レインボーナチュラルジム・ゴウギ、オープンッッッッ!
「いいだろう、男同士、はっきりさせようじゃないか。お前の成長を見てやろう」
肺助は無言で錫杖を突き出し肝悟朗との間合いを図る。見ただけでわかる。この合儀肝悟朗、ある種、本当に禁歌、或いは呪禁の究極系、最強の健康体である。普段ならば、いざ相手を呪おうとしたとき、何が呪えるかが頭にふと浮かぶものだが、それが一切わかなかった。
――これが、禁肉!
命香も、何か助力できないかと思ったが、あの肉体を前に何が役に立つのだろう、とすら考えてしまう。命香の脳裏に浮かぶのは、あらゆる邪を跳ねのけ、仏法を守護する神々の姿であった。
「さあ、呪い合いだ!」
拳をがん、がん、と突き合わせながら肝悟朗は吼えた。禁肉が脈動し、歓喜に震える。
「そうですね。わたしがお相手しましょう――肝悟朗さん」
そう声をかけたのは、いつの間にか車から降りた一人の女、合儀椎子であった。
「何? お前が、なんだって?」
肝悟朗は振り返り、椎子を睨みつけた。
「母さん、相手は……」
肺助は慌てて前に出ようとした。相手、合儀肝悟朗の強さは肌でわかっている。そも、人間から妖怪変化まで、あらゆるものをすぱすぱと切断する夜風和留の刀が通用しない正体不明の肉体を持った男が相手である故。
「わたしが相手ですよ、肝悟朗さん。九禁も解かれたようですし、丁度いいのでもう一度かけなおして差し上げます」
車から降りた椎子の姿は、紺の袴に羽織という、ある種武道家のような姿であった。椎子と肝悟朗が睨みあう。体格差は、半分ほどにすら見えた。
「何が、九禁をかけなおす、だ! おれはもう、あの時とは違う!」
瞬間、肝悟朗の左手が消えた。否、それほどの速度で振りぬかれ、直後に真横の京の町が弾け飛んだ。遅れて、椎子の姿もまた消えているのに気づく。
「母さん!」「お義母さま!」肺助と命香が絶叫し、肝悟朗へ行動を起こした。肺助は再び錫杖を打ち鳴らし、命香は何とか印を組んで意識を集中させる。
だが、それらよりも圧倒的に早く、肝悟朗はただ地面を拳で打った。それだけで地面がまるで波のように揺れ動き、前進する壁となって肺助と命香を吹き飛ばした。
「お前達呪術師はもう遅い。この禁肉こそが、呪文も印も不要の最強の呪術なのだ。これからの呪術の時代は、ボディビルダーが作る」
肝悟朗がフロントダブルバイセップスを決めれば、それだけで焼けていく京の町がざわつく。風が吹き荒れた。
「この土地も、合儀家の土地も、これからは大自然の中のびのびと、自在に、待ち時間なくフリーウェイトトレーニングができる最高のジムに作り替える! これからはレインボーナチュラルジム・ゴウギが世界を制するのだ!」
そういって、今度はフロントラットスプレッドを見せつける。
「国民、総ボディビルダー! そして呪術師!」
さらに、サイドチェスト。
「これが、おれの呪術だ!」
そして、見せつけるようにバックダブルバイセップス。その瞬間、この町に残ったわずかな怨霊たちもまた、全身の筋肉の滾りを感じ、雄々しくその背筋を伸ばした。レインボーナチュラルジム・ゴウギの誕生を祝うかのように、雷が轟く!
「……くだらない」
ところが、がらがらと今日の町の瓦礫を跳ねのけ、合儀椎子は立ち上がった。
「あんな歌を歌って、それが底だと思いましたが、まだまだ下があったようですね」
「下ってのは、今のお前の情けない姿のことか?」
瓦礫や、燃え盛る阿賀谷戸わくわく正統陰陽師ランドの灰や煤に汚れた椎子を、肝悟朗は笑った。
そして、わずかに屈伸しただけで、椎子の前に肝悟朗は立つ。驚くべき瞬発力と筋肉である。それはつまり、禁肉瞬間移動であった。
「ほら、なんか言ってみろ!」
一振り。その拳で椎子の姿は再び消え去り、彼女の背後の建物達が一直線に吹き飛んでいく。轟音と建材を吹き飛ばし、大きな石造りの蔵の壁面がへこむと、その中心に椎子は力なく現れた。
続いて、肝悟朗もまた、数瞬の間もなく彼女の前に立つ。そして、壁に磔になった椎子を、まるで美術館の絵画でも干渉するかの如く眺める。
「いい気味だ。だが、こんな汚いものは、レインボーナチュラルジム・ゴウギに相応しくない」
肝悟朗は動かない椎子に手を伸ばす。だが、そんな肝悟朗に、一頭の狼が襲い掛かった。
「ぬ」
息も絶え絶え、しかし命香は今、しかと印を結び呪詛を口にしおのれの式に念を込める。熊の式神〈ハヤト〉をいともたやすく退けた肝悟朗であるが、その狼の迫力に一瞬たじろぐ。だが、狼がいざ噛み付けば、その途端に影のように消え果た。肝悟朗の禁肉を前に、式神など影ほどの力もなかった。
「たわいもない」
だが、この一瞬の時、肺助は肝悟朗に大いに迫っていた。
「合儀肝悟朗の……」
「それが禁歌の弱点よ。いい加減理解しろ」
肺助の呪詛。しかしてそれを唱えさせない速度こそ禁肉の本領であった。肝悟朗の裏拳は肺助の顔面を強かに打った。肺助はごろごろと地面を転がる。
だが、彼の手から離れた錫杖は宙を舞い、そして椎子の埋まる壁に打ち付けられた。すると、その衝撃で椎子がぼとりと地面に落ちた――否、立った。
「まったく、久々に高速道路運転して疲れてたのに……もうちょっと寝させてほしかった」
「なんだと?」肝悟朗は目を細めた。
「肺助さん。わたし達の呪文が相手に効かないことはごまんとあります。ですが、自分自身はどうでしょうか。合儀椎子への傷を禁じる。これだけで、こんな馬鹿の力なんて通じなくなります」
「馬鹿な! 筋肉はそんなお前の呪詛すら禁じるのだ!」
肝悟朗は吼えた。だが、椎子の顔色は変わらない。
「合儀椎子へ攻撃が当たるを禁じてもいいでしょう。あの馬鹿力はわたしに当たりません。そもそも持禁で心身を健全に保っていれば、自然と身に宿った加護が身を守ってくれます」
「何を、適当なことを!」
ついに肝悟朗は椎子に掴み掛る。肺助は待て、と叫びそうになった。だが。
「おっと……」
次の瞬間、宙を舞っていたのは肝悟朗だった。椎子を掴むはずの両手は逆に捕らえられ、それを軸に肝悟朗は両足を天に向けていた。
そして、地面に叩きつけられる。彼の体重の落下に、大地が揺れた。
「柔能く剛を制す……そうじゃないこともありますが、あなたに至ってはまだまだ鍛えが足りませんね」
筋肉隆々、肩はまるで恐山、腕の太さは千年杉、戦う金剛力士像のような風体の相手を見下ろして、合儀椎子は冷たく言い放った。
だが、そんな余裕を持った彼女へ、憤然と肝悟朗は拳を打ち放ち、見事に彼女の腹を抉って見せた。




