14.紡がれる計画 2
リリアナは、カマキリの首肯を見てにっこりと笑った。
カマキリが僅かに嫌そうな表情になる。
それを無視して、スリベグランディア王国の王太子妃は続けた。
「わたくしの望みは二つ。一つは、わたくしの護衛を取り戻すこと。そして、これ以上ユナティアン皇国が我が国に不要な手出しができないようにすること。単純でございましょう?」
至極真っ当な、そして単純な願い事だ。
心の底からそう信じているという口調で、リリアナは言う。
だが、カマキリは唖然としていた。しばらく言葉を失っていたが、やがてようやく口を開く。
「ちょっと待て、お嬢ちゃん。一つ目は分かる。ジルドを取り戻したいってのは──できるかどうかは別として、理解できんでもない。だが、二つ目はだいぶ無謀なことを言ってるぞ」
「そうでしょうか?」
リリアナはきょとんとした。
ユナティアン皇国が、スリベグランディア王国を支配下に置こうとすることを防ぐ。これも、リリアナの中では不可能ではないことだ。つまり、リリアナが持てる知識と権力を総動員して万全の計画を立てれば、ユナティアン皇国はスリベグランディア王国に構っていられなくなる。
最終的に、第二皇子ローランドが皇位に就いてくれたら、少なくとも次世代くらいまではスリベグランディア王国も安泰である。
同じ理屈で、リリアナはジルド奪還も可能だと信じていた。
だから、カマキリが「できるかどうかは別として」と口にしたことについては、少々の不満が生まれる。
とはいっても、リリアナをそれほど良く知らないカマキリがそう判断するのは当然だ。
だから、リリアナは笑みを浮かべてみせる。
カマキリが少しばかり怯んだが、無視した。
「長らく、ユナティアン皇国は大陸の覇権を握っていました。その背後には、大禍の一族の存在がある──一般的には、そう考えられていますね」
「あんたの言う『一般的に』ってのはだいぶ常識とは違うが、まあ、そう言えなくはないな」
苦虫を嚙み潰したような表情で、カマキリが言葉を挟む。
大禍の一族は、広く知られた存在ではない。知る人ぞ知る暗殺一族で、高位貴族であってもその存在を確信している者は少ない。接触できる者となると、片手で数えられるほどだ。
だからこそ、一般的に考えられているというリリアナの主張には違和感が残る。
だが、リリアナは全く頓着しなかった。
今はその程度のことなど、些事である。
「ですが、その大禍の一族も、なぜそれほどまでに強大な力を持つに至ったのかは謎が残ります」
カマキリは答えない。
探るような目で、リリアナを見つめている。
リリアナは淡々と答えた。
根拠を示せと言われたら、はぐらかすしかない。
リリアナの魂に眠っている前世の記憶。生まれてからこの世界で過ごして来た経験。
オブシディアンやジルドと接する中で得た知識。そして、王太子妃として身に着けた教養。
その全てを組み合わせて、矛盾が出ないように繋ぎ合わせる。
前世の知識も、一作目と比べると二作目は薄い。
それに、かつてほど鮮明に思い出せることもそれほど多くはない。
その上、リリアナは世界を変えてしまった。
一作目で死んでいた悪役令嬢は生き残り、魔王も完全なる復活を遂げていない。
スリベグランディア王国の国王はホレイシオのままだし、乙女ゲームには居なかった人々も逞しく生きている。
二作目の時代は恐らく一作目の終了からそれほど時間が経っていないはずだ。
しかし、そうは思えないほど二作目の描写は一作目の結末で見えた世界から程遠かった。
ごくわずかな、一作目の終焉から二作目の始まりに至る期間。
その期間にあったはずの、天変地異とも言える世界の変化は、現実には起こっていない。
それでも、変わらないこともある。
前世の知識を得て動いたリリアナの影響を、最も受けていないもの──それは、リリアナが生まれる前の出来事だ。
そして、幸いなことに、大禍の一族はリリアナが生まれるよりも遥か昔に生まれた。
強大な力を持ち、ユナティアン皇国だけでなくスリベグランディア王国に手を広げたのも、リリアナが生まれる前である。
だから、リリアナの持てる知識を総動員して推測した。その推論は、決して大きく外れたものではないはずだ。
リリアナは意味深に笑った。
「人智の及ばぬものに手を出した。そう考えれば、あなたやシディのような魔族と人の混血児が一族になぜ従属しているのかも、簡単に説明が付きますね」
沈黙が落ちる。しばらく、リリアナとカマキリは互いから視線を外さなかった。
睨み合いが続く。決して二人とも表情を険しくしているわけではない。
微笑を浮かべたままのリリアナに対して、カマキリの顔からは一切の表情が抜け落ちている。
やがて、沈黙を破ったのはカマキリだった。
「それで、大禍の一族がユナティアン皇国の繁栄を支えていると分かったからといって──どうやって、あの国がこの国に手出しできないようにできる、って話に繋がる?」
リリアナはほんのわずかに目を細めた。
カマキリは、リリアナの誘導に乗った。それで十分だった。
それほど裏社会の人間と付き合いがあるわけではないが、リリアナも王太子妃として、様々な人間と面通しをしている。その中には、カマキリのように一癖も二癖もある人間が居た。
