或る男の終わり
――阿賀谷戸わくわく正統陰陽師ランド、陥落。
阿賀谷戸一族が千年近くにわたって守り続けてきた、真の平安京であり権力にこびへつらうことなく本物の陰陽道を維持していると自負しているその歴史が、終わりを迎える。
羅生門、大内裏、ほんもの陰陽道体験コーナー、真の陰陽師阿賀谷戸天森のモーニングルーティーン動画、阿賀谷戸家の平安京ガチ食堂、たのしいお土産呪符売り場……そのすべてが焼け落ちていくより早く、天森は自身の中に溜め込まれていたあらゆる呪術の知識が消散していくのを感じていた。どんなにそれらが出ていくことを止めようとしても、流れる砂を掴むように、指の間から洩れ消えていく――うまくいかない!
「そんな、馬鹿な……われらが阿賀谷戸家は千年にわたって、真の陰陽道を示し続けた一族だぞ……それが、こんなたった数時間で……」
「本当の呪いの時代は、平安時代に終わったの。偽物とはいえ、この平安京の終わりは、わたしたちの陰陽道の終わりでもある。お父さん、わたし……」
ましな顔色になった命香が、放心する父親に寄ろうとする。だが、天森は両手を振り回して実の娘を拒絶した。
「わたし達だと! おれの、陰陽道だ! お前は、端からわが一族にはおらん! ええい、近寄るな!」
その大声に、命香の体がびくりと震えた。その目から、つう、と澄んだ涙が頬を流れ落ちる。
「お父さん……」
「もう喋らないでください」
天森の眉間を、合儀肺助が持つ錫杖の石突が殴りつけた。何の抵抗もなく、天森は地に転んで動かなくなった。これでひとまず決着だろう。
「阿賀谷戸先輩、無事ですか?」
とはいえ、これで全てが終わりになったわけでもない。ひとまず、命香の傍に寄る。
「阿賀谷戸命香に掛った呪いを禁ず」
その一言で、漸く命香の顔色がいつものそれに戻った気がした。
「ありがとう。また戻るだろうけど、逃げられるぐらいには……」
肺助が手を貸し、命香は何とか体を起こす。お互いにフラフラだったが、体重をかけあうことで安定する。肩を貸す、というよりも、小脇に抱えるようにして命香を支えた。柔らかく、暖かい彼女の肩の感触をもって、肺助は漸く、自分がまだ生きている感覚を指先から認識した。
「なんか、触り方いやらしくない?」
「え」
しまった、と肺助の頬を汗が流れ落ちる。そういうことを意識したわけではないが意識していなかったかといえばそういうわけでも無かったからである。
「ま、別にいいけど。肺助さんなら」
ふふ、と口元で笑って、命香は急にその体重をすべて肺助に被せた。肺助はよろめきながらも、必死で命香を支えた。図らずとも密着する。
今まで、何度かこうして命香の体重を分け合ったが、今回は別格であった。命香はそのすべてを、実にリラックスした様子で委ねたのである。その無防備な様子に肺助はなぜか前進が高ぶる思いだった。
「え、あの、それはどういう……」
「……な、い、しょ」
耳元で甘く切なく命香が囁く。
――合儀肺助、死亡。享年十五歳。もうすぐ十六歳だったのに。
ところが、そんな二人を脅かすように燃え盛る町町を轢き潰してハイエースが現れた。付近の建物は木っ端微塵に千切れ飛び、それが起こした揺れで肺助は息を吹き返した。
「さあ! 逃げるよ!」
そういって手を振るのは合儀椎子。魑魅魍魎が跋扈するこの阿賀谷戸わくわく正統陰陽師ランドを逃げ切った女である。
「お義母さま!」「母さん!」
二人は同時に声を上げ、移動するスピードを上げる。だが、その間に、ずらりと人影が立ち並んだ――阿賀谷戸天森の弟子弟子、十一名であった。狩衣に身を通した彼らはすでに満身創痍であったが、まだその眼に闘志があった。
「怨霊はおらずとも、われらのことを忘れたか!」
「死しても今度は、われわれが怨霊となり、いずれ合儀家を滅ぼし給う!」
「もう阿賀谷戸家は終わりです! やめてください!」
命香は必至で叫んだが、それに退く相手でもない。仕方なく、肺助が命香を置いて錫杖を構えようとした。
「うざ。もういいっしょ」
ところが、一瞬の煌めきののち、阿賀谷戸陰陽道の弟子弟子は声帯や手の腱、神経などを絶妙に切断されて倒れこんだ。
「お姉ちゃん!」
十一名をなで斬りにした少女こそ夜風和留であった。紺のセーターをなくし、シャツも血に濡れ破け、下着まで見えている。肺助は、ふと、まったくもって真逆に見える命香と和留も、体型だけは双子だと改めて思った。
「なんか、視線エロくない?」
肺助の視線に、和留は胸を隠すように体を捻った。おかげで、元から短いスカートから、大胆にはみ出た太ももが目を引く。何せ、大きく裂けたそれはスリットとなって、健全な男子高校生の意識を根こそぎ奪っていくからだ。
「ま、はいぴーとはもっとすごいことしちゃってるからいっか」
「お姉ちゃん、そろそろ肺助さんと何したのか教えてくれない?」
肺助を置いて、命香がずいと前に出る。
「別に? ほら、帰るよ」
そういって、和留は空いた肺助の肩に手を掛けようとした。だが、違和感があった。
「……? なんか、子猫でも挟んだ?」
