第21話 聖女候補とのお茶会(1)
「おはようございます、陛下」
翌朝。
アイリスはオーガンジーの黒いドレスを身につけ、栗色の髪を既婚夫人らしく結い上げた姿で、食堂に現れた。
軽やかな素材が、若々しい。
背筋を伸ばし、すっと腰が落ちる。
アイリスは視線、指先までも整った、優美なカーテシーを見せた。
穏やかな微笑みを浮かべた表情。
落ち着いた声色。
その様子は貴族婦人として、完璧だった。
すでに旅の疲れも消えている。
ジグムンドは満足げに微笑んだ。
「おはよう、アイリス」
ロアノーク聖王国の宮殿には、外国からの賓客を泊めるための宿舎である、迎賓館が付属していた。
ノール王国国王であるジグムンドは、聖女就任式で聖女を認定し、祝福する最重要の客人である。
迎賓館でも特別待遇で、国王のための寝室、居間はもちろん、随行の貴族達、従者や召使いのための部屋、共同で使える大きな食堂、さらには来客を迎えるためのサロンまで備わったワンフロアを丸々用意されていた。
アイリスは侍女のセイラを伴っていなかったが、ジグムンドが手配したノール王宮の侍女が同行し、アイリスの世話を担当していた。
「完璧だな」
「ありがとうございます」
ジグムンドもまた、すでに今日のための支度を整えており、黒に近い藍色に銀刺繍が施された宮廷服を身につけ、長い銀髪をつやつやと輝かせている様は、まさに、北国の王にふさわしい風格と華やかさで、アイリスは心の中で圧倒されてしまう。
「アイリス、そこに座りなさい」
ジグムンドはコーヒーカップを手にして、アイリスにうなずきかけた。
「今日は大神官イグナチオから、正式に神殿への招待が届いている。あなたも同行してほしい。秘書官としてシンプソン夫人の名前を随行者名簿に入れて提出している。そのように振る舞ってくれ」
「かしこまりました」
「聖女候補の顔見せだ。普通に挨拶すればいい」
「かしこまりました」
「午前中に神殿に向かう。使いをやるから、それまでは迎賓館内でゆっくりしていてくれて構わない」
「かしこまりました」
アイリスが生真面目に返事を続けていると、ふっとジグムンドは笑った。
「——まるで本物の秘書官のようだな。伊達メガネでも贈ろうか?」
ジグムンドのちゃめっ気に、ふっ、とアイリスの肩から力が抜けた。
「いえ陛下。むしろ陛下の方があれこれ気にしてくださっているではないですか」
アイリスは思わず苦笑してしまう。
すると、ジグムンドはそんなアイリスの様子を、目を細めて眺めていた。
そんな朝のやりとりがあった後、アイリスはジグムンドから言われたように、朝食後は迎賓館の中庭を散歩して過ごしていた。
十時過ぎにジグムンドからの迎えが来て、アイリスはジグムンドの率いる使節団の一員として、神殿へと向かったのだった。
「いよいよ明日は聖女就任式。準備も万端です。お客様も各国から続々といらしています」
大神官イグナチオは誇らしげに言った。
その言葉通り、神殿内は通常の参拝者が入っているものの、すでに就任式のための会場造りは着々と進んでいる様子だった。
祭壇近くに、ロアノーク国王の座る席が作られ、各国からの客人のための席も準備され、その区画はすでにリボンで仕切られている。
「ジグムンド陛下のお席はあちらに。わが国国王陛下の席の並びにあります。明日は、大切な聖女の認定、そして祝福をしていただく大切な日。心を込めて準備を進めております——エリザベス」
イグナチオは祭壇の前で祈っていたエリザベスに呼びかけた。
ふわりとしたストロベリーブロンドの髪を揺らせて、エリザベスが振り返る。
小柄なのに、細い手足に不相応に豊かな胸と腰を持つ娘は人目を引く。
しかし、今日のエリザベスは体の線を隠すような、襟の詰まった長袖の白いドレスを着ていた。
立ち上がると、ゆっくりと歩いてくる。
エリザベスの背後には、深くフードを被った、黒いマント姿の騎士が付き添っていた。
