合儀肝悟朗
合儀肝悟朗は、生殖を禁じられていた。
合儀家に伝わる禁歌とは、重ねがけに重ねがけを行い、呪われることが習慣となって漸く、一か月程度の力を発揮する極めて弱い呪術である。それでも、できることと言ったら腰痛がましになる、なんとなく運がよくなる、その程度である。
だが、唯一、九禁なる呪術はそうではない。
相手を呪う一つの要素に対して、九つを重ねて多角的に禁じる。禁歌の中でも必殺とされる呪術である。
また、九つの禁同士にも相補性があり、事実上十個の、解呪の困難な禁を相手に科す。
それを用いて、合儀肝悟朗は合儀家を追放されていた。
「おれはもう、男としても、呪術師としても終わりなんだ」
■■■■で、肝悟朗は阿賀谷戸天森の胸に甘えるように指をくねくねと押し当てた。肝悟朗は、ふう、と濃い息を吐く。
「そんなことはないさ。こうやっているだけでも、お互いの気持ちが通じ合う。それでいいだろ?」
潤んだ瞳を、肝悟朗は天森に向ける。
「たとえ、やばいレベルの痔でも構うものか」天森はそう言って、肝悟朗の尻たぶを撫でた。
合儀肝悟朗は超重度の痔を患っていた。合儀椎子と別れるとき、九禁のついでに『すべてを』滅茶苦茶に破壊されていたからだ。全部合儀椎子が悪い。
「あれはもう、破壊されすぎて現代医療でも難しいからどうにもできないが、せめて君の、呪術師としての尊厳は取り戻して見せる。合儀家の土地は、わたし達で取り戻そう」
「天森さん……」
こうして、阿賀谷戸天森の合儀家の土地を狙った戦いは始まった。勿論、天森に合儀肝悟朗の誇りを取り戻す、などという意図は一切ない。
(合儀家の土地を乗っ取ったら、肝悟朗は捨てる! 合儀家の土地は、阿賀谷戸わくわく正統陰陽師マウンテンとして開園だ!)
そうして、恐ろしいぐらいに順調に事は進んだ。元から、阿賀谷戸天森の娘と肺助の幼馴染、ついでにナイススイング正隆には期待していない。ただ、九禁を支える一つの呪い、合儀肝悟朗の、敷地に入るを禁ず、を崩すためだった。
そのためには、術師である合儀椎子が、本来なら不可侵である自宅に、関係のない者たちを受け入れる必要があった。
だから、阿賀谷戸命香を、瀬路原ノツルを、そして呪いの天敵である〈斬り祓い屋〉夜風和留を送り込んだ。本来なら、部外者を徹底的に排除する合儀椎子の呪いは、家族以外を拒絶し、無意識のうちに、近寄るどころか見えることすら禁じていた。だが、椎子は変わった。無意識のうちに、自宅に部外者が入ることを許してしまった。
そして、ついに、敵である肝悟朗の侵入すら許したのだ。こうして九禁は破られた。
そのあとは、合儀椎子とともに、土地の譲渡に付き合ったり、支持者の家に挨拶へ行く毎日。ところが、そうしているうち、肝悟朗にも思うところが出てきた。
(こうやって、様々な相手に対して柔軟に対応し、あまつさえ譲りたくもないものを譲る羽目になっても気丈にふるまい、楚楚としてことを進める美しさ。呪術師としての才だけでなく、おれはそんな彼女の強かさに惚れたのだ)
極めつけは、肺助の言葉だった。
(あの、思い出のギターがまだ家にあるということは、おれにもまだワンチャンあるのでは?)