「こんばんは瀬路原ノツルです。おかしいですね? 夜風さんはわたしのキューピッドになるって聞いてたんですが。やっぱり抜け駆けか? どういうことかなあ? いけ好かないなあ、この双子姉妹は」
和留と肺助の間に、一人の少女がいた。瀬路原ノツルである。
「でも、ノツルちゃんも抜け駆けしようとしたよね? 肺助さんが生きているのを知っていて、黙って喪主になるだの未亡人だの言って、ドキドキちゅっちゅしようとしたでしょ?」
命香の鋭い指摘に、ノツルの体が震えた。図星であった。当たり前であるが、〈ハヤト〉と肺助を地下で見つけたときからすでに、否、そもそも〈ハヤト〉の鋭敏な嗅覚は肺助の存命を早々に察していたのだ。
「し、し、し、知らないなー」ノツルはしらばっくれた。
「おい、なんか言ったらどうなんだ」和留が凄む。だが、その時である。
和留は、ふと隣に獣の気配を感じて慌てて振り向いた。そして、悲鳴を上げる。
「熊!?」
それは、スマホ式神にして見た目は巨大なヒグマの〈ハヤト〉であった。百戦錬磨の剣客である夜風和留も、突然のヒグマにはさすがに驚く。
「〈ハヤト〉はわたしの味方だもんね。〈ハヤト〉、この人は食べていいよ」
「ノツル君。そうやって私利私欲に振り回されてはいけないよ。ゴルファーたるもの、心は常に明鏡止水だ」
「ゴルフはしないってば」
「知らないおっさん出てきた」
夜風和留は、肩に阿賀谷戸天森を抱えた謎の中年に眉を顰めた。
「こんにちは、夜風和留君。止雷さんの弟子だろう? わたしは伝説のゴルファー、ナイススイング正隆。もう死んでいる身ではあるものの、いたいけな少女の涙に応えてキャディをしている」
「無理無理、一言一句全然頭に入らん。なんだこの幽霊。斬っていい?」
和留は瞬きをして中年を見る。
「それより、なんでお父さんを」
命香の関心は、ナイススイング正隆が肩に抱える実父にあった。
「なに、ここでは危険ですが、少し落ち着いたら、あなた達の呪いを全部この男に返す必要があるでしょう。阿賀谷戸陰陽道の呪いを解く方法はわかりませんが、この方法なら皆さんの健康を維持できるはずです」
殺して何らかの法に問われないなら間違いなく殺しているし、そもそも放っておくのも危険に違いないのが阿賀谷戸天森なのだが、使い道があるならそれはそれでよい、と皆が皆思った。
「わたしとしては、ノツル君以外はどうでもいいのですが、ついでです」
そういって、ナイススイング正隆はウィンクまでした。
「キモいから次やったらおばさんたちに本気で除霊してもらうね」ノツルは決意を固めた。
「それは恐ろしい。さあさ、帰りましょう」
すっかり『いつものメンツ』の風を吹かせてナイススイング正隆は、四人と一頭をハイエースへ乗り込むよう促した。
「熊ってはいんの?」和留は当然の疑問を口にし、
「〈ハヤト〉だよ!」と、ノツルは訂正する。ハイエースに熊が入るかはわからなかった。だが。
(なんやかんや、みんな無事でよかった)
そんな様子を見て、肺助は思った。
「阿賀谷戸先輩、ありがとうございます」
「え?」
「助けに来てくれたんですよね。今のうちにお礼言わないと」
「それは……」命香は思う。どこまで役に立てたのかわからない。もしかしたら、自分が何もしなくても、こうなっていたんじゃないかとも考えてしまう。
「ちょっと、あたしが一番化け物殺してんですけどー!」和留が抗議する。
「わたしだって、っていうか肺助を棺桶から救出して、外まで連れ出したのはわたしだよ!」ノツルも加わって吼える。
「ぐおおおおおおおおおん!(でも、全部わたくしがノツルさんにアドバイスして、わたくしが肺助さんを見つけて、わたくしが運んだのですわ! ノツルさんは何もしていませわ! もっと褒めて!)」〈ハヤト〉も言う。
「そもそも、命香君の形代の効果が薄くなったのを機とみて、ノツル君経由で呪い返しを行い天森氏を追い詰めたのはわたしなのですが」ナイススイング正隆も不満気。
「そして、錫杖や法衣を用意して、陽動として頑張ったのはお母さんです」合儀椎子すら、運転手から身を乗り出す。
「っていうか、牢屋の中で形代の効果を受けて肺助の呪いが弱まった隙に、呪いを解いて天森に虚偽の報告を行い、禁歌で肺助を仮死状態にして油断させた最大の功労者はおれだよな?」
「え」
その時、その場の全員が一人の異物中の異物、合儀肝悟朗を見つめた。いつの間にか皆の中に溶け込もうとする大男がいた。百歩譲って、ナイススイング正隆が味方面するのは許せても、合儀肝悟朗だけは駄目だろう。
「あんた、このおっさんのカレシだろ!」
夜風和留は、天森を指して肝悟朗に食いつく。だが、肝悟朗は静かに首を振るのみ。
「確かにそういうときもあったが」
「本当にあったんだ」
「息子の前でそれは言わないでほしかった」
「でも、おれは心を入れ替えた」
そういって、四人と一頭と幽霊一つを通り越し、肝悟朗は合儀椎子へ首を垂れた。
「おれのギター、まだ取ってあるって肺助から聞いた。あれは、おれとお前の愛の象徴だ。おれも、お前の愛に応えたい。もう一度やり直さないか、椎子。君にもう一度、おれのラヴソングを送りたい」




