第20話 聖女候補は魅了する
「わかっているな、陛下をしっかりと癒して差し上げるのだ」
「はい、イグナチオ様」
夜の神殿。
神殿の離れに造られている、神官達の居住棟で、エリザベスは大神官イグナチオに向かってしっかりとうなずいて見せた。
「陛下のお部屋へは私が案内する」
「護衛騎士を連れて行っても、いいのでしょう?」
そう言うと、エリザベスはちらりと、壁際で静かに立っている男を見た。
室内にも関わらず、黒のマントのフードを下ろしており、その顔はよく見えない。
しかし、マントの上からでも男の鍛え上げられた体は明らかで、たしかに騎士であると見て取れた。
イグナチオは男を見ると、一瞬、奇妙な表情を浮かべた。
「まあ。一緒にいる方が安心だが。使いものになるのか? あの男はどの程度まで意識があるのだ……王宮内の地理を覚えて戻って来れるのか?」
「まあ、イグナチオ様。わたしの護衛騎士は一人前の騎士ですのよ? ただ、喋れないだけで——大丈夫、護衛騎士として働けるだけの意識はありますわ」
「一人、神官を迎えに行かせよう。その者が確実におまえ達を神殿に連れ帰るように」
「ふふ。心配性なのね」
エリザベスは立ち上がると、ベッドの上に用意されていた白のマントを羽織る。
「それでは、護衛騎士。わたしの後をついておいで」
一転して高慢にエリザベスがそう言うと、男は無言で、従順に彼女の後に続いた。
「では、まいりましょう。イグナチオ様」
***
パウルスは執務を終えた後、自らの住まいとしている離宮へひっそりと戻って来た。
ロアノーク聖王国の国王でありながら、パウルスは即位後も幼い頃から暮らした離宮に住み続けることを選択した。
それはパウルスの少々複雑な出生と、即位までの経緯にも影響を受けている。
パウルスの父である先王はアグネス王妃との間に、パウルスをもうけた。
しかし、アグネスはその後まもなくして他界。
王は新たにフェリシアを王妃として迎える。
一年後に生まれたのは、王と同じ赤い髪を持った男の子。
第二王子イーサンの誕生だった。
特に表立って比較されたり、扱いを変えられたりしたわけではない。
しかし、生まれつき朗らかな性格で文武両道に秀でた異母弟イーサンと、第一王子とはいえ、前王妃の子どもで後ろ盾のない自分。
イーサンは、恐ろしいほど有能で、国王の器とはこれかと思わせた。
彼は、当時神殿にいた聖女クラリッサとも深い信頼関係があるように見えた。
クラリッサは歴代の聖女の中でも桁違いに力が強かった。
将来はイーサンが国王に。
聖女クラリッサを王妃にすれば、国は安泰。
たとえイーサンが第二王子だとしても、あの優秀さだ。現王妃の後押しがあれば、王太子となるのは夢ではない。
(しかし、第一王子に私がいたのだ)
次期国王となる王太子位を巡って二人が争うような形になるのも辛かった。
フェリシア王妃が実子であるイーサンではなく、自分のことを王太子として推したと聞いた時には、罪悪感で体が震えるほどだった。
しかし。
(過ぎたことを考えるな。父王は亡く、イーサンも王家を出て行方知れず。聖女クラリッサも死んだのだ。今は私が、王。そして私の聖女は——)
「……私はここから出たくない」
パウルスは小さな声でつぶやく。
離宮には最低限の召使いしかいない。
パウルスのつぶやきを耳にする者はいないのだ。
しかし。
王宮に移り住んだら。
召使い達の数は桁違いに多い。
王宮を行き交う貴族達との距離も近くなる。
国王の私室でも、多くの人々に囲まれるだろう。
とても自分が我慢できるとは思えない。
パウルスは震えた。
「イーサン、なぜおまえは王位継承権を放棄したんだ……」
前国王の死後、ひっそりと地方の宮殿に移り住んだフェリシアに聞けば、もしかしたらイーサンの行方もわかったかもしれない。
「無理だな。私には、あの方に自ら連絡する勇気も、ない」
ため息をついて、夜のテラスに出てみると、小さく自分を呼ぶ声がした。
「……パウルス様」
空耳ではない。
パウルスはあわてて周囲を見回した。
すると、暗い庭から、白いドレスを着た娘がゆっくりと姿を現した。
「エリザベス嬢?」
パウルスは驚いた。
「なぜ、そんなところから」
エリザベスはドレスの裾をつまんで、頼りない足取りで庭をなんとか歩いてくると、微笑んだ。
「パウルス様、申し訳ありません。玄関から伺ったのですが、召使いの方も、どなたも出て来られなくて。怖かったのですが、庭に続く木戸を見つけて、入ってしまいました」
