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黒衣の男爵夫人は、最愛を想いながら今夜も手帳を開く  作者: 櫻井金貨


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第12話 謁見(3)

 アイリスとノール王国国王ジグムンドは、二人きりで向かい合って座っていた。


 アイリスの手もとに置かれたティーカップから、ほのかに湯気が立っている。


 じっと自分を見つめるアイリスの視線に、ジグムンドは困ったように微笑んだ。


「あなたもロアノーク聖王国を知っているだろう?」

「はい。大陸の国々の中で唯一、公式に聖女を持つ国と認識しています」


 アイリスの答えに、ジグムンドはうなずいた。


「聖女に会ったことは?」

「ございません」


「そうだろうな。聖女クラリッサが亡くなってもうだいぶ経つ。聖女が死ぬと、新しい聖女が生まれると言われているが、ロアノークでは長く次の聖女が生まれなかった。私もどうしたものかと思っていたが、この度、新しい聖女が見つかったということで、聖女の就任式が予定されている」


「そうなのですね」


「わが国はロアノーク聖王国の最大のパトロン国なのだ」


 ジグムンドの指先が、かすかに動いて、テーブルの上を叩いた。


「ユーグはどこに派遣されるか言ったか?」

「いいえ」


 アイリスはすぐに答えた。

 ユーグは機密事項だから、と行き先は明かさなかった。


「ロアノーク聖王国は軍隊を持たない。そのため、わが国が騎士を派遣している。北国の頑強な騎士は、わが国の大切な交易資源でもあってね。軍事機密でもあるが、実は大陸各国に派遣されているのだ」


 アイリスは息を呑んだ。


「それで……」


「そうだ。通常の警備だけでなく、聖女就任式に関わる業務もあり、ユーグをロアノークに派遣していた」


「では」


 テーブルの下で、扇を握る手が震えている。


「では、ユーグの死を知らせて来たのは、ロアノーク聖王国なのですね?」

「関わっているだろう」


 ジグムンドの答えは短かった。


「ユーグの死の知らせをあなたにもたらし、詳細は与えない。わからないのは、その目的だ」


 ジグムンドは薄青の瞳をまっすぐにアイリスに向けた。


「私は聖女就任式に招待されている。あなたが望むなら一緒に連れて行ける。しかし」


 ジグムンドはいったん言葉を切った。


「ロアノークで手がかりが見つかるとは限らないし、あなたの身が危険になる可能性もあるが。どうする?」


 アイリスははっとしてジグムンドを見つめ返した。

 ユーグがロアノークで生死不明になっているのなら。

 自分も、少しでも何かをしたい。

 アイリスに迷いはなかった。


「行きます」


 アイリスの返事に、ジグムンドは表情を変えずに言った。


「三日後にロアノークに出発する。準備を整えておくように。出発前日に、あなたの屋敷に迎えを出そう」


「ありがとうございます」


「アイリス」


 ジグムンドは身振りでアイリスに指輪をはめるように伝えた。

 まもなく補佐官と護衛騎士が戻ってくるのだろう。

 アイリスが指輪をはめると、髪色と瞳の色が変わった。

 栗色の髪に、明るい茶色の瞳。

 シンプソン夫人として知られる、アイリスの姿だ。


「ノーフォーク侯爵には、私から話をしてある」

「!!」


 アイリスは瞬いた。


「アイリス、ノーフォーク侯爵家を継ぐ気持ちはないのか?」

「以前申し上げたとおり。わたくしはすでに家を出た人間でございます」


「しかし、侯爵家には跡取りがいないだろう。あれは普通の家ではない。親戚から養子をもらえば済むという話でもない。ノーフォーク一族に受け継がれる異能がなければ——」


 アイリスは頭を下げて、立ち上がった。


(それはまた別の話です。今日はその話をしに伺ったわけでは。そう言えればいいのに)


 外見では、アイリスは何も変わりない。

 変わらず、落ち着いているように見えるはずだ。


 サロンのドアのすぐ外に、足音が聞こえていた。


(陛下は、話題を出すのが少し遅かった。でもわたくしは助かったわ) 


 謁見は終わりだ。


 アイリスはふわりと微笑むと、落ち着いた声で言った。


「今のわたくしがすべきことは、愛する夫、ユーグの死の真相を明らかにすることだけです」


 アイリスはふたたびカーテシーをすると、護衛騎士が開けたドアから退出する。


 背筋の伸びた、堂々とした黒のドレス姿のアイリスを、ジグムンドは見送った。


「シンプソン男爵夫人、ノーフォーク女侯爵。称号が増えたところで、あなたなら苦もないだろうに」


 ジグムンドのひとりごとを、補佐官の男が聞き留めた。


「ふふ、陛下はシンプソン夫人がお気に入りですね」


 そう言われても、ジグムンドは顔色ひとつ変えない。


「もともとノーフォーク一族はわが国で暮らしていたのだ。他国へ出た彼らが、また戻って来るなんて、嬉しい驚きだろう? 大切にせねばな」


 ジグムンドはもう一杯、と補佐官に茶を所望する。


「戻って来たからには、もう他国にはやらん」


 ジグムンドの前に、紅茶が置かれた。


「ロアノークに行く際に、アイリスにドレスを贈っては失礼だろうか?」


 思案しながらジグムンドが言うと、補佐官は首をかしげた。


「……ご夫君の生死がはっきりするまで、夫人に贈り物をするのはどうでしょう。そうですね、ロアノークに到着するまでお待ちになっては? 向こうで必要なものをお贈りするなら、夫人もそう困惑されないかと」


