ここが彼の通り道
「あ、やっぱ無理! いいか命香、よく聞け! うまくいっているときこそ、うまくいかなくなるが、生きてさえいればまたうまくいくもんだ! 肺助君にも、次があったらきっとうまくいっていたに違いないのに! かわいそうだなあ!」
あーっはっはっは、なる漫画やアニメでしか聞いたことのない笑い声を父・阿賀谷戸天森は発す。娘・命香もさすがに絶句した。肝悟朗ですら眉を寄せる。
デッドゥーン。
しかし、その時突然三人の間を抜ける奇妙な音に、そして絶妙に聞いたことがある響きに、三人はしばし耳を澄ました。
デッドゥーン!
「……ネットフリックスの音?」
そうして二回目、阿賀谷戸天森は漸くその音の正体を思い出した。
デッドゥーン!
「あ、はい、阿賀谷戸命香です」
「え、命香チャンのスマホの着信音、ネットフリックスの音なの? ねえ、なんで? なんでネットフリックスの音なの? パパに教えて? なんでネットフリックス?」
そんな天森の混乱を差し置いて、顔色の悪いまま、阿賀谷戸命香はあくまで軽快にスマートフォンを取り出し、耳に当てていた。
「え、はい、こんにちは……はい、わかりました。すぐに。はい、はい、では……失礼します」
そして、電話の向こうの丁寧に応対をしていた命香だったが、さっと耳からスマートフォンを外すと、
「お父さん、電話」
といって、天森に投げて渡した。天森は実に自然にそれを受け取り、耳に当てた。電話とはそういうものであるからして、身内から渡されたそれを無碍にすることはできない。敢えて言うなら、呪いの中でも最も強いもの、習慣とでもいおうか、それはそう、どう転んでも呪いなのだ。
「はい、もしもし、替わりました。阿賀谷戸天森です。どちら様ですか?」
『オン・ゴルフ・ギャーテイ・ソワカ』
『オン・ドラコン・ギャーテイ・ソワカ』
『オン・パーオン・ギャーテイ・ソワカ』
スマートフォンのスピーカーから流れるは、返事ではなく明確な呪いの意図!
「完全オリジナルの真言?!」
天森が目を丸くするより先に、どろりと口から鼻から目から耳から、青や紫、蛍光緑の液体が吹き出た。
「まさか貴様は……ナイススイング正隆!」
『その通り。お久しぶりだね、阿賀谷戸天森君』
スマートフォンから聞こえるその声は、まさに阿賀谷戸天森の知るはぐれ呪術師の中でもトップクラスの実力とゴルフの腕を持つ男、ナイススイング正隆に違いなかった。
「馬鹿な! お前はスマートフォンに自分の情報を残して自決したはず!」
ばちゃばちゃと謎のカラフルな液体を飛ばして天森は絶叫した。
『その通り。覚えていてくれて結構』
対して、電話の向こうのナイススイング正隆は冷静だった。
「何故だ! お前との約束に従い、あのスマホはゴルフ場に丁度いい霊地に関わりそうな少女に手渡したんだ! わたしは一切約束を反故にしなかったのに……」
『それはそうだが、わたしは呪術師である前に一人のゴルファー。故に紳士だ。少女の涙には答えねばなるまい』
「まさか貴様、裏切ったか! どこにいる、あのスマホ式神を得て調子に乗っている一般人のガキの近くか!」
『さあね。ちなみに裏切るとは心外だ。わたしは君にスマホ式神の技術を教え、死ぬ。その代わりに、君はわたしの夢を手伝う。そういう手筈だったろう? それがどうだい、失敗しているじゃないか』
「それはお前の実力不足だ!」
『いいや。わたしの夢自体が間違っていたのさ。わたしはそれを、合儀肺助君と、瀬路原ノツル君に教えてもらった。最後にゴルフも遊ばせてもらったし、ちょっとしたこれはお礼さ、君へのね』
どぼどろどろろどぼどぼぼろと、阿賀谷戸天森の口から未知の毒液が止まらない。
「呪い返し……」
命香も覚えがある。彼女も、ナイススイング正隆から呪いを受けた肺助を助けたことがあった。今回の件でも、天森への呪い返し自体は命香も考えたことだが、肺助を人質に取られている以上、踏み出すことができなかった。それを、ナイススイング正隆がしているということは……
「肝悟朗、この化けて出た幽霊を探し出せ! すぐにお前の禁肉で真っ二つに引きちぎってこい!」
「わかった。と、言いたいところだが」
すでに膝を地面につき、息も絶え絶えの天森を一瞥もせず、肝悟朗はこの朱雀大路の南をじっと見ていた。天森もまた、遅れて気付く。
「おい、まさか……この電話は、時間稼ぎか! あいつが、生きていたのか!」
『そういうこと。じゃあわたしは継続してノツル君の呪詛返しを頑張るから、なるべく耐えてね』
「は、はあ?! 何を言って……」
『まったく、わかってないな』
電話の向こうが一瞬静けさに満ちた。
『――お静かに、天森君』
――!
『……だって、やっぱり主役は彼なんだから』
電話の向こうでナイススイング正隆は肩を竦めた。だが、すでに阿賀谷戸天森の視線は、一点に釘付けになっている。
朱雀大路を往くその小さな人影は、ゆうらりと天森に向かって歩きながら、ぼそりと呪詛を口にした。
「……我が錫杖の、この手に離れるを『禁ず』」




