秘めた扉
王太子夫妻の私邸では夫婦が過ごす部屋と子供部屋との居住空間は別になっている。
次期国王、その特別な存在は背負うものが大きく、さらにその次を継ぐ存在を守る責任がある。おそらくそこに家族の形は必要ないのかもしれない。
子供部屋近くには客室があり、そこは主に私的関係者が利用する。
シャロットはあれからの数日をその客室で過ごしている。
逃げたのだ、アシュリーの後悔から。ただ今回はウィリアムではなく、グレースの優しさに縋った。
その客室や子供部屋にはウィリアムが寄りつく事はあまりない。ミーガンが愛人になってからは尚更だ。
配慮が嬉しかった。心の平穏を取り戻すには時間が必要だったから。
自分で思う以上に受けた衝撃が大きかったのだと気づいたのは冴えない顔色をサラに指摘された時だ。口では平気だ大丈夫だと言いながら、そうではなかったらしい。
どうやらサラがグレースに心配事を打ち明けた事で、今の状況ができている。
そしてこの数日間は本当に言葉通りの静かさで、侍女以外が顔を出さないのはありがたい。もちろんグレースや子供達は別として。
だから邸の寝室にいたくなかったシャロットを誘ったグレースには感謝で一杯だ。
その間、アシュリーは毎日シャロットの様子を伺いに来る。
だからと言って鉄壁のガードを誇る侍女のサラが面会を許すわけがない。あのサラだ。
彼も強引に踏み込むはせず、サラにもまた勝てるはずがない。
シャロットはアシュリーとサラのやり取りを聞きながら、せいぜい扉の向こう側で引き返す足音を刻むだけだ。
『殿下には良い薬になります』
このままが続けばとサラが思っているわけではないだろう。あの女の元に通いながらキャサリンとの噂まで流れる始末のだらしなさがサラには腹立たしく思えるようだ。
☆ ☆ ☆
「あら、貴方達ここにいたのね」
「おかあさま」
滞在している客室は今、ごったがえしている。
エリスとノエル、二人の乳母とお付きの使用人、そしてグレースとその侍女だ。
グレースの子供達はシャロットに懐いていて、客室によく顔を見せる。ここにいる事情は知らなくても、ほぼ毎日だ。
ノエルに本を読み聞かせる内に寝るようになったのは新しい発見だ。
シャロットの声にどんな安眠効果があるのかわからないが、二人の乳母にとっては助かるようで、ノエルがぐずり出すとエリスを伴ってやって来るのだ。不思議なくらいに寝てしまうものだから楽できると思っているのかもしれない。
つまりは乳母がそれ目当てに訪れるという事だ。
グレース様もわかっているらしい。子供部屋にいない場合はここしかないと簡単な予想のようだ。
ソファーに座るグレースの側に侍女がいて、お茶の準備を下女に指示している。
シャロットは床で遊ぶ子供達と一緒に座り込んでいるものだからドレスの裾はしわくちゃだ。
『妃殿下、はしたのうございますよ』
何度となくそう言われても、子供達と目線を合わせるのにドレスなんて気にしていられない。
「シャロット様は接し方がお上手ね」
「私が子供なだけですわ」
床から立ち上がり、グレースの向かい側に座るす。 下女が静かにお茶を差し出してくれた。
子供達の遊び相手は乳母と侍女達にお任せだ。
「私ね、ウィリアムに輿入れする前にお慕いしていた殿方がいたの」
突然、グレースが秘密の思い出話を語り始めた。
「よろしいのですか、グレース様……。皆、ここにおりますよ」
「あら、いいのよ。告白ではないもの、今更ね」
お茶を嗜みながら微笑む姿は、全てを捨てつつも同時に受け入れて来た覚悟が滲み出ている。
「ウィリアムとの婚約は既に決まっていたのに、その一方で長い間に渡って別の方に心を奪われていたのよ」
「ウィルとは政略結婚でしたわね……」
「えぇ、そしてこの事はウィリアムも承知しているわ」
「存じませんでした。私は彼が初恋なのかと思っておりましたもの」
「初恋は叶わないものだと小説に書いてあった、確かにその通りね。私は王太子の婚約者だもの、候補ではなくね」
「その方のお気持ちは?」
「知らない方が良い事もあるでしょう? だから今でもわからないわ」
もしもシャロットが小説家だったなら王太子妃の恋物語を自らの想いと重ねて執筆しようとしたかもしれない。
それほどに立場は障壁となり、共感を得るものだと知っている。
「その方への想いを抱えながら王太子妃になった時、言われたのよ」
「それは?」
「君の感情は関係ない。王太子妃として役割を全うしてくれれば、それでじゅうぶんだ。ウィリアムはそう言ったの」
「まさか」
――信じられない、あのウィルがそんな事を言うなんて。
「酷いと思うでしょう? 彼は遠回しに秘めた想いを無理して打ち消さなくても構わないと言いたかったのよ」
「ですが、そんなの無理ですわ。叶わない想いを持ち続けるのは寧ろ、苦しみを抱えるようなものです」
「それでもね、夫として王太子として役目は果たしてくれているし、私を大切にもしているわ」
「殿下は……」
「私はね、シャロット様。片想いの辛さも幸せも知っているつもりよ。だから愛人の立場でも報われる想いがあるのなら、その方が幸せだとも思っているの」
「グレース様はお優しすぎますわ」
「貴方がウィリアムの子を産んでくれたら、どんなに喜ばしいだろうと本当に思っていたのよ。だって貴方は彼を愛していたもの」
「そんなのできませんわ。グレース様を苦しめてしまいます」
「ありがとう、シャロット様」