「そうだな」


「陛下もご出発のお支度を進めてください。今朝も侍女長が陛下をお探しでしたよ。聖女就任式では正装が必要ですからね」


「わかった」


 ジグムンドは思い出していた。


 姉であるマーガレット・ランバート侯爵夫人を訪ねて、ローデール王国からやって来た、たった十八歳だった令嬢アイリスと、アイリスのそばを片時も離れなかった青年騎士ユーグ・シンプソン。


 当時から近衛騎士団長だったランバート侯爵から聞いて、ジグムンドはアイリスとユーグを王宮に呼んだのだ。


 何しろ、婚約破棄されたとはいえ、ローデール王国王子の元婚約者にして、ノーフォーク侯爵令嬢。


 そんなアイリスを国外追放にしたローデール王国のバカ王子の思惑などどうでもよかった。


(アイリスに対する婚約破棄と夜会での断罪劇を、私は目の当たりにしている)


(そもそも、ローデール国王が、私の訪問を歓迎するために開いてくれた夜会だったのだからな)


(ノーフォーク一族の令嬢を放り出すとは、愚かな国だ)


 ジグムンドは思わぬ再会を喜び、アイリスを引き受ける気満々で、面会したのだが——。


 アイリスの姿、身のこなしは完璧だった。

 それに彼女の珍しい青い髪と、紫色の瞳。

 アイリスには、何か人を惹きつけるものがある。

 そんなアイリスに感心していると、ユーグから強い視線を送られたのだ。


 ジグムンドは苦笑したが、いや、そういう気持ちではないよ。娘を見るような気持ちなのだ、とユーグに説明してはやらなかった。


 ユーグのまっすぐさが眩しかったのかもしれない。


(大陸の国々の中でも、宮廷文化の中心であるローデール王国の若い貴族にしては、二人とも意外なほどまっすぐな人物だったな)


 ジグムンドは若い二人に、ノール王国に居住する許可を与えた。


『きみは先に出て待っていて』


 カーテシーをして、退出の挨拶をしたアイリスに、ユーグは言った。

 そして一人でジグムンドの前に立つと、言った。


『ジグムンド陛下、私はアイリスに結婚を申し込むつもりでおります』


 潔い言い方だった。

 ジグムンドはうなずいた。


『結婚は、彼女次第ということか?』

『それは。はい』


 ジグムンドは思案した。


『妻を迎えるには、生計を立てる必要があろう。あなたはローデール王国騎士団長の子息と聞いたが』


『そのとおりです』


『この国で騎士を続けるつもりはあるのか?』


『はい』


『ノール王国の騎士団の訓練は、ローデールよりはるかに厳しいぞ。北の男の体格も大きい。ローデールで騎士団長の子息でも、何の意味もないが』


『騎士見習いからでも、やり直します。この国に住むのなら、ここでアイリスを守れる男になります』


 ジグムンドはうなずいた。


『住居が決まったら、ランバートに知らせるように。それからアイリスには護衛も兼ねて、私の「影」を一人付ける』


 一瞬、ユーグの瞳が揺れた。

 アイリスを守るのは自分だ、そう思っているのが見える。

 しかし、ユーグは自分のプライドではなく、アイリスの安全を選んだ。


 ユーグは深く頭を下げた。


『アイリスを守ってくださること、心よりお礼申し上げます。私も陛下のお役に立てるよう、努めてまいります』


 ジグムンドは遠い目をした。


(あの二人も、結婚して十年だったか。アイリスのあの目。ユーグの目。二人は、似ているな)


 ジグムンドは立ち上がった。


 アイリスはユーグの生死を明らかにしたい。

 それは、ジグムンドも同じだった。


(ロアノーク聖王国。狙いが、アイリスならば。私はノール国王として、アイリスを守る必要がある)


 ジグムンドはサロンを出ると、広大な王宮の中、執務室へと向かう。

 執務室の隣には、北の神の像が飾られた、小さな控室があった。


 職務の間に、心を鎮め、礼拝を行えるように。

 同時に、国王に仕える『影』達が、主人に秘密の報告をする場でもあった。


『影』とは、表に出せない仕事を担当する、裏部隊のようなもの。


 ノール王国騎士団、近衛騎士団といった表舞台で活躍する騎士団だけでなく、ジグムンドは女性部隊であるワルキューレ騎士団を始めとする影の部隊も統括している。


 ジグムンドはロアノーク聖王国から戻った『影』の報告を聞くために、控室に入った。


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