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呪術恋愛戦線 山奥に隠れていた陰キャ呪術師の俺が都会から来た陰陽師美少女に狙われる異能バトルラブコメ  作者: 杉林重工
四章 燃えろ、羅生門

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呪獄

 

「……我が錫杖の、この手に離れるを『禁ず』」


 その禁歌の一つで、この燃え盛る平安京の闇夜を切り裂き一本の錫杖が彼の手に注いだ。それは、彼の母親がここに持ち込んでいたもの。それを手にした彼は、結び付けられていた黒の法衣を纏い、簡易的ではあるが実に伝統的な装いになる。


 その少年を、阿賀谷戸天森は知っていた。足取りの覚束ない、どろり、どろりと歩き来るその少年を。


「肺助さん……!」命香は涙交じりにそう叫んだ。


「おのれ、合儀肺助! っていうか、あいつは死んだって、お前が報告してたよな! 肝悟朗!」天森は大声を上げて非難した。だが、返事はない。


 はっとして隣を見ると、つい先ほどまで彼を見下ろしていた大男=合儀肝悟朗がいなくなっていた。


「え、マジで? このタイミングで裏切ったのか? まさか、息子可愛さに?」


 天森はしばし言葉を失った。


 りゃん、しゃん、かん、錫杖の音がどんどん迫りくる。そうして漸く、阿賀谷戸天森は鼻から極彩色の液体を噴き出しながら立ち上がった。怒りに満ちている。何が主役だ。あれこそが、敵だ!


「おい、小僧! どうやって父親を丸め込んだか知らんが、お前が抵抗すればするほど、命香やそのほかの奴らの呪いが強くなるぞ!」


「いい! わたしのことはいいから、肺助さんは……」


 天森が印を結び、命香が言葉をかけている間に、合儀肺助は呪いを口にする。


「阿賀谷戸天森の、つまらないことを言うを禁じる」


「つまっ……」


 天森は何か言おうと思ったが、喉で詰まって言葉が出ない。まさに絶句して、天森は朱雀大路のど真ん中を歩き来る少年を見た。その影は、明確な敵対の意志を天森に返した。


「おい! 怨霊でも悪霊でもなんでもいい! あいつを殺せ! あれがお前達の平安京の敵だ!」


 これはつまらなくないんだ、と天森はちょっとだけ考えた。その時であった。


 口ばかりが四つ、伸びた犬歯を唇の外にはみ出し涎を吹く鬼に似た怨霊〈八毒螫影〉が天森の真横を駆け抜け、距離二百メートルほどを一気に縮めて合儀肺助に迫った。


 その四つの口を開き、何事かを絶叫しようとする!


「邪言を禁ず」


 ところが、りゃん、と錫杖を振り、怨霊に当てれば、あっさりとそれは霧散して消え去った。まるで、つい先ほどまでそれが大路を走っていたのが幻のようであった。


 続いて歩く巨大な樹木のような化生〈瘴樹蔵王〉が、触れれば一瞬で皮膚を晴らす猛毒を飛ばしながら近付く。しかし、それが十メートルほども近寄る前に、肺助は錫杖の石突を地面に当てた。


「邪乱を禁ず」


 すると、あっという間にその樹木の体は枯れ果てひび割れ朽ち果てた。


「掉挙を禁ず」


 と宣えば、背を這う無数の蜥蜴の悪霊がぼろぼろと剥がれ落ちる。そして、


「妄念を禁ず」


 上空より迫った邪鳥を遊環で払い、


「渇愛を禁ず」


 と、纏わりつこうとする無数の形なき魑魅魍魎を禁じ、


「悪欲を禁ず」


 と、錫杖振って円弧を描き、空から延びる無数の手の形を振り払った。


 その間、合儀肺助は一切の歩みを止めなかった。流石の天森もぞっとする。何せ、ここをうろつくは千年以上、この偽物の平安京に執着し続けた、あまりに不徳な霊魂たちである。


 もう、合儀肺助に近付こうとする幽霊はいない、否、周辺からきれいさっぱり『消え去って』いた。


「馬鹿な……阿賀谷戸わくわく正統陰陽師ランドから、千年の怨霊たちが……」


 すでに、天森と合儀肺助とは十メートルと離れていない。それなのに、もう天森には呪術を行使するほどの力が残っていなかった。それもこれも、呪い返しの影響である。命香を蹴り飛ばしたときに解けた形代の効果は、夜風和留や瀬路原ノツルを苦しめ始めたはずだったが、そのおかげでナイススイング正隆の呪い返しが有効になってしまった。


 それが、容赦なく阿賀谷戸天森の体を蝕んでいた。どうやって瀬路原ノツルのもとにあの死んだはずのナイススイング正隆がいるのかはわからないが、実力だけは折り紙付きの怪人である。呪い返しの実力は本物で、本来ノツルを食い破るはずの毒が天森を廻る。


