阿賀谷戸わくわく正統陰陽師ランド・フォーエバー!
「財欲を」床から延びる無数の手に石突を当て、
「名欲を」虚空から現れる舌だけの化生を遊環で払い、
「色欲を」壁いっぱいの目玉を睨み返して、
「禁ず!」と、合儀肺助は叫ぶ。
そうして、宝物庫に溢れる魑魅魍魎なのか悪霊なのか怨霊なのか区別のつかぬそぞろのなにかを退ける。肺助と命香は漸く、様々な毒物の並んだそこに足を踏み入れることが叶う。
「肺助さん、大丈夫?」
命香は声を落として肺助の背中に手を遣る。肺助は頷いた。
「大丈夫ですから、儀式に必要な毒を集めましょう」
なんといっても、学校の体育館程はある広さの建物である。周囲を見渡しても、同じような棚が延々と続いているだけにしか見えない。
「煙を禁ず」
ついでに、空気も悪い。まだ大っぴらに火の手は回っていないが、時間の問題だろう。また、もとは清浄が保たれていたこの宝物庫の結界も今は乱れ、そこら中に邪が蔓延る。命香が棚に刻まれた標識を確認しようと手を伸ばすと、立ちどころに蛆が湧いて阻もうとする。
「気持ち悪いの禁ず」
「だいぶ適当じゃん」
「いいから先輩は毒見つけて」
そういわれると、命香はもう何も返せなかった。重い体を引き摺り、目当ての薬瓶や、木箱を集める。十分としないうちに、子牛程の大きさに道具が積もった。
「これ、どうやって運ぶんですか?」
命香も肺助も、これといった鞄などを持ってはいないし、すでに満身創痍である。目の前に山と積まれた毒物を運ぶのは困難であった。
「大丈夫。式に運ばせる」
命香は呪符を取り出し、ぱっと床に放ると狼の式神を三体呼び出した。だが、三体とも毒の山に首を傾げるばかりであった。
「持って行って。ほら、いやな顔しない」
呼び出した狼の式神に命香は苦戦していた。肺助の視線も痛い。仕方ないので、最後の手段として阿賀谷戸家謹製式神用練り餌を取り出して調伏した。すると、呼んでもいないのにその辺にいたらしい犬の幽霊までわらわらと現れて、残りの荷物を運んでくれた。
「あれを見れば、正隆さんが呪いを解いてくれると思う」
そういう命香の顔は真っ青であった。肺助もまた、まるで貧血のような症状のおかげでずっと頭が地面に引かれる思いをしていた。
「おれ達も急ぎましょう」
「そうね」
そういう二人の前にしかし、またもや影のような、しかして明確に姿形のある何かがずらりと並んで道を阻んだ。
「あと、なんだ、どうしよ……えーっと、なんかもう、うろうろするの禁ず」
肺助は半ば寄りかかるようにして使っていた錫杖を打ち鳴らしてそれらを祓う。もう命香は肺助の適当な禁歌に突っ込むことをやめていた。肺助のうんざりしたような態度も、理解できたからである。悪霊や怨霊未満の小霊もまた多く目についた。
そうして肺助を頼り大量の霊を追い払いながら宝物庫を後にすると、丁度目の前にハイエースが止まった。
「早く乗って! もうここは終わり!」
運転席の窓を開け、身を乗り出した椎子が叫んだ。後部座席のドアを開き、和留とノツルが出てくると、肺助と命香を迎え入れる。
ハイエースの外観は煤や泥で汚れている上、おどろおどろしい爪跡もある。二人を加えたハイエースは、そのまま時速百二十キロで朱雀大路を爆走し、その魔境から脱した。その間も、ずっと窓ガラスや天井にかりかりかりかりと不気味な爪の音がしたのは、気のせいだろうか。
肺助はやつれた顔で、阿賀谷戸わくわく正統陰陽師ランドを振り返る。いまだに燃え盛る偽物の京の町は、フライパンの上で燃える失敗した料理のようであった。その上を、夏の虫が如く怨霊たちが未だに跋扈して――否、食い合っている。蠱毒が本領だったらしい阿賀谷戸わくわく正統陰陽師ランドにとっては、きっとそれも日常だったのだろう。
「地獄みたい」
ふと、ノツルがそんなことを言った。呪術師でないノツルにすら見えるほどの忌地になっているようだ。
「あそこのこと、みんな好きなんだよ」
ぽつり、と命香がそう漏らした。千年以上の間、平安京の消滅を認められない霊たちの最後の拠り所。それもまた、阿賀谷戸わくわく正統陰陽師ランドの在り方の一つだったのだ。
「そういえば、父さんと、天森さんは?」
肺助は母に訊ねた。
「ここにいるぞ……!」「ここにいるからな……!」
肺助はぎょっとして振り返ると、後部座席に死体袋二つが窮屈に詰め込まれていることに気づいた。何故この車に死体袋が備え付けられているのかについては考えないことにした。
「騒いだら殺す」夜風和留が凄めば、二つの死体袋はすぐに大人しくなる。
「下手に殺すと恨まれるでしょうし、どうせ殺すなら丁重に供養できる環境で行います」
椎子は平然と言う。肺助は何となく助けを求めようとナイススイング正隆を目で探してしまったが、もういないようだった。同じく、〈ハヤト〉もいない。
「正隆さんとおばさんがたっぷり呪いをかけてたから、多分悪いことはもうできないと思うよ」
ノツルが目を伏せて言う。おそらく、あの袋の中がどんなに悍ましい状態か見てしまっているのだろう。
「ああ、それにしても、どうしてこうなってしまったんだろうな……」
ぼそり、と合儀肝悟朗が死体袋の中で言う。まるで、死ぬ直前の譫言のようだった。
「さあな、わからない……だが、『そういうこと』なのかもしれないな」
「そういうこと?」阿賀谷戸天森の言葉に、つい肺助は問い返していた。
「この世はずっと地獄なのだ……君の言う通り、うまくいくときこそうまくいかず、どうあがいても、どうにもならない……いまだにわたしの心はまだ、正統陰陽師にここまで焦がれている。それなのに、うまくいかないのだ」
「でも、おれは諦めません。おれは、ちゃんとした呪術師になって……」
「ああ、そうさ。君は君の思う、正しいことをすればいい。だが、わたしには、まだ、いや、君にだって」
死体袋の中、阿賀谷戸天森は何事かをもやもやというが、そこから先は聞き取れなかった。
「もやもやするなあ……」
もしかしたら、疲労で聴力が限界なのかもしれないとも肺助は思った。それに、鼻の中にはいまだにあの奇怪な毒液の臭いが染みついていて頭が痛い。
「いいじゃない。もう、全部終わったんだから」
そんな肺助を、どこか突き放すように命香は宥める。彼女の視線はずっと窓の外であった。
あそこは、確かに滅びた町を再現した、ある種の墓地のような場所である。だが、命香にとっては別の意味もあるのかもしれないと肺助はその横顔に思う。
肺助は何となく、ここはそういうところじゃないかと考え、彼女の手の上に自分のそれを重ねた。すると、命香は手のひらを返して指を伸ばす。それに肺助が答えれば、二人の指が絡まり、結び合った。視線は交わさない。ただ、どうやら正解だったらしい、という安心感の中で、肺助は目を閉じた。
瞼の裏にはずっと、この世のものとは思えぬ、燃え盛る阿賀谷戸わくわく正統陰陽師ランドの炎と、その中で踊り猛り呪い合う魑魅魍魎や悪霊怨霊の姿が映っていた。




