そして、それから
鯵の干物、味噌汁、切り干し大根の煮物、湯豆腐――それぞれの料理が香ばしさや味噌の匂いを弾けさせて食欲を誘う。出来立てを示す湯気が肺助の首の後ろを熱くさせる。
「いただきます」「いただきます」
合儀肺助と合儀椎子はほとんど同時にそう言って、食事に手を付けた。合儀家の『いつもの』食卓風景だった。
だが、不思議と肺助は物足りなさを感じていた。時間どころか回数にして数回しかないあの食事を思い出す――落ち着かなくて、どこを見ればいいのかもわからず、食事の味もわかったりわからなかったり。
「なに、肺助。寂しいの?」
突然からかうように椎子からそういわれ、肺助は思わず咽込んだ。
「べ、別に、そういうわけじゃないんだからね!」母親に自身の心情をいじられたのがたまらなく恥ずかしく悔しかった。故に声を張り上げてしまう。
「ツンデレ? 古くない? お母さんの先輩ぐらいの年に流行った奴だよ」
しかして合儀椎子は意に介さない。
「じゃあさ、ノツルちゃん呼んでみよっか。電話したら来るでしょ」
「いや、別にそういうんじゃないから」
肺助は否定する。
「っていうか、でも一応弟子かなんかじゃないの、あいつは」
肺助は当然の疑問を口にした。
「お母さんは放任主義なの」
嘘つけ、と思ったが口にはしない。多分、椎子としても、ノツルのことは、心配だから弟子だのなんだのという形式をとって手元に置き、ナイススイング正隆の経過を見たかっただけなのだろう。
「ノツルちゃんはすぐに元気になったからね。またいつか、遊びに来るでしょう」
命香は重度の呪いで苦しんでいたが、ノツルに関しては随分とあっさり解決した。おそらく、命香の形代の効果、そして何よりナイススイング正隆の呪いやスマホ式神〈ハヤト〉が影響しているのではないか、と肺助は思う。
「それよりさ、肺助さん。あの夜風和留って子、うちに来ないの?」
にやにやしながら椎子は言う。肺助は素早くそっぽを向き、行儀が悪いと思いつつポケットの中に手を突っ込んだ。
「さあ。結局連絡先も知らないし……」
「へーえ。お母さんはもっと和留ちゃんとは『仲良く』したかったなあ」
夜風和留は、気付いたらいなくなっていた。椎子が『マジで疲れた』といってサービスエリアで休んでいた時からいないのか、それとも罪斗罰総合記念病院に着いた時からいないのかは知れない。
「阿賀谷戸先輩は、放っておいて大丈夫、って言ってたから大丈夫でしょ」
「そっかあ。じゃあ、肺助さんにもいいご縁があるといいわね」
肺助はどきりとして思わず背筋を伸ばした。あれからというものの、肺助は一応借金分『十五円』をずっと隠し持っているからである。手の中で、ちりん、と小銭がこすれた。
「……でも、お母さんは、寂しいな」
突然箸をおいて椎子は言った。母にしては珍しいその口調に、肺助は顔を上げた。目は潤み、どこか老けたようにすら見えるほど悲痛な表情で顔を伏せている。いつも家の中では母として働き、地域に対してもその影響力を振りまく上、呪術の師としても肺助の上に立つその女の姿がずいぶん小さく見えた。
その時初めて、肺助は合儀椎子が案外普通の人間であり、寂しさも悲しさも持つのだと気づいた。
「どこに行っちゃったんだろう、わたしのハーレム……ああ、生娘たちのうるおい」
「そう思ってるうちは帰ってこないよ」
心配して損したと肺助は心の底から思った。この女は不純である。一度ちゃんと禊でもして身を清めたほうがいいと思った。だが、そんな母の様子を見ていると妙に気が楽になった気もした。肺助は泣きそうになっている母を尻目に食事を終えて立ち上がる。時計を見ると、丁度いい時間だった。
「修行ね」
「はい。おれは、ちゃんとした呪術師になりますから」
母の言葉に強く頷く。呪術師としての修業は、確かに習慣である。今晩行う禊や滝行だって、それはいつもと特別変ったことではない。
身に纏う道着にしてもそうだった。だが、明確に違うと肺助は思う。錫杖を手に、肺助は玄関から外に出た。
「――まったく、すっかり変っちゃって」
椎子はそんな息子の様子を一瞥もせず、ただ一人の食卓で独り言つ。
*
合儀肺助は野山を駆ける。いまだにこの土地は合儀家、ひいては合儀椎子の所有物のままである。だが、それが今ここにこうして残っているのは、守ると宣言した肺助の力ではない。母椎子や、命香、ノツル、和留、加えてやや不本意ではあるがナイススイング正隆やスマホ式神〈ハヤト〉に加え、騙されたり勘違いした李と忙しかった合儀肝悟朗の存在までが複雑に絡んでいる。
(いつかまた、命香先輩に会ったら、今度こそ一人で何かを守れる呪術師でありたい)
肺助には新しい目標があった。
肩で小さく息をしながら、禊用の小屋に入り、今日も今日とて修行である。錫杖を置き、履物に手を掛けた。風が強く吹き、肌を切る。その時であった。
――きい。
しっかり閉じたはずのドアが軋み、開く音がした。




