黒い背景に赤い文字
安元の大火。
安元三年(西暦千百七十七年)に平安京で発生した大火事である。その火事の範囲といえば、東南から大内裏にまで到達したとされる。その様態といえば、巨大な火車が巡ったとも描写される。別名、太郎焼亡。
今、阿賀谷戸わくわく正統陰陽師ランドはこの安元の大火を正確に再現しつつあった。
「馬鹿な、平安京からくりタイムサーキットがある大内裏の中央制御室には、わたししか入れない! 確かにタイムサーキットをいじれば阿賀谷戸わくわく正統陰陽師ランドを火の海にできるが……いかなる呪術師であろうと、毒将四傑が一つ、〈毒顏蠍鬼〉を置いているんだぞ!」
「違うな、天森」
「なんだと?」
急に喋り出した肝悟朗へ、不快そうな視線を天森は送る。
「この火事は、地下から起きている。おそらく、地下一階の施設やガス管を無理やり、お前の娘の式神が破壊しているんだ」
「なん……だと……?」
天森の顔が青ざめる。
「馬鹿が! ここの怨霊は、どいつもこいつも滅んだ平安京に妄執する愚かな霊魂ばかりだぞ! そんな場所でこの〈京〉を滅ぼすような真似をしてみろ! あっという間に怨霊に体を食い尽くされて仲間入りだ! そうならないように、形代として平安京からくりタイムサーキットがあるんだ。それを使わないなんて……」
そういいながら、天森はまさかと地に伏せた娘を見つめる。阿賀谷戸天森は思う。こいつは、本当に自分の娘か……?
「そうです、わたしは今すぐにでも、この町に巣食う怨霊たちの恨みを買って、滅び食い尽くされ、肺助さんを助けられなかった恨みに身を焼きながら死ぬのです。そして、この令和に新しく生まれた大怨霊として、まずはあなたを殺して見せましょう」
その時、暗雲立ち込める阿賀谷戸わくわく正統陰陽師ランドにびしゃん! と稲光が走り、大地が大いに鳴動する。火柱はそこかしこに上がり、紅が広がっていく。誰の目にも、阿賀谷戸わくわく正統陰陽師ランドの終焉、および阿賀谷戸天森の計画の失敗が見て取れた。この施設がなくなれば、天森は呪術師としての橋頭保を失う。
「日本三大怨霊はやがて、この阿賀谷戸命香の霊をもって、四大怨霊となりいずれ日本すら傾けるのです」
そういってゆっくりと立ち上がる彼女の顔は、黒く落ちくぼみ、何よりその額が隆起し始めているではないか。
「天森! これはさすがに殺せないぞ。おれには禁肉があるが、女の恨みはあっという間に国すら亡ぼす! 計画は中止だ。呪いを解くしかない。今は娘の命を優先しつつ、平安京からくりタイムサーキットで無理やりにでも阿賀谷戸わくわく正統陰陽師ランドを初期化して、それから娘の扱いを決めるんだ」
合儀肝悟朗ですら焦りだす。とにかく捕まえて、ひとまず牢にでも入れようかと構える。だが、すでに彼と命香の間には、頭が二つ、歪に生えた狼の式神が立ち塞がっていた――尋常のものではない! 流石の肝悟朗も、それに触れるのは躊躇いがあった。命香の変化に呼応し、彼女が従えている式神も歪になっている。
「……面白い」
「は?」
天森のふと漏らした言葉に、肝悟朗は声を上げた。
「面白い! わが娘ながら見事! そこまで考えていたのか! 父のために!」
「そんなわけがなかろう、わたしは、あなたを殺すために……」
「ええい、鎮まれバカ娘」
そういって、天森は呪符を取り出し、ぱっと娘の額を打つ。途端、命香は仰向けになり地面に倒れた。だが、すぐさま立ち上がる。そこへ、今度は、右手、左手、両足、胴と、立て続けに呪符を受ける。
「よいよい、よいぞ、お前が国をも揺るがす怨霊になるならば、それをわたしが調伏し、東の似非陰陽師達を食わせてやろう!」
「やめろ! そんなことできるわけが……」命香は抵抗するように手足に張り付いた呪符を剥がそうとするが、天森は次から次へと呪符を取り出して放つ。
「この天森、今までの怨霊たちの調伏は、この時のためと悟ったぞ!」
命香は無数の呪符を全身に受け、しかしてその形相は鬼の如く変貌していく。
――憎い! 憎い憎い憎い!
だが、一方の天森は溌剌として叫んだ。
「いいぞ、もっと憎め、怨霊だろうが! わたしは今まで、お前のことを贄と呼んだが、それはほかの呪術を学ばせて対抗できるようにするためとばかり思っていた。だが、この日のための言葉だったのだ! じゃあパパ、久しぶりに本気で調伏やっちゃおっかな!」
印を結び、いよいよ興奮を抑えて、呪術に臨む。しかし、素早く指を解いて絶叫した。命香は何が起きたのかと首を傾げた。
「あ、やっぱ無理! いいか命香、よく聞け! うまくいっているときこそ、うまくいかなくなるが、生きてさえいればまたうまくいくもんだ! 肺助君にも、次があったらきっとうまくいっていたに違いないのに! かわいそうだなあ!」
「おのれ、阿賀谷戸天森!」
命香は思わず叫んだ。だが、さっきまで大怨霊として父と、この日本すら食い尽くす気でいたのに、手足に張られた呪符は、その力を吸い上げ、天森の支配下に屈しようとしている――所詮は、自分などこの阿賀谷戸天森の娘なのだ。
その度、命香は憎し憎しと心が埋まっていく。それすらも、憎き父の糧にしかならないというのに!
そうして、ふと思い浮かぶのはなぜかあの日、一人合儀宅を去っていく合儀肺助の背中であった。
(嗚呼、わたしはきっと、悪役にも、いい人にもなれないんだ……)
命香の意識が閉じていく。だが。
――デッドゥーン!
その時、やけに耳に残る、重く響く独特の音が、三人の間を抜けていく。
――黒い背景に赤い文字。




