13.詭計と密謀 7
リリアナは、一人になった部屋で息を吐いた。
少し疲れたと思いながら、長椅子に腰掛ける。
ライリーは少し渋っていたが、リリアナが計画を決めたら必ず共有すると約束したらようやく納得した。
「ウィルも、わたくしが思っていた以上に世話焼きですわねぇ……」
ライリーが聞けば憮然とするだろう発言を無意識に口にして、リリアナは背もたれに体を預ける。
間違いなくライリーにとっては、世話焼き以前の問題──あまりにもリリアナが秘密主義すぎて質問を重ねるしかないのだが、リリアナにその自覚はない。
彼女が生まれ育ったクラーク公爵家は、良くも悪くも貴族的で、家族同士が胸襟を開くことはなかった。
リリアナも、ライリーのやり方には未だに、全く慣れない。それでも、彼女は無意識に微笑を浮かべていた。
「なんだィ、他人様を呼びつけておいて、お前さんは楽しそうだな」
誰もいなかったはずの部屋に、しゃがれた声が響く。
リリアナは全く動じず、笑みを浮かべて声がした方を見た。
そこには、最後に見た記憶より一回り小さくなった老人が立っている。
「お久しぶりですね」
「まさか、また会うとは思っていなかったよ、お嬢さん」
愚痴に似た言葉を口にしながら、カマキリは我が家のように王太子妃の部屋を闊歩した。
物珍しそうに周囲を見回す。容貌は衰えているが、眼光の鋭さは変わらない。
リリアナは楽しげに対面のソファーを扇で指し示した。
「どうぞ、お座りになって。最後にお会いした時から、変わりませんのね」
「何言ってんだ。こちとら、随分とジジイになっちまったよ。耄碌ジジイだ、もう若い奴らには負けるだろうな」
「ご謙遜を」
カマキリはどかりとソファーに腰を下ろす。
どこまで本気か分からないカマキリのボヤキを、リリアナはさらりと流した。
ただ、リリアナの台詞は世辞ではない。
本気で、今でさえカマキリは現役の大禍の一族相手に、引けを取らないだろうと思った。
確かに体力は往年の彼と比べると落ちたのだろうが、技術や勘は若さや身体能力よりも経験がものを言う。
それを考えると、カマキリは十分に現役として通用するに違いない。
リリアナの口調に本気を感じ取ったのか、カマキリは目を瞬かせてリリアナを凝視した。
何ともいえない表情になって、口をへの字に曲げる。
「謙遜のつもりはねえがなあ。少なくとも、今のお嬢さんを相手にしたら、俺は容易く負けるだろうぜ」
自然と、リリアナの唇の端がつり上がる。
カマキリの発言に気を良くしたからではない。事実を指摘されたからでもない。
彼本人にその気がなくとも、リリアナにとっては、語るに落ちるそのものだった。
最後にカマキリと会ったのは、リリアナが彼に暗殺術を習った時だ。
それ以来、機会も偶然もなく、二人は顔を遠目に見ることもなかった。王太子妃であるリリアナは何度か衆目に姿をさらしているから、その時にカマキリは遠くからリリアナの姿を目にしたかもしれない。
だが、その程度だ。
裏社会に生きる男と、王族となって生きる女。
二人が言葉を交わす機会など、そうそうあるはずがない。
そして、出会わないでいるうちに、リリアナは強くなった。
精神的にも強くなったと思うが、それ以上に、リリアナは魔力量が増え、質も変わり、魔術や呪術の技術も上がった。肉体的な強さでは騎士に劣るが、魔術や呪術を使えば大陸随一とも言えるほどである。
カマキリは、大して深く考えずに発言したのかもしれない。
だが、そのはずがないとリリアナは確信していた。
彼の目には、常人には見えないものが映っているはずだ。
「それは、わたくしの魔力が原因でしょうか?」
カマキリは答えない。
じっと、リリアナを見ている。
それが、全ての答えだった。
部屋に、沈黙が落ちる。
リリアナは、静かにカマキリの返事を待っていた──否、返事を待っていたわけではない。
