14.紡がれる計画 3
ユナティアン皇国の第二皇子ローランドは、気が重たかった。
全ては彼の右腕ドルミル・バトラーのせいである。
恨めしい目をバトラーに向けると、何年経っても老けることを知らない男は、皮肉に唇を歪めた。
「どうなさいましたか、殿下」
「お前のせいで、俺は随分と憂鬱だ」
恨めしげなローランドの台詞に、バトラーはハッと笑う。
「最近、豪快な性格に似ず暗い顔をされているかと思えば、そんなことでしたか。未だに私に勝てないからと言って、そこまで悲観なさることはありますまい」
「一応俺はお前の主のはずなんだが、随分な言い草だな。昔からだが」
苦情を口にするが、もちろんローランドは本気ではない。バトラーも気にした様子がなく、静かにその場に立っていた。
ローランドは深く溜息を吐いて、模造剣を鞘に戻す。
彼の相手をしていたバトラーも模造剣を鞘に戻し、ローランドに手を差し出した。ローランドは素直に模造剣をバトラーに渡す。
少し時間ができたため、ローランドは半刻ほど、バトラーを剣技の練習に付き合わせていた。
バトラーは宰相補佐だ。文官のはずなのだが、魔術も剣術も、他の追随を許さぬほど強い。
そして、バトラーの腕は衰えることがない。それどころか、年々強くなっている気さえする。
剣術はもちろんのこと、魔術は一層磨きがかかったようだ。
「お前は衰えるということを知らんのか」
不服そうにローランドが言えば、バトラーはおやと片眉を上げた。
相変わらず本心の読めない表情で、彼は淡々と言い返す。
「殿下ばかりが強くなって私が弱くなるなど、それこそ不公平というものでしょう」
「お前なあ……。人間は普通、老いるものなんだぞ」
ローランドの突っ込みは至って真っ当である。
真っ当であるからこそ真実をあっさり看破しているのだが、あいにくとローランドはそのことに気が付いていなかった。
敏いようで抜けていると、バトラーはほんのりと口角を上げる。
ドルミル・バトラー。
ユナティアン皇国で宰相補佐という立場に居るが、実際はローランドの右腕だ。
宰相補佐は複数いて、それぞれが全て、別の皇位継承権争いをしている派閥に与している。
中立派を気取る補佐はほぼいない。
それこそ、ローランド派に下ると宣言する前のバトラーくらいだった。
以前は第一皇子派、第一皇女派、第三皇子派の三つに分かれていたが、今や第三皇子マティアスと、第二皇子ローランドに二分割されている。
ここ最近は、マティアス派からコンラート・ヘルツベルク大公派に移ったと実しやかに囁かれている者も居るが、真偽のほどは定かでない。
マティアスは裏切り者には厳しいが、皇位継承権保持者の目を潜り抜けられる者でなければ、宰相補佐の座には居続けられないのだ。
「私はどうやら、老いを知らないようですからね。力を失う時は、この世から消える時です」
「大げさだな」
ローランドは本気にしない。
だが、これはバトラーの本音だった。
ドルミル・バトラー。
魔王レピドライトの器として、脈々と育まれて来た血族。
魔族と人の混血児の中でも最も魔族の血が濃い、忠義の臣。
遥か昔、魔王が三傑に封じられる時、彼は自らの子孫を魔王レピドライト復活の器として用意することを誓った。
時が経ち、その名字は形を変え、しかし子々孫々受け継がれた魂の核は変わらない。
魔王レピドライトが封じられた地に関する知識は失われ、バトラー家に引き継がれる記憶も封印されている。
だが、魔王の封印が解けた時には、魔王の記憶を取り戻すはずだった。
実際に、今のバトラーは魔王レピドライト本人にほぼ近い。
ただし、一つの大きな違い。
それは、身に宿す力──人間風に言うなれば魔力の量だった。
厳密には原初の力に近い闇の力であり、魔力とは少し性質を異にするのだが、魔力が原初の力から導き出されたものであることに変わりはない。人間が作った魔力の定義を拡大解釈すれば、それはすなわち、魔族が有する原初の力と同義である。
今では、その力を持つ者はほとんど居ない。
復活した魔族、そして魔王だけだ。
本来であれば、魔王レピドライトが完全に復活した時に、その魔力は全てバトラーに吸収されるはずだった。
だが、実際にその一部はリリアナ・アレクサンドラが持っている。
無理矢理、体内から引き剥がして奪うこともできたが、バトラーはそうはしなかった。
リリアナを大切に思い、心から信頼して仕えている護衛オルガ。
今は王太子妃付きの近衛騎士になっているが、彼女の魂は見間違えようもない。
記憶がなかったバトラーでさえ心惹かれるほどの、鮮烈な力を秘めた魂。
魔王レピドライトが心の底から愛した、妖精姫だった。
その彼女から、敬愛する主を奪えるのか。
闇の力をリリアナから引き剥がせば、リリアナは命を落とす。
自分の力を、いち早く取り戻すこと。
