアノーク聖王国の国王パウルスもまた、意識を失って崩れるように床に倒れた。


 悲鳴や怒号が神殿の中を飛び交う。

 もはや会場は大混乱だ。


「聖女に何をした!? その女を捕らえよ!!」


 イグナチオの声に、弾かれたように神殿内で待機していた騎士達がアイリスに向かうが、ロアノークの騎士は全員、ノール王国から派遣されている騎士。


「剣を下ろせ!!」


 間髪なく放たれた、氷のようなジグムンドの一声に、騎士達は無言で従う。

 イグナチオの顔が青ざめた。


 その時、祭壇前で立ち尽くしていたアイリスは、エリザベスの護衛騎士が自分の肩を掴んだのを感じた。


 しかし、その手に力がこもることはなく、まるで意識を失ったかのように崩れた護衛騎士の体に押されて、アイリスはそのままもつれるようにして床に倒れ込む。


「アイリス!」


 事態に気づいたジグムンドが声を上げた。


「う」


 アイリスは神殿の床の上で、両手を広げた。

 体の上に護衛騎士が乗っており、ひどく重いが、怪我などはない。


「だ、大丈夫です、陛下。ただ、エリザベス様の護衛騎士の方が——」

「意識を失っているようだな? よし、ちょっと待て——」


「陛下、お任せください」


 神殿に詰めていた騎士達が駆け寄り、ジグムンドを助けて、アイリスの上から護衛騎士の体を動かすことができた。


「怪我はないか、アイリス?」

「は、はい、陛下」


 ごろり、と床の上で反転して天井を向いた護衛騎士の顔から、黒のフードが落ちる。


 その瞬間、アイリスは両手で口もとを押さえた。


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