第18話 聖なる神殿の乙女
「アイリス、ここがロアノーク聖王国の中心だ。大広場と呼ばれている」
そう言われて、アイリスは改めて周囲を見回した。
アイリスとジグムンドがいるのは、大理石の柱が円形にぐるりと囲むようにして立ち並ぶ巨大な広場。
足もとには、びっちりと隙間なく敷き詰められた石畳が広がっている。
南方にある国らしく、青空は高く、明るい光がまぶしいくらいに広場に降り注ぐ。
人々は大理石の柱に沿うようにして歩いているが、アイリスはジグムンドとともに広場の中央に立ち、圧倒されたように周囲を眺めていた。
「アイリス、神殿は向こうだ。行くぞ」
ジグムンドが声を掛ける。
「はい」
アイリスは返事をしつつも、初めて見るロアノーク聖王国の中心とも言うべき、宮殿と神殿を擁する大広場に目を奪われていた。
この広場には、馬車や馬は入ることはできない。
驚くことに、宮殿や神殿に向かう者は、どんなに身分が高くても、徒歩で大広場を歩いて行かなければならないという。
「例外は三つ。ロアノーク国王一家と、神殿の長である大神官、そして聖女だ」
それでは警備は大変だろうと思われたが、広場には要所要所に騎士が立ち、人々を誘導している。
よく見てみれば、さりげなく一般の参観者と宮殿に向かう貴族の動線は分けられていた。
(あの騎士達も、ノール王国から派遣されている騎士なのね)
初めてロアノーク聖王国に来たアイリスにていねいに説明をするジグムンドの言葉に耳を傾けながら、いつもとは様子が違うジグムンドの装いに、アイリスは目を留めた。
何よりも目立つ長い銀髪は編んでまとめ、身に付けているのは、ノール王国の騎士が着るチュニックだ。
ブーツをはき、剣を下げた姿は、どこから見ても、騎士に見えた。
肩からマントを羽織っているので、編んだ髪もうまく隠せている。
一方、アイリスは、ロアノークに着いてからジグムンドが贈ってくれた、ロアノーク風のドレスを身につけていた。
スカート部分をたっぷりと膨らませることなく、パニエで簡単にふわりとさせただけの、黒い麻のドレス。
ノール王国と比べると、圧倒的に暖かいロアノークでは、軽いドレスが何よりもありがたかった。
(この装いなら、裕福な商家の夫人くらいに見えるかしら)
アイリスはそんなことを思いながら、ジグムンドについて歩いていた。
「今朝着いたばかりで、体は辛くないか?」
「お心遣い、ありがとうございます。でも、旅の間も馬車はずっと快適でしたので、大丈夫ですわ。午前中に少し休みましたし」
ジグムンドはうなずいた。
「今日は公式行事などはいっさいない。夕食も宿舎で身内だけで取る。ただ」
そう言うと、ジグムンドは視線を神殿へ向けた。
長い人の列が続く先。
狭い門を通って人々が向かうのは、聖女を抱く、ロアノーク聖王国の神殿だった。
「神殿を見ておきたい。一般の参観者として内密に。神殿には、聖女候補がいるはずだ」
「どんな方なのですか?」
「名前はエリザベス。かなり見栄えがする若い女らしい。貧民街で生まれ育ち、医者にかかるお金のない人々を癒して、聖女と呼ばれていたそうだ。そこを、大神官イグナチオに見出された」
「まあ」
「大聖女クラリッサ殿が亡くなってから、だいぶ経つ。ようやく聖女候補が見つかって、パウルス国王も安堵されていることだろうな。聖女あっての聖王国だ」
ジグムンドはどこか他人事のように言う。
「さあ、私達も列に並ぼう。神殿の中では、私の名前は呼ぶな。誰が聞いているかわからない」
「はい」
「中は人が多い。私から離れないこと」
「はい」
(気を引き締めなければ)
アイリスは表情を整え、周囲を観察した。
ジグムンドの護衛は姿を変えて、さりげなくついて来ているはずだ。
それに、ジグムンドの使う『影』達も。
***
「痛みを我慢する必要はありません。さあ、女神様の癒しを必要とされている方は、前に進み出てください。女神様のお許しを得て、わたしが皆さんに癒しをもたらします。女神様の力は無限です。一度に何人でも癒してくださいます」
神殿の奥まった一角に祭壇が造られている。
そこに立っているのは、一人の若い女性だった。
おそらく成人したばかりくらいの、娘盛り。
アイリスは引き寄せられるようにして、女性の姿を見つめた。
小柄だが、北方から来たアイリスでさえ気がつくほど、白い肌をしていた。
大きな青い瞳に、ふっくらとした頬。
体つきもその年頃の女性にしては、驚くほど豊かな体をしていて、着ている白のドレスも丸く盛り上がった胸を隠し切れていない。
とはいえ、微笑みを浮かべ、ふわふわとしたストロベリーブロンドの豊かな髪を揺らす彼女はあくまであっけらかんとしていた。
(この方が……聖女候補?)