カマキリがどう出るか、様子を窺っていた。
もしカマキリが受け入れる姿勢を見せるのなら、交渉をする。
だが、万が一にでも彼がリリアナに反発すれば──多少、乱暴な手段を使うことになっても、リリアナはカマキリに協力を願い出るつもりだった。
ライリーが聞けば「それはお願いとは言わないよ、サーシャ」と苦笑するだろう、物騒なことを考えながら、リリアナは微笑を湛え続ける。
やがて、カマキリが大きな息を吐き出した。
「──全く、戦勝式典で妙なことになってやがらァと思えば……間近で見ると圧巻だな、こりゃあ」
「お褒めに預かり恐縮ですわ」
「褒めてねえよ」
カマキリは心底嫌そうな顔だ。だが、逃げようとはしていない。
リリアナは感心する。
普通に考えれば、カマキリはリリアナを攻撃してもおかしくはない。
だが、彼はリリアナと敵対するつもりはないと言わんばかりに、全身から力を抜いている。
むしろ、ぐったりしているようにすら見えるほどだ。
彼ほどの術者であれば容易く擬態はできるだろうが、リリアナは、それがカマキリの本意だと読み取った。
「やはり、貴方には視えていますのね」
「視えたって、嬉しかねえんだがなァ」
「わたくしとしては、有難い限りなのですけれど」
小さく声を立てて、リリアナは笑う。だが、カマキリは渋い表情を浮かべたままだった。
そこでようやく、リリアナは苦笑を見せる。
「貴方から、わたくしはどう見えていまして?」
カマキリは口をへの字に曲げた。答えたくなさそうだ。
だが、リリアナの視線に押されて、渋々と口を開いた。
「──魔力の質が、随分と変わったようだ。昔は人間だったのに、今はバケモンになってやがる」
「化け物ですか。それは仰々しいですね」
ジルドからは良く人間かと冗談交じりに訊かれるが、こうまで堂々と他人から言われることも少ない。
リリアナが思わず呟くと、カマキリはひょいと片眉を上げた。
お前がそれを言うのか、とでも言いたいような、まさかとは思うが自覚がないのか、と呆れているような、そんな表情だ。
だが、リリアナは気分を害するでもなく、鷹揚に答えた。
「化け物ではないつもりですが、貴方はやはり、わたくしが見込んだ通りのお方でした。以前お会いした時は、わたくしもそこまで思い至ってはいなかったのですが」
意味ありげに、リリアナは言葉を切る。
カマキリは、目を眇めて腕を組んでいた。どことなく緊張している。
その雰囲気を肌で感じながら、リリアナは内心で、部屋に厳重な結界を張っておいて良かったと安心した。
少なくとも、カマキリがどう動いたとしても、近衛騎士に気が付かれる心配はない。オースティンやエミリアでさえ、全く何も感じないだろう。
唯一の例外はライリーだが、ライリーには事前に話を通してある。本当の危機に陥らない限り、ライリーは素知らぬ振りを貫いてくれるはずだった。
リリアナは真正面から、カマキリに交渉をしようと決める。
カマキリは、すぐにリリアナの体内にある魔力の変質に気が付いた。思った以上に、カマキリは血が濃いようだ。それなら、下手に誤魔化すよりは、正面切って話を持ち掛けた方が勝率は高い。
「わたくし、貴方と彼が同類ではないかと思っておりますの。わたくしはオブシディアンと呼びますけれど、あなた方は死の虫と呼んでいらっしゃるとか」
ほとんど、カマキリの表情は変わらない。だが、一瞬だけ頬がぴくりと痙攣した。
それを、リリアナは見逃さなかった。
カマキリは慎重に、言葉を選ぶ。
「──そりゃあ、俺も死の虫も、一族だけどよ」
「大禍の一族など、あなた方と比べると、所詮歴史の浅い、寄せ集めの集団ではありませんか」
「ンだと?」
ぎょろりと、カマキリの目が動く。
眼光が一層鋭くなる。
年老いて小さくなったはずのカマキリの体が、一回り大きくなったようだった。
それに満足して、リリアナは呟く。
「やはり、今でも現役でいらっしゃる」