「初めてお目にかかります。エリザベスでございます」
エリザベスは白のドレスを両手でつまむと、ぎこちないカーテシーを見せた。
大きな青い瞳が瞬き、ふっくらとした唇がハート形を描いた。
「陛下、明日はエリザベスをよろしくお願いいたします。パウルス陛下は、あいにく本日はお忙しくされておりまして。ただ本日は各国からの来賓をお招きして陛下主催の夕食会を催されます。パウルス陛下からはその際、改めましてご挨拶されるものと存じます」
「私もお会いできるのを楽しみにしている」
「はい」
イグナチオはうやうやしく頭を下げた。
しかし、ふっと頭を上げると、イグナチオはジグムンドの後ろに控えているアイリスに目を留めた。
「実は、午後にエリザベスがお茶会を予定しておりまして」
イグナチオが軽く咳払いをする。
「陛下の使節団に、お若いご婦人がいらっしゃると聞き、ぜひお茶をご一緒したいと希望しているのです。——お越しいただけますでしょうか、シンプソン夫人?」
アイリスは思わぬ展開に目を見開いた。
「エリザベスは普段、神殿で祈りを捧げる毎日です。各国から若いご婦人が来られるこの機会に、少しでも交流ができるのを、とても楽しみにしているのです」
イグナチオはアイリスをまっすぐに見て訴えた。
アイリスがジグムンドを見ると、彼は肯定も否定も匂わせていない。
であれば、ただ礼儀に従う。
アイリスはエリザベスに微笑みかけた。
「それでは——はい、お伺いいたします」
アイリスは答えた。
「ありがとうございます、シンプソン夫人。本当に——あなたのお越しを、心待ちにしていたのですよ」
イグナチオはそうつぶやくと、にこりと笑って、頭を下げた。
その間、ジグムンドは薄く微笑みを浮かべて、やりとりを見守っていた。
……ように見えた。
しかし。
ジグムンドはその時、口に出すことなく、『影』に指示を出していた。
まるで狼のような、薄青い瞳が一瞬、瞬く。
『ユーグの気配を探れ』
ジグムンドに仕え、ロアノーク聖王国にも姿なく潜伏している『影』達がいっせいに散った。
ジグムンドは満足げに口角を上げると、よどみなく言葉を続けた。
「未来の聖女様と親しく言葉を交わせる機会をいただけるとは、光栄なことだ。シンプソン夫人も、同行したかいがあったな」
「はい。おっしゃるとおりでございます」
アイリスも笑顔で、するりと話を合わせた。
エリザベスは満足そうに口もとを緩める。
イグナチオはうなずいた。
「午後にお迎えを出します。お越しをお待ちしておりますよ。——シンプソン夫人」
エリザベスは再びカーテシーをすると、護衛騎士に声をかけた。
「護衛騎士、お部屋に戻るわ」
そう言うと、幾分ぞんざいにエリザベスは歩き去った。
フードを深く被った護衛騎士の顔はよく見えない。
しかし、護衛騎士は無言のまま、頭を垂れた。
エリザベスに続いて、護衛騎士がアイリスの目の前を歩き去っていく。
(護衛騎士か……。昨日のあの熱狂ぶりを考えれば、エリザベス様に護衛騎士は必要ね。でも、この方、一言もしゃべらない。本当に、話すことができないのかもしれない……それにしても、エリザベス様はどうして名前を呼ばないのかしら)
アイリスは表情を動かすことなく、エリザベスと護衛騎士を見送った。
かつて、アイリスにも護衛騎士がいた。
王子の婚約者だった頃のことだ。
そのため、アイリスにも少し、訓練された護衛騎士という感覚がわかる。
(何の気配もないのね)
足音もなく。
アイリスの目の前から、護衛騎士は滑るように去った。
「アイリス」
ジグムンドがアイリスを呼んだ。
「はい。陛下」
「おいで。イグナチオ殿が宝物館を見せてくださるそうだ。歴史的に貴重なものだから、見ていくといい」
「はい」
アイリスは完璧な微笑を浮かべると、足早にジグムンドの方に向かった。




