第11話 謁見(2)
アイリスは馬車を降りると、ひとつ、深呼吸をする。
(ここからが、始まりよ)
ノール王国国王ジグムンドが住み、政務を行い、外交、社交を行うノール王宮は静けさに包まれていた。
大陸の国のほとんどですでに失われていた魔法が、現代にまで伝えられている国。
そう知られているノール王国だけに、初めてこの国を、王宮を訪れる者はどんなものが見られるのだろうとわくわくするに違いない。
しかし、厳しい北の気候に耐える王宮は千近い部屋があると噂されるほどに広大だが、生成り色の砂岩を使った外観は装飾も抑えられていて、少しそっけなく見える。
王宮の中に入ると、天井が高く、ずらりと並んだ彫刻の施された柱が並び、圧倒される一方で行き交う人々は物静かでしぐさも控えめだ。
想像していたような、華やかな魔道具の照明器具や、魔法を操る神秘的な魔法士も見えない。
どこに伝えられている魔法があるのかと、不思議になるに違いない。
大切なもの、価値のあるものは、やすやすと人目にさらさない。
それがノール人の流儀なのだ。
アイリスはコツコツと小さな靴音を響かせながら、優雅に王宮の中を歩いた。
話に聞く魔法の世界はどこかと目をあちこちに向ける外国人ではなく、抑制の効いた態度を崩さないノール貴族の一員として。
アイリスは知っている。
この国の最大の魔法は、ジグムンド王の手に伝えられている。
彼の存在こそが、ノール王国の魔法そのものなのだ。
「偉大なるノール王国国王、ジグムンド陛下にご挨拶を申し上げます」
アイリスが通されたのは、さまざまな格に合わせ、王宮に数多く作られているサロンの中のひとつだった。
国王と臣下の少人数の謁見に使われる、こじんまりとした一室だ。
しかし、銀の王座が据えられた豪奢な謁見の間でないからといって、気を抜くことはできない。
アイリスは念入りに整えたドレスの裾をさばいて、深くカーテシーを行う。
チュールを重ねた黒のドレスが、ふわりと広がる。
アイリスに付き添っていた侍女のセイラは控室で謁見が終わるまで待っている。
この場にいるのは、ジグムンドと、ジグムンドの護衛騎士二人、それにジグムンドの専属補佐官一人だった。
「アイリス、よく来た。顔を上げなさい」
穏やかな声に促されてアイリスが顔を上げると、息を呑むほど整った美貌のジグムンドがアイリスをまっすぐに見つめていた。
北方人である、ノール人には美形が多い。
それは大陸各国の人々によくささやかれていることだった。
まず、男女とも長身。色白の肌。
貴族、平民問わず明るい金髪が一般的で、王族にはまるで月の光のような、珍しい銀髪の持ち主も多い。
こうしてジグムンドを目の前にすると、それは事実なのだと納得してしまう。
まるで化粧をしたように白い肌。
額、目もと、鼻筋、口もと、顎。
顔のどのパーツも甘さのない、まるで彫刻のように均等で、隙がない、男性的な顔だちだ。
一方、艶のある髪は銀色で、まるで女性のように長く、背中に流れていた。
そして印象的なのが、ジグムンドの瞳。
まるで野生の狼のような、薄い青色をしているのだった。
銀に薄青。彼の色合いから冷たい印象を受けがちだが、アイリスにかけられた言葉には余分な言葉はないが、冷たさもない。
「座りなさい。お茶を淹れよう」
その声を契機として、補佐官が青の茶器で紅茶を淹れ、アイリスの前に置いた。
(本当に……お美しいお方)
アイリスもそう思わざるを得ない。
ちなみにジグムンドは先妻に先立たれ、独身だ。
すでに成人している王子が二人いるが、ジグムンドは年齢不詳すぎて、本当は何歳なのか、アイリスには想像もつかなかった。
まっすぐに背筋を伸ばして勧められた椅子に腰を下ろしながら、アイリスはどう話を切り出そうかと思案していた。
ジグムンドはそんなアイリスを急かすようなことはせず、黙って紅茶を飲んでいる。
紅茶を飲み終わると、ジグムンドは背後に向かって、一言言った。
「席を外せ」
その声に、護衛騎士と補佐官がすっと引き、サロンから退出した。
見えないところに影の護衛はいるのだろうが、アイリスは一瞬驚く。
こうしてアイリスはジグムンドと二人きりになった。
「アイリス、指輪を外しなさい。効果は落ちていないか?」
「は、はい。何も問題はないと思います」
アイリスは右手の薬指にはめた指輪を外した。
その瞬間、アイリスの髪色は、本来の青色に、瞳の色も紫色に変化する。
ジグムンドは微かに微笑んだ。
「やはり、その姿の方が見慣れていて落ち着くな。指輪をこちらに。少し確認する」
「はい」
アイリスは指輪をジグムンドに渡す。
ジグムンドは受け取った指輪を手のひらに載せ、まるで重さを測るかのように目を閉じた。
「大丈夫だな。私が流した魔力がしっかりと保存されている。問題ない」
ジグムンドは軽くうなずくと、指輪をアイリスに返した。
アイリスがノール王国で暮らすことを決めた時、ジグムンドはアイリスの外見を少し変えることを提案した。
具体的には髪の色と瞳の色だ。
珍しい青い髪に紫色の瞳をしたローデール王国の侯爵令嬢では、たとえ名前と身分を変えたとしても、素性が知られるのは時間の問題だろう。
ジグムンドはアイリスが愛用している指輪に魔法をかけて、その指輪をはめている間は、髪の色と瞳の色が変わるようにしてくれた。
しばらくの間、アイリスを見つめていたジグムンドは、やがて静かに話を切り出した。
「あなたが話したかったのは、ユーグのことではないか? ランバートを通して、あなたの姉君からの手紙も届いている。あなたのところに、ユーグが死亡したという手紙が来たそうだね?」
アイリスの指輪を握った手が、震えた。
「は……い。おっしゃるとおりでございます」
「その手紙は持って来ているか?」
「はい、こちらに」
アイリスは黒の巾着から、手紙を取り出した。
ジグムンドは手紙を読み終えると、元どおりに畳んで、アイリスに返した。
「まず、あなたへの連絡が遅くなったことを詫びよう」
思いがけない言葉に、アイリスははっとして顔を上げた。
「ユーグは我が国からロアノーク聖王国に派遣されていたが、そこで死亡したと連絡が入った。しかし詳しい状況は知らされず、遺体が返されることもなかった。よって、騎士団ではユーグを死亡したとみなしていない。現在調査中だが、生死は不明だ。そのために、あなたに正式に連絡することができていない」
アイリスは言葉を失った。
ロアノーク聖王国?
まさか、外国に派遣されていたなんて。
それに、ジグムンドはユーグが死んだかもしれないことを知っていた。
しかし、その証拠がないとは。
(どういうこと……!?)




