温い風が頬を触れていく
「よく眠れたかしら」
「えぇ。もう帰らなければならないなんて寂しいわ」
「あら、可愛い坊やが待っているでしょう?」
以前、ジェシカはウィリアム王太子の愛人時代に起こしたある事によって国を追われはしなかったが、結果的に隣国との繋ぎ役となったのは記憶に新しい。
隣国から訪問中だった王子との間にできた子供をウィリアムの子と偽った事実は皆を激怒させた。本来なら処罰の対象となるのだが、隣国の後継者問題を逆手に取り、今後の交易を有益なものにする事で無事に第四夫人の座を射止めたのだ。
今では未来の王太子候補であり、王母となる存在。丁重に招待して然るべきところなのにそれができないのは過去の過ちのせいだろう。
そこでサルスタジア王国の招待ではなく、シャロット個人の招待という形を取ったのだ。
祝賀パーティーから二日、賓客として二人の私邸に泊まったジェシカが国へと戻る朝。
彼女とシャロット、アシュリーは揃って朝食の席に着いている。
文の交換で連絡を取り合っていたものの、ジェシカと会うのは久しぶりだ。
もうすっかり逞しくなったようで、国王や王太子に対面しても全く動じる様子はない。寧ろ、余裕の笑みだ。
やはり夫人の立場を得た自信なのだろうか。
しかも、とにかくよく食べる。本人は食事が美味しいからと言うが。
――二人目がお腹にいるのかもと思ったくらいよ。
ところが彼女は笑って一蹴した。
『シャロット様はきっとそう言うと思ったわ』
単に吹っ切れただけのようだ。
今まではウィリアムに気に入られたくて、そればかり考えて飾り立てようとしていた。それが立場が確かなものになると、そんな自分がくだらなく思えたのだと綺麗な笑みで言った。
正妃や他の夫人との関係は良くも悪くもなく、本来が気儘な性格のジェシカ。
もしかしたら夫人同士の互いに向ける嫌悪や嫉妬すら一蹴で笑みに変える図太さが生きる力になっているのかもしれない。
「ところで、シャロット様。ウィリアム……いえ、ウィリアム王太子殿下に新しい愛人ができたというのは本当?」
「本当よ。とても可愛い子でミーガンというの。彼は今、彼女に夢中だわ」
「まぁ、あのウィリアムが?」
「グレース様の事はもちろん大切になさっているわよ」
「意外だわ。彼が愛しているのはシャロット様以外にはいないと思っていたもの」
ジェシカの言葉にアシュリーが微かに反応を見せた気がした。
彼はジェシカの奔放な性格が好きではないらしい。自身もそれに近いと思うのに反発するのは、やはり共通する部分を持っているせいかもしれない。
「ごめんなさいね、アシュリー様。事実だもの。寧ろ、心から愛していたようだったわ」
「ジェシカ、おやめなさい」
「グレース様はそのミーガンという女を認めているのかしら」
「顔を合わせても全くの無表情で言葉も交わしていないようだ」
アシュリーが溜め息を吐いて、言った。
「さすがのグレース様も気に入らないのね」
「感情を抑えているようにも見えるな」
「少なくとも私の時とは違うという事ね」
アシュリーはジェシカが嫌いなのに、どういうわけか話が合う。
やはり似た者同士は考え方も似るのだろうか、そしてこういう時のシャロットは意見する隙がなくなる。
現在のウィリアムの愛人はミーガン一人。
あの離れに住み、毎夜のように閨を共にしているらしい。
「そりゃ、自分の使用人だった女が相手だからな」
「え、平民出身なの?」
ミーガンは貴族出身ではない。グレース付きの、大勢いる中の使用人の一人だった。
本来なら王太子妃の近辺で彷徨く事すら許されない立場だ。ところが、彼女の場合はそれが許された。
貴族の中に紹介者がいたのだ。それが宰相だったのだから、誰も文句は言えない。
彼のお墨付きならという思いもあったのだろう。
どういう繋がりなのか、宰相がミーガンの後見人という噂や私生児なのではないか、或いはパトロンだとか様々な話は出て来るが、どれも本人達は否定する為、真相は定かではない。
「そんな女が愛人だなんて、ずいぶんな出世ね」
「使用人服を着ていた頃と違って、綺麗に着飾らせて遊ばせているのは哀れでもある」
「ありえないわ。他の使用人達から不満は出ていないのかしら」
「もちろん、ぎくしゃくしているさ」
「彼らしくないわね」
――そう、ウィルらしくないのよ。彼がそんな状況にしてしまっているのが意外で、不満が噴出するのもわかっているのに。
ミーガンはまだ十五歳で、おそらくまだ夢見る乙女。
王宮暮らしにどれだけの憧れと欲を抱いたか簡単に想像できる。だからこそ怖さ知らずで、回りの人間を困らせるのが楽しく思えるのかもしれない。
それはまるで危険と隣合わせの火遊びのようなもので。
シャロットは少々の寒気を覚えた。
目の前で風が渦を巻いて高く舞い上がり、アシュリー共々巻き込まれていきそうな、そんな感覚。