オルガに気が付かれず完遂する自信はあるが、記憶はなくともあのフィオンディだ。
遅かれ早かれ、主の命を奪った敵を特定し、敵討ちに来るに違いない。
愛した相手に憎悪を向けられる。
考えるだけで、心が引き裂かれるようだった。
記憶を取り戻してしまった以上、バトラーの──否、レピドライトの頭からは、どんな形でも良いから愛する人の気持ちを引きたい、という欲望など一片たりとも消え去った。
だから、バトラーは迷わなかった。
リリアナは生かす。
己の身に戻る魔力が不十分でも、時間を掛ければその内に取り戻せる。
その時間が、数人分の人生を掛けなければならないものであっても──再度封印されない以上、レピドライトの魂は体を入れ替えて生き長らえる。
完全に魔力を取り戻せば、完全体だ。
魔族にとって、肉体とは洋服でしかない。
言うなれば、今のレピドライトは成人男性の見た目をしたゼロ歳児だった。
「それで、バトラー」
ローランドの声で、バトラーは思索から引き戻される。
横を見ると、ローランドはこれまでになく真剣な表情でバトラーを見つめていた。
「そろそろ、俺に教えてくれても良いんじゃないのか」
「何をです?」
おおよそ、バトラーはローランドが何を言いたいのか察していた。
だが、敢えてしらばっくれる。
認めた瞬間、それは事実として確定する。
認めなければ、事実としては確定せず、疑惑として残り続ける。
それが、社交界の不文律だ。
ローランドも、これまではバトラーの伝える気はないと言わんばかりの態度に折れていた。
だが、もはや折れる気はないようだ。
彼は真剣な表情で訴える。
「前にも言った気はするが──俺はスリベグランディア王国との共存の道を取りたい。お前もその意見に賛成だったはずだ」
「ええ。今もそれは変わりませんよ」
なぜなら、スリベグランディア王国にはレピドライトの愛するフィオンディが居るから。
今のフィオンディはオルガと名前を変え、見た目も変わり、記憶も失っているが、間違いなくその魂はレピドライトが愛した女性だった。
だから、バトラーは最愛が悲しむ真似をしたくない。
そして同時に、最愛が怒り狂って純度の高い憤怒を自分にぶつけて来る姿も見たくないからだった。
とはいえ、その全ては語らない。
未だにローランドは、バトラーが気になっている女性がオルガだとさえ知らないのだ。
薄笑いを浮かべたバトラーに、ローランドは更に言葉を重ねる。
「だから、お前のすることを疑っているわけじゃない。お前は昔から、未来を見通すように様々なことを予見する能力に長けていた。チェスでも、十手どころか終局までを見通すような奴だからな」
「お誉めに預かり恐縮です。が、当たり前のことを言われましても」
しれっとバトラーは肩を竦めた。
レピドライトの記憶や魔力、感情を取り戻すよりも前から、バトラーの能力は人間を凌駕していた。
魔族の血が濃い魔族と人の混血児であり、何代も交配を重ねて血は薄まったとは言え、魂に掛けられた魔族の執念の術は強固だ。
大陸全土を支配した魔王レピドライトに相応しい器。
そのためには、知力も体力も武力も、全てが人々を上回ってなければならなかった。
だが、ローランドはそんなこととは知らない。
彼にとって、バトラーは昔から徹頭徹尾、自信家で鼻に付く言動の多い男だった。
もっとも、それに相応しいだけの能力がある上に、実力をも見せつけてくれるのだから、文句も言えない。
そんな寛容な性格がローランドの覇者たる素質なのだが、あいにくとローランド本人にその自覚は無かった。
今は亡き第一皇子ならばいざ知らず、第一皇女ヴァネサであればバトラーの知能を生かしきれなかっただろうし、むしろ傀儡になっただろう。第三皇子マティアスは、下手にバトラーの能力が分かるだけに、腹を立てて処刑しようとしたに違いない。
ローランドは大きく溜息を吐いて、髪を掻き乱した。
「だが、良いか。俺はお前の主だ。何かあれば俺が責任を負うのだ、お前一人に責を負わせるわけにはいかん! それが総大将というものだろう。だから、いい加減に全て吐け。漏れ伝わる情報は錯綜しすぎていて、全容が掴めない。俺はどちらかと言えば、策を弄するのが得意な方ではないからな。それはお前も知っているだろう?」
「単細胞と言うことですか」
「そこまでは言っていない! 少なくとも、ヴァネサ義母姉上よりはマシなはずだ!」
バトラーが引っ掻き回すが、ローランドは誤魔化されなかった。
反射的に言い返して、溜息を吐く。
その静かな瞳は、バトラーの本心を見抜こうとせんばかりに、鋭く光っていた。
「お前は一体、何を企んでいる?」
一瞬の、沈黙。
バトラーはわずかに目を瞠り、そして──満足したように、嗤った。
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