「おのれ、おのれ……」


 怨霊を禁じ悪霊を禁じ、禁じ禁じて合儀肺助がいよいよ二メートル……


「――!」


 しかし、そんな二人の間に、一つの影が立ちはだかった。


「お前は……」


 病的に青白く染まった合儀肺助の顔が、俄かに赤く染まる。相手は、スーツを着た、顔面を包帯でぐるぐる巻きにした何か。そう、彼をここまで送り届けた車の運転手、正体不明の怪人である。


「おお、来てくれたか、わが毒将四傑が一つ〈毒彩蝶・曼羅曼荼羅〉!」


 包帯頭はおのれを呼ぶ阿賀谷戸天森を一瞥もしない。ただ、包帯だらけの頭に指を刺し、無言で左右に引き裂いた。


 ――否、開いたのだ。まるで、蝶や蛾が羽を広げるように。


 開き、引き裂かれたその向こう、本来頭部があるはずの場所には、ぽっかりと穴が開いていた――それも、ただの穴ではない。虚空か、否、そうではなく、『無』である。巨大な洞。奥行きは無限、左右も上下もなく、ただ途方もなく広い。時間ですら吸収され、際限なく引き伸ばされる無尽の空間、すなわち宇宙である。


 それに気づいた時、合儀肺助はおのれの内側に彩色の星々の光線、否、放射線を知る。宇宙は、無ではないし、虚空でもない。その中には無数の太陽に似た、あるいはそれ以上の光を、電磁波を、宇宙線を放つ恒星があり、極彩色の毒の坩堝となっている。


(しまった、これは想像以上の毒――!)


 肺助がそれを自覚した時にはすべてが遅かった。総天然色の蝶の羽に似た彩に飲み込まれながら、それが純白に収束したとき、肺助は自宅にいた。


「おっと……?」


 居間のテーブルにつき、目の前には湯飲みが一つ。煎茶が湯気を上げていて、茶柱が今、立ちそうで立たない。ゆらゆら揺れる。


「うーん、残念。でもこれって、何が楽しんだろうね。肺助さん、わかる?」


 はっとして顔を上げると、テーブルの向かい側には、これまた生活感あふれるブラトップにくたびれたパーカー、ショートパンツという、超絶ゆるゆるな服装の少女がいた。


「命香……?」


 肺助はなぜかぎょっとして、彼女の名前を呼んだ。長い黒髪を今は一つ結び。家事の邪魔だったからだろう。おかげで、普段は見えない真っ白な項が露わになっている。


「なに? ねえ、パーとかオンとかって、どういう意味なんだろうね」


 深く呑み込まれるような命香の瞳を、じっと肺助は覗き込んでしまう。テレビではゴルフの中継が流れている。


「さ、さあ、おれにもさっぱり……」


 ふと、肺助は命香の左薬指に目が行った――シンプルな指輪が嵌められている。あわてて自分の手を見ると、同じデザインの指輪が当然のようにそこにあった――三つも。


「ソロモン王か?」


「まあいっか。あともう少ししたら、お夕飯の買い出し行こ」


 命香はそう言って、すっと立ち上がった。ついでに、リモコンを手にしてテレビを消そうとする。だが。


「えー、わたし見てたのに! いけ好かないなあ!」


 居間のソファから抗議の声が上がる。それは、ジャージ姿ですっかりだらけ切った少女、■■ノツルだった。健康的に、無駄な脂肪分を削いだ両足をばたつかせている。


「ノツルちゃん、ゴルフわかるの?」


「ううん、全然わからん。和留ちゃん先輩は?」


「いや、知らんし。それより出かけるんならトイレットペーパー切れるからよろしく」


 いつの間にか、ソファにもう一人珍客がいた。■■和留である。


「な、なんじゃこりゃ……」


 肺助は思わずそう言葉を漏らした。


「なんじゃこりゃって……どうしたの?」


 三人の視線、すなわち、『合儀』命香と『合儀』ノツルと『合儀』和留のそれが、容赦なく肺助に刺さる。


「お母さんもいるよ! お買い物にはわたしもついていきます! 姑チェックです!」


「きゃー! お義母さま! 一緒に行きましょ!」


 命香は黄色い声を上げる。いつの間にか居間にいた合儀椎子と合儀命香がハイタッチをした。


「いや、わけわからん……どうしてこうなった……」


 肺助は目を白黒させて目の前の光景にそう感想を述べた。開いた窓から見える庭には、大きなヒグマが一頭、退屈そうに欠伸をしている。その時、そんな庭からふわりと一枚の葉っぱが入ってきた。


『諦めろ、合儀肺助』


 銀杏の葉っぱはテーブルの上、湯飲みの隣に軟着陸すると、肺助に向かってそう言った。


「おい、どういうことだよこれは!」


 肺助は葉っぱに向かって叫ぶ。


『諦めろ、合儀肺助』


 葉っぱは繰り返した。


「いや、意味わからん、説明してくれ!」


 肺助が泣きつくと、銀杏の葉っぱは実に落ち着いて答えた。


『これが、お前の戦いの果てに至る場所、呪獄ハーレム法案だ』


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