「どういう意味だ」
カマキリは気色ばんだ。回答如何ではただではおかない、と言うのだろう。
鍛えた騎士でさえ、今のカマキリを前にしては平静でいられない。それほどに純粋な殺気だ。
びりびりとひりつく気配を感じながらも、リリアナには一切の恐怖がなかった。
昔のリリアナならば警戒しただろうが、もはや恐るるに足りずである。
「申し上げない方が宜しいかと、口にはしませんでしたのに」
リリアナは歌うように告げた。そして、普段体の奥深くに隠している魔力を表出させる。
途端に、リリアナの銀髪は黒を纏う。緑の目は緋色が混じり、美しく輝いた。
カマキリは身動き一つ取れない。
「わたくしが特定の言葉を紡げば、貴方はその力を封じられることになる。わたくしに、否が応でも隷属することになる。そうなのでしょう?」
「なぜ、それを──」
これまでは、どれほど警戒してもどこか余裕の表情を崩さなかったカマキリが、顔色を変えた。
普通の人間が知るはずがないのに、という恐怖。
まさかこれから自分がその術を掛けられるのか、という絶望。
だが、リリアナはもちろん、そんな気はなかった。
「ご安心なさって。ご協力いただけるというのであれば、わたくしも無理強いをするつもりはございません」
その発言に、嘘偽りはないと分かったのだろう。
カマキリの顔に、少しばかり赤みが戻った。しかし、自分より遥か年下の娘に脅されたことが悔しかったに違いない。苦々しく、カマキリは吐き捨てた。
「────そういう脅しは俺たちの専売特許だったはずだがな?」
「脅しなんて人聞きの悪い。これは交渉ですわ」
「交渉? 交渉ってのはな、譲歩の道があってこその交渉なんだよ」
譲歩すらする気がないだろうが、とカマキリはぼやく。リリアナは楽しげに笑った。
カマキリの指摘を否定する余地はない。
とはいえ、一つだけ、カマキリの認識を正すべきところがあった。
「譲歩とは言わずとも、あなた方にとっても利益のある話でしたら、交渉と言えるでしょう」
「あ?」
カマキリが胡乱な目を向ける。
それを真っ直ぐ正面から受け止めて、リリアナはにっこりと笑った。
「魔族と人の混血児であるあなた方にとっては、ユナティアン皇国に隠されている力の源泉を取り戻すことこそが悲願でしょう」
魔族と人の混血児。
それは、魔王レピドライトを頂点とした帝国の支配者層である魔族と、人間の間に生まれた子供だ。
人間よりも体と心が強く、魔族が扱う力を使える。
だが、魔族ほど屈強な肉体と精神ではなく、扱える力にも限界がある。
リリアナが初めてその名を口にしたのは、オブシディアンを前にした時だった。
当時のリリアナは魔王の魔力に体を犯され、保っていると思っていた理性は随分と弱っていた。その時、彼女は自分を邪魔するオブシディアンが目障りで──邪魔をするのであれば眠ってしまえば良いと、魔族と人の混血児にだけ効果のある呪文で“強制停止措置”を発動した。
前世で遊んだ乙女ゲームの知識様様だったが、オブシディアンにとっては不運だったに違いない。
オブシディアンはリリアナがその名を知っていたことに愕然としていたが、カマキリは驚きつつも、そこまで意外には感じていない様子だ。
リリアナが不思議そうに首を傾げると、カマキリは苦々しく溜息を吐いて、乱暴に髪の毛が少なくなった頭を掻いた。
「お嬢さんのその状態と、死の虫が姿を消したタイミングを考えりゃあ、なんとなく予想は付くってもんよ。どこからその名を知ったかは知らねえが、まあそれは良い。俺が気になるのは、二つ」
カマキリはそういうと、短く太い指を二本、顔の前に突き出した。
「その存在を、どこで知った? それから、お嬢さんの望みはなんだ?」
簡単な質問だろうと、カマキリは皮肉げに唇を歪める。
だが、その双眸には油断ならない光が灯っていた。
[1] 63-1, 63-2