合儀肝悟朗の脳裏に、禁歌をベースにした、全く新しい形の呪術を披露した日々を思い出す。ギター専門店で百六十万円するアコースティックギターを片手に、弾き語りを椎子に送った。
椎子は、肝悟朗の全く新しい形の禁歌を聞いた途端、気持ち悪過ぎる、意味が分からなない、あなたは一度でも家のことや呪術のことも、肺助さんのことも、わたしのことも真面目に考えたことがないのですか、信じられない、信じられない、もう無理、耐えられない、ふざけないで、殺す、とぶち切れて癇癪を起し、儀式用の刀を振り回したものだったが、あれはきっと照れ隠しだったのだ。
〽アイラヴ・呪術
ラヴ・フォー・呪術
もう止められないこの思い
でも止めて見せちゃう できちゃうから
瞳見つめて言うよ
そっちは駄目
愛ラヴ・夢中
ラヴ・もう・でちゃう
あふれる思い 呪えない
ごーんごんごんごん・鐘の音
こっちに来ちゃ嫌 まだ早い
嘘・来ていいよ ゆっくりね
『君に夢中なちゅ、スローペースなのろい愛』
作詞・作曲・合儀肝悟朗
肝悟朗の胸には大きな刀傷がある。禁肉のおかげで傷一つなく治ったが、懐かしい椎子の一撃。百針縫う超大怪我だった。死ぬかと思ったが、照れ隠しだと思うとかわいいものだ。そんなことを考えていると、牢の中で肺助が寝ていた。おかしいと思った。
(天森の呪いに掛れば、寝ることすら許されない苦痛が続くはず)
呪いが解けたのか、とも考えたが、違う。これは、誰かが形代を用いて肩代わりしているのだ。その時、肝悟朗は、自分に呪術の才が戻っていることに気づいた。九禁で呪術を禁じられていた肝悟朗だが、その緩みのおかげで呪術を取り戻していた。
そこで、天森の呪術の様子を見ていた肝悟朗は、あっさりと息子の呪いを解いた。阿賀谷戸の毒を用いた呪術は、夜風和留ほどの達人であってもそう簡単に断ち切れぬ複雑なもの。だが、何の毒を使ったかを知り、どんな儀式を行ったかを知っていれば簡単なものである。
阿賀谷戸陰陽道は陰陽五行説に基づき、自身らが行う毒を使った呪術にも木火土金水に似た相克があることに気づいていた。それらを用いて蠱毒を行えば、あらゆる状況に適応した毒を自在に作ることができた。解くこともまた然り。
「合儀肺助の、生きている気配を禁ず」
そのあとは、肺助は死んだと天森に虚偽の報告を行うだけ。
――しかし、どうして合儀肝悟朗がそこまでしたのか?
「おれのギター、まだ取ってあるって肺助から聞いた。あれは、おれとお前の愛の象徴だ。おれも、お前の愛に応えたい。もう一度やり直さないか、椎子。君にもう一度、おれのラヴソングを送りたい」
「肝悟朗さん……」
「肺助だって無事だ。それは、おれが呪いを解いたからだ。もう一度、禁歌を支えたいんだ。君と一緒に、いろんな人に挨拶して、どんなにこの呪術が人に愛されているかを知った。おれも、そんな人たちと一緒に生きていきたい」
そういって、一呼吸。
「君と、それから、肺助と一緒に」
肝悟朗はそう言って、椎子に手を伸ばして深々と頭を下げた。椎子は、じっと差し出された手を見つめる。
一瞬かもしれないし、それは、長い長い時が流れていたのかもしれない。誰もがこの、唐突な肝悟朗の言動に言葉を失い、その動向を注視した。椎子すら、黙って身じろぎすらしない。しかし、この大火の最中に吹いた風に煽られるように、椎子は口を開いた。
「……それについてなのですが」
(それについてなのですが?)
その場にいる合儀肺助、阿賀谷戸命香、以下二名と一頭と一人(幽霊っぽいもの)が、その回答に目を丸くした。そしてただ一人、全てを察したナイススイング正隆だけがそのまま目を手で覆い、天を仰いだ。
「その、あなたの言うギターって、なんですか? わたしはあなたの持っていたものはすべてメルカリかブックオフで売りました。もしかして、あのだっさいハートのシールが貼ってあったあれですか? あれなら、支持してくださるお宅のお嬢様が欲しいというのであげちゃいました。確か、あの時はまだ六歳ぐらいだったと思います」
「……はい?」
肝悟朗は首を傾げた。話が違う。
「おい、肺助?」
「そういえば阿賀谷戸先輩、ビッグ霊峰マウンテンってまだ乗れますか? どうせなくなるなら、その前に乗ってみたいんですけど!」
合儀肺助は命香の袖を引っ張り、燃え盛る京の町に帰ろうとしていた。父親と、目線を合わせようとしない。よく見れば、肺助の額を、背筋を、あり得ない量の汗が流れていく。視線も大いに泳いでいて定まらない。
「え、嘘、肺助さん……?」命香は、すべてを理解した。
「おい、肺助……お前まさか、助かりたい一心で、嘘をついたな?」
合儀肝悟朗の肉体のすべて、あらゆる呪術を跳ねのける禁肉が、怒りによって脈動した。




