禁じられた男
「おい、肺助……お前まさか、助かりたい一心で、嘘をついたな?」
阿賀谷戸わくわく正統陰陽師ランドの地下牢で父親と出会ったとき、合儀肺助は嘘をついたつもりはなかった。ただ、家の中に最後まで残っていの物品であるギターを、母の支持者の子供に手渡したのが肺助だった。
『このシールは汚いからいらない!』
肺助からギターを受け取った六歳の少女は今にも泣きそうな声で言う。故に、肺助はギターケースから剥がされたハートのシールを受け取り、ごみ箱に捨てた。そんな記憶が、阿賀谷戸天森の呪いのおかげで滅茶苦茶になった記憶の中にふと浮上し、朦朧とした意識の中で、なんとなくあのギターがまだ家にあると勘違いしていたのだ。
「おのれ! 謀ったな!」
その瞬間、合儀肝悟朗は早かった。肺助に向かってその太い五指を広げる。だが、それを阻むように巨大な熊=スマホ式神〈ハヤト〉が猛然と立ちはだかった。
「ぐおおおおおおおおおお!(わたくしの肺助様に触れるな!)」
「邪魔だ!」
二メートル以上あるヒグマの顔面を、合儀肝悟朗は難なく握る。そしてそのまま宙に放り投げた。恐るべき胆力であった。その隆々と盛り上がった筋肉は伊達ではない!
「〈ハヤト〉!」
天高く舞う〈ハヤト〉の姿を目で追うノツルの前に、肝悟朗が立っていた。すでに肝悟朗は、机の上の蠅でも叩き潰すように右手を振り上げている。
「危ない!」
滑り込んできたゴルフカートが間一髪ノツルを拾い上げる。わずかに遅れて大地が鳴動した。さっきまでノツルがいた場所、その地面に叩きつけられた肝悟朗の平手を中心に、半径二メートルはあるクレーターが形成されていた。
「この、ぶっ殺してやる!」
次に動いたのは夜風和留だった。彼女の剣は今まで、あらゆる呪術師や呪い、悪霊怨霊魑魅魍魎、そして神霊さえ切り裂いてきたのである。そして、夜風和留自身、剣に認められ、師からも千年に一度の逸材と呼ばれる達人であることを自負していた。
――斬れぬものなど一つもあるものか!
かーん!
夜風和留は目を見開いた。なんと、合儀肝悟朗の大胸筋を前に、師より譲り受けた名刀はまるで金属を打ったような音を立てて静止した――鋼鉄さえ切り裂く力量を持つ和留にとって、その現象はまるで悪夢のように感じられた。
「馬鹿め。禁肉は、お前のあらゆる思い、希望すら禁じるのだ」
ぎょ、と肝悟朗が大胸筋に力を込めてフロントダブルバイセップスを決めると、夜風和留は突風に煽られたちり紙のように吹き飛んだ。
「まだ!」
和留はゴロゴロと転がりながら受け身を取ると、姿勢をどこまでも低く、伏せたかと思うほどに畳んだ。そして、一息で五メートルの間合いを潰し、刀を肝悟朗の上腕に当てる。
こーん!
しかして、それもまた、肝悟朗のサイドリラックス程度に弾かれる。信じられない光景であった。
「あたしの剣で、斬れないものなんて……!」
縦に、横に、突きに、そのすべてを肝悟朗はサイドチェスト、フロントラットスプレット、サイドライトトライセップスで弾き返した。
「つまらん。プロテインを飲んでやり直しだ!」
大上段から振るわれた一撃を、アブドミナルアンドサイで受け止め、弾けば、今度こそ夜風和留は天を貫き、十秒ほどの時間を空けて無様に地面に落ちて静止した。
「ちゃー、しゅー、めーん!」
そんな隙を見て放たれるナイススイング正隆の渾身のショット! だが、ドライバーによって打ち抜かれ、音速を超えて飛んできたゴルフボールを、合儀肝悟朗はモストマスキュラ―で止めた。
「なんということだ……単なる防御力では、あらゆる呪術に優越するぞ、あの男は!」
「本当に、防御だけかな?」
「ノツル君、退却だ!」
素早くゴルフカートに乗り込んだ正隆は、アクセルを踏み込む。だが、その前に、突如地面が爆発した。
「これが、おれのゴルフだ」
それは、その辺に落ちていた石ころを、肝悟朗が拳という名のアイアンで、打った『だけ』である。
(じゃあそれはバレーボールのサーブだろ!)
と誰もが思ったが口にできなかった。
残ったのは、もう心身の弱り果てた阿賀谷戸命香と、合儀肺助だけだった。最強のスマホ式神〈ハヤト〉を退け、それを調伏した本人であり、生きていれば屈指のはぐれ呪術師だったナイススイング正隆も緊張した表情でいる。呪術師の天敵である、あらゆる呪いを断ち切る剣の達人夜風和留も、度重なる疲労からか、起き上がる気配はない。
「まずはその女からいたぶってやろうか、肺助」
「やめろ、父さん……いや、肝悟朗」
「そんな顔をするようになったのか、肺助」
命香を背後に、肺助は実父の前に立ち塞がった。
「いいだろう、男同士、はっきりさせようじゃないか。お前の成長を見てやろう」
肺助は無言で、錫杖を前に突き出して肝悟朗との間合いを図る。見ただけでわかる。この合儀肝悟朗、ある種、本当に禁歌、或いは呪禁の究極系、最強の健康体である。普段ならば、いざ相手を呪おうとしたとき、何が呪えるかが頭にふと浮かぶものだが、それが一切わかなかった。
――これが、禁肉!
命香も、何か助力できないかと思ったが、あの肉体を前に何が役に立つのだろう。
「さあ、呪い合いだ!」
拳をがん、がん、と突き合わせながら肝悟朗は吼えた。禁肉が歓喜に震える。
「そうですね。わたしがお相手しましょう、肝悟朗さん」
そう声をかけたのは、いつの間にか車から降りた一人の女、合儀椎子であった。




