13.詭計と密謀 2
動揺するテンレックを見つめて、リリアナは静かに部屋の片隅を指し示した。
そこには、壁際に寄せられ積み上げられた椅子がある。
「よろしければ、座って話しませんこと?」
「あ──ああ」
彼にしては珍しく、テンレックは吃りながら首を縦に振る。
そして、少しぎこちない仕草で片付けられた椅子を二脚、引っ張り出してきた。
テンレックは、リリアナの雰囲気に飲まれていた。普段は飄々として掴みどころのない男だが、彼は基本的に影に生きている。
裏社会の男という意味ではない。
彼の能力は、極端なまでに気配を消すことだ。そして、誰にも気付かれることなく、どこにでも出没する。
だからこそ生まれ持っての名を捨て、彼は鼠と名乗っているのだ。
そんなテンレックは、敵と対峙した経験がほとんどない。
肉体的に自分が劣っていることは、テンレック本人が重々承知していた。
生まれつきの小さな体は、鍛えても筋骨隆々にはならない。逃げ足こそ早いが、肉弾戦になればあっという間に劣勢に立たされる。
だが、それは同時にテンレックの能力を最大限に引き立たせるものだった。
テンレックの本分は、諜報。
決して戦うことはしない。
彼がその信条を捨てたのは、同胞であるアルヴァルディの子孫が隣国に拐かされると知った時。後にも先にも、その一度だけだ。
リリアナは、傍から見ればどこにでもいる貴族令嬢だ。
だが、ただの貴族令嬢ではない。王太子妃という地位はもちろんのこと、テンレックですらその能力は把握できていない。
王太子やその側近は、王太子妃を優れた魔導士だという。
だが、どこまで本当かは分からない。
裏社会の連中の中には、大公派に与した王太子妃に箔をつけるための嘘だと言う奴がいた。
それも一理あると、テンレックは思っていた。
だが、本当に張りぼての王太子妃なら、あのジルドが傾倒するだろうか?
そんな囁きも、常にテンレックの中にはあった。
ジルドは女好きだ。
だが、目の前の少女はジルドの対象外だ。ジルドの好みは、テンレックも良く知っている。
豊満な体の、世慣れた女。
初心な見た目の女に、ジルドの食指は動かない。
それならば、ジルドが王太子妃を認める何かがあるはずだ──。
暗い光を双眸に浮かべじっとリリアナを見つめるテンレックに、リリアナは余裕の笑みを浮かべたまま、少しの沈黙の後に口を開いた。
「十分見定める時間はあったかと思いますが、結論は出ましたか?」
びくりと、テンレックは身を引いた。
だてに長年裏社会を生き抜いて来たわけではない。そのテンレックに、リリアナは発言の前触れを一切見せなかった。
「──見定める? 俺が? 王太子妃を? そんな無礼なこと、できやしませんよ」
テンレックは嘲笑にも似た表情を顔に張り付ける。
そうしながらも、テンレックはリリアナの出方を窺っていた。
普通の貴族ならば、テンレックの態度を腹に据えかねる。だが、今テンレックに対峙している王太子妃は、きっと気にも留めないに違いない。
そんな確信が、テンレックにはあった。
案の定、リリアナは全く感情の波を見せない。心の中で何を思っているのか、テンレックには分からない。それでも、彼女は酷く落ち着いていた。
静かにテンレックを見つめ、笑みを深める。
「わたくしたちが居る表の世界よりも裏社会の方が、人を正しく見定めねば命に関わるのでしょう」
質問のような形を取りつつも、その意図は事実の確認だ。
テンレックは苦虫を噛み潰したような表情で口を噤む。
まさに、リリアナの指摘通りだった。
敵を上手に見定め力量を図り所属を特定する。そうしなければ、次の瞬間には自分の頭と胴が離れることになる。
ただ、その緊迫感を知る者は表の世界では滅多に居ない。
百戦錬磨の騎士は戦場で敵の力量を見定めるというが、テンレックたちの言う「相手の正体」と騎士の考える「敵の力量」には大きな差がある。
テンレックは目を細めて、リリアナを窺った。
適当なことを言っているのではないかと疑うが、リリアナの態度に気負ったところは一切ない。
初めて背筋を冷たいものが流れたような心地になって、テンレックは自分を落ち着けるために深呼吸した。
「──俺は、そこまでじゃあねえですよ。単なる情報屋ですからね」
それは、テンレックにとっては敗北宣言だった。
堅気を相手に、彼は決して情報屋などとは名乗らない。しがない酒屋の主人だという顔をして、何を訊かれても知らぬ存ぜぬを貫き通す。
だが、リリアナには通用しないと、テンレックは悟ってしまった。
目の前に居る銀髪の王太子妃は、テンレックの正体を知っている。
テンレックがアルヴァルディの子孫だと知っているのだから、裏社会の情報屋であることも承知の上であるに違いない。
あくまでもしらを切りとおせば誤魔化されてくれるのではないかと思ったが、テンレックはあっさりとその期待を捨て去った。
もしかしたら、普段のリリアナならテンレックの言い訳を聞き入れてくれたかもしれない。しかし、理由は分からないが、今の彼女は決して譲らないだろう。テンレックが認めるまで、この場を動かないだろうと想像がつく。
テンレックは自分の想像に震えあがった。
王太子が王太子妃を大切にしているという話は、誰もが半信半疑ながら耳にしたことがある。その噂が本当なら、リリアナがテンレックの店に長居すればするほど、王太子が押し掛けて来る可能性も高まるということだ。