アイリスは目を見張った。
本人はあまりにも堂々としていて、聖女に対してあるまじき邪な想いを向ける者がいるかもしれないなどとは、考えてもいないように見えるが。
「わたしの愛する女神様!!」
女性は目を閉じ、両手を豊かな胸の前でぎゅっと組む。
一瞬、神殿にいる人々が息を呑んだのが感じられた。
「どうぞわたしに力を貸してくださいませ。わたしの愛する皆さんをお救いすることができますように……っ!」
突然、一人の男性が「エリザベス様!!」と叫び、祭壇に向かって駆け寄った。
弾かれたように、さらに数名の男性達が祭壇に向かう。
「ええ。どうぞ、いらしてください。女神様はわたしの愛する皆さんを、きっと助けてくださいますわ」
しかし、エリザベスは、続いて立ち上がった子ども連れの女性と、杖を持って歩き始めた初老の男性には困ったように首をかしげた。
「まあ、ごめんなさいませ。今回は、お若い男性のみとさせてくださいね? 順番にいたしましょう。その方が、わたしも集中できるのです。でも、ご安心くださいな。もちろん、会場にいるすべての皆さんのために、お祈りいたしますわ」
そう言われて、子どもを連れた女性と杖の男性は、席に戻って行く。
代わりに若い男性達が続々と祭壇にやって来た。
神官が男性達を祭壇の前に一列に並ぶように誘導していた。
膝まづき、手を合わせて祈る男性一人一人の前に、エリザベスは腰を屈めて両手で相手の手を包み、祝福を与えていく。
エリザベスがしっかりと相手の目と合わせて手を握るので、男性達は感動して身を投げ出したり、泣き出したり。
おまけに、エリザベスが腰を屈めるたびに、白いドレスの胸もとから、胸の谷間がくっきりと見えるのだ。
(若い男性ばかりを祭壇の前に招いているけれど、あれで大丈夫なのかしら)
余計なことだと思いつつ、アイリスは心配になってきた。
それに、エリザベスが相手の目をまるで覗き込むようにして見つめる仕草が気になる。
アイリスの中で、違和感が芽生えていた。
(あれはまるで……)
しかし、エリザベスを中心にした熱狂はさらに続く。
男性達の中には、ついにエリザベスの白いドレスの裾にキスする者まで現れた。
「聖女様!!」
「聖女様!!」
「聖女様!!」
割れんばかりの歓声が響き始めた。
アイリスは思わず両手で耳をふさいだ。
この中では、何も考えることはできない。
「出よう」
突然、ジグムンドがアイリスにささやいた。
アイリスが最後に祭壇に目を向けると、エリザベスの背後に控えていた黒いマントをまとった護衛騎士が前に進み出て、エリザベスから男性達を引き離している様子が見えた。
「聖女様——!!」
人々の叫び声が響く。
大勢の人が詰めかけた神殿は息苦しいくらいだった。
ジグムンドがアイリスの手を引いて歩き出すと、さりげなく平民姿の男女が現れ、ジグムンドの前に立って進んでいく。
ジグムンドとアイリスは人々の熱狂の中で、素早く出口に向かうことができた。
神殿を出る直前、振り返ったアイリスが見たのは、白のドレス姿のエリザベスが人々に手を振っている姿。
そして彼女の背後にまるで影のように立つ、黒のマントを深く被った護衛騎士の姿だった。