彼らのような人間は、話にならないと思えばすぐに席を立つ。
一番重要なことは、相手を交渉の席に着けることだ。そのためには、興味を引かなければならない。
失敗すれば、二度と彼らを味方に付けることは叶わない。
それが分かっているからこそ、リリアナは慎重に、話の順番を考えていた。
「わたくしも、それほど愚かではないつもりですの」
リリアナは嫋やかにそう告げる。
一体何を言わんとしているのか掴めず、カマキリは胡乱な表情になった。目を眇めて、リリアナを窺う。
小さく笑って、リリアナは言った。
「人智の及ばぬもの。それが魔族と人の混血児であるというのなら、一族は如何様にかして、あなた方を従わせる力を手に入れたということになります」
そこで一旦、リリアナは言葉を切る。
表情は一切変えずに、彼女はカマキリに様子を窺う。さすがにカマキリは、自分の感情をリリアナに読み取らせるような下手は打たない。それでも、関心を引かれていることだけは確実だった。
「過去に大陸を支配していたという魔族は、人間よりも強い魔力を持ち、術を使っていたと考えられています。彼らが現代に生きて人間と戦えば、あっという間に人間は死に絶えたでしょう。それほどまでに、魔族の力は強力だった」
厳密に言えば、魔族の力は人間と同種ではない。
より原始の力に近い、強力な力だった。
それは、リリアナの知識ではない。リリアナが、他でもない黒獅子のアジュライトから教えられた事実。そして、ヴェルク近郊にある嘆きの丘に収められた、かつての戦で命を落とした魔族プルフラスの墓で直接見た魔力の残滓。
全てを統合して結論を導くことは、それほど難しくはなかった。
「大禍の一族は、人間です。人間がどれほど策を弄したところで、その血の半分が魔族であるあなた方にとっては、取るに足らない存在のはず。それにも拘わらず、なぜあなた方、魔族と人の混血児は、一族に跪かなければならなかったのか」
カマキリは、堪え切れずに苦々しく顔を歪める。
これ以上は聞きたくないと言わんばかりに、彼はリリアナを睨み付ける。
ぞっとするような形相だ。普段は、どちらかといえば好々爺に見えるカマキリが、本性を見せる。
たとえ百戦錬磨の騎士であっても、ぞっとして戦闘態勢を整えただろう。
だが、リリアナは全く動じない。
いっそ薄ら寒くなるほどの冷静さを湛え、彼女はカマキリの視線を受け止めた。
「──?」
ようやく、そこでカマキリは目を眇める。警戒するように上目遣いで、リリアナの様子を窺った。
構わず、リリアナは淡々と言葉を続ける。
「一族には、魔族と人の混血児を従わせる秘策があった。その秘策に自信があったのでしょう。そして、事実あなた方はその秘策に抗うことはできなかった。結局、その矜持を傷つけられても、一族の首輪を受け入れる他なかった。一族が手に入れた秘策は、あなた方では手出しができないものだったのですね」
やはりカマキリは答えない。その沈黙は雄弁だった。
リリアナの推測は、全て正しかった。
やがて、カマキリは深い溜息を吐く。
その双眸には、諦めに近い光が浮かんでいた。絶望の深淵を覗き込み続けて来た、それでも死ぬことも許されない男が抱え続けて来た闇が、瞳の奥に覗いていた。
「取り戻そうとしたことは、あったさ。だが、上手く行かなかった。人間の血が濃い奴は次々に死んだ。だが、魔族の血が濃い連中──俺やあいつ、それに他の数人はより深く楔を打ち込まれた。一族もさすがに学んでな。奴らが持っている賢者の石とやらは、奥深くに隠し込んじまった。どこにどう隠したか、どれだけ調べても分かりゃしねえ。今じゃあ、近付くことすらできなくなっちまったのさ」
そこまで言って、カマキリは付かれたようにソファーの背もたれへ体を預けた。
「それで? 俺たちでさえ見つけられねえほど深くに仕舞い込まれた賢者の石とやらを、お嬢さんはどうやって見つけるつもりだ?」
リリアナは頬を緩ませる。
ここまで来れば、カマキリは自陣営に下ったも同然だ。
引退したとはいえ、カマキリは大禍の一族の中でも一、二を争う実力者だ。
その彼が一族から抜ければ、その戦力は格段に下がる。
その上、リリアナは賢者の石を奪うと約束したのだ。当然、カマキリ以外の魔族と人の混血児もリリアナの陣営に加わる可能性が高い。
「詳細は、申し上げられませんけれど」
そう断って、しかしリリアナは確信に満ちた口調で断言した。
「一族の方に持ち出していただければ、確実だと思っておりますのよ」
当然、大禍の一族はそうするだろうという自信。
しかし、どう考えても荒唐無稽な作戦だ。
魔族と人の混血児を従わせられる秘策を、一族が易々と持ち出すとは到底思えない。
呆気に取られたカマキリは言葉を失い、口をぱくぱくとさせていたが、やがて天を仰いだ。
「──本気で言ってるのが分かるだけに、こいつぁ性質が悪いや」
しかし、怒りはしない。
きっとリリアナなら成し遂げるのだろうという奇妙な信頼が、カマキリの心に芽生えていた。
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