ごめんなさい、とエリザベスはぺこりと頭を下げる。
パウルスがエリザベスを見ると、彼女が羽織っている白のマントには葉っぱが付いているし、庭のどこを歩いたのか、足には泥が付いていた。
「それは済まなかったね。ここにはあまり人を置いていないのだ。こちらからお入り。……足が汚れてしまっている。私の部屋には浴室があるから、水で流しなさい」
パウルスはエリザベスの手を取って、室内に導いた。
その時、エリザベスから少し離れて、黒いマントを被った騎士が控えているのに気がつく。
そういえば、神殿でも、この騎士を見た気がした。
「きみはエリザベス嬢の護衛騎士か?」
パウルスが問うと、騎士は一瞬、何か口ごもったようにも見えた。
しかし、無言のまま右手を胸に当て、深く頭を下げた。
「……そうか」
何かの事情で、話すことができないのかもしれない。
そう考えたパウルスは、自分の部屋に続く、控えの間を示した。
「その部屋で待っているといい」
騎士は再び深く礼をし、控えの間に入った。
それを見届けて、パウルスはエリザベスを伴って、自分の寝室へ入っていく。
離宮には一応来客用の客室も用意されているが、来客が訪れることのない現状では、召使い達がすぐ使えるように準備しているかは疑わしい。
それでパウルスは自分の部屋に案内した。
(それに、回復魔法をかけてもらうのだから、結局、私の部屋に来てもらうことになる)
パウルスは一人、うなずいた。
「エリザベス嬢、浴室は向こうのドアだ。手足を洗ってくるといい」
「ありがとうございます」
エリザベスは素直に浴室に向かうと、まもなく寝室に戻って来た。
国王の寝室ではあるが、以前から使っていた部屋だ。
飾りのない、簡素すぎるベッドが部屋の中央に置かれていた。
パウルスはエリザベスを振り返った。
「エリザベス嬢、どうすれば——」
エリザベスは優しく微笑むと、パウルスの手を取った。
そっと彼をベッドに押しやる。
「ご心配なく。陛下はただ、ベッドに横たわり、力を抜いてゆっくりとくつろいでいればいいのです」
エリザベスはベッドの脇に椅子を一脚、引き寄せた。
「わたしはここに座りますわ。陛下はわたしの手を離さないでくださいね? 手を通して、わたしの魔力を陛下に流しますから」
パウルスは戸惑いながらも、エリザベスの言うままに、ベッドに体を伸ばした。
静かに目を閉じる。
傍らに人がいる感覚が、懐かしい。
それはまるで、子どもの頃の遠い記憶の中のようで——。
あれは、母だったのか、乳母だったのか。
こうして手をつないでいれば、何も怖いことなどないのだ、とそう信じていられた。
「パウルス」
エリザベスがパウルスを呼んだ。
「目を開けなさい。そしてわたしを見て」
エリザベスの、有無を言わさない口調。
驚いたパウルスが目を開けると、エリザベスはベッドに横たわるパウルスのすぐ目の前で、まるで彼に覆い被さるかのようにしてパウルスの顔を覗き込んでいた。
「エリザベス嬢……? いったい——」
「しっ。ただ、わたしの目を見て」
そしてパウルスはエリザベスを見た。
薄暗い寝室の中で、月明かりに照らされて色白なエリザベスの姿が浮かび上がっていた。
ふわりとしたストロベリーブロンドが自分の顔に被さるように垂れている。
マントを脱ぎ捨てたエリザベスは、大きく胸もとの開いた、白のドレスを着ていた。
エリザベスはゆっくりと肩からドレスを外す。
コルセットの上に盛り上がった、白い胸がパウルスの目前に現れた。
パウルスのどこかで、警報が鳴った。
こんなことをしてはいけない。
エリザベスから、離れなければ。
しかし、パウルスは体を動かすことができなかった。
エリザベスとの手はつながれたままだ。
つながれた手を通して、何か淡い電流のようなものが流れている気がした。
「だめよ。パウルス。ちゃんとわたしの目を、見て」
パウルスはエリザベスの青い瞳を見上げた。
大きく見開かれた、青い瞳。
(——惹き込まれる——)
美しい、宝石のような瞳なのに、どこか禍々しい。
満足げに、赤く塗られたエリザベスの唇が動き——。
『………………』
最後、エリザベスが何かを言ったのを覚えている。
しかし、その言葉が何だったのか、わからない。
それが最後の記憶だった。
パウルスは意識を失い、深い眠りの中へと、落ちて行った。