ただでさえ自分の酒場に王太子妃が居るという気持ちの悪い状況だというのに、ここに王太子が加わるとなると、想像だけで気分が悪かった。
王太子だけならまだ良い。王太子は、近衛騎士や護衛も引き連れて踏み込んで来るに違いない。
テンレックは腹を括った。
「それで、しがない情報屋に何の御用です? 殿上人だからって、金を負けるようなことはしませんよ」
「構いませんよ。わたくしも立派な仕事に対しては敬意を表するべきだと考えています」
穏やかに答え、リリアナは真っ直ぐにテンレックを見据える。
テンレックが向き合うことを決めた今、リリアナは時間を無駄にする気はない。
リリアナの不在にライリーが気付いた気配はまだないが、それも時間の問題だ。
「人を探しているのです。きっと、貴方ならご存じだろうと思いましたの」
「人を?」
まさか、裏社会の情報屋の居場所を突き止めた王太子妃の目的が人探しだとは思わなかったのだろう。
鳩が豆鉄砲を食ったように、テンレックはぽかんとする。
しばらく目を瞬かせていたが、テンレックはやれやれと首を振った。
「良いですかい、お嬢さん。貴方のようなやんごとないお方はご存じないのかもしれませんがね、人探しなんて俺の仕事じゃねえんですよ。そういう仕事は、あんたの付き人にでもさせれば良い」
「まあ。蛇の道は蛇と言うではありませんか」
リリアナは楽しげに、軽く声を立てて笑う。
しかし、その双眸は鋭くテンレックを射抜いていた。
彼女は言外に、探し求めている相手は裏社会の人間だと告げているのだ。
一分の違いもなく理解したテンレックは、表情が苦々しく歪みそうになるのを辛うじて堪えた。
この王太子妃を相手にすれば、色々と分が悪い。
そんな感想が脳裏を過る。
無言でリリアナを睨むようにするテンレックに、リリアナは軽やかな口調で続けた。
「わたくしが探し求めている方は、以前お会いした方です。ジルドが連れて来てくれましたから、きっと貴方に依頼したのではないかと思いましたのよ」
もっとも、その人物が生きているかどうかは分からない。
リリアナが会った時でさえ、すでに随分な高齢だった。
もしかしたら既にこの世には居ないかもしれないが、もし生きていれば、彼はほぼ間違いなくリリアナの役に立つはずだった。
本来であれば、敵だ。
だが、敵でさえも己の駒とする自信が、リリアナにはあった。
「カマキリという老人が、いますでしょう」
何の頓着もなく、リリアナはその名を口にする。
テンレックの眉がぴくりと動いた。だが、彼は口を開かない。
リリアナの出方を窺うかのように、じっとリリアナの唇を見つめる。
「わたくしは、彼に刺客の手管を学びました。そのお陰で命を救われたことも多々あります。一族の中でも、彼ほど優秀な刺客はそうそう居ないのではないかしら」
懐かしそうに、リリアナは目を細めてみせた。
その表情を眺めながら、テンレックは過去を思い出す。
あの日、ジルドはテンレックに、己の主に訓練を付けられる人間を探していると言った。まだ当時は王太子の婚約者候補でしかなかった少女は、数多の刺客に命を狙われていた。
ジルドやオルガという腕利きの護衛を雇っていたが、万が一ということもある。
か弱い貴族令嬢だというのに、ジルドは不思議とリリアナの身の危険をそれほど真剣には心配していなかったようだが、それでも身を守る手段が必要だとは考えていた。
そこで白羽の矢が立ったのが、大禍の一族のカマキリだ。
当時、カマキリはすでに引退し、一族の若者たちに訓練を付けていた。
働けなくなった刺客は大半が処分される一族では珍しい。
テンレックの話に、渋るかと思われたカマキリは心底面白がり、乗り気になった。一族には話さないという約束で、元刺客の老人は三大公爵家の令嬢の元に足を運んだのだ。
数回で終わるかと思われた講義は、テンレックが予想した以上に長く続いた。
だが、講義が終われば、カマキリとリリアナの関係はなくなる。
本来なら、二人は二度と会わないはずだった。
それにも拘わらず、リリアナはカマキリを探していると言う。
ジルドがテンレックやカマキリについて詳しく話すはずはないのに、リリアナは全てを見透かしているかのようだ。
テンレックは、少なくなった髪の毛をくしゃりと掴んだ。
「──一体全体、なんであんたはあの爺を探すんだ? 今のあんたには、関わらない方が良いお人だ」
とうとうテンレックは敬語を放棄する。
元々敬語は不得手だ。だが、あまりにも想定外のことが重なりすぎて、テンレックは深く考えることを止めたくなっていた。
リリアナは、小首を傾げる。
その仕草は、テンレックの目にはどこか無垢に映った。
[1] 11-1, 11-2
[1] 34-1~34-4
調子に乗って新連載を開始しました。
「闇の女王と真贋の迷宮」
https://ncode.syosetu.com/n4272lr/
異世界恋愛の皮を被った国家反逆劇で主人公がちょっと斜め上です(開き直った)
「公爵家のちびっ子愛され令息は、喋るクマさんと無自覚に運命を変えていく」
https://ncode.syosetu.com/n6479ky/
第2部を開始しました。
ストレスが増えると小説を書きたくなる病です。









